崩界のオブリテレーター   作:エチゼン鏡介

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第131話 夜に舞うは、紅き星

 その遥か上空。

 

 ニノンは視力強化(イーグルアイ)を起動した大きな丸眼鏡(ウィッチグラス)越しに、その光景を目撃していた。

 

 

 

 大魔将の撃破。

 

 

 

 魔王胎動が始まって十余年。

 人類に辛酸を嘗めさせてきた最強戦力が今、眼下で粉々に砕け散っている。

 

「本当にやりやがった……」

 

 どこか浮ついた呆然とした声。

 

 まるで自分のものではないようなそれを聞きながら、その光景から目を離せない。

 

 きらきらとした無数の水晶の欠片と土埃が一体となり、もうもうとした光る煙が大魔将の居た辺りに展開されていた。

 

 正直な話、ここまでとは思っていなかった。

 

 大魔将に大打撃を与え、動きを止める。

 

 その程度の成果は間違いなく引き出せるだろうし、止めは未来自身が行うものと考えていた。

 

 だが違った。

 この少女は大魔将に近づく事無く、戦闘すらさせず、一方的に蹂躙した。

 

 あまりの手際に恐ろしさや畏敬を感じる事すら憚られる。

 ただ驚愕という一つの感情だけが、彼女の心を塗り潰していた。

 

「念の為三十本以上を用意してきたが」

 

 当の本人は飄々としたものだった。

 

 自ら達成したこの偉業の価値を一切理解していないように、常と変わらない振る舞いがそこには有った。

 

「ちょっと()()()過ぎたかな。二十もあれば十分だったか」

 

 ふむ、と少し考え込むような素振りを見せた少女の姿は、滑稽ですらあった。

 

「もう少し喜ぶとかなんとか、無いんですかそういうのは」

 

 あまりの平静さに、ニノンは思わず突っ込んでしまった。

 勝利の達成感が、あまりにも見て取れなかった。

 

 自分はこんなにも心を震わせているというのに。

 

「別にどうという事はないさ」

 

 未来が眼下を見つめる視線は、どこまでも冷たい。

 冷ややかで、無感情で、無機質。

 まるでカメラのような均質さを感じさせるものが、そこには有った。

 

「ただ、排除すべき相手を然るべき手段で下した。それだけだよ」

 

 ふう、と少しだけ小さく息を吐き、一步。

 未来は空中を下った。

 

「大きいとか強いとか、そんな事は問題じゃない。倒せる相手を倒した。結果だけ見ればいつもと何も変わらないさ」

 

 背中にしがみつくニノンには誰よりも判っていた。

 

 今の未来は平静そのものだと。

 

 心臓の高まりも猛々しい昂りも何も備わっていない。

 彼女が感じる温もりは、いつもとまったく同じ。

 

 きっと彼女にとっては、この光景ですら日常の一部なのだろう。

 

 その事が少しだけ恐ろしかった。

 

 

 

 何も無い空を、ゆっくりと二人は降りていく。

 

 未来の恩寵(チート)は透明なステップを次々と作り出し、彼女たちを地上へと誘った。

 

「ああ、ようやく降りられるぅ」

 

 安堵の溜息がニノンの口から漏れた。

 

「正直生きた心地がしませんでしたよあたしゃ」

 

「済まなかったね」

 

 未来も少し苦笑している。

 多少無理をさせているという自覚は彼女にも有った。

 

 なにせ高度三千メートルを越える高さで自分にずっとしがみついていてくれとは、かなりの無茶振りだ。

 高所恐怖症の人間なら間違いなく卒倒する要求だっただろう。

 

「私もね、高い所は好きですよ。天才だから」

 

 ふむん!と少し自慢げにニノンは言う。

 まあ確かに好きそうだよな、天才が理由じゃないけど、未来は内心そう思った。

 

「でも流石にね、この高さは生きた心地がしないんですよぉ! 山より高いってどんだけですか!?」

 

「威力と命中精度を兼ねるなら、あの高さがベストだった」

 

「そりゃ説明で聞いてましたよ、聞いてましたけど!」

 

 ぎゅう、と一際首筋を抱く力を強めた。

 

