机の上の電話が鳴り続ける。
発信者の名前には黄坂と書いてある。
カーテンは締め切られ、正午だというのに部屋は真っ暗だった。
そして机には両肘をつき、頭を抱えている男がいた。
赤井 弘志は、自宅のリビングに引きこもっていた。
先の戦いの中、赤井はあることを思い出してしまった。
今から約2年前。赤井は九州の支部から北支部へ来た。
北支部には、今より多い魔法戦士と職員がおり、でかいビルに収まりきらないほどの人間がいた。
司令となった赤井は一人ひとりのことをよく知るため、一人一人と交流を持ち、名前から好きな食べ物、趣味まで覚えることに成功した。
それから1年半近く、赤井は北支部の仲間と良好な関係を築いていた。
ある日のことだった。
「…というわけで新しく建物を増やすべきか考えているんだ。黄坂はどう思うか?」
『そのためにわざわざ電話してきたのかよ、もっといい話はねえのか』
電話の相手は黄坂 建人。九州の支部にいた頃に知り合った親友だ。
赤井は元々陸自に所属していたが、アポカリプス後、上司の勧めで魔除庁へ異動した。最初に配属されたのが九州の支部だったが、人付き合いが苦手だった赤井は、周囲から浮いていた。
そんな中会ったのが黄坂だった。
黄坂とは当初は些細な揉め事がきっかけで出会ったが、その後はなんやかんやで馬が合い、結果として何度も飲みに行く仲になった。
気性は荒いがリーダーシップに優れ、今では赤井の後任としてその支部の司令を務めている。
『…写真は見たけど、これマンションの一室とかだろ?もういっそ一軒家でも買って改造しちまえよ』
「…悪くはないが住宅地に置くのもなんというかな…」
そんな事を話していると、突然視界が真っ暗になる。
「だーれだ?」
ため息を吐いて自分の視界を妨げている手をどけると後ろを振り向いてそこにいた少女の額にデコピンを食らわせる。
「…いい加減にしろ、沙知」
後ろにいた少女―――
「せいかーい!…だけどいきなりデコピンはひどくない?結構痛いんだけどー?」
「…通話中なんだ、せめて終わってからやれ」
そんな事を話していると電話から黄坂の声が聞こえる。
『赤井…お前またいつものやつか』
「すまない、いつもちょっかいを掛けてくる奴でな」
『…頼むからニュースに出るなよ?逮捕された報道で』
「おい、どういうことだそれは」
電話越しに問いただそうとするが、電話は既に切れていた。
「…まったく」
「ねー無視?ちょっとー」
赤井がため息をはいているうちも沙知は赤井の体を突いてくる。
「…前々から気になっているが、どうして私にばかりちょっかいを出すんだ?他にも年の近い奴はいるだろう。それこそ少し前に移籍してきた天音くんや君も仲良くしている徳姫くんがいるじゃないか」
「…理由なんて無いよー」
赤井は呆れていた。なにか理由でもあると少しでも考えた己が馬鹿馬鹿しかった。
だが、不思議と黄坂のいない寂しさが和らぐような気もしていた。
ある日の昼過ぎのことだった。
その日は外に用事があり、一人で外出していた。
北支部の建物が見え始めた頃、ふと少し先の交差点に見覚えのある後ろ姿が見えた。
「…沙知じゃないか」
見えたのは沙知だった。どういうわけか、両手に大荷物を持っている。
赤井は声をかけようとするが、沙知は赤井に気づくことなく走り去っていった。
特段気にすることではない。しかし、どうも違和感を覚えた赤井はその後ろ姿を追っていくことにした。
数分ほど後ろを追っていると、とあるアパートに着いた。
古びたアパートで、錆びついた階段や亀裂の入った窓が目立っていた。
沙知はアパートの一室に入っていった。少し空いている窓から沙知と幼い誰かの声が聞こえる。
気になりはするものの、これ以上は流石に度を越している。仕方なく帰ろうとしたときだった。ふと後ろから歩いてきた人物と赤井はぶつかった。
ぶつかった人物は30代から40代前半くらいの女性だった。
赤井が勢いよくぶつかってしまったので、軽くだが手を擦りむいている。
「すみません、こちらの不注意で…」
「いえいえ、私も前をよく見ていなかったので…」
そう話していると、後ろから扉の開く音がする。
「お母さん、おかえり…って赤井さん?どうしてここに…」
「あ…えっと…」
そのあと赤井は家に入れられた後、沙知から説教をくらった。
