完全に人類が排除された、大地の彼方。
そこに水晶の塔が建っている。
かつて人々が暮らしていただろう街の真ん中にそれは有った。
長年人の手を離れ、草木が生い茂り、動物たちの住処となった消え去った街。
その広場にある塔は、まるで何かの記念碑のようだった。
塔の内部には、棺が安置されていた。
鉱物が溶けて固まったかのように滑らかで、床と一体化した棺。
水晶に囲まれたそれは静謐さに包まれ、ただその場に鎮座していた。
ぴしり、と音がする。
棺の表面に亀裂が入る。
縦に、横に、斜めに。
蓋が分割されるように、幾重にも線が走る。
分割された蓋は外側へ、まるで皮がめくれ上がるように開いていく。
仰々しく、ゆっくりと。
何かの訪れを示すように、蓋が外界へと通じていく。
棺の中からは白い煙が立ち上がり、部屋を満たしていく。
煙が触れるとぴしり、と水晶の壁が音を立てた。
そこには白い靄のように氷が張り付いており、そのような光景が壁のそこかしこで見られた。
煙の中から、人影が起き上がる。
煙の間からはきらきらとした光が漏れ、その体が輝いている事を周りに教えていた。
切れ目から見える体は赤い鋼に覆われている。
その姿はゲーザの魔鎧を彷彿とさせるものだったが、彼のものよりさらに豪奢で輝く、神聖さすら感じさせる出で立ちをしていた。
「ふむ」
鎧姿の人物から、声が漏れる。
妙齢の女性の声。
やや気だるげな彼女は、何かを確かめるように手を持ち上げ、掌を握ったり開いたりしている。
「久方振りよな。こうして地上に出るのも」
彼女は軽く手を動かし、肩を回す。
ストレッチするようにぐっと腕を前に伸ばすと、満足げに頷いた。
「
指折り数えるが、ふむ、と小首を傾げ、悩ましそうに固まる。
「50年以上前となると流石に思い出せんわ。なんにせよ、喜ばしい」
かつん、と歩みを進める音がした。
硬質な水晶と赤き鎧の踵がぶつかり、甲高い音を立てる。
小気味よい足音を立てながら、彼女は外に出た。
塔の外に広がる無人の街。
それを眺めながら、彼女は叫ぶ。
「
ハハハ、と愉快そうに女は笑う。
まるで童女のように実に楽しく、これからが待ち切れないというような笑い声が、夕闇に響き渡った。
「ましてや
彼女はこめかみに手を当てると、厳かに告げた。
「請願要請――」
その権能を行使して貰う為、女は更に言葉を続けた。
「――戦地降臨」
言葉が放たれ、言葉を為した瞬間。
女の姿は滅んだ街ではない、遥か遠くに有った。
魔族の領域から、人の領域へ。
ゲーザが戦い勝ち取った
遥か空高く、夜の闇と夕暮れの赤に包まれて。
赤き戦士はルグンドの戦端へと降臨した。
女は手を天に掲げた。
地の神を信奉する魔族がまるで天に祈るように、高く突き上げた。
「来たれ、
刹那、
ぴしりと、罅が入り。
まるで硝子のように空が砕け、虚空が顔を出す。
夜より暗い、真の闇。
そこから、幾つかの輝きが這い出てきた。
赤い煌めきを持つ何かが、虚空より次々と現れてくる。
それは、人類が魔封晶と呼ぶものだった。
赤く煌めく、美しい水晶。
しかしその大きさは尋常ではない。
魔将ゲーザが呼び出したものは、おおよそ高さが3メートル程度のものであった。
人を覆い隠すに十分なそれは人の尺度からすれば十分に大きいと感じるものだ。
だが、今呼び出されたものはさらに大きい。
大きい等というものではない。
魔将が呼ぶものより遥かに巨大、10倍以上の大きさのものが今ここに有った。
しかも、それが九つ。
九の赤き禍星が、怪しい光を放ちながら女の周りを囲むように蠢いていた。
女という太陽の周りを回る惑星のように、くるくると回転しながら一定距離を保ちながら周囲を回遊していた。
