その日の夕食は、兎肉の串焼きに野菜のスープだった。
幸いにも塩は手に入れる事ができたので、味に最低限の体裁は整っている。
素焼きの肉をそのまま齧るだけ、という事態は避けられた。
「うほっ、うめ、うめえ」
ぱちぱちと焼ける焚き火の傍で、ニノンが肉に齧りついていた。
両手に串を一つずつ持ち、交互に肉を喰んでいる。
「こいつの食い意地は何処でも変わらねえですね」
トトはある種の驚きと呆れでその光景を見ていた。
こんな状況でも良く食欲落ちねえな。
トトは肉を軽く齧りながら、そんな事を考えていた。
食欲はあまり無いはずなのに、少女の体は驚く程に食糧を素直に受け入れた。
心と体は別物だと、否が応でも理解させられた。
堅い肉を噛み、薄味のスープで胃の中へと押し流す。
焼いて、煮る。
ただそれだけの粗末な食事が、今は何よりも美味しい。
ここ数日の空腹を取り戻すかのように、トトも食事を口に入れ続けた。
「いざという時動けなくなるよりは良いさ」
そう言っている未来は、上品な所作でコップに注がれたスープに口を付けている。
ワイルドを通り越したニノンとは対照的に、このような状況でも未来には品が備わっているように感じられた。
「しかしトトも済まないね」
ずっ、とスープを啜りながら、未来はトトに笑いかける。
「馬の餌に関しては私もさっぱりでね。トトが居てくれなかったら本当に困っていた所だった」
「トトも詳しいわけじゃ無いですけど、遠乗りに出た事有るからなんとか知ってたですよ」
土かまくらの横に繋がれた馬の前には、飼葉代わりの木の葉の山が置かれている。
これらは馬の食べ物にとトトが取ってきたものだった。
焚き火の照り返しで美しく輝いた馬体を揺らしながら、馬は美味しそうに葉を口にしていた。
「ところでこの馬、どうしたですか」
馬なんて持ってるわけ無いですよね?とトトは首を捻る。
「ちゃんと手入れされてる良い馬です。どっから持ってきたですか」
「元は決死隊に参加してた時に乗っていた馬だったんだけどね」
立ち上がった未来は馬の首筋を優しく撫でた。
その感触に、馬も気持ちよさそうに目を細める。
「なんとも奇妙な偶然が有って」
未来はその時の事を思い出していた。
時は戻り、今朝。
大魔将を警戒し大回りなルートでダラマトナを一路目指していた二人は、森の中を疾走していた。
正確に言えば疾走してるのは一人だった。
未来が走り、それにニノンはそれに背負われるような形で引っ付いているだけ。
とは言え、ニノンも楽ではない。
手に持つ杖を落とさないよう必死に握りながら、人のものとは思えぬ未来の疾走に耐える必要が有った。
「はやい゛い゛い゛!」
前方からの風圧を受け、ニノンは帽子も押さえながら叫ぶ。
「なんでこんなに速いんですかああああ!?」
「そりゃ君が魔法を使ったからだろう」
走る未来はしれっと答える。
「確かに
少しでも移動時間を短縮する為、未来はニノンから魔法を受けていた。
それを受けた人間は、馬のように走る事ができるようになる。
その魔法を、身体運用の極地にある人物が受けた。
結果、どうなるか。
まるで高速道路をオープンカーで疾走しているような圧力を、ニノンは受ける事となった。
しかもここは森の中。
なんか枝やらなんやらが横から飛び出していて、とても怖い。
そいつが何時突っ込んでくるかニノンは気が気ではなかった。
「こんな速えとは聞いてねえんだよわたしゃ!」
「一応少しは加減してるんだけどね……」
苦笑する未来は、少し息が上がっていた。
速度が上がった分、肉体への負担も増える。
当然の道理であった。
「このまま走ると、私の方も体力切れが早いかもしれない。休息を入れるとなると、普通に走るのとどちらが良いのか分からなくなるな……」
