勝ち取った愛、手に入れた生活を
短調の調べで歌う時
彼らはその幸せを信じていない
歌声は溶けていく 月の光に
ポール・ヴェルレーヌ
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「おめでとう、君の願いはようやく叶う」
と、神父は私にそう語りかけた。
「敵のサーヴァントとそのマスター達は始末され、聖杯は願望器としての資格を満たした。島崎鏡花、君は何を願う?」
そう──たった今、私は最後のサーヴァントを始末し、聖杯を手にすることになった。
「鏡花、あんたは何を願うんだ」
私の隣に立つセイバーはそういった。いつものように、冷徹な表情で。
私が願うのは──
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私が魔術の存在を知ったのは、幼少期に父の書斎に入った時だった。父は私が生まれてすぐに亡くなり、病弱だった母親も、私を産んだ後すぐに亡くなった。その後すぐに父方の祖母に引き取られ、私はそこで暮らすことになった。
祖母の住んでいる屋敷には、かつて父が使っていた書斎があった。幼い私はそこに入り、本棚に入っていた膨大な書物を、好奇心から、ひとつづつ手に取って読んでいた。そうしてある日、ふと父の日記を見つけた。それを読んだ時に、私はこの世界に魔術が存在していること、父が魔術師であったこと、魔術教会という組織で、父が名の知れた魔術師であったことを知った。
『娘の名前は鏡花にしようと考えている。妻の冬子の魔術特性や起源を考えれば・・・』
『・・・しかしこの土地の魔力は興味深い。夜が更ければマナの濃度がより強くなる。土地に霊脈でも通っているのかもしれない』
日記にはそのようなことが書かれていた。どれも乱雑な字で書かれていて、他人に見せる目的はなかったことがわかる。私には魔術がどのようなものなのか、今でもあまりよくわかっていない。魔術の使い方は父から教わらなかった。書斎には魔術の書物の類もあったが、まるで理解できなかった。そんななかで、わたしは父のことについて知りたいと思うようになっていった。
父の名は島崎翔尊といった。日記から推測するに、父はロンドンの時計塔というところで魔術を学び、その後日本に帰国し、魔術の研究に日夜明け暮れていたそうだ。魔術師という存在はみな根源というこの世界の源流にたどり着くことを目的としていて、父も例外ではなかった。
『わたしの魔術は、おそらくこの世界でただ一人、私だけが持つものだろう。強化魔術、投影魔術、虚数魔術・・・そのような魔術を扱うものは時計塔にいた。しかし、私の魔術と似たようなものを扱う魔術師はいなかった。
『一般に、根源にたどり着くには、人々に知られていないものであるほうが好ましい。それは魔術に限らずだ。根源に至る道筋は川の流れのようなものであり、それが人々に知れ渡るほど支流は多く分かれ、根源にたどり着きづらくなる。裏を返せば、誰にも知られていないものほど川の流れは枝分かれしておらず、根源にたどり着くまでの道筋は単純明快で近い。だから魔術師たちは自らの魔術を他者に容易に公言しない。』
父の日記からは、内省的で、物事を深くまで読み解こうとする父の性格が見て取れた。そして日記にはこうも書かれてあった。
『もし鏡花が生まれれば、私と同じ魔術を用いることになるだろう。』
と。
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そうして幼い私は、日々父の書斎に入っては、魔術に関する書物のみならず、あらゆる蔵書を読んでいった。本棚からは父の興味関心の広さがうかがえた。そこから私は亡き父の人柄を感じ取った。
私の中で唯一存在する父との記憶は、緑豊かな、広大な屋敷の庭を、父と駆け回っているというものだった。しかし、それは私が夢の中で見た光景なのかもしれない。それほどその記憶はぼんやりとしているが、同時に郷愁を感じさせるものでもあった。
そうしてある時、私は使い魔の召喚に関する書物を発見した。その時の私の年齢は一五才だった。この街では聖杯戦争というものが行われていて、父は実際にそれに参加していたことが、日記からはうかがえる。
父はある時期から聖杯戦争に関する話を日記に記しはじめたが、そのいくつかの記述は要領を得ない。もともと父の日記は筆記が荒く読みづらいが、それらの文章からは書き出すことに戸惑いを覚えていることが読み取れたり、それまで毎日律儀に書かれていた日記が、聖杯戦争が始まってから、ところどころ虫食いになっていたりしていて、それがこの聖杯戦争において父がどのようなことを行ったのか、マスターたちの誰がどう動いていたのか、最後にだれが勝者となったのかを、全く不明なものにしていた。
『わたしはこれ以上、今回のことについて書き記したいとは思わない』
