なんで私⁉ 野球知識皆無のJKが戦国時代で野球を広め、信長の恋女房になってしまう件~ 作:ハムえっぐ
堺の宿で、妻の旭を腹の上に乗せている家康の喉元に漆黒のクナイが振り下ろされる。
「グワッ!」
喉を突き刺す直前、クナイを持っていた者の目に激痛が走り、悲鳴をあげてしまった。
練り辛子だ。なぜか家康と旭が寝ている真上に縄が張られ、練り辛子が塗りたくられていたのだ。
「む……なんじゃ?」
「ウキー? ウキッ⁉ ウッキーーーーーーーーー!」
「敵襲! 敵襲ぞ! おのれどこの手の者じゃ!」
目を擦りながら起きた家康と旭。即座に黒ずくめの存在を察知して大声で叫んだ。
すると別の部屋から金属音が響き渡る。
「グッ! 皆のところにも……!」
家康は練り辛子のついた縄を避け、旭を担いでジリ、ジリと間合いを取っていく。
「見たことのあるクナイじゃ。あれはたしか儂が太原雪斎様に師事していた時、風魔の忍びを使っていたのを見た。その時のクナイに似ておる。……今更今川の恨みか」
「今更? 高天神城で岡部元信様を討ったのが今更と抜かすか」
クナイが正確に家康の口めがけて飛んでくる。
「ウキー!」
旭が懸命に家康に飛びつき、押し倒されることでなんとか躱せた。
「こっちからも一つ聞きたい? 貴様は旅行先の宿でもかような罠を仕込むか。恐ろしい狸よ」
練り辛子で染まった忍びの瞳はまだ回復しない。
ここは回答して居場所を察知されるより、逃げることを優先しなければ。
(ていうか、普通に起きてたら儂がああなってたわな。……我が徳川家中、こんなことするのはあやつしかおらん)
足音を立てないように、息をする音を聞かれないように、襖を開ける音を響かせないように、ゆっくりと部屋から脱出を試みる家康と旭であったが——
「馬鹿な狸と猿だ。心臓の音を消せぬとは」
クナイが飛来してくる!
(んなもん消せるか!)
「ウキー、ウキー、ウキー!」
家康は抵抗する旭を抱きしめ、目を閉じて忍びに背を向ける。
「……グフッ」
……ん? 死というのは思ったより痛くなくて、意識もあるのか。
でも身体が軽い。もしかして儂、ノムサンのようになったのか?
そいつはいい。白球になって思いっきり暴れてやる!
「間に合った! 父上!」
「旭。大丈夫よ」
知っている声が二つ、背後から聞こえてくる。
恐る恐る家康が目を開けると、そこには血溜まりになっている忍びと、おなごを乗せた四つん這いの男の姿。
どちらも忍び装束。
「信康! 五徳姫様!」
「ウキーウキーウキー!」
家康と旭を片手で宙に浮かせ、もう一つの手でクナイを掴んでいるのも見知った存在。
「瀬名!」
そう、表向きは自害させたことにして、旭と交換トレードで織田に行った、家康の元妻と息子と息子の嫁だ。
地面に降ろされ、家康は信じられない奇跡が起きたことを知った。
「フモー、フモー、フモー」
瀬名の口には、ピンク色のよだれ玉がピッタリと嵌っている。
「父上、我らはもう信康でも瀬名でもありませぬ。猿飛佐助と猿飛小夜とお呼びくだされ」
「うむ。そうじゃった。ただ、詳しい話や救援に行く前に、瀬名よ。よだれ玉を取るぞ。苦しかろう」
「フモー!」
瀬名の目が血走り、家康は伸ばした手を引っ込めてビクッとする。
「家康。もう小夜は家康が知っている瀬名姫じゃない。よだれ玉をつけることで、忍びの才能が快感……じゃなかった、開花した」
五徳姫の言うことは、家康には何もわからなかった。
旭はわかったようだ。さすが姫様と頷いている。
「と、ともかく次じゃ。小五郎(忠次)たちを助けにいくぞ!」
すると、廊下のほうが慌ただしくなる。
「殿! ご無事ですか! ややっ⁉」
「奥方様は……! なんと!」
酒井忠次と石川数正が切り刻まれた衣服なれど、怪我のない状況で跪いてきた。
「他の者は⁉ 弥八郎(正信)と平八郎(忠勝)、信君殿は⁉」
家康が2人に抱きついて確認すると、返り血で染まった忠勝と、息も絶え絶えでメガネがズレているも、空になった練り辛子チューブを握りしめながら姿を現した。
「賊は全員片付けました。……が、殿の許に遅れたこと一生の不覚! けれども夢か幻か。まさか信康様と瀬名姫に会えるとは……! 安土でサプライズがなかったので、諦めておりました……!」
「練り辛子チューブ。手に入れておいた我が策に抜かりなし。ちっ! 僕まで殺そうとするとは、ぜってえ許さねえ」
「のう、弥八郎? 儂の部屋にも練り辛子があったんじゃが?」
「それは奇遇ですね。家康様」
したり顔で言う正信に、家康はちょっとだけモヤっとしたけど、今はそれよりと信君の許に向かう。
ガタガタ震えているも無事だった姿を見て、家康は安堵の吐息を漏らした。
「それがしたちは信長様より、『堺で家康暗殺計画がある。防いで来い』と言われて来たのですが、まさかまことに起こるとは……」
「フモー(別に死んでもいいのに)」
「佐助と小夜の言う通り。何か嫌な予感がする。今更枝葉の家康を狙う意味があるわけない」
佐助、小夜、五徳が呟いてくる内容に、家康は顔色を変えた。
(そうじゃ……儂を今更殺したとて信長様の天下は揺るがない。……揺らぐとするなら……!)
「皆! 至急、京に向かうぞ! 敵の本命は信長様じゃ!」
家康の絶叫に、ただ一人を除いて頷いた。
「じょ、冗談じゃない。この人数で? 狙われているのに? 儂は帰る! 甲斐に帰る!」
全身を震わしながら叫ぶ信君に、家康も無理を言うわけにはいかない。
「わかりもうした。気をつけて帰ってくだされ。……信長様! 真昼様! この家康一行、直ちに馳せ参じまするぞぉぉぉぉぉぉぉ!」
「「「「おおっ!」」」」
「ウキー!」
闇夜の堺で、僅か5人と1匹の徳川軍と3人の忍びが動き出した。