なんで私⁉ 野球知識皆無のJKが戦国時代で野球を広め、信長の恋女房になってしまう件~   作:ハムえっぐ

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第71話 長谷川真昼、理不尽なトレード通告に涙する

「ふざけるな……あと1打席……あと1本ヒットを打てば、この泥仕合にサヨナラ勝ちできるって時に、審判が試合終了を告げるか! どうせ具教の工作だろ。補給路潰され、籠城戦も不可能になり、上様に金を積んで危機を脱しようってか!」

 

 伊勢、大河内城を包囲する織田軍本陣。

 激しい雨が陣幕を叩き、地面はもはや底なし沼と化した最悪のコンディションの中、信長様の絶叫が響き渡った。

 信長様の横で、いつも穏やかな久太郎君と冷静な鶴千代君も厳しい目をして睨んでいる。

 

 彼らの目の前に、将軍・足利義昭様の側近、細川藤孝さんが優雅に雨を避けて立っている。

 手には、泥だらけの私たちには眩しすぎるほど白い講和命令の書状。

 

「信長殿、お言葉を慎まれよ。これは上様の慈悲にございます。北畠家は室町幕府の柱石、名門中の名門。これ以上の攻撃は秩序への反逆とみなされますぞ」

 

「……秩序だぁ? 笑わせるな」

 

 信長様が、金属バットの先を藤孝さんの喉元へ突きつけた。

 目は降りしきる雨さえも蒸発させるほどの怒りで赤く充満している。

 

「藤孝殿、上様は剣聖のジジイに騙されているのだ。具教の野郎、表では将軍に臣従するツラをしながら、裏では石山本願寺と雑賀の弾丸を使い、幕府の背後を撃とうとしてやがる。ここで手を引くのは、勝利を捨てて敵に再戦の機会を与えるに過ぎん!」

 

 信長様の怒号に、本陣の空気が凍りつく。

 懐のセンイチも『その通りじゃ! 闘魂のない引き分けなど敗北と同じじゃああ!』と激しく振動している。

 

 一触即発の空気の中、藤孝さんは動じなかった。

 彼は懐から、さらにもう一通の小さな書状を取り出したのだ。

 

「信長殿。……こちらは上様からではなく、京の明智十兵衛光秀殿から、あなた様への私信にございます」

 

「十兵衛から……?」

 

 信長様がバットを引き、ひったくるように書状を広げた。

 私も横から覗き込む。

 そこに光秀さんの、冷徹で合理的な盤外戦術が書き記されていた。

 

『信長様。今、力で北畠を根絶やしにすれば、伊勢の国衆は名門の仇として本願寺と結びつき、永劫に終わらない延長戦に突入します。ならば、ここは敬遠の一策。条件を呑むフリをして講和し、交換条件として信長様の次男・茶筅丸様を具教殿の養子に送り込みなさいませ。……北畠の名を残し、中身を織田で乗っ取る。これこそが真の血の入れ替えにございます』

 

 ――血の入れ替え。

 

『野球で言えば、相手チームの主力をごっそり放出して、自前の若手を送り込み、最終的にオーナー権まで奪い取る敵対的買収か。バファローズ消滅を思い出すわい』

 

 センイチ、もっとみんながわかるように説明しろっての。

 

 半兵衛君がモリミチボールを指先で回しながら、感心したように頷く。

 

「見事な采配です。上様の横やりを利用するにはこれしかありません。ここは光秀殿の策に乗り、組織を内部から腐らせるのが正解でしょう」

 

「クックック……流石は十兵衛殿。力で城を壊すより、中身を乗っ取って手に入れる方が、茶の湯の如き深みがある。賛成ですな」

 

 松永久秀おじさんも、悪い顔をして頷いている。

 

「義兄上、北畠具教も納得せざるを得ないでしょう。幕府の顔を立て、義兄上も実利を得ます。それがしも、この策しかないかと思います」

 

 長政さんも賛成する。

 みんなが納得し、戦略的停戦へと話が進んでいく。

 ……でも。

 私の胸の中には、それとは別の、どうしようもないモヤモヤが渦巻いていた。

 

「……ちょっと待って。茶筅丸君を養子に出すの?」

 

 私の呟きに、信長様が振り返る。

 

「そうだ。北畠の家督を継がせ、伊勢を織田の支配下に置く。これ以上の良策はあるまい」

 

「良策って……あの子、まだ子供だよ⁉ しかも茶筅丸君、兄弟の中でも一番おとなしくて、私が吉乃さんの部屋でお話してる時も、いっつもニコニコしながら隣で聞いてくれてた優しい子なんだよ⁉」

 

 脳裏に、茶筅丸君の顔が浮かぶ。

 利発な奇妙丸君とは対照的に、控えめで、少し甘えん坊だったあの子。

 おごとくちゃんは家康さんの息子に嫁ぐことが決まっていて、今度は茶筅丸君まで、縁もゆかりもない剣聖とかいう怖いおじいちゃんのところへ、1人で飛ばされるなんて。

 

「……おごとくちゃんもいなくなって、茶筅丸君もいなくなったら、岐阜城には奇妙丸君だけになっちゃうじゃん……。吉乃さんが亡くなってまだそんなに経ってないのに、なんでそんなバラバラにするの……」

 

 私の声が震える。

 戦国時代では養子や婚姻は当たり前の外交手段だってことは分かってる。

 でも、令和の感覚からすれば、それはあまりにも残酷な人身売買にしか見えなかった。

 そんなの……お父さんだけで十分だよ。

 お父さんは孤児院から買われて、すぐに脱走したらしいけど。

 

「真昼。これは戦なのだ。個人の感情でチーム編成を変えるわけにはいかぬ」

 

 信長様の声は冷たかった。

 でも、バットを握る指先が震えているのを私は見逃さなかった。

 この人も本当は辛いはずなんだ。

 でも鬼になると決めたから、父親としての心を殺して、非情な采配を振るっている。

 

「……わかってる。わかってるよ。でも……でも、せめて私が美味しいお菓子をいっぱい持たせてあげてもいいよね? 『向こうに行っても、お姉ちゃんがついてるからね』って、ちゃんとお別れさせてよね!」

 

 私は涙を拭い、信長様を睨みつけた。

 

「……勝手にしろ」

 

 信長様はそっぽを向いて、藤孝さんに向き直った。

 

「藤孝殿。上様へ伝えよ。織田弾正忠、将軍の命に従い、具教の養子に俺の息子・茶筅丸を据えることを条件に、兵を引こうとな」

 

「……賢明なご判断です」

 

 藤孝さんが深く頭を下げ、講和の使者が雨の大河内城へと走り出した。

 

 雨はまだ止まない。

 城壁の上で、英霊ベットウの気品を纏って立つ北畠具教。

 彼はまだ知らない。

 自分が手に入れた平和が、愛する北畠家を内側から食い荒らす、最悪の毒であることを。

 

(茶筅丸君……。お姉ちゃん、絶対に見捨てないからね。伊勢名物のお餅、食べきれないくらい買ってお別れ会してあげる!)

 

 私は激しくなる雨音の中、岐阜に残した小さなお利口さんの顔を思い出して、ギュッと拳を握りしめた。

 戦国野球……。

 勝負はグラウンドの外でも、こんなに汚くて、悲しいものなんだ。

 

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