崩界のオブリテレーター   作:エチゼン鏡介

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第145話 徳を稼げ

 ヴェズレー近くの森の中。

 

 未来は一人、鬱蒼と茂る木々の間を歩いていた。

 様々な広葉樹で構成された森の木々の葉は重なり合って陽の光を遮り、昼間だというのにまるで夕暮れのような暗さを場にもたらしていた。

 

 それでも葉の間を抜けてきた光が地面を照らし、点のような小さなひだまりを地面に形作っていた。

 

 森独特の臭いと清浄な空気が彼女の肺を満たす。

 足元の悪さを除けば、まるでハイキングのような心地であった。

 

 そんな未来を狙う影が一つ。

 非常に小柄で、木の陰に容易に隠れられる程度の小動物。

 しかしその目は凶猛な輝きに彩られ、未来の動きをじっと見つめていた。

 

 鋼鉄の足を持つ鉄皮の兎――線兎(レ・トレ)は未来の視線に入らぬよう慎重に移動する。

 彼女の背後、その死角へと移動するように、少しずつ近づいていく。

 

 じゃり、とほんの少しだけ、未来が地面を蹴る音がした。

 

 刹那。

 線兎(レ・トレ)が、全力で跳ねる。

 

 地面より、近くの木の幹へ。

 小さな体躯は弾丸のような速さで木へと迫った。

 そして線兎(レ・トレ)は一回り大きいその鉄の足で、木を蹴りつける。

 

 バギィ、という木がへこむ鈍い音が辺りに響く。

 だがその音が発生した時、最早線兎(レ・トレ)の姿はそこに無かった。

 

 かの魔族は既に未来へと真っ直ぐに突き進んでいた。

 空中を飛ぶように、直線で、その首筋目掛け蹴りを見舞おうとしていた。

 

 線兎(レ・トレ)が地面を蹴ってから未来へと向かうまで一秒の時間も無い。

 電光石火の蹴撃は、正面からであっても人が対応するのは限りなく困難であった。

 

 それが背後からの奇襲であれば尚の事。

 この蹴りに対処するのは、達人であっても容易ではない。

 

 だが蹴りが未来の首筋に届く瞬間。

 

 一瞬でくるりと未来の体が翻る。

 

 裏が面に。

 後ろが前に。

 

 瞬き程の間にそれが入れ替わる。

 左足を軸とした回転はほんの一步分だけ彼女の中心をずらす。

 

 だがその一步で十分であった。

 線兎(レ・トレ)の蹴りは空を切り、未来の首の横を虚しく通り過ぎていく。

 

 そして小さな兎の顔、そこに剣の鞘がめり込んでいた。

 

 佩いていた剣を鞘ごと、未来は振り抜いていた。

 みちり、と線兎(レ・トレ)の顔が歪んでいく。

 自身で生み出した運動エネルギーがそのまま打撃となり、兎の体を衝撃となって貫いていく。

 その威力は余すこと無く魔族を侵し、そして余った力が再び運動エネルギーへと転嫁され、線兎(レ・トレ)の体を後ろへと数メートル押し戻した。

 

 ぼてん、という鈍い音が薄暗い空間に響き渡った。

 

 線兎(レ・トレ)はぴくぴくと体を蠢かせ倒れ伏している。

 死んではいないが、致命傷である事は誰の目から見ても明らかであった。

 

 さっと手を上げると、後ろの方からぱたぱたとした足音が複数聞こえてくる。

 森を掻き分けやってきたのは、ニノン・トト・イリスの三人の少女達だった。

 

「毎度毎度、絶妙な手加減具合ですねぇ」

 

 痙攣する魔族を見ながら、ニノンが呟く。

 

 このような魔族狩りが、もう三体目。

 その何れも、動けないが死んではいないという完璧な手加減具合で料理されていた。

 

「なんか、思ってたのと違う」

 

 うーん、と唸りながら、イリスは拳を線兎(レ・トレ)の体に叩きつけた。

 既に瀕死であった魔族は、その一撃で潰され即座に絶命した。

 

「楽で良いと言えば良いんだけど」

 

 本当、手間が無いんだけど、とイリスは呟く。

 

