BRAVE STEP ―小さなお菓子屋さんを夢見て― 作:クレナイハルハ
カルボウが目の前のポケモン、ソウブレイズを追いかけて3日。
その間、ソウブレイズは一度たりともカルボウを振り返らなかった。
止まれと言われても止まらない。
帰れと言われても帰らない。
無視されようが、置いていかれようが、カルボウはただ必死にその背中を追い続けていた。
昼は岩場を越え、夜は冷たい風が吹き荒ぶ荒野を進む。
野生のポケモンに襲われればカルボウは飛び出して戦い、勝っても負けても再びソウブレイズの後を追った。
時には完全に見失うこともあったが、それでも地面に残る微かな焼け跡や、紫黒の炎の残滓を頼りに必死に追いかけた。
食事も、満足な睡眠も取らずカルボウは追いかける。
何故そこまで追いかけるのか。
そう問われれば、カルボウ自身も上手く答えられないだろう。
ただ、自身の魂の根幹で分かっていたのだ。
あのソウブレイズの強さこそ、自分が求めていた“強さ”だと。
グレイシアとも違う。
野生の強者とも違う。
無駄がなく、迷いもない研ぎ澄ませた戦い方。
だからこそ、カルボウは諦められなかった。
そんな三日目の夜。
荒野の外れにある崩れかけた遺跡の近くで、ようやくソウブレイズが足を止めた。
焚き火もない。 ただ月明かりだけが、静かに紫黒の鎧を照らしている。
「……しつこい奴だ」
初めてだった。 ソウブレイズの方から、カルボウへ言葉を向けたのは。
その低い声に、カルボウは疲れ切った身体を無理やり起こしながら笑う。
「へへっ……やっと、少しは認める気になったか?」
だがソウブレイズの瞳は冷たいままだった。
「勘違いするな。ただ確認したいだけだ」
静かに。 だが鋭く。
ソウブレイズの炎のような瞳がカルボウを射抜く。
「お前は、何のために強くなりたい」
「何故って言われても、分からねぇ……ただ強くなりたいんだ。俺の奥底にある何かが言ってる、強くなれって!だから俺は強くならなきゃいないんだ!」
カルボウは強さを求めていた。
でも、自分で何のために強くなりたいのかと言われてまで分からなかった。
ただ、自分の奥にある何かが囁くのだ。
強くなれ、強くなれと。
カルボウの言葉を聞き、ソウブレイズはしばらく黙っていた。
夜風が荒野を吹き抜ける。
崩れかけた遺跡の隙間から、冷たい風が笛のような音を鳴らしていた。
「……自分でも分からない、か」
ソウブレイズは小さく呟く。
その声音には、僅かに諦めのようなものが混じっていた。
「なら尚更だ」
「?」
「お前は今、自分の欲望のままに力を求めているだけだ」
静かな声。
だが、その一言一言はカルボウの胸へ重く沈んでいく。
「勝つことしか見えていない。強い相手を倒し、自分が上へ行くことしか考えていない」
「それの何が悪い!」
カルボウは即座に叫ぶ。
「強くなるってそういうことだろ!?勝って、倒して、上に行く!だから強いんだ!」
「違う」
即答だった。
その瞬間、ソウブレイズの瞳が僅かに揺れる。
「……本当に強い奴は、失いたくないもののために剣を振るう」
「は?」
カルボウは眉をひそめる。
一方でソウブレイズは月を見上げた。
その横顔は、何処か遠くを見ているようだった。
「勝つための力など、いずれ簡単に折れる」
淡々と呟く……それはまるで自分自身へ言い聞かせるように。
「だが、守るための力は違う。失いたくないものがある限り、立ち上がれる。何度でも、何度でも心の焔を燃やし立ち上がるだろう」
カルボウには分からなかった。
守る?
誰かのため?
