夜半、寝静まった頃に襲撃が有った――というわけも無く。
翌朝四人は合流し、朝食を取る事となった。
彼女達は宿屋の一階で並べられた料理を前に、テーブルを囲んでいた。
「結局帰れないくらいだったんですねえ」
大変ですねえーと言いながら、ニノンはパンをスープに浸している。
特に固いわけでもないふわふわのパンはどろどろになり、むしろ食べ辛そうな状態になっている。
その蕩けたパンをさらに別のパンに乗せ、ニノンは豪快にかぶりついていた。
「一回で三十人くらいとして……まあ二百人くらいには
大変だったわ、とイリスは言う。
しかし一晩経った彼女の様子に疲労は見えず、朝から元気一杯という感じだった。
「おそらく今日はまだ落ち着いてるでしょうけど……明後日辺りから不味いかもしれないわ」
「今病に冒されている子供は全部治療できたが、という話か」
「そう。また感染が広がって、それで神殿に駆け込んでくると思うのよ」
この病の原因は未だ分かっていない。
何処から誰が持ってきたのか。
どのように広がるのか。
何もかも判明していなかった。
「そうなると、また
「その口ぶりから言うと、今日明日に聖地に向かう事は考えていないようだが」
その未来の疑問に、肩を竦めながらイリスは答えた。
「この状況は放っておけないでしょ。流石に助けられる相手を自分勝手な理由で見捨てるのは気分が悪いわ」
「そうか」
未来はただ一言、そう答えた。
ニノンもトトも、何も言わない。
だが、三人には何か共感するものが確かに有った。
「呪いじゃないのは確かだと思うんだけど」
うーんと唸りながら、イリスはパンに齧りついた。
上品ではあるが、力強くパンを噛みちぎる。
「ん……病気だとしても、あんなの見たこと無いわ」
「呪いじゃないって根拠は有るんですか?」
興味深そうにニノンがそう質問する。
「呪いってもっと悪辣で無差別なのよ。かけるとしたら子供だけなんて事はしないだろうし、あと効果としても延々苦しめるか、すぐに死ぬかどっちかよ大体は」
「確かに呪いって聞くとそんな印象ですよね」
解けない呪いに苦しむか。
もしくは、激しい苦痛で一瞬で死ぬか。
呪いにかかったと聞いて思い浮かべるのは、そんな光景だった。
「まあ原因を探るのはとりあえず置いときましょう。それよりも今すぐ解決しなきゃいけない問題があるわ」
真剣さに満ちたイリスの顔が、何か深刻な問題が有ると物語っていた。
「徳が足りないわ」
「徳」
その言葉に、三人とも頭に疑問符が浮かぶ。
言葉の意味は判る。
しかし徳が足りないとは一体?
「まあ、市井の人間ならそういう反応になるわよね」
そうよねえ、と言いながら、イリスは続ける。
「
「違うですか?」
トトは不思議そうに聞く。
傍目から見れば、そのようにしか見えない。
「だったら誰にだって使えるって事になるでしょ」
ただ祈るだけで良いのであれば。
遍く全ての人間に
だが現実として、そうではない。
「まあ祈りの形とかそういうのも関係はしてるんだけど……一番の違いは、徳を積んでるかどうかよ」
「概念としては理解できるんだが」
未来も珍しく、少々困り顔をしていた。
「その徳と
「端的に言うとね」
そこでイリスは一度言葉を切り、言う。
「
「徳を消費」
なんとも奇妙な響きだった。
概念的、数量として表せない「徳」というものを消費する。
聞いていた三人にはやはりぴんと来ない様子だった。
「その為に巫女達は厳しい修行をしたり、善行を行ったりして徳を積み重ねるの」
光神教の巫女が禁欲と奉仕を旨とする理由は、まさにこれだった。
徳を積み重ねる為。
それはただの観念的な修行ではない。
実利的な意味を持つ苦行であった。
「そしてその徳を天に捧げて
「案外俗っぽいというかなんというか」
こうして説明されると、神秘的な奇跡も有難みが薄れますね、とニノンは渋面になった。
思ってたのとなんか違う。
ちらりと横を見るとトトも似たような顔を浮かべていた。
唯一涼しい顔をしているのは未来だけだ。
「つまり徳が無いと
そう聞く未来に、イリスは首を振る。
「使えなくはないわ。でもその場合、身を削らなきゃならない」
「身を削る、ですか?」
「命を捧げるって事よ」
そう聞いたトトは顔を青ざめさせる。
流石にそこまでとは彼女も思っていなかった。
「修行を積んだ巫女なら、負担はまだマシよ。でも体調を崩す程度にはやられるわ」
「それはキツいですね」
「だから神に仕えない身だとしても、命を賭ければ極稀に
切なる祈りを、神が無視する事はない。
その対価が有るとしても、やはり神の愛は人に降り注ぐ。
それをこの世界に住まう人間は良く知っていた。
「ほへー」
トトは呆けたような顔で感心していた。
奇跡ってそういうものだったんだ。
専門家に説明されると、腑に落ちるものがあった。
「ともかくね」
話を戻すように、イリスが言う。
「今の私にはその徳が足りないわ。このままだと次に
「他の巫女に任せるという選択は?」
「ざっと見たけど、平巫女じゃあの数は捌けないでしょうね」
イリスの見立てでは、普通の巫女が百人揃ってようやく自分一人にぎりぎり及ぶかもしれないという所だった。
