上空に退避しているニノンは、化物二人の攻防をドン引きしながら観戦していた。
「なんだこれ。
アホみたいな速度で地上を空を走り回る未来と、唸りを上げて突進し続ける魔将。
巻き込まれたら一瞬でミンチになりそうな光景だった。
「しかしまあ」
呆れながらも、ニノンは冷静に状況を俯瞰する。
「これを見ると、
常人では視認できない程の速度で行われている、神速の攻防。
この世界に分け入るには、時間をかけた詠唱を友とする
彼らの前ではまるで亀が歩むように、如何様にもされてしまう程の緩慢さ。
しかも頼みの魔法すらほぼ封じられてしまっている。
ああ、だからか、と思う。
彼のスカルファングが何故
爆発的な強化を生む代わりに全てのリソースを失う背水の魔法。
ある種の欠陥品とすら呼べるそれを何故開発したのか、常々ニノンは疑問に思っていた。
だが、今目の前に答えが有る。
そうしてでも人のスペックを引き上げ、全力を傾けなければ。
この魔将という強敵には、並び得なかったのだ、光の民は。
魔法という光の民の矛を封じられ、その中でも戦っていく為には、あの魔導式がどうしても必要だったのだ。
人を超人に変える劇薬でもなければ、どうしようもないのだ。
今の闇の民相手には。
こうして理由を知れば、その開発が如何に合理的な選択だったのかが理解できる。
理解した上で――
「なんでそういう相手と普通にやりあってんのあの人???」
そんなものを必要とせず魔将とやり合う、未来はなんなのだと思う。
「すげえ、異世界人すげえ。これなら勇者と呼ばれますわ」
達人と呼ぶのもおこがましい程に突出した戦闘力。
神から与えられたらしい、
その二つが合わさった天音寺未来は、もはや魔人とでも称すべき、異常としか言いようのない存在だった。
魔法も使わず、ただ素手で魔将と渡り合う。
子供の冗談にすらならないこの現実離れした光景は、誰に話しても信じて貰う事など決して不可能だろう。
だが、この夢のような存在は、確かに今ここに居る。
魔将という人類の悪夢を断ち切る為に戦っている。
それはニノンという少女だけ見る事が許される、隠された
「しかし、これからどうしますかね」
ふよふよ空中に浮かびながら、ニノンは頭を悩ませる。
この状況で自分は一体何が出来るだろうか。
今使える魔法は何れも決定打にならない。
生半可な魔法では、あの魔鎧は貫けない。
そして、貫けるような大魔法はそもそも封じられている。
未来をアシストしようにも、半端な手出しはむしろ足を引っ張るように思えてならない。
姿を捉えられない魔将を、半ば想像しながらニノンは視線で追いかける。
あの魔将の能力――
高位魔族が使う魔法のような異能は何か、ニノンは考える。
あの未来が必死に逃げているという時点で、致死性を持つ何かであるのは間違いない。
地下で戦った
触れれば一瞬で黒焦げになるだろう雷を前にしても、最小限の間合いで攻撃をいなしていた彼女が、近づくと危険だと判断する何かが魔将にはある。
――イィィィィン
魔将から放たれる、不快な音。
この正体は何か。
ニノンはより目を凝らし、戦場を観察する。
二つの影は、目まぐるしく位置を入れ替えながら動き回っていた。
一方は鋭く、音すら無く。
もう一方は不快な音を撒き散らし、空気を揺らし。
「ん?」
まるで対照的な両者の様子。
そこに、何か気付いたようにニノンは声を漏らした。
――見切った。
にやりと、ニノンが笑う。
「おめーの
同時に彼女は理解した。
今未来という少女に、何が一番必要なのか。
「未来さーん!」
めいいっぱい、ニノンは声を張り上げる。
遥か眼下の未来に届くように。
「援護します! 砂で目隠しをするんで、気を付けてください!」
その声が届いたのかは分からない。
だがニノンは届いていると信じて、詠唱に入る。
「
勢いよく、戦場にばらまかれるように。
それは、多量の砂だった。
砂がざあっ、と霧のように未来とゲーザを覆った。
二人の姿は一瞬の内にして砂煙に飲み込まれ、消える。
放出され続ける砂は霧のように広がるだけでなく、ところどころに砂の山を作り積み重なっていった。
「
もう自分に出来る事はない。
ニノンは杖を下げ、ただ見守る。
彼女の顔は、既に勝利を確信したものだった。
