いきなり現れた女性の姿に、イリスは一瞬思考が停止した。
――一体何処から? というか誰?
つい先程まで、周りには人の姿なんて何処にも無かったはずだ。
なら一体どこからこの人はやって来たの?
「誰だか知らないけど、早く逃げなさいよ!」
イリスは思わずそう叫ぶ。
誰だか知らないが、この状況で突っ込んでくるなど無謀に等しい。
「このままじゃ殺されるわ! 余計な事してないであっち行きなさい!」
こんな最悪なおせっかいも有ったものじゃない、とイリスは思う。
自分の為にわざわざ誰かに死にに来て欲しいとは思わない。
余計な正義感など発揮しないで、見捨てれば良かったのに。
本当にどいつもこいつも。
なんでこう分からず屋が多いのだろう、自分の周りには。
「私は話し合いをしに来ただけだ」
だが目の前の女性は、なんの恐れも無く飄々とした態度を崩しはしなかった。
後ろ姿しか見えないが、おそらくその表情も涼しいものだろうとイリスは思った。
それ程までに、なんの気負いの無い姿がそこには有った。
「何か諍いが有ったのなら、まずはお互い妥協点を探るべきだと思わないか? 暴力で何事も解決しようというのは浅ましい事だ」
そうだろう?
彼女はそう言って、少し肩を竦めた。
「ばっ」
だから横から口を挟む奴は嫌なのよ!
イリスは思わず歯噛みした。
「バッカじゃないの!? この状況で何言ってるわけ!?」
単なる刺客なのだから、私を殺すまで止まりはしない。
誰がどう見てもそういう状況なのだから、話し合いも何も有ったもんじゃないだろう。
それくらい普通ならわかりそうなものなのに。
こいつはどんだけ頭お花畑なのか、それとも馬鹿なのかと、イリスは頭を抱えた。
それを証明するように、男たちはじりじりと間合いを測り、剣を掲げる。
――あ、ヤバい。
そう思うより早く、男が一人、女性に向かって踏み込んだ。
単純な大上段よりの斬り下ろし。
攻撃の中で最も早く、最も威力が有るそれは、一刀で決める前提であれば最適解な選択であった。
天に向かって掲げられた剣先が、弧を描いて女に迫る。
その速度は風のように速く鋭い。
常人であれば目にする事すら叶わない程の、苛烈な剣閃だった。
その次の瞬間の出来事に一番驚いたのは、剣を振るった本人だった。
刃が脳天を捉える刹那、
体が反転し、後ろを向いていた。
「何か行き違いが有るから、もう一度だけ言おう」
女の手が彼の両肩に乗っている。
その感触は柔らかく、しかし鉛のように重かった。
振り切った剣の先は、虚しく地を指している。
何が起こったのかわからず、男の背にはじんわりと汗が滲んでいた。
「私は話し合いをしたいと言っている。言葉は正確に理解して欲しい」
柔らかい鈴のような声。
だがそれは圧倒的な圧力を持っているように、イリスには聞こえた。
これは宣告だ。
彼女はそう直感した。
それは男たちも同じだっただろう。
だとしても、彼らの行動は変わらなかった。
残り三人が一斉に剣を振り上げ、各々違う軌道で斬りかかる。
袈裟が一つと横薙ぎ二つ。
逃げ道を塞ぐような斬撃が、女を取り囲もうとしていた。
それを見た女はただ一言。
「そうか」
そう口にし、ゆるりと動く。
掴んでいた男の肩をとん、と押すと、他の三人をまるで押しのけるように軽くぽんぽんぽん、と退けた。
まるで老人のような緩慢な動き。
だと言うのに、互いが示し合わせたように剣は女の体を逸れ、そして女は男たちに軽く触れていく。
そして触れられた男たちは、まるで魂が抜かれたようにばたばたと倒れていった。
出来の悪い
それが、イリスの目の前で繰り広げられていた。
「暴力は嫌いなのだが、致し方ない」
やはり女は涼しい顔のまま、そう告げた。
「君たちがそれを望むというなら、こちらもそれで答えるのは吝かではない。生憎、こう見えて私も人並みにはできるつもりなのでね」