未来は悩む。
このまま速度を維持すれば、いざという時、事に対処する体力が足りない可能性が出てくる。
だが悠長に進んでいては、ダラマトナで何か有った時に間に合わない可能性が有る。
どちらの選択も一長一短であり、悩ましい問題だった。
とりあえず進めるだけ進んでおくか、と考えていた未来の視界に、見覚えのある何かが目に入った。
「ん?」
視覚の端に捉えたそれ。
間違いなく、未来達が乗ってきた馬だった。
未来は走る速度を緩め、一旦停止する。
「はえ?」
驚くニノンに、未来は静かにその馬を指さした。
「あ、あの子」
ニノンもようやく、そこに居るのが自分たちが乗ってきた馬だと気づく。
「でも、なんでこんな所に?」
突撃する最中。
馬は乗り捨て――というか、途中で放馬したのだ。
敵陣のど真ん中まで付き合わせては、馬が保たない。
街へ帰そうというのが未来の判断だった。
馬は賢い。
乗り手が居なくなれば、自然に自分の厩舎へ帰るだろうと、そう考えていた。
「そうか、先程の砲撃か」
大魔将による、空前絶後の大砲撃。
その衝撃でダラマトナが壊滅した事までは理解していなかっただろうが、少なくとも自分が向かう先が何か危険だという事は馬も理解したのだろう。
帰りたいが、帰れない。
その為森の中をうろうろする羽目になった。
そういう話なのではないか?
未来はそう推論立てた。
「なんにせよ」
未来は馬の体に触れる。
逞しい馬体は、特に怪我等は無いようだった。
「これは運が良い。本当に良いぞ。これで、体力を残しながら走る事ができる」
「私もしがみつかなくて済むから楽ですね。マジで」
経緯はどうであれ、出会う事が出来た。
その出来すぎた僥倖に、二人は感謝した。
「まあ、そういう経緯が有ったのさ」
「はえー」
未来が語る幸運過ぎる出来事に、トトもなんとも言い難いようだった。
――本当に、偶然にしては出来すぎているくらい運が良かった。
未来はあの時の事を、そう考えていた。
偶然か、運命か、それとも作為か。
何がそうさせたのかは知らないが、それが未来達を助けたのは確かだった。
「折角だから何か名前を付けてあげたいな。おそらく、これからも世話になるだろうから」
「はいはいはーい!」
その呟きを聞きつけたのか、ニノンが手を上げる。
開かれた手からは勢い良く空になった串が空へと飛んでいった。
「ゴッドスピード☆シューティングスター――その速さは、世界を縮める」
これは……決まったな。
勝ち誇るニノンの顔が、炎に照らされて赤く輝いていた。
とてつもないドヤ顔だった。
「長えんですよ」
「呼び辛い」
だが他の二人からの評価はズタボロだった。
密かにニノンは泣いた。
「じゃあそういうあんたらはどういう名前が良いんですか。この私の卓越したセンスを越えられるって言うんですか? えーっ!」
そう言ってびしい!とニノンはトトを指さした。
もう全力でさした。
「特にちびっ子! お前に私が越えられるとは思いませんけどね! ほれ、言ってみな!」
「えーと」
いきなり振られたトトは、必死に頭を捻って、名前を考える。
「じゃあ、グリ、とかどうですか? この馬、ちょっと灰色がかってますし」
わかりやすいです!と言うトトに、ニノンは失望したような表情を見せた。
「つ、つまんねえ……なんて捻りと独創性の無い名前」
「いいじゃないですか単純で呼びやすいですよ!」
さっきの無駄に長い変な名前よりは絶対に良い。
トトは心の中でそう思っていた。
「私はそうだな」
少し思案していた未来も、口を開く。
「朧、というのはどうかな。シンプルで悪くないと思うのだが」
「独創性は認めますが……でも、何かが足りない!」
「名前に余計なもんなんて要らんですよ普通」
