ダラマトナからやや離れた、郊外。
崩れた城壁より街の外に出たトトとニノンは、ようやく人心地つく。
「とりあえずここらへんまで離れれば大丈夫でしょ」
後ろに乗っているだけのニノンがドヤって言う。
「ま、一人二人来ても私がなんとかしますから安心してください。これでも私、天才なので」
「全然信用できねえですよ……」
馬に揺られる間に、トトは少し元気を取り戻していた。
顔色は依然悪く、覇気も無い。
だが、軽口が叩ける程度に口が回るようにはなっていた。
二人は崩れ去ったダラマトナを見つめていた。
最早街とも言えぬ、巨大な空洞と僅かな廃墟だけの土地。
生活の残骸でしかないそこを、複雑な視線で眺めていた。
「ミクは、大丈夫ですかね」
トトは不安げに言葉を漏らす。
あの街に、襲ってきた騎士が何人居るかわからない。
だがそれに立ち向かうのは無謀な事ではないか、とトトには思えてならなかった。
「さっきの見てたでしょ」
対するニノンは心配する素振りの欠片すら無い。
信頼、というよりはもっと酷薄で厳然たる何か。
それを確信しているかのような態度だった。
「あの人心配するだけ無駄ですよ。騎士なんか片手で捻れる程つええんですよ」
「なんか信じられないですね……」
トトの知る未来は、落ち着いて品の有る振る舞いをする年上のお姉さんだった。
頼りがいの有る人だとは思う。
だがそこに、強さというイメージがどうしても結びつかなかった。
母が、未来は凄いという話をしていたのも聞いた事が有る。
縫製の腕がとんでもないと。
ザバが未来さんは凄いですと話してきたのも覚えている。
とても頭が良いんですよと。
だが、あの恐ろしい騎士を凌駕する程の強さを持っている場面は、あまり思い出せない。
彼女が勇者だと聞いても、未だにそうだった。
そう、トトは思ったのだが、
思い起こせば、違和感は有った。
あの砦を出てからの惨劇。
皆が殺された中、一人平然と現れた未来。
考えてみれば、どうやって襲撃を切り抜けたのか。
ダラマトナへ向かう馬車。
魔族に襲われて、やはり無傷で帰ってきた未来。
魔族が跋扈する中、シリバを見つけて戻ってきた未来。
そう言われてみれば腑に落ちるような事ばかりだった。
あの後輩はとてつもない実力を隠し持っている強者だと、納得せざるを得なかった。
「って、言ってる傍から」
そういうニノンの言葉に釣られて顔を上げると、未来がダラマトナから歩いてくる所だった。
別れた時と何も変わりなく。
まるで散策から戻ってきたかのような、軽やかな歩みだった。
「大して時間経ってないと思うんですけど、もしかして終わったんですか?」
マジかよー、と若干引きながら、ニノンはそう未来に問いかけた。
「特に苦戦するような相手でも無かったからね」
未来の方もそれが戦闘の後であるとは思えぬ程穏やかに、欠片程猛りも見せず答えていた。
そこに、荒々しさの欠片もトトは見つける事ができなかった。
「ただね」
未来が若干困り顔でそう言った。
「一人は生かしておこうと思ったんだが、自害された。どうにも
「まあこんな状況でやってきて人狩りしてる連中がまともなわけ無いですよね」
何処の手の者かはわからない。
だが、悪意有る何かだろうという事は、未来もニノンも意見が一致する所だった。
「ともかく、一先ずの危機は去ったよ。暫くは安全だろう」
「暫くっていうのが、なんか含みの有る言い方ですね」
「第二陣、第三陣が来る可能性も有る」
「言わないでくださいよ、本当に来たらどうすんですか」
まるで家で行われていたような、二人のやり取り。
それを見て、トトは少しだけ日常が戻ってきたように感じた。
最早街も家も、家族すら居ない。
それでもほんの少しだけ、
その事が本当に嬉しかった。
「トトも済まないね、ニノンの世話を任せてしまって」
大変じゃなかった?と未来がトトに問いかける。
「そう長い時間じゃないから、何もやらかしてはいないと思うが」
「何故私がやらかす前提なんですか」
解せねえ、とニノンは頬を膨らませた。
「大丈夫でしたよ」
トトは、僅かに残った涙を拭いながら笑って答える。
「本当に馬乗れねえんだってびっくりしましたけど。こいつ座るのも下手です」
「テメエちびっ子……この、本当だろうがそこは言わねえのが優しさだろぉ?」
「優しさは人を駄目にしていくですよ。厳しくするのが本人の為です」
うん、と微笑ましく笑った未来は一言頷くと、彼方を指さす。
そちらには、鬱蒼と茂る近隣の森が有った。
「とりあえず森に身を潜めよう。万が一先程のような連中が再び来るかも知れないと考えたら、街中に留まるのは危険だ」
未来はそう、外敵からの危険を説いた。
「トトさんの前でこんな事言うのもなんですけど、遺体の処理もされてないでしょうからね。そうすると病気の危険も有りますから、そういう意味でもあそこから離れた方が良いのは間違いないです」
一方でニノンは衛生上の問題を指摘する。
切り口は違うが、どちらもあの崩れかけたダラマトナに留まるのは危険だと言っていた。
「生まれた街ですから、離れ難いとは思いますが――」
「大丈夫ですよ」
トトも、もう理解していた。
