崩界のオブリテレーター   作:エチゼン鏡介

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第120話 遺されたもの

 瓦礫まみれの街路を、トトは慎重に歩く。

 

 遠くからは、時折「ギャッ」「助けて」のような、耳をふさぎたくなるような悲鳴が聞こえてくる。

 それに加え、響くように方々から伝わってくる蹄の音。

 硬質なそれはこのような状況でも明瞭に伝わり、トトの耳をぴくぴくと蠢かせた。

 

 湧き上がる恐怖心を押さえつけながら、足音を立てないようにトトは進む。

 

 崩れかけた壁に触れている手が小刻みに震えているのを、彼女は自分でも感じていた。

 

 先日の街の消滅とは違う、より身に迫って想像がつきやすい脅威。

 それは少女により強い怯えを喚起させるのに十分な、卑近な恐怖だった。

 

 一步。また一步。

 

 音が出ないように、慎重に。

 それでいて、できるだけ早く。

 

 トトはあの地下室へと急ぐ。

 

 一刻でも早く辿り着きたいと逸る気持ちと、今気配を立てるのは致命的だという理性が彼女の中では激しくせめぎ合っていた。

 

 荒れ狂う自身の心を絶妙なバランスで保ちながら、少女は往く。

 

 幸い、土埃に包まれた今のダラマトナは、非常に人の姿が視認し辛い状況となっている。

 その上でまだ子供で小柄なトトの体は、遠目では瓦礫と変わらぬ程度の高さしかない、判別し難い存在と化している。

 遠目から見た所で、急に動きでもしなければそうそう見つかる事は無い状態だった。

 

 トトはそんな幸運に支えられながら、着実に目的地へと近づいていた。

 

 

 

 ごん、と。

 

 

 

 ふと、足元を取られる。

 何か大きなものにぶつかった感触。

 

 トトは反射的に下を向いた。

 なんの考えもなく、ただ不意にぱっと顔を下げただけだった。

 

 だがそれが大きな間違いであったと、トトは思い知らされた。

 

 そこに居たのはポンスだった。

 

 いや、ポンスが()()()

 

 最早物言わぬ骸と化した小地人(ドワーフ)の男が、だらしなく地に寝転がっていた。

 

 顔は何かに驚いたように、そして締まりのない力の抜けた表情をしていた。

 白く混濁した目は何処を捉える事も無く、斜め上へぐりんと回った状態で動いていない。

 

 体に傷は無い。

 トレードマークのように毎日着ている分厚い繋ぎが、小さく頑健な肉体を覆っていた。

 そこだけ見れば、なんてことの無い状態のように見える。

 

 だが一度頭部に目を移せばそれが間違いだと一目で分かる。

 割れて吹き飛んだ後頭部。

 頭半分、後ろを覆うものが全て無くなったそこからは灰白色の何かが飛び散るように溢れだしていた。

 

「う」

 

 トトは思わず両手で口を覆う。

 

 死体は何人か見てきた。

 だが、知人の無惨なそれを見るのは初めてだった。

 

 幼い頃から近所に住む、気の良いおじさん。

 そのポンスが、今やただの()()と成り果て転がっている。

 

 自分が想像するポンスと今目の前に転がるポンスがどうしても一致しなくて、トトの頭は混乱した。

 

 最後にポンスの姿を見たのは何時だったかを思い出す。

 あの玄関でただ静かに隣り合ったあの時が、彼と過ごした最後の時間だった。

 ただ街が終わるかもしれないという諦観を共有した瞬間。

 

 それが別れだなんて、思うはずがない。

 

「うげぇ」

 

 腹の奥からこみ上げるものを、トトは我慢する事ができなかった。

 色々な感情がごちゃまぜになり、まるで腹から出ていくように。

 トトはただ、全てをそこにぶちまけていた。

 

 胃がきゅうっと締まる感覚と、喉のいがらっぽい感覚。

 それが彼女の苦しみが終わったサインだった。

 

「くっ……はあ、はあ」

 

 激しく吐瀉し、トトは消耗していた。

 丸一日以上ろくに食事も取っていない上、この嘔吐。

 

 思わず瓦礫にもたれ掛かり休んでしまう程、彼女は疲労を感じていた。

 

 ぐったりと、背中を瓦礫に押し付ける。

 冷たい感触が彼女の背中を侵すが、その冷たさが今は心地よかった。

 胸の中に生じたわけの分からない熱。

 それを壁が吸い取ってくれてるようにトトは感じていた。

 

 落ち着いて呼吸を整え、態勢を立て直し。

 

「あっ」

 

 そこでトトは、自分が致命的な()()をやらかした事に気づいた。

 

 あれだけ音を立てないよう、人の気配をさせないよう歩いていたというのに。

 

 吐き散らした音は、この街の中でどれだけ派手に響いただろう。

 

 そう思い至り、トトの顔からはさあっと血の気が引いていく。

 

 きょろきょろと反射的に辺りを見回す。

 土埃が舞う視界は、近くの瓦礫がぼんやりと見えるだけだった。

 

 相手から見えないという事は、こちらからも見えない。

 

 そんな当然の事を、トトは今更ながらに思い出した。

 

 だが――音は違う。

 

 こちらが立てた音が響き渡るなら。

 また、他の誰かが立てる音も良く聞こえる。

 

 バガラッ、という蹄の音が、トトの耳に届いた。

 それは遠くで走り回る音ではない。

 徐々に大きくなってくるそれは、明確にこちらへ近づいてくる音だった。

 

 ――逃げないと!