とりあえず案は出揃った。
未来はふむ、と考え込む。
「グリと朧、か」
「あの未来さん? なんか私のゴッドスピード☆シューティングスターが入ってないような気がするんですけど?」
「はて、どちらが良いだろうね」
ニノンの懇願を、未来は華麗にスルーした。
渾身のネーミングが受け入れられない事に、ニノンはさらに泣いた。
「トトはどっちでも良いですよ。どちらも呼びやすいですし」
「なら、グリにしよう。こういうのは、奇をてらわない方が良い」
名前に独創性は必要無い。
無難なものが良いというのが未来の持論だった。
「よし、じゃあお前は今からグリですよ!」
よろしくです!とトトが馬――グリの首に抱きついた。
それを鬱陶しがる事も無く、グリはむしろ嬉しそうに受け入れていた。
思ったよりもずっと人好きな馬なのかもしれないな。
その光景を、未来は笑って見ていた。
「おおう……私のゴッドスピード☆シューティングスター……」
ニノンだけ一人、泣いていた。
悔しいからトトの肉串を一本拝借した。
うめえ。
愉快な名付けをしながら、腹を満たした後。
ぱちぱちと燃える焚き火を三人は囲んでいた。
「今後の話だが」
そう、未来が話を切り出す。
「とりあえず大魔将は倒す」
きっぱりと、未来はそう言った。
「とりあえずで言う話じゃないんですよねえ……」
魔王を除けば人類最大の難敵。
それを倒すと、そう彼女は宣言していた。
一軍を傾けても困難なそれを、まるで確実に勝てるかのように。
自信ですらなく、単なる事実として語っていた。
「え、大魔将って?」
トトは何を聞いているのかまったく理解できなかった。
大魔将とか、そんなの人間が戦う相手じゃないと思っていた。
想像すら出来ないとてつもない化け物。
それが、トトの持つ魔族の幹部のイメージだった。
「どうしてそれと戦う事になってるです?」
頭に疑問符が浮いているのが見えるような、そんな素振りでトトは呆けている。
なんで?なんで?と。
「魔将とか大魔将とか、そんなの勝てるわけないじゃないですか。逃げないと駄目です」
「この人既に魔将一撃でぶっ殺してますからね」
そんなニノンの補足に、トトの混乱はさらに拍車がかかる。
なんで?なんで?何言ってるのこの人?
「ていうか、勝てるんですかあれに」
ニノンは大魔将の姿を思い起こす。
近づくだけで致命的な、魔族の最強戦力。
自分ではおそらく戦う土台にすら乗れないだろうと、そう感じていた。
だが未来は、断言する。
「勝てる」
ただ一言、そう告げた。
「既に奴の倒し方への道筋は出来上がっている。あとは、それが出来るかどうかを検討するだけだ」
力強い、意思有る言葉。
言っている事はまるで戯言なのに、否定できない圧力がそこには込められていた。
「私が考える通りなら――奴は抵抗すら出来ずに敗北する」
ごくりと、ニノンが一度喉を鳴らした。
――未来さんは本気だ。
本気であの大魔将を一方的になぶり殺しにできると、そう確信している。
あの一度の邂逅で既に攻略法を紡ぎ出しているのだ、彼女は。
卓越した戦闘力は確かに恐ろしい。
それよりも、たった一度の交戦経験で攻略法を見出すこの知性の方が、もっと恐ろしい。
戦闘力に目を奪われがちだが、天音寺未来という少女の恐ろしさの本質はそこには無い。
それはあくまで彼女の恐ろしさから溢れ落ちた一面。
本当の恐ろしさは、もっと深い部分にあると、ニノンも気づき始めていた。
「とりあえず作戦を練ろうじゃないか」
一方の未来はまるで世間話をするように、そう続ける。
「奴に勝つには私の
――奴の敗北は、決定する。
語る未来の瞳は、まるで遠くを見透かしているかのように澄んで、そして機械のように無機質であった。