物言わず倒れる三人。
「うう……」
そして呻き声をあげる男が一人。
全員が、地に伏していた。
「大丈夫だったかな?」
くるりと、女が振り向く。
そこでようやく、イリスは女の顔をきちんと見る事ができた。
柔和な笑みを浮かべた、たおやかな女性。
第一印象は、そんな感じだった。
暴力の欠片も感じさせない、そんな風貌。
だが目の前で起きた出来事は、むしろそれとは真逆であると告げていた。
光神征律拳の使い手であるイリスには、それが達人の業であると十二分に理解できていた。
何を言うべきなのか言葉が出ず、ただこくこくと無言でイリスは頷いた。
「一人は残しておいたのだが」
ちらりと、女が倒れた男を見る。
「無駄足だったかな、これは」
生かしておいたはずの男は既に事切れていた。
口から血を流し、目は上を向いている。
隠し持っていた毒をあおったであろう事は、想像に難くなかった。
「口を割らされたり、記憶読まれたりするのを警戒したのよ」
うんざりしたようにイリスは言う。
「命張る覚悟で来てんのよこいつらも」
「ふむん」
女は思案顔をして、一声唸る。
「どうにも思った以上に複雑な事情が有りそうだ。詳しい話を聞きたいが」
ぽん、と女がイリスの肩を叩く。
そこでイリスは初めて、自分の体が細かく震えている事に気づいた。
「少し休んでからにしよう。仲間もこちらに向かってるからね。皆と合流して、まずは食事にでもしようじゃないか」
暫くして、トトとニノンを乗せた荷馬車がやってきた。
「おーい」
荷台の上からニノンがひらひらと手を振っている。
「まあ心配してなかったけど、大丈夫だったんですね」
「この程度の相手なら特に気にする程でもないからね」
この程度じゃねえよ!
ニノンは心の中で毒づいた。
おそらく手練だろう四人。
向かい合っての交戦であったなら、自分だったら苦戦は免れないだろう。
それを散歩するかのように突っ込んでいって処理する方がおかしい。
うん、私はおかしくない。
「この程度……?」
後ろに居る巫女らしき少女も、首を傾げている。
うん、その反応が欲しかった。
それが普通なんだよ普通!
「とりあえずここらで一旦休憩にしよう。彼女も襲われて心身ともに疲れているだろうからね。休ませてあげよう」
その未来の言葉に、少女ははっと何かを思い出すと、佇まいを正す。
そして三人に向かい優雅に一礼をした。
「この度のご助力、ありがとうございました。私はイリス。ヴェリス大神殿に席を置く巫女でございます」
しずしずと頭を下げる様子は、なるほど貞淑な巫女であると思わせる姿だった。
「大神殿の巫女……道端での襲撃……」
胡乱げな目をして、ニノンが呟く。
「どう考えてもやっぱ超厄ネタだよなあ……」
「厄ネタで悪かったわね!」
うがー!とイリスが食って掛かる。
「そうよ厄ネタよ! 正直私には関わるだけ損だと思うわよ!」
「こっちが素かあー」
きちんと公私分けるタイプの子なんだなあ、とニノンは思った。
まあ、彼女としてはこういうタイプは嫌いではなかった。
「どうでもいいですけど、まずは飯の準備するです」
トトが御者席から飛び降り、荷台を漁る。
「お昼にはちょっと早いけどいいタイミングです。未来が言う通り話は休みながらするですよ」
何時も通りの煮込みスープと固いパンで、四人は少し早い昼餉を取る。
「聖女候補!?」
食事の最中イリスの身の上を聞いている内、とんでもない言葉が飛び出してきた。
「聖女……聖女……?」
聖女と聞くと、虫も殺せぬ慈愛に満ちた女性というイメージが有る。
だが目の前のイリスという少女はそれとは正反対、どちらかと言うと快活で勢いの有る性格のようにニノンには見えた。
「言っちゃなんですけど、似合わねえ」
「正直私自身そう思ってるから、言われても仕方ないと思うわ」
パンを齧りながら、イリスはそう答えた。