「実際やってみたら想像以上だったんですよぉぉぉぉぉぉ!」

 

「良い経験になったな。次に活かそう」

 

「もう一度やる事有るのこれ!?」

 

 勘弁して欲しいなぁー、とニノンは本気で思う。

 こんなの一生に一度で沢山だ。

 

 ――でも。

 

 徐々に下る内、きらきらとしたものが周囲に舞い始めたのに、ニノンは気づいた。

 

 赤く煌めく、細かな粒子。

 それは大魔将の砕けた残滓だった。

 

 巨大な水晶は末端まで粉々に砕け散り、闇の空に散った。

 

 そしてそれは赤き雪の如く舞って、今こうして輝いている。

 

 それは、望外の勝利を祝っているかのようだった。

 赤い光が二人を包んでいる。

 まるで祝福するように。

 

 遠くには人の営みが発する光が微かに自己を主張し、空には星が瞬いていた。

 それを淡い月の輝きが優しく照らす。

 

 幻想的で美しい、きっとこの瞬間にしか見られない光景だった。

 

 ――まあ、この光景は悪くないですね。

 

 誰に顧みられる事も無い、報酬の無い戦いだった。

 それでもこの光景が報酬ならば多少はやった甲斐が有ったと、ニノンにはそう思えた。

 

「しかしまあ、本当にばっちりなタイミングで到着できましたね私達」

 

「確かに」

 

 二人がジョーフィアの上空に到達した、その時。

 

 眼下ではちょうど神殿騎士達が蹂躙されている最中であった。

 

「まあ、下の人達はご愁傷さまでしたけど」

 

 ジョーフィアと戦っていた集団が何者かは、未来達に知る術は無かった。

 だがその存在が上手く大魔将を足止めし、彼女達が狙いを付ける時間を確保したのは事実だった。

 

「どちらにせよ助けるなんて無理でしたから、大魔将倒すお手伝いが出来たって事で満足して天に帰って欲しいですね」

 

「それが少しでも慰めになると良いがね」

 

 本来であれば、未来とニノンはもう少し遅れて参戦するはずだった。

 グリの引く荷馬車の速度では大魔将の下へと辿り着くにはあと数時間は必要。

 

 だが――

 

 

 

 一刻程前。

 

 トトの恩寵(チート)で大魔将を追跡する三人は、遂にその影を捉える事に成功した。

 

「あ、あれです!」

 

 御者をしていたトトが指を指す先には、米粒のように小さな赤い光が有った。

 

「あー確かにあれっぽいですね。派手に光ってますし」

 

 ようやくかあ、とニノンは荷台に寝っ転がった。

 揺られながら巻物(スクロール)を書く事数時間。

 それが報われる時が遂に来た。

 

「あとはギリギリなとこまで近づいてから上に回るって事で良いんですよね?」

 

 そうニノンは隣の未来に確認する。

 

 その未来は大魔将の姿を見て、なにやら考え込んでいるようだった。

 

「あの、未来さん?」

 

「ふと考えたのだが」

 

 未来が何かを思いついたように、ニノンの方を向く。

 

「この時点で大魔将の姿は捉えているわけだから、トトのナビゲートはもう必要無いという事になる」

 

「まあ、そうですね」

 

「だったら」

 

 ほら、と未来が言う。

 

「あの健脚(ロングストライダー)とかいう魔法をかけて貰ってここから走れば、大分早く到着できるんじゃないか?」

 

「何思いついてんだテメェ!」

 

 ニノンは思わず叫んだ。

 有効だよ。

 とてつもなく有効だよそれ。

 

 でもわたしゃあんたの全力の走りを体感したくねえんだよ!

 

 そんなニノンに、未来は優しく手を置いた。

 

「よし、やろうか」

 

「もう決定事項かよ! 私の意思は何処にあんだよ!」

 

「君の頭の中じゃないかな」

 

「そういう問題じゃねえよ!?」

 

 あの二人からの私の扱いはなんか雑な気がする。

 多分信頼からの雑さだろう。

 ニノンはそう自分を納得させた。

 

「とにかく、あの魔法をかけて貰えれば私なら一時間かからず到着できるはずだ」

 

「え、何それ怖いです」

 

 未来の発言にトトが本気でドン引きしていた。

 馬より遥かに早い人間ってなんです?

