トトは薄暗い暗闇の中で目を覚ました。
まだ頭がはっきりとしない。
霞がかって茫洋とする意識の中、手の感触を確かめる。
下から伝わってくるのは土間の冷たく薄汚れた感触と、散らばっているだろう幾つかの小石のつんつんとした軽い痛み。
首をゆっくりもたげると、前の方の上、暗い空から光が漏れてきているのが見えた。
その光の漏れ出る根本を見ると、崩れ折れた木や石が露出し、その隙間から光が差し込んでいるようだった。
少しづつ、暗闇に目が慣れてくる。
手を空中に漂わせながら左右を確かめると、どうやらそこは地下室のようだった。
幾つか見える木箱が、ここが物置として使われている空間だと伺わせた。
だが、それだけではない。
今が異常な状況だと指し示すものが室内には有った。
おびただしいまでの、崩れた石材や岩の固まり。
それが部屋のそこかしこに散らばり、部屋の半分を埋めていた。
トトはその埋まっていないもう半分の空間に居るようだった。
「なんで……?」
脳内に疑問が浮かぶ。
――トトはなんでこんなとこに居るですか?
自分はただ玄関の前に座っていただけだったように思う。
それがいつの間にこんな薄暗い地下室に?
軽い混乱がトトの頭の中を駆け巡った。
「うーん?」
頭を捻って、必死に思い出そうとする。
なんでこんな事になっているのか。
直前まで、何をしていたのか。
だが、思い出せない。
立ち上がったトトは、ふらふらと光の方へと歩いていった。
何か考えが有ったわけではない。
ただ光の下という安心できる環境に身を置きたいという本能が、少女を動かした。
光の下は、土埃と上から落ちてくる細かな砂とで軽く霧がかっていた。
ふわりと舞うそれらは、場違いに幻想的で、何も分からないこんな時なのに少し綺麗だとトトは思った。
光の先を見ようと、上を見上げる。
「う」
強烈な光がトトの網膜を貫いた。
上に有る太陽を直に見てしまい、反射的にトトは目を覆う。
だが焼き付いた光はなかなか消えず、トトの視界を白一色で塗りつぶしていた。
世界が白に染まる中。
――あっ。
トトは、唐突に思い出す。
ダラマトナが壊滅した夜の事。
その記憶が、彼女の脳内に蘇ってきた。
赤き凶星が強烈な光を放ち、夕日が沈んだ空を強烈に照らした瞬間。
「ひゃあっ!?」
トトは反射的に身を捻って、その光から逃れようとした。
咄嗟に後ろを向いてしゃがみ込む。
街灯の灯りのみがほの明るく街を照らし始める頃合いだというのに、ダラマトナは昼以上の明るさに包まれていた。
昼と夜とが逆転したかのような光景。
いや、それ以上。
強烈な光は世界を灼こうとするかのように煌々と輝いている。
本来人を守護する輝きであるはずの光が、今はこんなにも禍々しい。
その矛盾した光景に、目を覆う人々は心の底から恐怖した。
光の民が光に脅かされる。
これ以上の恐怖は、この世界の人間に存在しない。
どれだけの時間が経っただろうか。
ようやく強烈な光が収まった。
こわごわと、トトは伏せていた顔を上げる。
そこには何時もと変わらぬ薄暗い街並みが存在していた。
周りを見れば、誰もがやはり恐怖と困惑の混じり合った表情を浮かべ、互いに顔を見合わせていた。
――今のトトもあんな顔してるですかね。
多分そうですね。
そう思いながら、立ち上がる。
空にはもう凶星は存在しなかった。
その事実に、少しほっとする。
だが星の存在していた方向、その地平の先が、ほんの僅かに煌めいていた。
星を想起させるような赤い何かが、きらりとした光を反射してきている。
通りに居る者達の反応は様々だった。
恐怖から家へと足早に逃げ帰る者。
ただ立ち尽くし、光の方向から目を逸らせない者。
恐怖を紛らわせるように、近くの者と抱き合い、その温もりを確かめ合う者。
そして、興味を引かれ、その煌めきをよく見ようとする者。
