キィィィィィィィィィン!
甲高い音が、再び響く。
そして大魔将の巨大な躯体の上部を見れば、その美しく滑らかな表面に細かな罅が入っている様が見て取れた。
「何が起きておる!?」
ジョーフィアには、この状況が理解できない。
攻撃されているのは分かる。
ダメージを受けている事も分かる。
だが、何処からどうやって攻撃されているかが分からない。
上面に執拗な攻撃を受けている。
キィン、という攻撃音は、二発に留まらない。
三発、四発、五発。
続けざまに、それは来る。
確かめるような最初の二撃とは違う。
畳み掛けるような連続攻撃は、水晶の体をキィンキィンと間断無く鳴らす。
巨大な音叉が鳴るように、闇夜に音が響き渡った。
「上空からの攻撃か!」
そう思い上方を見る。
だが、何も無い。
空には薄明かりを放つ月が地平近くに一つ、ぼんやりと浮かび上がるように有るだけ。
後は仄かに瞬く星がその背後を彩っているのみだった。
敵の姿は何処にも見当たらない。
見当たらないというのに。
キィン!という水晶が震える音は、絶える事が無い。
巨大な水晶が、夜に揺れる。
まるで悲鳴を上げるように、揺れる。
ジョーフィアは見えない何かがその体を無言で打ち据えているような不気味さを、そこに感じていた。
だが、誰がこれをやっているのか。
それだけは、直感的に理解した。
「アマネジ・ミク」
大魔将は少女の名を口にする。
甘かった。
血湧き肉躍る戦いなどと、楽しもうと考えていた自分が甘かった。
無意識に、あれほどの強さを持つ彼女もまた
闘争に愉悦を覚え、そこに快楽を見出し、戦いの果てにまた戦いを望む者だと勘違いしていた。
違った。
彼女は戦士ではない。
ただ冷徹に確実に敵対者を仕留める狩人。
アマネジ・ミクが引いたのはただ不利になったからではない。
準備を整えれば確殺できると確信したからこそ――その手筈を揃える為に。
もう一度見えた時、このジョーフィアを完全に葬り去る為に!
「アマネジ・ミク!」
もう一度、その名を呼ぶ。
激情に駆られて発せられた少女の名前は、誰に聞こえる事も無い。
ただ水晶の揺れる音にかき消されていった。
大魔将、その遥か頭上。
夜の闇しか無いと思われた場所に、二人の少女は居た。
「マジですげえ威力……」
ニノンは呆然と呟いた。
今、彼女は未来に背負われ、遥か天高い場所に存在していた。
ぎゅっと未来の首筋を掴んで離さないように、手のみならず足まで使って彼女の体にしがみつき、落ちないようにしている。
その姿は、まるで母親に縋る子供のようだった。
だが、それはそんな甘く優しい光景ではない。
今の彼女たちが存在するのは、山より高い場所。
高度三千メートルを越える高空だった。
ここから落下した場合、魔法を行使したとしても生き残るのはなかなかに難儀であろう。
故に、切実だった。
落ちたら死ぬんだよぉ!と心の中で叫びながら、ニノンは必死に未来にしがみついていた。
そんな彼女の真下には、小さな赤い輝きが見えた。
巨大な大魔将の体。
それは遥か上空からではまるで点にしか見えない程に小さいが、それでも夜闇の中では一際輝き目立っていた。
そして未来は、背中のニノンの様子も微塵も気にしていないように空中に立っていた。
未来の
彼女もまた、遥か下の大地に存在するだろう大魔将の輝きをみつめていた。
その瞳には恐ろしい程に何も無い。
怒りのような情動の影は微塵も見えず、むしろその真逆。
機械的で無機質な、虫とすら形容できる透き通った眼が、大地を撃ち抜いていた。
「よし、次だ」
未来が空中に手を伸ばす。
闇に包まれたこの場に紛れるように、そこには黒い
ゆらゆらと蠢く黒い影が、空中に浮いている。
夜の闇の中にあっても、尚暗い。
そんな怪しいものがそこには有った。
未来は影に躊躇なく手を突っ込むと、そこから何かを引っ張り出す。
それは、数本の槍だった。
未来が事前に集めていた三十四本の武器。
その一部が手の中にあった。
