崩界のオブリテレーター   作:エチゼン鏡介

148 / 150
第142話 巫女が祈りて

 女性の元へ、一人の下働きの少女がやってくる。

 

 その様子に女性は少し顔を緩ませるが――

 

「ああ、お願いします! この子に早く祈り(オラティオ)を!」

 

 母の必死な願い。

 だが少女は、悲しそうに首を振った。

 

「今祈り(オラティオ)を待つ方が、列を為しているのです」

 

 そう言って少女は周囲を見渡す。

 ここに居る年若い女性達。

 それは、皆あの女性と同じように子を連れてきた母親達であった。

 

「おそらく祈り(オラティオ)が受けられるのは、日を跨いだ後かと」

 

「そんな……」

 

 女性の顔が絶望に染まる。

 神殿に来ればなんとかなる。

 きっとそういった希望を抱いてここまで走ってきた彼女の救いは、しかし無惨に砕かれようとしていた。

 

「こちらも死力を尽くして神の慈悲を乞うているのです」

 

 そう言う少女の顔も、良く見れば目の下に隈が出来ており、満足に休めていない様子が見て取れた。

 

 彼女らも救いたいのだ。

 だがそれを為すだけの力が、この神殿には備わっていなかった。

 

 

 

 すっと、一步。

 

 

 

 進み出た影が有った。

 

「ふん」

 

 傍で話を聞いていたイリスが、面白くなさそうに一步前に出た。

 かつ、と床を踏みしめる音が、やたらと周囲に響き渡る。

 

 そして天高く右手を掲げると――

 

「しゃあっ!」

 

 可愛らしい少女のような声色。

 だがそれは力強く、野太く、腹の底から響くような音だった。

 

 そしてそれに呼応するように、天から光が降り注ぐ。

 

 きらきらと、病める幼子を包み込むように、その光は舞っていた。

 

 その様は美しく幻想的。

 それでいて、どこか強さを感じる光に見えた。

 

 女性の手の中で苦しそうに喘いでいた赤子が、みるみる内に生気を取り戻していく。

 赤く腫れ上がった顔は可愛らしく整ったものに、目はしっかりと前を見据え、きょとんとしながらも健やかな呼吸を始める。

 

「ああ……」

 

 子の姿に、女性が涙を流した。

 安堵と感謝、畏敬。

 多くのものが涙となって、床に落ちた。

 

「ありがとうございます、ありがとうございます!」

 

「感謝なんて要らないわ。全ては至天神の思し召しよ」

 

 堂々とした佇まいで、イリスはそう言った。

 そして下働きの少女に向き直ると、やや目を鋭くして告げる。

 

「この程度の祈り(オラティオ)、ばんばん届けられないようじゃ信仰心が疑われるわよ。ヴェズレー(ここ)の神殿の威信にも関わるわ」

 

 そう言うイリスの顔は、とてつもなく不機嫌なものだった。

 なんだこの体たらくはと言いたげな、少女とは思えぬ渋面。

 それが彼女の可愛らしい顔に浮かんでいた。

 

 言われた少女はただ縮こまるしかない。

 彼女(イリス)が誰だかはわからない。

 だがこの祈り(オラティオ)の強さ、尋常な立場の人間では無いと理解させられていた。

 

 病苦を一瞬で、しかも単独で癒す程の祈り(オラティオ)の使い手。

 そのような巫女が、この神殿はおろか辺境の地に居ようはずがない。

 

 中央に近い、大巫女のようなエリート。

 

 そう気づくと、少女の顔色がさっと変わった。

 

「も、申し訳ありません」

 

 彼女はただ反射的にそう零していた。

 もし自分が考える通りなら、今の状況はあまりにも見られたくない醜聞に満ちていた。

 

「謝罪はいいわ」

 

 イリスはそんな少女の言葉を斬り捨てる。

 

「それよりも、いいから全員連れてきなさい」

 

「はい?」

 

 唐突な言葉に、少女は一瞬思考が止まる。

 