そんなものより、強い方が良いに決まっている。
強ければ負けない。
負けなければ奪われない。
踏み潰されない。
それだけで十分な筈だ。
「……アンタは、どうなんだ?」
カルボウはソウブレイズを見る。
その瞬間だった。
ソウブレイズの空気が変わった。
荒野の温度が、一瞬で下がったように錯覚する。
紫黒の炎が、僅かに揺らぐ。
「……余計な詮索をするな」
低い声。
先程までとは違う。
感情を押し殺したような、冷たい声だった。
カルボウは思わず息を呑む。
だが、それでも目を逸らさなかった。
「教えてくれよ」
真っ直ぐに。 ただ純粋に。
「アンタは、何のために強くなったんだ?」
ソウブレイズは答えない。
長い沈黙の末に、ソウブレイズは静かに踵を返す。
「……来い」
「え?」
「強く、なりたいんだろう」
月明かりの中、紫黒の炎が揺れる。
「ならまず、お前が求めているものが何なのか。その答えを探せ」
そう言い残し、ソウブレイズは再び歩き出した。
今度はほんの僅かだけ、歩幅を緩めながら。
身体中へ叩きつけられる、冷たい雨。
ザーザーと降り注ぐ雨の中、そのポケモンは、目の前に横たわる“守りたかった存在”を見つめていた。
紫黒の炎は弱々しく揺れ、足元には赤黒く濡れた水溜まりが広がっていた。
もう返事はない。
もう温もりもない。
伸ばした手は届かず、振るった剣は間に合わなかった。
全てが、遅かったのだ。
呆然と、ただその骸を見つめている。
どうして、この地にゆかりのない彼女が、こうして命を散らす必要があったのか。
『私は、私に出来ることをしたいから』
最後にあったとき彼女は笑っていた。
涙を浮かべることも、悲しむ顔をせずにただ笑っていた。
少女の近くには、まるで共に力尽きたかのように白と黒の体が特徴的なポケモンが倒れ付している。
彼女と共に旅していたポケモンだった。
常に彼女を守ろうと傍に居る事の多いポケモンだった。
強くなったと思っていた。
進化し、新たな技を覚え天狗になっていた。
強くなるのではなく、振りかざすことになっていることに気づいていなかった。
自分には、何もかもが足りなかったのだ。
強さも、経験も、判断力も、何もかもが。
──もっと強ければ。
その後悔だけが、焼け付くように魂へ刻まれていた。
その場に響く、一匹のポケモンの慟哭。
深い悲しみと、心の奥底へ刻まれる後悔の叫びが木霊する。
カルボウは勢いよく飛び起きた。
「────ッ!?」
荒い呼吸。
激しく脈打つ心臓。
夜の冷たい風が、全身へ吹き付ける。
「……なんだ、今のは……」
身体が震えていた。
怖かった訳じゃない。
だが、胸の奥が焼けるように痛かった。
雨。
倒れていた誰か。
そして、届かなかった手。
見たこともない筈の光景なのに、どうしてか酷く“懐かしい”気がして、忘れてはならないと心の奥底の何かが訴えているような気がした。
「……守れ、なかった……?」
無意識に零れた言葉。
何を、誰を?……分からない。
けれど、その言葉だけが妙に胸へ引っかかって離れなかった。
「起きたか」
低い声。
顔を上げれば、少し離れた岩の上にソウブレイズが立っていた。
紫黒の炎が、静かに夜風へ揺れている。
カルボウは思い出した、ソウブレイズと共に行動しここで夜を明かす事となった記憶。
「うなされていたな」
「……別に」
ソウブレイズの言葉に、反射的に強がってみせるが胸の中にあるのは困惑だった。
守れなかった?そんなはずない。
俺は生まれてこのかた、そんな経験はなかった。
ポケモンバトルで負けした、ヘルガーにも負けそうになったがソウブレイズに助けられた。
ソウブレイズはただ静かにカルボウを見つめていた。
「なら立て」
「え?」
「今日からお前に、“戦い方”を教える」
カルボウの目が見開かれる。
「ほ、本当か!?」
「勘違いするな」
ソウブレイズは冷たく言い放つ。
「お前はまだ弱い。力も、心も」
その言葉にカルボウは悔しそうに歯を食いしばる。
ヘルガー、そしてトレーナーの元で戦ったミミッキュへの敗北。
それが自身への弱さを自覚させてきた。
「だが少なくとも、“何か”を抱えている目はしている」
「は?そんなものねぇ、はず……」
カルボウの口から紡がれる言葉が段々と小さくなっていく。
ならば、夢で見たあの光景は一体何なのか分からない。
ソウブレイズは、そんなカルボウの前で静かに剣を構える。
「来い、カルボウ」
「まずは、自分の炎を知れ」
ソウブレイズがカルボウへ戦いを教え始めて、数日。
カルボウの成長速度は、異常だった。
一度見た動きは忘れない。
一度受けた技は、次から対応してみせた。
癖、間合い、重心の移動。
戦闘に必要な技術を、まるで飢えた獣のように貪欲に吸収していく。
その戦い方は、荒削りながらも確実に洗練され始めていた。
力も伸びているし、技術も伸びている。
野生で培った獰猛さに加え、戦うための理屈まで覚え始めている。
カルボウの話の通りならば、まだ生まれて数日だというのに、戦闘においてその行動は一定の領域を越える寸前へと至っていた。
少しの戦闘と、ソウブレイズ自身の戦闘を通じてここまで成長を遂げたのは、恐らくはカルボウ自身が持つ強さへの異常なまでの執着。
貪欲とも言える強さへの執着が、カルボウの成長を大きく支えているのだと思う。
……本当に、コイツは生まれたばかりのポケモンなのか?
そんな事を思う程に、カルボウは強くなっている。
だが───。
ソウブレイズは考える、カルボウはまだ肝心なものをまだ知らない。
何のために戦うのか……その答えだけが、未だ空っぽだった。
強敵を倒したい。
負けたくない。
更に上へ行きたい。
カルボウを突き動かしているのは、ただ純粋な闘争心と渇望。
それ自体は悪くない。
むしろ、強くなる上では必要な感情ですらある。
だが、それだけではいずれ折れる。
守りたいもののない剣は、いつか己のためだけに振るわれる。
そして、その先に待つのは後悔だ。
ソウブレイズは静かに目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは、冷たい雨。
自身の手が届かなかったあの時を。
あの日、自分には力が足りなかった。
いや。
本当に足りなかったのは、“強さの意味”だったのかもしれない。
だからこそ、ソウブレイズはカルボウへ剣を教える。
戦い方を。 そして、“戦う意味”を。
同じ後悔を、二度と誰にも背負わせないために。