イリスに雇われる事になった一行は、彼女を加え再び荷馬車を走らせる。
「流石に三人だとちょっと手狭ですね」
前の御者席には御者を交代した未来。
後ろの荷台にはトト・ニノン・イリスが座る事となった。
元々馬一頭で引ける程度の大きさの荷馬車。
人が三人に加え、諸々の荷物も加えると乗るのにギリギリと言ったところであった。
「もうちょっと大きめの荷馬車を買うべきかもしれないな」
これは流石に狭いだろうとは未来も思っていた。
落ちないように手前側に三人が座り。
馬車の後ろの方に荷物を置いているが、これが降りる時また面倒だった。
いちいち荷物を退かし、道を開け、そこに出来た細い溝を伝うように降りなければならない。
実に面倒な状況だった。
「まあ拾い物ですからねえ、これ」
ぺしぺしと車体を叩き、ニノンが言う。
「煤けてますし、新調は考えて良いかもしれません」
「お金無いって言ってんのに、荷馬車買う余裕なんかあんの?」
イリスの当然の疑問に、ニノンはしれっと答える。
「こういう状況だからお金が幾ら有っても足りないんですよぉー」
なにせ、と。
「私達、ルグンドの方から来たんで」
「ああ……」
その一言で、イリスも察したようだった。
ルグンドに魔族の大侵攻が有った事は、知らない者が居ない程に周知の事実だった。
そこから来るという事は、なんらかの被害に遭って逃げてきた。
そう考えられた。
「あんたらも苦労してんのね」
「まあ色々大変でしたね」
ほんとに、とトトが実感のこもった深い溜息と共にそう言った。
「あっという間に街が消えましたし……」
ほんの数日前の事を思い出し、トトの目に僅かに涙が滲んだ。
あの惨劇の記憶は未だ鮮明で、少女を苛み続けていた。
「そう……大変だったのね」
トトの様子に悲しみの影を、イリスは見出したのだろう。
彼女は懐から何かを取り出すと、そっとトトに手渡した。
「良かったらこれ使って」
「ありがとう」
そう言ってトトが受け取ったのは。
「です……?」
立派な文様が彫られた、柄が木製のハンドグリップであった。
「なんです、これ?」
「心が弱っている時は、体を鍛えると良いわ」
目に一点の曇りも無く。
聖女候補は、なんの迷いも感じさせずそう言った。
「体が強くなれば、心も強くなる。そうやって悲しみを乗り越えるのよ」
「何言ってるですかオメェ」
この時トトは直感した。
やべえ、変な奴がまた増えた、と。
「え、使い方分からない? これはこうやって握って」
「そういう問題じゃねえですよ?」
しまった、こいつも問題児だ。
どうして自分の周りにはこういう奴が集まるのだろう。
さっきまでの悲しさも吹っ飛び、トトは本気で悩んだ。
「聖女様って言う割には随分脳筋思考ですね」
うへえ、と嫌そうな顔でニノンはハンドグリップを見つめている。
「もっとエレガントに行きましょうよ。私みたいに」
なお今のニノンは干し肉を齧りながらだらっと御者席の方にもたれ掛かり、未来の髪をいじいじしていた。
そこにはエレガントさの欠片も存在しなかった。
「ニノンだっけ。あんたも線が細すぎるわよ」
イリスはぐっと拳を握り込む。
「もっと鍛えなさい。全ては健康からよ」
「あんたは頭を鍛えた方が良いんじゃないですか?」
あからさまに脳筋っぽいし、とニノンは思った。
「馬鹿にすんじゃないわよ」
ふん、とイリスが言う。
「こう見えてもわたし、頭脳派よ」
「ほほう」
頭脳。頭脳と来たか。
なら負けるわけにはいかないなあ!