未来は取り出した槍を、刃先が下になるように向ける。
そして慎重に、ミリを下回る精度で微調整を行う。
まるで弾丸を装填するように、未来は槍を構えた。
「じゃあ、行きますよ」
ごそごそと袖口から、ニノンは数本のスクロールを取り出した。
そしてぺいっ、と軽く放り投げる。
「
まず一言放たれる
その発声の間に、ニノンは手を伸ばし槍へと触れる。
「
そして続けざまに二つの
その三つの魔法は未来の手の中へと収まり、粗末な作りの槍を淡く光らせた。
「おっけぃ! いつでもどうぞ!」
ニノンの言葉を契機にしたように。
ばらり、と槍が未来の手の中から落ちた。
常ならば起こるであろう風切音すら、そこには無い。
未来の手を離れた直後は緩やかな落下速度であったそれは、ぐんぐんと加速していく。
三千メートルという長大な加速領域の全てを使い、重力というエンジンで駆けて、槍は進む。
槍は倍の速さで加速し、大地へと突き進んでいく。
速く、より速く。
何かに急かされるように速度を上げ続けるそれは、ついには音速を突破した。
それでも尚、槍は無音であり続ける。
空気抵抗の一切を失った槍は、音の壁などという障壁すら無視して進む。
それは最早単なる槍ではなかった。
ただ一撃、その身を捧げて放つ巨大な威力を持つ破壊兵器へと姿を変えていた。
僅か十秒と少し。
それだけの時間で、攻撃は大魔将へと到達した。
神速の槍と大魔将。
遂にその二者が邂逅した。
音速を越えた速度と、さらに
その二つにより蓄えられた運動エネルギーは、余すことなく大魔将の巨大な体に叩きこまれた。
木と鋼鉄により作り上げられたただの槍は、自らが内包した力に耐えきれず、瞬時に消し飛んだ。
まるで最初からこの世に存在しなかったかのように、粉微塵に砕け散る。
そしてそれと引き換えに、莫大な衝撃を巨大な水晶の表面に流し込んだ。
ダイヤモンドの硬度すら越える、大魔将の体。
その強度は音速を越える槍でも貫く事は不可能であった。
だがその表面。
そこには、確かに細かな罅が走り、その体を侵しつつあった。
キィン、と。
音と共に槍が着弾すると共に、罅は大きくなる。
そしてそれは表面に留まらない。
内部にも深く、広く。
徐々に徐々に浸透していく。
大魔将の巨大な体は、緩やかに、そして致命的に破断を重ねていった。
遥か上空では、未来が無表情に槍を地面に放ち続けていた。
「私は別に少年漫画の主人公じゃない」
そこには、一切の感情が映り込んではいない。
まるで能面のような冷たさで、ただ地面を見つめている。
「わざわざ技の応酬をするとか、一進一退の攻防とか、そんなのはどうでもいい」
ばらばらと。
槍が、大魔将を殺す致死の弾丸が、大地へと落ちていく。
世界という最強の味方との
「ただ、お前を確実に殺す。一方的に、反撃もさせず、戦闘すらしない。処分するだけだ」
その目には、ただ殺意だけが輝いていた。
今この時、この瞬間だけは。
「大魔将ジョーフィア。お前はここで死んでいけ」
天音寺未来は、ジョーフィアを殺す為のみを思考し続ける、殺意で動く機械であった。
六、七、八。
最早一桁を越え、十を上回ろうとする攻撃の前に、ジョーフィアも必死の抵抗をしていた。
「くそうっ!」
彼女は自身の
空気の圧縮。
それはジョーフィアが好む手段の一つだった。
ぎゅうぎゅうに押し込めたそれの一部拘束を解除すれば、それは不可視の弾丸――圧縮空気弾となって敵を襲う。
高圧なそれは見る事も防ぐ事もできない必殺の一撃だ。
そして、圧縮したまま体の周りに並べれば――それは厚い盾にもなる。
空気の層は摩擦を呼び、その摩擦が全ての攻撃を遮る。
それは見えない盾となり、ジョーフィアを守るのだ。
攻守共に使える優れた手段。
それが空気の圧縮だった。
ジョーフィアは
極厚を誇る、不可視の絶対防壁。
いかな大威力の攻撃だろうと、この盾の前には威力を減じるしかない。
キィィィィィィィィィン!