まあ当たり前といえば当たり前である。なんせストーカーと言われたらそのとおりなのだから。お許しはでたが、しばらくは何も言い返せそうにない。
ついでと言わんばかりにまだ幼い沙知の妹にも突かれ続けたが、拒もうものならどうなるかがわからないので不用意に動けない。
一通り説教をされた後、沙知は奥の部屋で妹と遊び始めた。沙知の母にあることを聞かれた。
「ところで、赤井さんは沙知と知り合いなのですか?」
「ああ…それは…」
本来なら口外できない事情だったが、赤井はやむを得ず、沙知が魔法戦士であることを母に話した。
「そうだったんですか…」
「申し訳ございません、命に関わる事情なのに、話すことが禁止されていまして…」
魔法戦士の正体を明かすことは、本来は禁止されている。こうして話しているのも、本来はNGではあるが…
「どうりで、あの子があんなに稼いでたわけです。むしろ安心しました。…あんなに稼いでるなんて、もしかして闇バイトなんてしてるんじゃないかと…」
「安心してください。そのようなことは決してしてませんよ」
沙知の母は安堵の息をはいた。
赤井はふと気になったことを口に出してしまった。
「聞くのも失礼ですが、どうしてこのような狭い家にお住みなのですか?」
言い終わってから気づいたが、流石にまずかった。
ある程度予想はついているが、仮に正しい場合、あまりにも不謹慎だ。
「…聞いちゃいますか」
「すみません、今のは忘れてもらえたら…」
「いいですよ、あの子がお世話になっていますし、これくらい聞いても問題ないですよ」
沙知の母は近くにあった写真立てを持って来た。
「夫です。5年前に病死しました」
やはり―――とは思ったが、いざ聞いてみると罪悪感を感じる。大した関係性のない相手なのに、ここまで踏み入れていいのかと、自問自答を繰り返す。
「家は夫が経済の中心だったので、上手く生計が立てられなくなって…少し前までは私が働いてなんとかしていたのですが、2年ほど前に体を壊してしまいまして」
「…災難でしたね」
「確かに、少し前まではかなり大変だったのですが、最近は沙知が『バイト代!』と言って渡してくれたお金でやりくりできてるんです。それが魔法戦士として働いている給料だったとは…複雑な心情ではありますが、感謝しきれませんよ」
「…お子様の命がかかっているのにですか?」
魔法戦士というのは常に死と隣合せだ。強い魔獣が現れればどれだけ強かろうが死ぬ時は死ぬ。
夫を失っているのに、さらに我が子を失う可能性があるのに、彼女はなぜ私に感謝しているのか。
「これは個人的な感謝なんです。あの子、夫が死んでからやはり寂しそうにしてたのですが、ここしばらくは寂しくなさそうなんです。…これは勘ではあるのですが、赤井さんは夫と性格が似ています。あの子、赤井さんを夫に重ねているんじゃないかな…と」
―――やっと合点がいった。今まで出してきたちょっかいも、全部自分の中にある寂しさを埋め合わせるための行為だったのだと。
彼女は―――ただ、
「よろしければ、今後もあの子のことをお願いします。あの子、少し面倒な子ですけど、悪い子ではないんです」
あれから1ヶ月が経った。
今日も沙知は相変わらずちょっかいを掛けてくるが、赤井がそれを振り払うことはなくなった。
「最近反応薄くなーい?前はいい加減にしろーとか言ってたのにさー」
「…気が変わっただけだ」
「…ふーん」
気が変わったのは事実だ。沙知はただのいたずら好きな少女ではない。ただ、寂しがりな少女なのである。
代わりが務まる気はしないが、彼女がそう思ってる間だけでもそうしようと決めたのだ。
「…なんだ、不満か?」
「別にー?ただ、なんかつまらないって言うかなんていうか…」
…前言撤回しよう。寂しがりだが、同時にいたずら好きでもありそうだ。
そう考えたその時だった。
北支部一体にサイレンが響く。
「魔獣か…!」
「場所は!」
赤井が手元の端末を操作する。
「川島町の国道沿いだ!」
「OKすぐ行く!」
赤井は管理室に、沙知は現場へと向かった。
管理室に着いた赤井は既に動き始めていた職員に質問した。
「魔獣の姿は確認できたか !」
「はい、魔獣のレベルは推定2、既に付近の住民は避難が完了しています!」