この神殿に使える巫女の数は、見た所十とちょっと。
とてもじゃないが、回せる数ではなかった。
「だから早急に徳を積まないといけなくなったの」
イリスは平静を装っていたが、そこに焦りの色が滲んでいる事を未来は見逃さなかった。
他二人は気づいていないだろうが、彼女が言うよりも切迫した事態であるようだと未来は悟る。
「しかし徳を積むと言っても、その修業や何かで急速にできるものなのかな?」
瞑想一つすれば問題無いというのであれば話は早いが、そうではないだろう事はイリスの様子から手に取るように理解できた。
「普段の修行じゃあそんなに徳は積めないわ」
無念そうに、イリスが言う。
「普通の巫女が一回
「で、イリスさんは昨日どんくらい
「十回近くかしら」
「二か月半分くらい使ってんじゃねーか!」
大盤振る舞い過ぎだろ、とニノンも驚く。
こうして説明されると、そりゃ
使う対象を限定したがるのも頷ける。
「だがすぐに徳を積む方法も有る。そうじゃないか?」
その方法は必ず有ると未来は踏んでいた。
そうでなければ、
差別等は有るが一般に門戸が開かれているという事は、少なくとも常用しても問題は無い状況で、リソースの回復手段は用意されている。
そう考える方が自然だった。
「そう、有るのよ」
イリスはここからが本題だと言うように、やや語気を強めた。
「一番簡単で、しかも素早く徳を積む方法が」
「して、その方法は?」
ニノンの問いかけに、一言。
簡潔にイリスは答える。
「魔族を狩る事よ」
「成る程ね」
うんうんとニノンが頷く。
「魔族を狩る事ね。魔族を……」
いやなんでだよ。
ニノンは思わず心の中で突っ込んだ。
「なんで魔族を狩る事が徳に繋がるんです!?」
「なんでってそりゃ」
いや当然でしょとばかりに、イリスは言った。
「この世界で一番の善行は、人類の大敵魔族を潰す事だからに決まってるじゃない!」
「ええー……」
確かにそうだけど。
そうかもしれないけど。
それって徳かぁ!?
ニノンの頭は、若干混乱してきた。
「なんで神殿に神殿騎士が居ると思ってんの。あいつらが巫女を守って魔族をボコして、とどめを巫女にささせる為よ」
「それでいいのか……」
――まるでゲームみたいな仕様だな。
未来はそう感じる。
ラストアタックしたプレイヤーに経験値が入る、そんな仕様に瓜二つだった。
「なんとも興味深い事だ」
色々な部分に、システマチックな割り切りを感じる。
少しづつ心の底に、違和感が積み重なっていくのを未来は感じていた。
――この世界は、一体なんなんだ?
未だ全容は見えない。
だが何れ解き明かさねば、致命的な何かを見落とすような予感を未来は覚えていた。
「だから巫女だって体は鍛えてるわよ。魔族と多少なりとも戦えないと仕事にならないもの」
イリスはぐっと拳を握り込む。
「巫女に必要なのは一に信仰、二に力よ」
「なんか巫女さんの印象がどんどんおかしくなるです……」
トトの中の、神秘的で儚げな巫女のイメージが音を立てて崩れていく。
その代わりに、「しゃあっ!」と言いながら魔族を粉砕するマッチョな女の姿が頭に刻まれた。
頭の中の巫女は捕まえた魔族をフンフンと言いながら地面に叩きつけていた。
――こんな巫女さん嫌です。
トトはちょっとだけ悲しくなった。
「それに聖地にも
だから、とイリスは言う。
「そういうわけでまず魔族退治をしに行きたいんだけど」
「それに付き合えってわけですね……」
こちらは護衛として雇われてる身。
雇い主が行きたいと言えば行くしか無い。
「退治しに行くのはいいが、アテは有るのか?」
倒したいと言ってすぐに見つかるようなものではない事くらいは、この世界に来て日が浅い未来でも理解していた。
何せダラマトナからこのヴェズレーの道すがらですら魔族には一回も遭遇していない。
可能性としてゼロではないが頻繁に目にする程でも無い程度の確率なのだろう。
そう質問した未来から、イリスは目を逸らす。
「……とりあえず近くの森でも歩き回ってみれば良いかなと」
「行き当たりばったりじゃねえかよぉ……」
うんざりしたようにニノンが呟く。
「仕方ないですね。私が魔法で探しますから、そいつを狩りましょう」
「へー、
「こういうのはうちの領分でして」
へへへ、と笑うニノンは、密かにトトへ
『というわけで私が魔法使ってるフリをするんで、トトさんお願いします』
いきなり話を振られたトトはびくりと体を動かすも、なんとか口に出さずに返事をする。
『急に来られるとびっくりするです……わかったですよ、ニノンに教えればいいですね』
『たのんまーす』
「うっし。久しぶりの魔族狩りね」
そう言うイリスの顔は嬉しそうに弾んでいた。
そしてニコニコとしながらグローブをはめ始める。
「こ、こいつ」
ニノンは悟った。
必要だから狩りに行くだけじゃない。
「食事が終ったら早速行きましょう」
そもそも好きだな、こういうの!?
ご機嫌なイリスを見て、そう理解してしまった。
巫女とは一体。
たった一日で巫女へのイメージが塗り替わっていくのを、三人は感じていた。