女が天を指していた掌を、ふわりと下げて前に向ける。
優雅なそれは何かを指揮するような素振りにも見えた。
女の視線の先。
そこには、光の民達の営みの光が見えた。
夕刻が迫る中、文明の輝きが存在を誇示するように輝いていた。
その輝きを遮るように、女は掌をそこに向ける。
顔までも覆われた全身鎧姿の女の視線は隠され、その色は分からない。
だが指の間から漏れる光を、彼女が見つめている事は誰もが見て取れただろう。
女はそれを握り潰すように、ぐっと拳を握りしめる。
そして胸の前で手を交差させ、その言葉を告げた。
戦の始まりと、人類の絶望を告げる合図。
「
刹那、九つの星が光る。
日の光を凌駕する程に光り輝き、大地を遍く照らす。
夕刻、トトは未だ玄関前でうずくまっていた。
喧騒に塗れた昼から時間が経ち、少しは街も静まり返ってきたようで、トトの耳に入ってくる音も大分少なくなってきていた。
「はあ」
トトは小さく溜息をつく。
何に対してそれが漏れたのか、彼女自身にも良く分かっていなかった。
分からず屋の母親に対してなのか。
行ってしまった後輩に対してなのか。
それとも、何もできない自分にか。
鬱屈として何もできない自分は、改めて子供だと自覚させられる。
社会に出ていっぱしに仕事して、自分は大人と変わらないと思っていた。
だがいざという時にこうして何もできないでいる様を見ていると、やっぱり自分は子供だったと思わされる。
「トトはどうすればいいんですかね」
呟いてみるも、何もわからない。
トトはさらに強く膝をぎゅっと抱えた。
ふと、街のざわめきがまた強くなっているのに気付いた。
ざわざわと、不安げな声。
辺りを見回すと、皆がある方向を見つめていた。
ある者は指をさし、ある者は口に手を当て、何かを凝視していた。
そこで初めて、トトは家の裏手の方が明るい事に気がついた。
ほの赤い、夕日とは違う輝きが、家の後ろの方から差してきている。
「なんです?」
トトは立ち上がると通りに出ようと歩き出す。
それだけで、何かがおかしい事に気づいた。
明るい。
まるで太陽が再び登ってきたように明るい。
しかも、異常な方向から。
少し足を早めて通りに出る。
通りに出た体は焼かれたような赤に染まり、いよいよもってその異常さをトトの体にすら訴えかけてきていた。
少し胸の鼓動が早まるのを感じながら、トトは光の方へ振り向いた。
そこには、星が有った。
空に輝く赤い星が、遠くに見える。
だが遠くにありながらそれは強烈な光を発し、大地を照らしていた。
「なんなんです……」
初めて見る光景に、トトは声を震わせる。
「なんなんです、ありゃ」
「わかんねえ」
隣で呆然としていた近所のおじさんが、そう答える。
「わかんねえよ、わかんねえ……」
そう呟くおじさんの声もまた震えていた。
声のみならず体もこまかく震わせ、しかしそれでも目だけはしっかりと見開きながら星を見つめていた。
激しく位置を変える赤い星は、何か不吉なものにトトには感じられた。
強烈な悪寒が背中を走る。
あれはよくないものだと、直感的に悟った。
見ているのもおぞましいのに、何故か目が離せない。
初めて見るそれをまるで刻みつけるように、トトは見つめていた。
トトだけではない。
通りに居る人々全てがその輝きに惹きつけられ、目を離せないでいた。
怪しく蠢く星が一塊になり、そして強烈な輝きが目を灼くまで。
彼らは、それを見つめ続けていた。
取り敢えず今日は休もうと野営準備をしていた未来とニノンの二人も、その凶星の出現には当然気がついていた。
それは未来達の眼前数百メートル程の所に突如現れた。