 

 反射的にトトは駆け出した。

 

 危険から遠ざかろうという本能が、咄嗟に足を動かした。

 

 ガッと大地を蹴る音がやけに大きくトトには聞こえた。

 最早自分から相手に居場所を教えているようなものだったが、それでもトトの足は止まらなかった。

 

 混乱と恐怖が、トトから冷静な判断力を奪っていた。

 

 動物的で根源的な生存本能が、ただ逃げる事を選択させる。

 

 どんどん蹄の音が近づいてきているのに気づいていても、もう止まる事はできない。

 

「ハアっ、ハアっ」

 

 息をあげながら、トトは走る。

 

 その背後には、何かが追いつきつつあった。

 土埃に包まれぼうっとしたシルエットが、トトの後ろに浮かび上がる。

 徐々に大きくなるその姿を、トトは気づく余裕すら無かった。

 

 ただ少しづつ大きくなる追跡者の足音に、走る事で全力の抵抗を示すのみだった。

 

 霧が晴れるように。

 遂に騎士の姿が露わになろうとしていた。

 

 古めかしい鎧を着込んだ、前時代的な騎士。

 それが騎馬と共に駆けてきていた。

 

 最早トトと騎士との間の距離は、遠くない。

 十秒もせずに追いつかれるだろう距離だった。

 

 騎士がゆっくりと長柄武器(ポールウェポン)を振り上げる。

 届くにはまだ幾分か遠間な距離。

 

 だが騎士はそれにも構わず、馬上で大上段に、刃を天へと向けた。

 

 天を真っ直ぐと指し示した槍先は、霞がかった太陽の光を受けて僅かに輝く。

 そしてその輝きを纏うように、光の尾を引き連れながら刃は振り下ろされた。

 

 トトはその動きを見ていない。

 走る事に夢中な彼女は、見る余裕が無い。

 

 だというのに、何故だろうか。

 獣人の少女は体を動かしていた。

 

 ――避けろ。

 

 そんな誰かの声が聞こえたような気がした。

 そして太い腕に押されるように、トトは咄嗟に斜め前へ、飛び込むように転がった。

 

 

 

 見えない何かがトトの居た場所を通り過ぎるのと、彼女が前へ転がったのは、ほぼ同時だった。

 

 

 

 少女を襲うはずだった何かは、遥か前方にある瓦礫に命中し、崩れかけたそれを完全ながらくたへと変えていた。

 がらがらと崩れるそれを騎士は不思議そうに見つめている。

 そしてやや首を傾げると、さらに振り上げるように刃を振るった。

 

 一方頭から地面に突っ込む形で咄嗟に跳んだトトは、その勢いのままごろごろと転がっていた。

 前後左右、どちらがどちらかも分からない。

 

 だが頭の中に閃く()()が、彼女に危険を知らせる。

 自分のところに飛んでくる()()の距離が縮まっていると、そう告げている。

 

「ひいっ!」

 

 ただ、無我夢中でさらに転がる。

 背中がちくちくと痛むが気にしている余裕は無い。

 

 ごろごろと転がるトトのすぐ横が、まるで抉られるように爆ぜた。

 土埃の中さらに新たな砂埃が巻き上がる。

 それはトトの体を覆い隠す煙幕となって、彼女の体を守っていた。

 

 騎士はまた不思議そうに首を少し傾けた。

 不可視の斬撃が、二度までも躱される。

 その事実に、何か釈然としないものを抱えているかのようだった。

 

 仮面に隠されたその視線は窺い知る事はできない。

 だがそこに粘着的な何かが混じっているかのような、そんな雰囲気を纏いつつあった。

 

 じっと砂煙が巻き起こった辺りを騎士は注視する。

 そして三度、その刃を振り上げた。

 

「にぎゃぁ!?」

 

 その刃を――トトは、三度避けた。

 わけも分からぬ自分の感覚に従い体を捻り、死の刃から身を躱した。

 

 一度目は偶然。

 二度目は幸運。

 

 三度目は、最早必然だった。

 

 トトはその攻撃を認識し、完全に回避しきっていた。

 

 だが、それを為したトト自身、何が起こっているのか良く理解できていなかった。

 ただ唐突に覚醒したような奇妙な感覚を彼女は感じていた。

 自分の頭の中にもう一つの目が生まれたような、そんな感覚。

 

 目で見えるものとは違う()()を測る専用の目が、確かにトトの中に存在していた。

 

 今もトトは感じていた。

 

 騎士とトトの距離が徐々に縮まっていく事。

 その速度まで、はっきり理解していた。

 

 ――一体何が起こったです?