だが、そんな事はお構いなしとばかりに、槍は水晶を打ち据える。
一切の減衰なく、凶悪な威力を誇ったまま。
「な、何故じゃ」
防げるとは思っていなかった。
だが、威力を少しも削ぐ事ができていないのは、何故?
ジョーフィアは、未知の状況に混乱をきたしていた。
アマネジ・ミクは一体どのような攻撃を仕掛けてきている?
奴は何をしているんだ?
ジョーフィアは、理解できていなかった。
空気抵抗を消失させる
これがもし他の手段を用いた大威力攻撃であったのなら、確実に目論見は成功していただろう。
だが、未来の選択したこの攻撃は。
真空を纏った音速の槍は、この盾では防げない。
十二、十三、十四。
槍は、まだまだ止まらない。
そして遂に、その時が来た。
ビギィ!という鈍く一際鈍い音が、夜闇に響く。
大魔将の巨体が、異形の水晶が、縦に大きくひび割れていた。
上から下に、まるで寸断されるように、亀裂が入った。
「負ける?」
致命傷を受けたという警告が、ジョーフィアの脳内に響く。
もはや戦闘行動を続ける事は不可能だと。
この巨体は、破壊されると。
「負けるのか?
未だかつて、どの
それほどまでに、
光の民の力の根幹である魔法を封じ、
そして、単純に大きな体は移動するだけで莫大な破壊を引き起こす。
この災害のような力の前に、光の民は無力であった。
だがその闇の民の力の象徴が今、敗北しようとしている。
「ははは」
ジョーフィアの口からは思わず笑いがでた。
これが、笑わずにいられるか。
ただ人間一人が、軍勢でもないただの少女が、この儂を今倒そうとしているのだ!
その有り得ない事実に、敗北感より先に笑いが出た。
そして、一際大きな音が、夜を満たす。
パキィィィン、という軽やかにも思える音と共に。
大魔将の水晶の体が、粉々に砕けた。
まるで華が散るように、中にその赤い欠片を飛び散らせ。
きらきらと、遍く空に散るように。
赤い水晶の星が、空を満たした。
千々に分かれる水晶の欠片の中、鎧を纏ったジョーフィアの姿が露わになった。
ジョーフィアは空を見上げる。
やはり、何も見えない。
だがこの視線の先に、必ず彼女は居ると確信していた。
「アマネジ・ミク」
ただ静かに、何かを受け入れるように。
「お前の勝ちじゃ」
そう、一言だけ呟いた。
その言葉と同時に、槍がジョーフィアを打ち据える。
大魔将の躯体にすら罅を入れるその一撃は、彼女の鎧を砕き、中の肉体を一瞬で蒸発させた。
だが槍の攻撃は止まる事が無い。
完全に仕留めるとばかりに、まだ降り注ぐ。
二十を越えて、雨のように放たれた。
最早目標が砕け、それを見失った槍。
それはドン!、と響くような音を立て、地上を穿つ。
死した大魔将の体そのものすら消し去るように、執拗に降り注いだ。
ドン、ドン、と轟音を立てながら、槍は大地を抉る。
その攻撃は大魔将の砲撃程ではないものの、土を舞い上げ、そこに巨大な塔を形作る。
まるでダラマトナを破壊した返礼のように――それと同じ攻撃が、大魔将を襲った。
月の光に照らされる、土埃の中。
最早動くものは何も居なくなっていた。
決して誰にも討伐できぬと言われていた、魔族の最強戦力。
大魔将ジョーフィアはここに消滅した。