その夜、南那は夢を見た。
たった二週間程前なのに、やたらと懐かしいと感じるあの日。
召喚された日のものだった。
眼の前が、眩しい光で一杯になる。
反射的に目を閉じただろうか、それともあまりに突然の事で何もできなかったのか。
それを確かめる事すら覚束ない程の刹那、一瞬の光の後に眼の前の光景はがらっと変わった。
「――え?」
私は今、学校へ行く途中だったはずなのに!?
衣目川南那の眼前に映る景色は唐突に、その光を境にまったく理解できないものへと変貌していた。
毎日のように通う見慣れた通学路から、何処とも知れぬ薄暗い見知らぬ空間へ。
そこは、体育館ほどもある大広間だった。
白く磨き上げられた大理石の壁面が、戸惑う自分たちの姿を鏡のように歪んで映し出している。
「ようこそおいで下さいました」
そこに居たのは召喚を主導した巫女、アウレリアと。
「――我らが勇者様がた」
私達を囲むようにする、騎士達。
この瞬間が全ての始まりだったっけ、と曖昧な思考で南那は思う。
日常が一変した瞬間。
そして、非日常の始まり。
「今この世界の人類は滅亡の淵に立たされております――」
アウレリアが語った内容はこうだったはず。
――光の神が作った人間と、闇の神が作った魔族がこの世界では数千年続いている。
だけど百年ちょっと前に強大な【魔王】が現れ、人間はあっさり滅亡寸前に追い込まれた。
そこで神様が授けた起死回生の一手が、『異世界から魔王を倒せる人間を喚ぶ』という、勇者召喚の儀だった。
過去に喚ばれた勇者は魔王にダメージを与えたものの、倒しきれずに戦線は膠着。
そして十数年前、傷が癒えた魔王が強力な幹部、六人の【大魔将】を率いて再侵攻を始めたため、それに対抗する為再び勇者が喚ばれた――
その話にざわめく自分たちを安心させるように、こうも続けた。
「皆様には授けられているはずです。魔族と戦う為の絶対の剣、【
その言葉に、場が色めき立ったのを南那は覚えている。
まるでのぼせ上がるように、一部の男子が「チート」だの「ハーレム」だの連呼していた。
だが南那にはとても喜べる状況には思えなかった。
帰りたい。
ただ強くそう思った事だけは、忘れられなかった。
得体の知れない不安感と共に、唐突に南那は覚醒した。
独房のような室内、その壁に据え付けられた小さな窓から外を見ると、まだ薄暗い。
朝方ですらない夜中。
もう一度眠ろうにも、妙な興奮が胸を満たして寝付けそうにない。
ごそごそとベッドの下を漁る。
そこには召喚された時持っていた学生鞄が収められている。
鞄の中から教科書を取り出すと、ぺらぺらと適当にページを捲り、眺めた。
かつて見るのも嫌だったそれは、今となっては貴重な暇つぶしの道具となっていた。
本来だったら、自分は何も変わらず毎日学校に通い、家に帰って、何も心配せずに眠って日々を過ごしていたのだろうか。
たった一週間なのに、あの日々がとてつもなく遠く感じる。
いきなり自分が居なくなってしまって家族はどうしているだろうか。
両親は心配しているのだろうか。
歳の離れた妹は元気に過ごしているだろうか。
耐え難い郷愁の念が、不意に沸き起こった。
鞄の奥にしまったスマートフォンの電源を入れる。
辛うじてバッテリーの残ったそれは、未だなんとか起動可能だけのバッテリー残量が有った。
久しぶりに感じる文明の手触りが、自分の生きていた社会を思い出させる。
日本という平和で幸せな国の思い出が、手の感触を通して伝わってくるように思えた。
アドレス帳を開き、自宅をタップする。
当然繋がらない。繋がる訳が無い。
それでもスマートフォンを耳に当て、南那はじっと窓の外を見つめる。
何かの奇跡で、家族の声が聞こえる事を祈って。
――もう一度、家族に会いたい。
自分はまたあそこに帰れるのだろうか。