自分の帰るべきダラマトナは無くなったと。
あそこはもう安らげる場所ではなく、危険な場所なんだと。
「もう、大丈夫ですから」
――決別すべき場所だと、そう、納得したのだ。
未来はほんの僅かの間目を閉じる。
哀悼に満ちた表情で、ただダラマトナの空の方を向いていた。
そして、ただ一言。
「行こう」
そう、トトに声をかけた。
トトも無言で頷きそれに答えると、馬をゆっくり進ませた。
一路、森へ。
三人は暫しの休息を取る為、そこへ足を向けた。
森から暫く入り、外からは容易に見えない程の場所。
「
ニノンの
魔法陣の輝きに照らされた土。
それに呼応するように、徐々に盛り上がる。
ずもももも、という擬音でも聞こえてきそうなそれは、瞬く間に土の
「どうよ、これどうよ」
ニノンがドヤった。
何かすると、とにかくドヤる女だった。
「おお、すげえ」
「これはなかなか」
しかし今回はドヤるに値する魔法だと、トトも未来も思っていた。
簡易的な宿泊施設が、魔法一つで出来上がる。
これは、思った以上に便利ですごい。
「そうそう簡単に崩れないですから、数日過ごすくらいなら問題無いと思います」
こんこんと土の壁を叩きながら、ニノンはそう説明する。
「とりあえずはここを仮拠点にして、今後の事を考えましょう」
そう言いながら、ニノンは
早速QOLを上げる為に彼女は行動を開始していた。
「それじゃあ私は少し食糧を調達するか」
未来はそう言うと、ナイフを携え。
「トトは
疾風のように早々と森の奥へと消えていく。
後にはトトと馬一頭が拠点の前に残された。
「馬の世話ですか」
そう言いながら、二人が乗ってきた馬の首を撫でる。
「と言っても、ここでやれる事はそんな無いですよ」
トトも仕事の一環で馬の世話は経験が有った。
金を稼ぐ為にはとにかく色々な雑務を行う必要が有ったので、こういう仕事を手伝った事も有ったのだ。
だからやり方は大体分かるのだが――
「ブラシが無いから手入れしてやる事もできないです。ご飯とお水をあげるくらいですか?」
尤も、それも難しそうです、とトトは心の中で一人ごちる。
ご飯の干し草は無いし水は……なんか隣の魔法使いが作れそうではあるので、なんとかなるか。
そんなトトの内心を読み取ったように、ニノンが再びドヤ顔でやってきた。
「どうやら私の出番のようですね」
その手には、土で固められた桶のようなものが携えられていた。
それは手で抱えているというのに、崩れる様子も無い。
「強化系に偏っている
そう言いながら、どん!と桶を地面に置く。
そして魔法で作り出した水をだばだばとそこに注いでいった。
「はえー」
トトは素直に感心していた。
先程からニノンの使う魔法には驚きっぱなしだった。
まさに、御伽噺の魔法使いそのもの。
一つ呪文を唱えればなんでも叶う、そんな夢の力がそこには有った。
「ふふふ、いいですよぉその視線」
目を輝かせるトトの様子に、ニノンはご満悦だった。
「魔法使いは夢を与えなければいけません。あんなクソつまらない魔導式なんぞ、邪道ですよ邪道」
「素直にすげーと思いますよ。トトも使いたいです」
きらきらと羨望の眼差しを送るトト。
その姿に、ニノンは懐かしいものを見た。
――貴方が居なくなっても、貴方が抱いてた気持ちはちゃんとここに有りますよ、ロロ。
魔法は政争の道具でも、戦う為の兵器でもない。
ただ、誰かを喜ばせる為のものであるべきだ。
ニノンは改めて、その思いを強くする。
「どうしてもって言うなら、その内教えてあげますよ」
普段とは違う、優しい声色。
そのあまりの柔らかさに、トトは驚いた。
まるで別人のような、そして何か傷を抱えた声。
そこに自分と同じ痛みを何故かトトは感じた。
「魔法、使えるようになるですかね」
「なりますよ。誰だって、魔法は使えるんですから」
水を溜め終わったニノンは踵を返し、かまくらの方へと向かっていく。
「ま、なんにせよここを乗り切ってからの話ですよ。どうすんのかまだ全然分からないですけど」
タクトを左右に振りながら、ニノンはかまくらの中へと入っていった。
「これから、ですか」
故郷も家族も失い、その先。
家族の為に働いてきたトトにとって、まさに導を失っている状態だった。
――私は何がしたいんですかね。
ぐびぐびと水を飲む馬の背を撫でながら、トトは考える。
これからはきっと、何をしなければならないか、ではなく。
自分が何をしたいか。
それを考えて生きなければならない。
「私がしたい事ってなんですかね」
働くのは嫌いではない。
だけど、好きか?と言われたらちょっと悩む。
お父さんの代わりに弟たちを養って、お母さんの為に生活を支える。
それだけを考えて生きてきた人生だった。
そこからいきなり解き放たれて、自由になってしまった。
分からない。
自由というものの使い方が。
その価値の生かし方が。
「お前なら、どうするですかね」
熱い背を撫でながら、トトは馬に問いかける。
「何処か好きな場所に駆けていくですか」
馬は何も答えない。
ただ美味しそうに水を飲む。
「それとも、誰かを乗せて走る方が楽しいですか」
――どっちの方が良いです?
その問いかけの答えは、やはり帰ってこなかった。