トトは、最後を選んだ人間だった。
それに興味を惹かれたのは、子供らしい好奇心からか。
それとも、脅威を良く知ろうとする身を守る本能か。
トト自身にも良く分からないまま、夢遊病者のように自然と彼女は足が動いていた。
彼方にある輝きをもっと良く見ようと、前へ出る。
この先は少しなだらかに坂になっていたはず、とトトは思う。
そこを登ればもうちょっと良く見えるんじゃないかと。
幾人かの人間が、やはりトトと同じような行動を取っていた。
その多くは子供か青年であった。
坂を登っていたトト達は、気づいていなかった。
その輝きから何かが発射され、ダラマトナへと迫っていた事に。
だから、それが起きた瞬間まで、彼らは何も知らなかった。
唐突に、
細かに激しい振動。
大地のみならず、空までも揺らしたかのようなそれが唐突にトトを襲った。
あ、と声を上げる暇もなく、トトは横へと吹き飛ばされる。
その体が飛ばされた先には、運悪く――もしくは、運良く――地下室へ開け放たれた扉が有った。
坂の中腹に位置するその家は、一階部分が擁壁のようになっており、土間で形作られた物置となっていた。
夕食どきを控えたこの頃合い、地下に仕舞っておいた食材を取り出す為に開かれたそこは、道端で呆けたように立ち尽くす家の主が開けたものに相違無かった。
トトはそこに、思いっきり突っ込んだのだった。
ふわりと一瞬トトの体が浮く。
地下への階段となっていたその空間は少女の体を抱きとめる事無く、空中への発射台としてそこに鎮座していた。
トトは緩い放物線を描きながら地下室へと投げ出される。
一瞬にして吹き飛ばされたトトは、自分がどうなっているのかも分からない。
ただ自分に何か致命的な出来事が起きていて、それがどうしようもないという事を、どこか他人事のように認識していた。
地下室に吹き飛ばされて、一秒有るか無いか。
トトは、その壁面に叩きつけられた。
ふぎゃっ、という小さい悲鳴と共に、肺の空気が押し出される。
そして痛みを感じる間も無く、トトは意識を手放した。
それが、トトの思い出せる全て。
「トトはこの部屋にふっ飛ばされたですか」
だがそこまで思い出しても、次の疑問が湧いてくる。
なんで?
何故自分がそのような目に遭ったのか、理解できない。
誰かに突き飛ばされた?
後ろから走ってきた誰かに弾かれ、地下室へと吹っ飛んだ。
いやいや、とトトは首を振る。
どんだけの勢いで走ってきたんだと。
そんな人間が走ってきていたなら、間違いなく気づいたはずだ。
子供とは言え人をこれだけ跳ね飛ばすような人間、相当の巨漢だったに違いない。
足音一つ気づかないなど有り得ない。
それに、とトトは思う。
この部屋の様子。
瓦礫で埋まった部屋と、崩れた天井。
見れば目の前の地下室の入口も、岩で塞がってしまっている。
どう考えても、おかしい。
まったく分からないが、それは良くない事だとトトは感じた。
「とりあえず外に出ねえとです」
トトは暗い室内を見回す。
ぱっと見た限り、埃っぽいこの場から逃げ出せる場所は、光の漏れている天井しか無さそうだった。
幸いにはそこには瓦礫を登ればなんとか届きそうだ。
「しゃーねーですね」
崩れた瓦礫をよじ登り、トトは天井の穴へと向かう。
幸いにも崩れた壁材はごつごつと尖っており、手足をかける場所には事欠かなさそうな様子だった。
獣人特有の優れたバランス感覚と身体能力、そして子供ならではの身の軽さを活かしトトはひょいひょいとそこを登っていく。
崩れそうな瓦礫を不安定な階段にして、トトは地上へと進んでいく。
「ほいっと」
最後にぱしっと軽く飛び、穴へと手をかけた。
そこから、うんしょっと自分の体を持ち上げ、ようやく地上へと戻る事ができた。
災難だったです、と溜息をつきながら顔を上げたトトの前に広がった光景。