「これはなんかこう……なんかねえ」

 

 巫女の顔には、憮然としたものが隠せていなかった。

 

「普段はもっと違うんですか?」

 

「神殿騎士で囲んで追い込みして、そして殺さないように少しだけ傷を付けるのよ」

 

「そして弱った魔族を巫女が狩る、って感じですか」

 

「そういう事。それでも油断できないから、巫女にも相応の技術は求められるわ」

 

 ぎゅっ、と手に嵌めた革製のグローブをイリスは確かめる。

 培養した竜皮が魔化されたこの手袋は、鉄のような硬さを持ちながら同時にしなやかでも有る理想的な軟質素材で出来ていた。

 それがイリスの小さな手を覆い保護していた。

 

「私も光神征律拳で印可を受ける程度には鍛えてるわよ。そうでないと、魔族は狩れないもの」

 

「巫女って兵士と何か違うです……?」

 

 街で見かけた、虫も殺せなさそうなあの巫女達も、裏では拳を鍛えていたのだろうか。

 トトは疑問が尽きなかった。

 

「だっていうのに」

 

 ちらりと、倒れた魔族を見る。

 自分が一撃入れずとも、時間が経てば確実に亡くなっていたであろう損傷。

 それが偶然ならともかく、間違いなく意図的に行われている。

 

 野生動物ならまだ分かる。

 熟練者なら、そういう事もできるだろう。

 

 だが動物より遥かに凶悪で頑健な魔族相手にそれを行うのは最早神業だった。

 しかも魔族には(レスプリ)という弱点も有る。

 迂闊にそこを傷つければ、一撃で命を奪ってしまう。

 

 ましてや線兎(レ・トレ)という小型魔族の場合、その可能性は非常に高くなる。

 迂闊に体を殴打すれば、その衝撃で体内の(レスプリ)は砕ける。

 かと言ってそうしないよう手加減して戦うのは至難。

 

 これに加え止めが刺せるよう限定的な損傷を与えろと言われたら、そんなの無理だと投げ出す者が大半だろう。

 だからこそ神殿騎士達は数人で囲み、自らの傷も顧みず()()事に専念する必要が有るのだ。

 

 だというのに。

 

「楽だな、兎だけなら」

 

 目の前の女はただ一人で、騎士が数人がかりでも出来ない事を軽々とこなしている。

 

 強いという事は、最初に出会った時から理解していた。

 自分より遥か上の達人の域に居る人間だとも思っていた。

 

 だがここまでとは、流石に想像もできなかった。

 

 自己編綴魔導式活性(レベルアップ)どころか一時的な自己強化(バフ)すら使わず、まるで家で飼われている犬猫をあしらうように魔族を一蹴。

 しかも剣を抜きすらしていない。

 彼女にとっては児戯に等しいのだ、この程度の魔族の相手など。

 

線兎(レ・トレ)は魔族の中では強い方ではない。

 小さな体躯は決して頑健とは言えず、速度が疾いとは言え直線的であり動きを見切る事は不可能ではない。

 正面から相対すれば、熟練の戦士であればそう遅れを取る事は無いだろう。

 

 だがそれは()()()()()()()()()という但し書きが付いた上だ。

 この魔族の厄介な所は、その小さな体を活かした奇襲に有る。

 物陰に潜み、死角を狙い、その速度を用いて一撃必殺の蹴撃を繰り出してくる。

 

 正面からなら見切る事のできる攻撃も、奇襲であればその弱点は補われ、効果は数倍にもなる。

 気づいた時には既に間近に迫っており対応は困難。

 この小さき暗殺者の奇襲は誰であっても恐ろしいものなのだ。

 

 だが未来という女は事もなげにそれを捌く。

 まるで当然と言うように。

 

 どこまで修練を積めばここまでの高みに到達できるか、さっぱり分からなかった。

 少なくとも自分が一生賭けてもここまで行けるかどうかは疑問だとイリスは思った。

 

 天音寺未来という少女は、強いという言葉が陳腐に感じる程に、余りに強すぎた。

 

 ――一体何処の出かしら。

 