「まあ、色々と条件が有るんだけど……それに上手く重なっちゃって、祭り上げられたって感じよ」
その声色には不本意だったという色がありありと浮かんでいた。
彼女自身、何故自分がという思いが消えていないと透けているようだった。
「でもそれなら余計解せないですね」
うーむとニノンは腕組考える。
「聖女ってかなり権威有る役職ですよね? その候補者殺そうとする所なんて居そうに無いですけど」
だってねえ、と彼女は続ける。
「
「トトも勇者物語で読んだこと有るです」
昔読んだ絵本の内容をトトは思い出す。
「勇者の傍にはいつも聖女が居たって書いてありました。すごい偉い巫女さんです」
「なんですよ。だから謎過ぎて」
「ふうん?」
勇者に聖女。
物語には良く有る組み合わせだな、と未来は思った。
それに権威的にも神の代弁者である聖職者が勇者に侍っているのは色々と都合が良いだろうとも考える。
勇者の行動に宗教的な権威を与え、それを正当化する。
効果的なやり口だな、と彼女は納得した。
「本来ならもう聖女に内定してた巫女が居たの」
そう、イリスは切り出す。
「でもその人が突然行方不明になって……それで、突如新たな聖女候補を選定しなきゃならなくなったの」
「それで選ばれたのがイリスか」
未来の言葉に、イリスはこくりと頷く。
「これが私一人なら話が早かったんだけど」
イリスは心底うんざりしたように言葉を続けた。
「候補はね、もう一人居るのよ」
「あー」
あーあーあー、とニノンは何かに納得したように声をあげた。
「そういう事ですか」
「どういう事ですか。説明しろですアホの子」
「だからアホの子じゃねーよ」
訂正しつつ、ニノンはトトに向かって説明を始めた。
「多分こういう事ですよね。突如聖女候補が居なくなった。で、光神教としては急遽代わりの候補を選定しなきゃならなくなった」
でも、とニノンは言う。
「おそらく、政治的理由ですよね?
「ほへー」
説明されているトト当人は、良く分かっていないようだった。
彼女からすれば派閥?政治?という感覚なのだろう。
まあ
「新しい聖女を輩出した側が今後の主導権を握れる。だから自派閥の聖女候補にはどうしても勝って欲しい。という事でトトさん」
にやりと意地悪い笑みを浮かべて、ニノンがトトに問いかける。
「この場合、どうすれば必ず勝てると思いますか?」
「えっと、そうですね」
いきなり話を振られたトトはあたふたしながら、何とか答える。
「すごい巫女を連れてくれば良いんじゃないです? だったら絶対勝てるです」
「うーんいい子の回答」
五十点かなあ、とニノンは零す。
「まあ、間違ってはいないですよ。でもそれでも、絶対じゃないです。相手が連れてくる巫女の方が優れていたらその時点でアウトですから」
「単純な話だよ、トト」
助け舟を出すように、未来が言う。
「競っているなら、競っている相手が居なくなれば自動的に勝ちなんだよ」
その言葉に、ん?と驚きの表情をトトに浮かべる。
「それって」
「そう、そういう事だよ」
未来はちらりとイリスを見る。
「競っているのが二人だけなら、片方を殺せば確実に勝利できる。よく有る話さ」
「という事なんですけど、有ってます?」
ニノンの問いかけに、イリスは渋々という感じで頷く。
「まあ、大体合ってるわ」
内心全部見透かされてるな、と思いつつ、イリスは言葉を続けた。
「私は礎石派が出した候補なのよ。襲ってきたのはまず間違いなく牽引派。あいつらは何がなんでも勝ちたいのよ」
イリスは最初から理解していた。
自分が殺される確率が高い事。
おそらく生きて帰ってこれない事も。
「だって前の聖女候補、大巫女のアウレリア様も牽引派だったんだもの」
アウレリア。
その名を聞いた未来の顔がほんの僅かだけ表情を変えた事を、誰も気づいてはいなかった。