砂に包まれたゲーザは、一瞬自らの場所を見失う。
「ちぃッ!」
魔将と言えど、人。
その感覚の大半は視覚に頼っていた。
目を封じられるという事は、外界からの情報手段を失うのに等しい。
「我が
祈るように、唱えるように。
彼は自らの力を口にする。
「震える戦意が世界を揺らす!」
――イィィィィィィン
ゲーザの体から発せられる音が、一段と高まった。
高速で振動する彼の
「見つけたぞ」
晴れつつある砂煙の先に、ゲーザは人影を見た。
「アマネジ・ミク!」
しゃがみ込み、動きを止めている人影。
――あちらもこちらを見失っていたか。
ゲーザはそう判断した。
迂闊に動かず相手の出方を窺う。
そう選択したように、彼には見えた。
確かにこれまでのゲーザの攻撃は、全て肉弾戦だった。
高速移動で肉薄し、少女の体を捉えようとするものばかり。
だが、魔将の手札はそれだけではない。
ゲーザは両の掌を合わせると、それを開く。
華開いたようにも、碗を形作ったようにも見えるそれを、まっすぐ前へと向けた。
「あまり使う事の無い技だが」
ゲーザは近距離戦を好む。
その方が、
一方的な展開は、それだけで評価が下がる。
だからこそ、一進一退の攻防を演出できる近接戦闘を好む。
多くの闇の民と同様に。
これから用いるのはそれとは真逆。
安全な距離から放てる、強力無比で、つまらない技。
あっけなく勝負が決まりかねない奥の手の一つ。
だがこの技を用いるのにも、
僅か1秒程度だが、今の二人にとってそれは停止しているに等しいだけの膨大な時間だった。
未来とゲーザという刹那を重ねて攻防する戦闘の中では使う事が難しい技。
しかし未来が静止して視界が遮られている今であれば――
「出し惜しみは出来ない。お前が相手ならば!」
ゲーザの両手の中の空気が、歪む。
ゆらゆらと揺らめき、小さな空間をかき混ぜるように激しく蠢いていた。
ゲーザの手の甲は一層激しく輝き、甲高い音を奏でている。
途方もない力がそこに凝縮されていると、誰の目からも明らかだった。
両手の中に振動により発生した衝撃波を収束させ、放つゲーザの切り札の一つ。
音速を遥かに越える速度で着弾し、触れた瞬間対象を破壊するこの攻撃は、放たれたが最後躱す事も防ぐ事もできない。
まさに敵手を完全に殺す技――必殺技に相応しい、大技だった。
その攻撃が今、ゲーザの手から放たれようとしていた。
十分に力を溜めたゲーザは、力強くその切り札の名を叫んだ。
「
ドン。
閃光と、轟音。
そして――
ドォン!
さらに一際大きい、炸裂音。
力強い言葉と共にそれが放たれ、手から力が放出される。
砂煙を消し飛ばしながら、透明な力の塊が一直線に未来へと迫る。
周囲の景色を捻じ曲げながら進むそれは、まるでレンズが弾丸となって放たれたかのようだった。
音速を越えた弾丸は白い氷の輝きで作られた尾を残し、透明なレーザービームのように未来へと突き刺さらんとしていた。
――これで、終わる。
如何な強者と言えど、この攻撃を防ぐ事は不可能。
人の体が弾け飛ぶ音と共にこの戦いは終わるだろう。
ボフッ。
だが、ゲーザに耳に届いたのは不可解な音だった。
聞こえるはずなのは、甲高い衝撃音と乾いた破裂音。
そのはずなのに。
何故、こんな低く気の抜けるような音が聞こえる?
砂煙が、晴れる。
その先に有ったのは、致死の弾丸を受け体がバラバラになったはずの少女の姿だった。
天音寺未来。
その体には、一つの傷すら付いていない。
「馬鹿な……」
攻撃を躱された事は、これまでも何度か有った。
光の民との長い戦いの中、獣のような直感と優れた身体能力で、起こり得ない回避行動を起こし逆転を果たそうとした
だがその攻撃を受けきった者は、かつて一人も存在しなかった。
「馬鹿な……ッ!!!」
どのような強固な鎧だろうと、魔法の防御だろうと、自分の【振動】は破壊し、貫いてきた。
その時、ゲーザは気づく。
未来の手に握られた、それ。
見窄らしい、単なる麻袋。
それを、彼女は眼前に掲げていた。
「そ、そんなもので」
有り得ない。こんな事は有り得ない。
「そんなもので俺の
神の祝福を受けた盾でも、伝説の魔法でもない。
端女が作ったような単なる粗末な袋で、このゲーザの必殺の一撃を防ぐなどと!