「既に数名の魔法戦士が現着、対応にあたっています!」
映し出されたスクリーンには人形の巨大な魔獣がいた。左腕には巨大な刀のようなものがあり、それを振り回している。
「各員、左腕の刀のような物体に注意しながら戦闘し、魔獣の体力を削げ!」
魔法戦士達は各々が高速で移動しながら魔獣に攻撃を加える。
魔獣にダメージは着実にたまり続けていた―――はずだった。
異変が起きたのはそれから僅か30分後だった。魔獣が突然、動きを止めたのだ。
「魔獣が動かなくなりました!」
「司令、これは一体…!」
赤井は困惑した。魔獣は倒れていない。それなのに、突然動きを止めたのだ。
『司令!』
無線から沙知の声が聞こえる。
カメラが切り替わる。
動きを止めた魔獣が突然、土煙をたてながら形を変えていく。
『これは…』
既にその形は人形ではなくなりつつあった。
「一体…どういうことだ!」
煙が晴れた時、魔獣の姿は変わっていた。腕は6つに増え、そのすべてが刀のようになっていた。
先程までとは一転、異形とも言える姿に一同は戦慄した。
しかし、魔獣は彼らに休ませる余裕を与えることはなかった。
魔獣はその腕を目にも止まらぬスピードで振りかざす。
「回避!!!!」
赤井が少し遅れながらそういうも、既に遅かった。振りかざした腕に最も近かった魔法戦士が二人、まるで紙を切るように真っ二つになる。
管理室は忽ちパニックになった。
「司令!魔法戦士が二人…!」
「司令!魔獣の猛攻止まりません!」
「司令!半数の魔法戦士が…!」
職員たちが次々と赤井に指示を仰ぐが、赤井は茫然としている。
目の前で、一人、また一人と魔法戦士が、斬り伏せられていく。
「て…撤退だ!今すぐ撤退しろ!」
赤井はそう言うが、魔獣は彼女らを逃がそうとはしない。逃げてもひたすら追いかけ、遅れている者を一人ずつ切り裂いていく。
遂に魔法戦士は北支部にいる総数の1割を切った。
現場の魔法戦士達は魔獣に攻撃を加えて時間を稼ごうとするが、一向に魔獣の止まる気配はない。
「どうすればいい…!」
打つ手はなかった。もはや蹂躙されるのを待つほか無い。
『…赤井司令。いや、赤井さん』
管理室に、沙知の声が響く。
『…これ、どうしようもないね。もうみんなやられるのも時間の問題だと思う。…だけど、秘策があるの』
秘策―――それは一体なんだろうか。赤井ではもう何も思いつかない、何も考えられない。
『秘策が成功すれば、この戦いを終わらせられる。…問題は、
「…何を言っている?」
理解できなかった。否、理解したくなかった。
『悪いけど、お母さんたちをよろしくね』
「待て…もう少し待ってくれ…」
『ありがとう、じゃあね』
次の瞬間、魔獣の全体を写していたカメラに、小さな人影が突っ込んでいく。
その人影は徐々に眩くなっていき、勢いを強める。そして―――
魔獣に突っ込むと同時に、まばゆい光があたり一帯を包み込むのであった。
赤井は先程まで彼女らが戦っている現場にあわてて向かった。
魔獣は倒された。しかし、犠牲は甚大なものだった。
そして現場に着いた時。少し遠くで生き残っていた魔法戦士たちを見つけた。
赤井は慌てて彼女らのもとへ向かった。
「司令…!」
現場にいた徳姫が涙を流している。
そこにあったのは少し前まで生きていたもの。
寂しがりで、いたずら好きで、でも親友のように大切にしていた人。
宮下 沙知の上半身が、動くことなく、存在していた。
それから先のことはよく覚えていない。
沙知の母にはあの戦いのあと、死亡の旨は伝えたが、それ以上伝えることなく去ってしまった。
怖かった。任されたのに、赤井は守る使命を果たせなかった。
責められるのが、軽蔑されるのが、すべてが怖くて責任から逃げた。
北支部の職員も、大半が病んでしまうか、赤井を見限って去った。
生き残った魔法戦士も、徳姫、天音を除いて大半が重症を負い、これ以上戦えなくなって去っていった。
それは、深い傷として赤井に残ってしまった。
しばらく経って、ようやく赤井は黄坂の電話に気づいた。
『早く立ち直れ』
『お前は悪くない』
そのメッセージを見ても、未だ立ち直れる気はしない。
しかし、いかなければならない。
赤井は荒い息を吐き続けながら、重い体をゆっくりと持ち上げ、重い足取りで家を出るのだった。