父の日記は最後にそう記されて終わっている。年代から推測するに、父の死没によって断筆されたわけではない。それまで熱心に研究や日々の出来事を書き記していた父は、この日を境になぜかすっかりと日記を書くのをやめてしまった。
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そうして私は聖杯戦争について知りたくなった。とはいってもそのような情報は図書館で調べても出てこないし、神秘に関する事柄は魔術師によって秘匿されているので、なにもわからない。私は父の書斎のいくつかの魔術の本と日記の断片を頼りに、聖杯戦争について知ろうとした。そうして町のはずれにある教会にたどり着いたのだった。
教会には年老いた男の神父がいた。
「なにかようかな」と神父は怪訝なようすでわたしにいった。
「父のことについて知りたいのですが。生前父はこの教会と関わりがあったと聞いたので」
「君の名前は?」
「島崎鏡花といいます」
私がそういうと、神父は心当たりがあるようで、急に眼の色を変えた。
「そうか。では君は正尊の娘か。」
「はい。父について知っているのですか」
「ああ。もちろんだ。彼とは長い付き合いだったよ。とても深くかかわった人でね。それで、きみはどこまで知っているのかな。君自身は正尊から魔術刻印は受け継いでいるのかな」
「いえ、魔術に関することは父から教わっていません。その魔術刻印というのもよくわかりません」
「そうか」と神父は言った。
「もしきみが聖杯戦争に参加することを望むのなら・・・そのときは君自身が魔法陣を描き、詠唱するといい。そうすれば、君にはマスターの資格が付与され、君に相応しいサーヴァントが召喚されるだろう。」
そうして神父は次の聖杯戦争がいつ始まり、どういった時刻に使い魔を召喚するべきか、召喚に成功したらどうすればいいのかを、丁寧に私に説明してくれた。しかし肝心の父に関することはなにも話してくれなかった。
「父とはどのような関係だったのですか」と私は言った。
「もしきみが父について知りたいのなら、聖杯戦争に参加するべきだ。こうした巡り合わせも何かの運命だろう」と、神父は少し考え込んだ後、そういった。結局神父は最後まで父に関することを語らなかった。
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そうしてしばらくの年月が経った後、聖杯戦争が始まる時期となった。私は父の書斎の床に魔法陣を描いた。人目につかず、魔力が濃かったからだ。ほかの人間に魔術を使っているところを見せるな、と神父に口を酸っぱく言われたのもある。そうして私は本で学んだ詠唱をはじめ、サーヴァントを召喚した。
月明かりが窓から差し込む夜更け──静寂な空気につつまれた薄暗い書斎のなかで、精悍な顔立ちのその男は現れた。どこか異国の地の、貴族のような服装を纏っていて、長い剣を悲しげに持っていた。彼は私にマスターであるかどうかを問いかけた。
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その後、セイバーは聖杯の願いによって受肉し、現世にとどまることとなった。
私はあの時、結局決まりかねて、後で願うことを神父に告げ、そのまま帰宅したのだった。
私にはわからなかった。単に父を知るために聖杯戦争に参加した。神父は約束通り私に話してくれたが、それは私を納得させるだけのものではなかった。父がこの聖杯戦争の裏側に関与していて、彼の死もそれと関係があること・・・けれどもそれらの情報は私の父に対する距離を広げるだけであった。
私は常に満たされないもどかしさを抱えながら、学校の教室の席に座っていた。チャイムがなり、教室からは生徒がひとり、またひとりとすがたを消していく。そうして私一人、教室に残るのだった。
窓の外を眺める。夕暮れと、校門へと向かう生徒達が見えた。この頃は夕暮れを眺めても何も感じなくなっていた。
私は学校から帰宅し、判然としない感情を抱えながら、すぐにベッドに横になった。
わたしが眠りにつけないことに苦しんでいるうちにも、夜はただ更けていくのだった。考えるほどわたしの意識は明晰となっていき、わたしが夢の中に沈んでいくのを妨げる。わたしがどうして、と考えても、夜はただなにも語らない。うらさびれた空気だけが、窓の外には広がっていた。
今ここに私がいることさえもが不安で仕方がなかった。人が存在することが、どうしてこれほどまで苦しいのか、そしてなんて不安定なものなのか、私には到底理解できるものではなかった。いっそのこと消えたほうがましだ。けれど死ぬのは怖い、それだけは確かだった。
そうしていつしか眠りにつき、夢を見る。その夢は小さい頃の私と父が、緑豊かな木々の庭で戯れている夢だった。