目に見えて動揺するゲーザと対照的に、未来は冷静そのものだった。
その顔は能面の如く無表情。
しかし目だけは、ゲーザを食い殺さんと強い輝きを放っていた。
「お前達の弱点がだんだん分かってきたよ」
未来の手に持った麻袋が破れ、中身がざぁっと流れ出す。
それは、砂だった。
袋いっぱいに詰められた砂が、袋から地面へと滝のように落ちていった。
「
ぽんっ、と地面にある
それは別の麻袋であった。
見れば地面には幾つかの麻袋が転がっている。
何れも中身はパンパンで、ずっしりとした重みを感じさせた。
「強大な力を振り回しながら、それがどのようなものなのか理解していない。この世界の人間の大半は皆そうだ。人間も、お前達魔族とやらも」
ふんわりと空中へと蹴り投げられた麻袋を、未来はしっかりと手で掴んだ。
武器としても、盾としてもあまりにも心許ない、単なる袋。
だが彼女の手に収まったそれは、聖剣以上に圧を持つ必殺の兵器のようにゲーザには見えた。
「だからお前は、これから死ぬ」
未来が、動く。
それは今まで行っていた魔将との高速戦闘と比べれば、あまりにも緩慢でのろまな動き。
だが未来の一挙手一投足、全ての動きが美しく、また奇妙で、そして生理的な嫌悪感を伴った歩法だった。
ゲーザの目が未来の動きを捉える。
優れた反射神経と動体視力を持つ魔将であれば、容易に認識できる程度の動き。
だというのに、体が反応しない。
見えているのに動けない。
まるで体を反応させるスイッチを失ったかのように、ゲーザの鍛え上げられた肉体と技術は自らが行うべきことを見失い、呆けたように仕事を放棄していた。
見る事のできない神速の動作とは対極に有る動き。
これまで出会ってきた人間の誰一人として為し得なかった、身体動作の極点とも言える歩法。
それを、目の前の天音寺未来という少女は実現していた。
金縛りに遭ったようなゲーザに、未来が肉薄する。
放り投げるように、手に持った麻袋をゲーザに叩きつけた。
魔将の魔鎧、その表面は、彼の
高速振動による絶対防御。
肉体だろうと武器だろうと鎧だろうと、形あるものは触れれば一瞬にして破壊される。
触れたものを振動させ破壊する最強の鎧にして矛であるこの攻撃は、まさに無敵に近しいと言えた。
麻袋がゲーザに触れる。
ばらばらに破れ散ると思われたそれは――だが、破れない。
固体であれば、激しい振動が物体を破壊していただろう。
だが小さな粒子の集まりである砂は、砂粒一つ一つが揺れるだけ。
数多の砂の振動がそのエネルギーを摩擦熱として消費し、霧散させる。
――
今ここに、ゲーザの絶対防御は剥がされた。
触れる事のできる弱点。
それが作り出された。
みちり、と未来の肉体が唸りを上げる。
大地の反作用を、足が伝える。
ただ一つとて癒着する事の無い美しい筋繊維の一本一本が精密に制御され、その反作用を十二分に伝達させていく。
足から腰へ。
骨盤へと到達した力が、重心を押し出す。
力を加えられた重心は、骨盤という器の中で高速回転し、さらに加速した。
高速回転した重心が、背骨という加速器を経由して腕へと放たれる。
レールガンの銃身のように、さらに自身の重心を加速させ、蓄えられた威力が未来の腕へと伝えられた。
破滅的な威力を内包した掌打が、砂袋へ放たれる。
精妙な身体操作により、未来の手が吸い付くように砂袋へと密着する。
彼女の柔らかな掌は余すこと無く威力を砂袋へと伝え、衝撃が放たれた。
その衝撃は音速を遥かに越え、砲弾のような圧力を伴いゲーザへと貫通していった。
魔鎧という、ダイヤモンドよりも硬い絶対の防具。
その硬さも、貫通する衝撃の前には無力であった。
むしろ衝撃を内部へと込める、最悪の檻として機能していた。
未来が生み出した衝撃全てがゲーザの胸部へと集中する。
荒れ狂う悪魔のようなそれはゲーザの内部器官全てを破壊しつくし、蹂躙した。
全ては一瞬。
未来が掌打を打ち込んだ次の瞬間。
無敵の魔将の背中は爆散し、その中身も鎧も戦場へと飛び散らせた。
怪物の顎が、無惨に魔将を食い破った瞬間であった。