 

「また何時あの砲撃を撃つか、誰にもわからない。なら一秒でも早く辿り着いて奴を止めるべきだ。そう思わないか?」

 

「そう言われると弱いですね」

 

「まあ、あんなの何回もやられたら堪らんのは確かです」

 

 二人が――まあ半分渋々と――納得したのを見て、未来は満足げに頷く。

 

「では行こう。ニノンはこいつを収めてくれ」

 

「へいへーい」

 

 未来の言葉に答えるように、ニノンは詠唱を始めた。

 

異次元収納(ディメンションポケット)

 

 そう唱えると、ニノンの杖の先に黒い()()が形成された。

 

 空に浮かぶ影。

 

 そうとしか形容できない不可思議なものが、そこに存在していた。

 

「数時間くらいは収納可能なんだったな?」

 

 未来がそう言いながら、その影に槍をぽんぽんと放り込んでいく。

 影はまるで飲み込むように、その槍を虚空の内へと消し去って行った。

 

「そうですね。私ですから半日くらいは行けるので途中で解除されたりはしないですよ」

 

 異次元収納(ディメンションポケット)は一時的に物体を精神世界(アストラルサイド)へと保管する魔法だった。

 恒常性が有ればとてつもなく便利な魔法となっていただろうが、残念ながら時間制限が存在する。

 それでも手ぶらで大量の物品を持ち運びできるので非常に有用な魔法と言えた。

 

 この魔法が無ければ、未来は大量の槍も抱えて走る羽目となっていたのだから。

 

「それじゃ、行ってくる」

 

 槍を収納し終わった未来がニノンを背負い、トトへ軽く手を上げた。

 

 これから人類の宿敵と戦いに行くとは思えない、軽い態度。

 

「ご飯作って待ってるですから、すぐに帰って来るですよ」

 

 トトはもう、心配する事も嘆く事も止めた。

 未来は必ず帰って来ると信じていた。

 

 だから、ただいつも通り待っていれば良い。

 

 そう、心から思った。

 

「欠食児童が騒ぐから、沢山作っておいてくれよ」

 

 そう言って未来は空中へ、星へ向かって駆け出す。

 

 空の上から「誰がじゃー!」という叫びが聞こえたような気がしたが、トトは聞かなかった事にした。

 

「いってらっしゃい」

 

 トトは軽く手を振り、見送った。

 その顔は、ほんの少しだけの笑顔が浮かんでいた。

 

 

 

 思えば感動の欠片も無い出撃だったなあ、とニノンはさっきの事を思い返していた。

 

「正直生きた心地がしなかったですけどね、私は」

 

 人間の限界を倍以上越えた速度で、さらに高く上空へと駆け上がる。

 こんな恐怖体験をした人間は歴史上存在しねえだろうなとニノンは自嘲した。

 

「危うく女の尊厳を失う所でしたよ。本気でヤバかった」

 

「正直ちょっと申し訳ないと思ってる」

 

 とん、と。

 

 話をしている間に、二人はついに地上へと辿り着いた。

 

 そこには、大きなクレーターが一つ。

 ただ、それだけしか無かった。

 

 大魔将の姿は何処にも無い。

 その巨体全てが赤い星に変わって散らばったかのようだった。

 

「勝ったんですね、私達」

 

 二人の勝利。

 

 そして、人類にとって大きな勝利。

 

 それを、ニノンは本当の意味で今実感した。

 

「ああ。勝ったさ」

 

 未来も柔らかく笑う。

 

「私とニノンで勝ったんだ」

 

 一人では勝つ事が非常に困難な相手だった。

 ニノンという相棒が居たからこそ、完勝できた。

 

 未来はその事を誰よりもよく理解していた。

 

「さて、帰ろうか」

 

 未来は静かに踵を返す。

 そして、ゆっくりと歩きだした。

 

「トトが夕食を作って待っている」

 

 彼女を待つ、小さな先輩の下へ。

 

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