あの退屈だけど幸せだった毎日に。
南那の想いはどこにも届かない。
ただ薄暗い室内が、スマートフォンの淡いバックライトでぼうっと照らされ続け、彼女の影が少しだけ揺らめいていた。
次の日から、仕事の様子が少し変わった。
「なんか一緒に居る時間が長くなったですね」
お前らの世話が大変です、とトトが零す。
あの「教育」の結果が露呈した日。
その日から、召喚者への扱いが少し変わった。
「まあ、仕事がちょっと楽になったのは有難いんだけどねえ……」
麻美も釈然としないように、首を傾げていた。
「大変だったもんね、武器の手入れ」
まず戦闘組と補助組が行っていた訓練、その後に有る武具の手入れ。
これが無くなった。
数十本の武器を磨き上げるのは中々に大変だったので、これは南那にとっては嬉しい変化だった。
なんだかんだで力仕事に近い部分も有り女性陣としては正直敬遠したい労務だった。
「私達がやらなくなった分は、補助組がやっているそうだが」
小耳に挟んだ限りではね、と未来が言う。
どうやら自分達が苦労していた分は補助組にそのままスライドしたらしい。
それが良い事なのか悪い事なのか、断言はし辛かった。
少なくとも補助組からさらなる怨嗟を買っている事は、火を見るより明らかだったからだ。
とは言え、その矛先が向く機会も少なくなった。
「食事の時くらいしか顔を合わせなくなったから、気は楽ですけど」
保護組と、他組の徹底した分断。
とにかく、顔を合わせる事が無くなった。
騎士達が目を光らせ、生活の導線すら管理されて。
絶対に自分達と他の組が会わないよう、監視されている。
日に三度の給餌以外、彼らの顔を見る事はもう無い。
これがどういう意味を持つのか、南那の頭ではさっぱり分からなかった。
だがたった数日だが、戦闘組と補助組が急速に疲弊している事だけは、その顔を見るだけで良く理解していた。
目は落ち窪み、もう以前のように罵倒を浴びせる元気すら無い。
ただ食事を掻き込み、足早に自分達の部屋へ戻っていく。
その姿がまるでゾンビみたいだ、と南那には感じられた。
対する自分達は元気いっぱい。
やっぱり戦闘組からも恨まれてそうだなあ、と南那は溜息をついた。
その他、他の組と関わりそうだったり顔を合わせたりするような作業も全部無くなった。
清掃作業は戦闘組達が訓練している間に行われるし、直渡しだった洗濯物は纏めて置いておかれるようになった。
「心理的な結びつきを徹底的に排除したいんだろうな」
いつものように高いところをさっと拭きながら、未来が言う。
「私達への憎悪を煽る目的も有るのかもしれない。まあ、共通の敵を作るっていうのは古今東西団結力を高める為には良く行われてきた手法だ。その矛先が私達になったという事さ」
軽く言うが、どう考えても大問題としか南那には思えなかった。
何故そんな扱いをするんだろう?
私達が仲良くすると何か問題が有るんだろうか。
そもそも、元から仲良くなれるとは思えなかったのに。
「はいはい雑談はそこまでですよ」
ぱん!と手を叩いて、トトが場を引き締める。
「今までは日の半分くらい取られてましたけど、これからは一日中監督できるです。お前達を一人前の奉公人に仕立ててやりますから、覚悟するですよ」
意気込む小さな獣人少女に、南那と麻美はひええと震え上がった。
なりは小さいが仕事に厳しくてなかなかに怖いのだ、この先輩は。
しかも仕事もできる。
苦戦してると「こうやるです」となんでもかんでもぱぱっとこなしてしまうのだ。
南那としては自分の妹くらいの少女にこれをやられると、なんだかいたたまれない気持ちになってしまう。
歳上の威厳がぁ……。
そんなものは最初から無いと気づかないまま、トトにどやされて清掃を続ける。
南那達の日常はまだ平穏だった。
少なくとも、表面上は。