 魔核(ロイユ・セレスト)無しな為衛星国(セクタ)の出だとは理解できるが、それ以外がさっぱりだ。

 このような傑物の名が知られていないのも不可解過ぎる。

 

 イリスにとって未来は不思議の塊であり、そして興味を惹かれる対象だった。

 

「それで、あと何体くらい狩ればいいのかな?」

 

 未来の言葉に、イリスは思考の海から強制的に覚醒させられる。

 

「そうね」

 

 はっとして暫し考え込んだ。

 

「出来るなら行けるだけ行きたいけど」

 

「じゃあそうしよう。ニノン、あとどれくらい居る?」

 

 ちらりとトトに目配せしながら、未来はニノンにそう問いかけた。

 

「う~ん……あと十体くらいは居ますねえ。ていうか居すぎだろこれ」

 

 トトから報告を聞いて、正直ニノンは若干ビビっていた。

 思った以上に魔族が人類圏に浸透し過ぎていて、正直怖い。

 

 トトが言うには、ここにもそこにもあそこにも、とにかく一杯居るらしい。

 「こんな居ると思わなかったです」と本人が泣き言を言う位にはありふれていた。

 

 今回抽出したのはその内程よく郊外に居て、かつ集団で存在する者たちだった。

 いきなり街中で魔族を見つけて狩るよりはその方が自然だからだ。

 

 ――なんか完全に魔族に生かされてる感じだよなー。

 

 ニノンはどうしてもそう思ってしまう。

 今人類が負けてないのは人類が決死の抵抗をしているからではなくて。

 ただ、負けないように手加減されてるだけなんじゃ?と。

 

 滅多に出てこない魔将とか、一定時間で帰る大魔将とか。

 もう完全に遊ばれてるじゃねーかこれ。

 

 やんなるなあ、と溜息をつきながら、トトから聞いた方を指さす。

 それを見た未来は無言で歩き出すと、また一人で先に行ってしまった。

 

 未来が先行し魔族を程よくしばき、それをイリスが狩る。

 それが今やっている事だった。

 

 非常に効率が良く、それでいてイリスにしてみれば物足りない徳の補充が今行われていた。

 

線兎(レ・トレ)はあんまり美味しくないけど、これだけ狩れれば当分は大丈夫そうね」

 

 とは言えこうして大量に徳が補充できるのは、イリスにとっては本当に有難い事だった。

 徳は有れば有るだけ良い。

 祈り(オラティオ)はいつどれだけ必要になるのか分からないのだから。

 

 ご機嫌なイリスの後ろで、ニノンとトトは難しい顔をしていた。

 魔族が思ったより多いというのも懸念材料ではあった。

 

 しかし、トトが見つけた()()()()が、彼女達の頭を悩ませている一番の要因だった。

 

 後ろで荷物持ち兼密かな索敵要員として後ろに侍っていたトトは、ふと興味を持って調べてしまった。

 

 大量に神殿に来た母親達。

 それに、苦しそうな子供達。

 その原因は有るのだろうかと。

 

 かつて琉覇が持ち、トトに継承された恩寵(チート)

 ただものとの距離の真ん中を測るだけの取るに足らないと思われた、矮小な能力。

 だがそれはもっと恐ろしいものだと、トト自身もようやく気づき始めた。

 

 「病気の原因」を意識した時――彼女にははっきり見えたのだ。

 その距離、その中心が。

 

 病気に原因が有ることも。

 その元凶までの距離が判ることも。

 どちらも、トトを混乱させるのに十分だった。

 

「どうするですか、これ」

 

 不安げに言うトト。

 

「とりあえず、今は二人だけの秘密にしておきましょう」

 

 ニノンはそう言って、トトを落ち着かせた。

 だがニノン自身、この能力をナメていたと思わざるを得なかった。

 

 この能力は、「距離」という概念を利用して、あらゆる回答を引き出してくる反則(チート)だ。

 本来だったら幾重にも調査を重ね、推論をし、その果てに見出される回答が、ただ思うだけで判明してしまう。

 それが何かわからなくても、少なくともそこに有る、存在する事は判明する。

 

 なんと恐ろしい能力か。

 

 恩寵(チート)

 それが神から与えられた力であると、ニノンは心胆が冷えて行くのを感じていた。

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