唐突な闖入者に、未来は薪を組んでいた手を止め、空を見上げる。
「早速
不敵な笑みを浮かべながらも、うんざりしたように未来が呟く。
「あちらさんはどうやらやる気満々らしい」
さて、と頭を回転させた未来が、そこでニノンの様子に気がついた。
苦しそうに膝をつき、浅い呼吸を繰り返している。
「ニノン?」
確かに激戦の後で疲労が蓄積しているのは否めない。
だとしてもこの様子は尋常ではないと未来は判断した。
「さいっ、あく……」
ようやく、なんとかと言った様子で。
ニノンが苦しそうに言葉を絞り出す。
「逃げて……ください……あれは、まずい」
そう言って、震える腕で空を指し示そうとするが――ニノンの腕は、上がらない。
まるで上から何かに押さえつけられたように、彼女の腕はほんの僅かだけ持ち上がった後、ぱたりと地面へと落ちていった。
「大……魔将……」
そう、言葉を発した刹那。
眩い光が、未来とニノンを包みこんだ。
太陽が爆発したかのような、激しい光。
魔将が放つものよりも一段と強いその輝きは、遥か彼方まで全てを塗りつぶすかのような強さだった。
光から庇うように、未来は咄嗟にニノンの上半身を覆った。
最早自ら目を塞ぐ事すら厳しそうな彼女に対しての閃光防御である。
未来自身も地面に顔を埋めるようにし、その激しい光に目を灼かれぬよう守りを固める。
十秒に満たない程度の僅かな時間。
それで、光は収まった。
それと同時に、地面が揺れる。
ズドォン!という莫大な衝撃音。
大地のみならず木々は揺れ、鳥達は驚き木々より飛び立ち混乱したように空へと散っていった。
未来が静かに顔を上げる。
目の前に存在したのは、巨大な構造物であった。
幾何学的な多面体で構成された、巨大な体。
きらきらと赤く輝くその体は、沈みかけた太陽に照らされ燃えるように煌めいていた。
その上下には、昆虫の足のようなものが幾本も生えていた。
下は体を支えるように。
上は、天を突くように。
鋭利で巨大なスパイクが、天地に食らいついていた。
全高、百メートル以上。全幅、やはり同じ程度。
巨大な水晶で構成された異形が、そこには居た。
それが地に突き刺さるように、二人の目の前へと落下してきた。
舞い上がった土が煙となり、辺りを覆う。
ぱらぱらと舞い上げられたそれが未来の元へと降ってきていた。
『我が名はヴォルシュ=マゴクのジョーフィア。ヴォルシュを束ねる
びりびりと周囲の大気を震わせ、声が響く。
妙齢の女性を思わせる、品の良い声。
『光の民が呼ぶ所の、大魔将である。良くぞ我が
ぎらり、と巨大な水晶が輝いた。
内部から光が洩れ、天を、彼方を、赤く染める。
落ちていく夕日に成り代わるように、赤き灯りが夜を照らす。
『故にそなたらに
――ただ、滅びるのみぞ。
絶対的な、死の宣告。
それがルグンドの大地に響き渡った。
未来は苦しげなニノンを抱きとめながら、それを見上げていた。
細い指がぎゅっと、少しだけニノンのローブにめり込む。
「大魔将。大魔将ね」
自嘲するように、未来は呟いた。
「大魔将の大はまさか物理的にデカいって意味だとは思わなかったよ。翻訳機能の妙だな」
かつて砦に居た時の、仲間の言葉を思い出す。
――だから、解釈違いが有ると思うんです。
そう、解釈違い。
自動的に翻訳し、それに該当する言葉に
それを今未来は痛感していた。
より強い幹部という意味の「大」ではなかった。
ただ、巨大という意味の「大」であったのだと。
フィクションの巨大ロボットすら遥かに越える、動く要塞。
『居るのであろう、
人と要塞。
あまりにも圧倒的な質量差。
天音寺未来という怪物は今、超常の巨人に踏み潰されようとしていた。