ニノンの眼鏡が怪しく光った。
「じゃあ勝負しましょう」
くい、と
「
数十分後。
「くっ、負けた!」
イリスが悔しそうに、どん!と荷台の床を叩く。
長時間の激闘の末、勝利したのはニノンだった。
しかし――
「まさかここまでやるとは」
ニノンはニノンで、額に汗を滲ませていた。
脳筋なんて五分も有れば泣かしてやりますよ。
彼女はそう思っていた。
だが蓋を開けてみれば、この聖女候補は中々強かった。
経験から来る老獪さとも言える打ち筋、そして読み。
決して楽な相手ではなかった。
「認めましょうイリスさん。貴方がただの脳筋ではないと」
「脳筋は決定事項なのね……」
まあいいけど、とイリスは頭を掻きながら答える。
「ショギュイはシスター達とも結構やったから、得意ではないけど弱くも無いのよ」
「まあ眼鏡に最初から入ってますもんね、これ」
通信対戦ショギュイは大抵
その為、老若男女問わず暇つぶしのゲームとして良く遊ばれていた。
「トトは良くわかんなかったけど、面白かったです」
横から観戦していたトトが、すげー!と軽く興奮状態で騒いでいた。
「こういうのトトはやった事無いです。ポンスさんが好きだってのは聞いたことあったですけど」
「今どき珍しい子ね」
不思議そうにイリスが首を傾げるが。
「この子、つい最近眼鏡買ったばっかなんですよ」
「ああ、なるほど」
目の前のニノンは
そういう事も有るだろうとすんなり納得した。
「じゃあトト! わたしがあんたにショギュイを教えてあげるわ! どうせ暇だしね!」
「お、いいですか? じゃあお願いするです」
キャッキャと騒ぐ少女二人の様子を、未来は背中で感じて微笑んでいた。
「なかなか仲良くやれそうじゃないか、彼女」
「付き合ってて嫌なタイプではないですねー」
ニノンは手持ち無沙汰に、未来の黒髪の先を適当に三つ編みにして遊んでいた。
中途半端な三つ編みが何個も未来の髪先にぶら下がっている。
「あ、そろそろ切れるな」
ぱかぱか走るグリに、ニノンは
この魔法のお陰で今日も野営はしなくて済みそうだった。
「目的地はヴェズレー、だったか」
「そう、ヴェズレーよ」
未来の言葉を聞きつけたイリスが、そう言葉を挟んでくる。
「そこが次に回る
聖地。
それが、イリスの目指す場所だった。
「そこを回ったら最後の聖地、
聖女になる為の試練。
それは、
聖地は数多存在するが、その内の五つ。
そこを巡り
それをどちらの候補が先に達成するかを今競っているのだという。
そしてイリスが既に回った聖地の数は四。
あと一つで、聖なる山へと登る資格が得られるという状況だった。
「聖地巡りねー」
ふうん、とニノンは干し肉をがじがじと齧る。
「しかしなんでこんな終盤に襲ってきたんでしょうね。もっと早くやってりゃ良かっただろうに」
「推測は立つが」
おそらく、と前置きをして。
「早すぎれば、流石に牽引派の関与を疑われやすい。あまりにも露骨過ぎるからね。だがある程度進んだ段階でなら」
「事故に見えなくもない、ってとこですか」
「理由の一つとして考えられるのはそれだ」
巡礼が佳境に差し掛かり、不幸にも殺されてしまった。
勝負が始まっていきなり死にましたよりは大分納得がしやすい。
疑惑が出るにしても、まだ躱せる範囲だろう。
未来はそう考えた。
「他にも意識が緩む瞬間を狙ったとも考えられる」
「意識の緩み、ですか?」
そう、と未来は言う。
「最初は襲撃なんかを警戒してるだろう? でも一箇所二箇所回っても何も無い。そうなると人間は慣れてくるわけだ」
緊張感を四六時中、毎日持ち続けられる人間は居ない。
何も無い毎日が続けばどうしても気は緩んでくる。
「そうすると、もうやってこないんじゃないか、って考えが強くなってくる。どんなベテランだろうとね」
「そこで緩んだタイミングを見計らって襲撃ですか」
「ガチガチに警戒してる所に突っ込むよりはずっと成功率が高いと思うよ」
他にも、例えば内通者を作ってから襲撃したという線も有り得る。
今回全滅に近い結果を得ている事から、これが一番あり得るのではないかと未来は考えていた。
前に挙げた二つは可能性としては有るものの、この程度の事を聖女候補を運ぶという選びぬかれた護衛が想定していないとは考え辛い。
だから、より悪辣な方法で襲撃されたのだと予測がついた。
だがその思考は言葉に出さず、ただ胸の内に仕舞う事とした。
「確かにわたし達も、牽引派が邪魔してくるんじゃないかとは思っていたわね」
イリスは旅の最初を思い出す。
とにかく顔を出すな、慎重に動けと護衛の傭兵にはきつく言われたっけ。
「でもずっと問題無かったもの。油断が無かったとは、言えないわ」
そんな堅苦しい様子も、旅が進むと少し和らいだ。
お付きの子が交渉してくれて、すこしばかり自由になったのだ。
ちょっとずつ開放的に、注意を払わなくなっていった。
その結果があの襲撃と、全滅。
「もっと気を引き締めるべきだったわ。これは遊びじゃないのに」
こうして落ち着いてみると、悔やんでも悔やみきれない。
イリスの心には、後悔の念が渦巻いていた。
「ま、私達も重々気をつけますよ」
ニノンはそう言うが、この三人には油断もクソも無い。
トトという最強の悪意レーダーが存在する以上、奇襲はほぼ無効化されているのと同然だからだ。
そして傍らには常に未来かニノンが付いている。
どちらも方向性は違うが、常人から突出した能力の持ち主。
トトを害されるような状況にやすやすと陥らせるわけがない。
もしもう一度襲撃が有るとしても、この三人を崩すのは要塞を一人で制圧するより難しいだろう。
「大船に乗ったつもりで、とまでは言わないが」
謙虚に、しかしはっきりと。
「だが君を必ず目的地まで連れて行ってみせるよ」
未来はそう断言した。
イリスはそんな未来の言葉を、ふうん、とやや訝しげに飲み込んだ。
「少しは期待してるわ。だから、頑張りなさい」
ほんのちょっと。
イリスは柔らかく笑ったように、ニノンには見えた。