それは、想像もしないものだった。
街が無い。
辺りに立ち並んでいた家々は、良くて半壊。
その多くが崩れ去り、瓦礫の山となっていた。
そして崩れているのみならず、ぱちぱちとした音と熱を伴い、方々が燃えていた。
幾重もの煙の柱が立ち上り、生活の痕跡を消していく。
それに加え、
もうもうとした砂煙が辺りに舞い散り、既に頭上へと昇っている太陽すら遮っている。
普段は燦々と輝く天の恵みは、今やぼうっとした丸っぽい何かとしか捉えられない程に霞み、良く見えない。
「な、なんです」
呆然として、トトは呟いた。
「一体何が起こったです?」
ふと、街の中央の方を見た。
そこは、トトの周辺よりも更に信じられない惨状が広がっていた。
すり鉢状の、大きな穴。
賑やかだった市街地の方向には、それしか存在しなかった。
一際大きな街の庁舎。
街に不釣り合いなまでに大きい祈祷所。
ミクと通った雑貨屋。
仕事を探しに行った人材斡旋所。
弟たちと出かけた、居並ぶ出店。
その全てが、綺麗さっぱり消え去っていた。
最初から存在しないように、巨大な穴が全てを飲み込み、消し去っていた。
トトは震える足で二、三歩後ろに下がり、そのまま尻もちをついた。
ぺたんと、まるで地面に吸い込まれるようにトトの体は自然に地面へと落ちる。
がくがくと体は震え、止まらない。
自分の生まれ育った街は、完全に姿を消していた。
何があっても帰ってこれる、安心できる場所。
どんなに離れていても縁となる地。
自らの心の奥底の
「あっ……ああっ……」
言葉が、出ない。
何を話すべきなのか、何を話したらいいのか、何もわからない。
ただ声を出していないとおかしくなりそうな気がして、トトはただ戸惑いを口から垂れ流していた。
周囲には、動く人間一人居ない。
その事に気づき、はっと周囲を見渡す。
そして、思わず口を押さえた。
街のあまりの惨状に気づいていなかったが、一度意識すれば嫌でもそれが目に入った。
倒れ伏す人、人、人。
明らかに生きていないだろうそれが、通りだっただろう場所に散乱していた。
どの遺体も見るも無惨な状況で、トトは思わず視線を逸らした。
石に頭を潰され、脳漿をぶちまける男。
体が千切れ、上半身だけがひっかかっている女。
崩れた石材にめり込み、それと一体となっている老人。
焼け焦げて誰だったかもわからない子供。
それらがぶちまけられたかのように、一面に散乱していた。
まるで、地獄に連れてこられたかのような光景だった。
目に入らないよう、なるべく下を向きながら歩くトトだったが、それら全てから目を逸らすのは不可能だった。
ちらりと目の端に映るそれは、余計に意識されて視界に焼き付く。
恨めしそうな顔で空を眺める、半分になった女の顔。
その惨たらしさに、もう堪える事ができず、トトは腹の中のものをその場にぶちまけた。
げええ、と涙を滲ませながら、胃が空っぽになるまで吐き出す。
「はあ、はあ」
トトはその場に座り込んだ。
もう、何も見たくない。
なんでこんな事に。
そんな考えが、ぐるぐると頭の中を回る。
昨日までは、不安が有ってもまだ日常の中だった。
普通の生活をして、日々が過ぎる。
一応穏やかと言える時間が過ぎていた。
それが今や、生きる者一人見えない廃墟の中、ただ一人で佇んでいる。
理解できない状況にトトは頭がおかしくなりそうだった。
どれだけしゃがみこんでいたか。
ばっ、と、弾かれるようにトトは立ち上がった。
「お母さん!」
ここでようやくトトは、ローネの存在を思い出した。
家に一人置いて、床に臥せっている母。
――お母さんは一体、どうなったです……?
よろめきながら、トトは歩き出す。
自分の家の方向、そう思われる瓦礫の方へ。
悪い予感をさせながら、それでもトトは歩いていった。