「だから全員連れてこいって言ってんの。私が全員癒す(やる)って言ってんのよ」

 

 そう言って天高く拳を突き上げる様は、どう見ても巫女ではない。

 拳闘士(ボクサー)か何かのそれである。

 

「分かったら早く行く!」

 

「は、はいぃ!」

 

 そう言うと少女は慌てた様子で奥へと消えていった。

 

「まったくもう、世話が焼けるわね」

 

 やれやれね、とイリスは呆れたように首を振った。

 

「この程度に何手間取ってんだか」

 

「いやこの程度じゃないですよね?」

 

 そこまで見守っていたニノンが耐えきれず、ツッコミを入れた。

 

祈り(オラティオ)ってそんなに簡単にほいほい使えるものでしたっけ?」

 

「これでも聖女候補よ。あんま舐めんなって話」

 

 イリスはぐっと力強く拳を握る。

 

「凡百の巫女とは気合が違うのよ、気合が」

 

「信仰心じゃねえのかよ」

 

 神への祈りってなんだよ。

 ニノンには分からなくなってきた。

 

「今のが祈り(オラティオ)か」

 

 ふうん、と感心したように未来が呟く。

 

「直に見るのは初めてだ」

 

「あら、珍しいのね。随分と健康だったのね、貴方」

 

 いいことだわ、とイリスが言う。

 市井の人間が祈り(オラティオ)を知るのは、大抵病気を患った時である。

 よって健康優良児であれば一生目にする事の無い人間も中には出てくる。

 

「トトも久々に見たですけど、こんなすぐきらきらするのは初めてですよ!」

 

 一方のトトはやや興奮気味に、そう捲し立てる。

 

「イリスはすげーですね。きっと聖女様になれるです」

 

「ありがと。そう言われるとちょっと嬉しいわ」

 

 胸を逸らし、少しだけ誇らしげなイリスの様子。

 そこには自身の信仰への自負が確かに存在していた。

 

「比較対象を知らないからなんとも言えないんだが、彼女の実力は相当高いと見て良いのか?」

 

 未来はそうニノンに耳打ちする。

 

「相当ですよ。そもそも一人で祈り(オラティオ)使える時点で高位ですね。普通は複数人でやっとなので」

 

 神へ祈りを届けるという行為は、並大抵のものではない。

 人という矮小な生き物のか細い声では天に声が届かないのだ。

 故に、複数の声を束ねてそれを伝える――というのが、光神教の言う論理だった。

 

 それを一人でこなす。

 その時点でイリスという巫女の実力が抜けている事は容易に窺い知れた。

 

「しかもトトさんが言うように()()ですね。普通祈り(オラティオ)の効果が現れるには長い聖句が必要なのですが、それすら無いです。伊達に聖女候補って言われて無いですねこれは」

 

「魔法使いで例えるならニノン級という事か」

 

「またそうやって人を喜ばせる例えを……まあ、そう思ってくれていいですよ」

 

 ニマニマとちょっと嬉しそうなニノンを差し置いて、未来はじっとイリスを観察する。

 彼女は仏頂面で腕組みし、じっと何かを待っている様子だった。

 

「ふむ」

 

 そう漏らす未来の声色は、少しだけ面白そうな色を含んでいたように聞こえた。

 

 

 

 やがてばたばたとした足音が神殿の奥から聞こえてきた。

 

 大勢の巫女や下働きの者たちが、担架を抱えてやってくる。

 そこには苦しそうにうめく子供たちが乗せられていた。

 

 何れも先程の赤子のように顔が腫れ上がり、時折びくびくと痙攣している。

 

「なんかすごく苦しそうですけど」

 

 トトがイリスの袖を引っ張った。

 

「こっちから行くんじゃ駄目だったですか?」

 

 トトの尤もな疑問に、イリスは厳しい顔で答える。

 

「ぶっちゃけ私もそんな連発できるわけじゃないわ、こういうの」

 