 

 少女の思考は混乱の極みにあった。

 突如生まれた新たな感覚に、戸惑いを覚えないわけが無い。

 

 だが今は、それに頼る以外活路は存在しない。

 

 トトはじっとその感覚に身を委ねる。

 それは、不思議な感覚だった。

 

 相手との距離……というか、()()()()()()()()()()()()()()()

 その中間地点が動けば、距離が変わった事も理解できる。

 

 非常に使い辛い物差しをぽんと渡されて使っているような、そんな印象だった。

 

 その相手と自分の中間点は、じりじりと縮まってきている。

 

 トトは走る。

 さっきまでの無軌道で本能的な走りではない。

 

 明確な意思での逃亡。

 

 相手との距離が分かったからと言って、だからなんだという話。

 攻撃してくるのも分かる。

 でも、だからってどうしようもない。

 

 それでも自分には出来る事ができた。

 やれる事が見つかった。

 

 その事実が、トトの心に力を与えた。

 

「死なない……」

 

 トトは死んでいった人たちの事を思い出す。

 

 無惨な姿を晒したポンス。

 見捨てるしかなかった母。

 治療される事無く事切れた弟。

 

「トトは、死なないです!」

 

 そして、砦で共に過ごした四人。

 自分を庇って死んだ二人の男の子の事を、思い起こす。

 

 生きられなかった皆。

 その皆を見てきた自分が。

 生きる事を諦めてどうする――!

 

 再び、騎士の不可視の斬撃が飛んでくる。

 今度は縦ではない横薙ぎ。

 

 斜め上から打ち下ろすように放たれたそれは、本来であれば回避するのは困難極まりないはず。

 

 だがトトは、それが見えているかのように高く跳躍し飛び越える。

 

 獣人の恵まれた身体能力と、子供故の軽い体躯。

 その二つが合わさり人間(スプレム)では到底不可能な高さの跳躍を彼女は果たしていた。

 

 だが騎士も愚鈍ではない。

 その着地を狙うよう、さらなる斬撃を飛ばしていた。

 

「くのぉ!」

 

 だが、トトにはそれも()()()()()()

 

 跳躍の頂点で近くの瓦礫を無理矢理蹴り飛ばし、彼女はさらに跳んだ。

 まるで猫のように身軽に空中に身を置き、軽やかに跳ねた。

 

 空中を跳ぶトトと、騎士の視線が僅かに交錯した。

 

 兜に隠された騎士の表情は、やはり分からない。

 だがまるで嗤ったようにトトには思えた。

 

 戦闘に身を置く人間ではないトトには分かっていなかった。

 

 人が空中に身を置く状態が、如何に危険であるか。

 

 そこは最早方向を変える事もできず、攻撃を行う事もできない死地。

 大地に住まう生き物にとって致命的な場所だと分かっていなかった。

 

 騎士が獲物を振り回そうとする時、トトは自分が詰んでいる事にようやく気づいた。

 

「あっ」

 

 呆けたような声が、思わず漏れる。

 

 ――頑張ったのに、ここまでですか?

 

 思わず涙が滲んだ。

 

 自分の努力はほんの僅か死を先延ばしにしたに過ぎなかった。

 単なる子供の悪足掻き。

 あまりにも滑稽で無様な終わり。

 

 トトはぎゅっと目をつぶる。

 ただ最後の時を、暗闇の中待ち受ける。

 

 

 

棘の弾丸(ニードルバレット)!」

 

 

 

 ギギギギィン!という音が辺りに響き渡った。

 

 反射的にトトは目を開く。

 

 そこには、のけぞる騎士の姿が有った。

 何本もの巨大な針が騎士に襲いかかり、それが騎士の体を押したのだ。

 針はその鎧を貫く事は無かったものの、その速度と質量で襲撃者の動きを押し留めていた。

 

 ガッ、と後ろから馬が駆ける音がする。

 

 そしてふわりと、首根っこを掴むようにトトの体が持ち上げられた。

 

「ずいぶんとやんちゃな遊びをしているね」

 

 その声は、もう聞く事ができないと思っていたもの。

 帰ってこないと考えていた、後輩。

 

「ミク!」

 

 天音寺未来。

 その人だった。

 

「私も忘れんなよぉちびっ子」

 

 未来の後ろからニノンも不満そうに声をあげる。

 

「今助けたの私だからなぁー? 感謝しろよー?」

 

 トトの体はすとん、と未来の前に座るように載せられる。

 そこで初めて、トトは彼女たち二人が馬に乗って駆けている事に気づいた。

 

「随分と物騒な鬼ごっこで先輩を可愛がってくれたようじゃないか」

 

 未来が薄く笑う。

 だがその瞳は虫よりも冷徹で、機械よりも無機質な色で騎士を射抜いていた。

 

「いいだろう、付き合ってやる。だがこれから鬼は私で、逃げるのはお前だ」

 

 未来は駆ける。

 ただ真っ直ぐ、騎士に向かって。

 

「五秒持ったら褒めてやる。だから――全力で逃げて見せろ」

 

 予想外の闖入者に、武器を掲げて応じる騎士は。

 それが死の宣告であると、未だに理解できていなかった。

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