 先程は涼しい顔で祈り(オラティオ)をこなしたイリスだが、それが実情だった。

 本来神への祈りは神聖で多大な労力を注がねばならないもの。

 決して気軽な行為ではない。

 

「なるべく広い場所で、一度に多くの相手に祈り(オラティオ)をかけないと不味いわ。多分、()も有るから」

 

 そう呟くイリスの元に、壮年の男性がやってくる。

 質素であるが、決して見窄らしくはない神官服を着こなすその男は、イリスの前にやってくると恭しく頭を垂れた。

 

「私はここの神殿長を務めております司祭のアルマンでございます。聖女候補のイリス様をお迎えする事ができ、大変に光栄でございます」

 

「そんな挨拶はいいから」

 

 さっさとやるわよ、とイリスは力強く宣言する。

 

「ここに居るのが全員?」

 

人間(スプレム)の子は全てでございます」

 

 それを聞いたイリスの表情が、再び険しくなった。

 確かに、並べられている子供たちを見れば、それは全員人間(スプレム)であった。

 

「あのね」

 

 あからさまに不機嫌な装いで、イリスは言う。

 

「わたしは()()()って聞いたの」

 

 そう言って彼女はホールを見渡す。

 いつの間にか女たちは壁際に移動し、床には子供たちが担架のまま横たえられている。

 しかしそのスペースはまだ空いており、まだ担架を並べる事は可能だと誰の目にも明らかであった。

 

「しかしその」

 

 しどろもどろになりながら、アルマンは答える。

 

亜人(ミノール)の治療は人間(スプレム)の後でないと」

 

「天におわす偉大な神がンな細かい事気にするかッ!」

 

 広いホール内に、イリスの声が響き渡る。

 あまりの大音声に、その声は幾重にも反射し、神殿の奥まで響いていた。

 

「いいから全員連れてこい! 神の愛は平等だって見せてやるわ!」

 

 あまりの剣幕に、幾人かの巫女たちが慄くようにして神殿の奥へと消えていった。

 アルマンもまた、ばつが悪そうに視線を逸らし、素知らぬ顔をしていた。

 

「まったく、面倒ったらありゃしない」

 

 うんざりするように、イリスは呟いた。

 

亜人(ミノール)が治療を後回しにされる様は、私もこれまで見たことが有るよ」

 

 未来は何かを思い出すように、そう言う。

 例えどれだけ重傷だろうと、人種が理由で治療されない。

 そんな事が、確かに有った。

 

「君は何故そうしない?」

 

 未来の問いに、イリスは不思議そうな顔を浮かべた。

 

「苦しんでる相手に手を差し伸べる時、いちいち相手がどうとかあんたは考えるの?」

 

 イリスの答えには一点の曇りも無い。

 偽らざる本心がそこには有った。

 

「助けようとしたその心に、神は居るわ。私はその神を試したりしない。ただ御心に沿うように行動するだけよ」

 

「そうか」

 

 イリスの言葉に、未来はただ薄く笑った。

 

「成る程、君は確かに聖女候補らしい」

 

 もし彼女があの時あの場所に居たら。

 そうすれば、シリバは助かっただろうか。

 

 未来はちらりとトトの方を見た。

 その顔には憧れにも似た崇敬と、そして悲しげな何かが有った。

 この少女もきっと同じように思わざるを得ないのだろうと、すぐに分かった。

 

 未来はトトの手を少しだけぎゅっと握った。

 トトも何も言わず、ただ握り返す。

 それだけで互いの気持ちを伝えるには十分だった。

 

「世の中不公平に溢れてるかもしれないけど」

 

 二人の空気を察したのか。

 イリスが言う。

 

「少なくとも、わたしの目の前でふざけた真似はさせないわ。絶対に」

 

 そう力強く宣言するイリスの姿は。

 

 確かに、神の光に包まれた聖女に相応しい。

 そんな輝きを背後に背負っているような、そんな気がした。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。