崩界のオブリテレーター   作:エチゼン鏡介

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第150話 縋る手

「なっ……何よこれ!?」

 

 突如の出来事に、イリスも叫び声を上げた。

 

 床から出てきたように見えるその腕は、がっちりとイリスの足首を掴んで離さない。

 まるで万力のように足の最も華奢な部分をしっかりと把持していた。

 

「一体何が!」

 

 ニノンが咄嗟にトトの方を振り返る。

 だがトトは無言で必死に首を横に振っていた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「イリス、下がるんだ」

 

 未来が冷静な声で告げる。

 

「一步でいい。出口から遠ざかるんだ」

 

 いつもと変わらぬ平静さを保った未来の声。

 それを聞いたイリスは冷静さが戻ってくるのを感じた。

 

 周囲全員が恐慌すれば釣られて同じような感情が増幅していくように。

 場に一人でも冷静な人間が居れば、人は安心する。

 

 わけも分からず混乱しそうだったイリスの思考は、寸での所で正気に引き戻されていた。

 

 イリスはゆっくりと後ろに下がる。

 そうすると、その手は役目を果たしたとばかりに拘束を緩め、すうっと消えていった。

 

「離れた……」

 

 足首の圧迫感が無くなった事を確認し、イリスはほっと胸をなでおろす。

 

「流石にびっくりしたわ、今の」

 

「見てるこっちだって驚きましたよ」

 

 床からいきなり腕が突き出てくる光景は、中々にホラーだったとニノンも吃驚していた。

 

「しかしなんだったんです、あれ」

 

 ニノンは未来の方を見た。

 

「未来さんはなんか気づいてたみたいですけど」

 

「正体はわからないが」

 

 未来はじっと、腕が生えてきた場所を見つめていた。

 砕骨場の入口扉のその手前。

 そこから、腕は突如出現した。

 

「イリスがここから出ようとした瞬間、それを留めようとするように出現したのは見ていた。だから、まずは後ろに下がらせてみたんだ」

 

 そして腕が出現したタイミングは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()だった。

 であれば、それがトリガーになったと推論するのは当然だった。

 

「後ろに下がって消えたという事は、おそらく私の考えは当たっていたと思うのだが」

 

 そして未来も砕骨場の扉へと進むと、一步足を外に出そうとする。

 

 だがその瞬間――

 

「やはりな」

 

 未来の動体視力ですら捉えられぬ程の刹那。

 その一瞬で、半透明な光る腕が表れ、未来の足を掴んでいた。

 

 振り上げた足は空中で止められ、強烈な力で室内へと押し戻そうとしてくる。

 

 未来は大人しくそれに従い、足を戻した。

 そうすると途端に腕は消え去り、部屋は元の平静さを取り戻す。

 

「まあ、こういう具合だ。おそらく全員が同じような状態じゃないのかな」

 

 試してみるかい?と未来は言うが、ニノンとトトはぶんぶんと首を横に振って必死に否定した。

 

 今の所危険はない。

 だけど普通に怖い。

 

 いきなり変な腕が掴んでくるとかねえ、怖いんだよねえまともな人間なら!

 

「もしかしてこれ」

 

 イリスは何かに気づいたように、顔を青ざめさせた。

 

「わたし達、ここに閉じ込められた?」

 

「現状はそうなる」

 

「どうすんのよ!?」

 

 あああ、とイリスは頭を抱える。

 祈り(オラティオ)も収め、遺物も手に入れ、あとは帰るだけだったはずなのに。

 まさかこんな事態に直面するとはまったく思っていなかった。

 

「しまったなあ、転移魔法陣書いとくべきだった」

 

 宿にでも準備しておけば単純に転移魔法で帰る事もできた。

 だが生憎とそこまでの用意をニノンはしていなかった。

 

「流石に狩りからそのまま突っ込むとは思って無かったですしねぇ……」

 

「急遽予定を変更した弊害だな」

 

 拙速であるデメリットが、これでもかと露呈していた。

 敵の不意を突く行動であった代わりに、こちらもなんの準備もできずにここに来る事になってしまった。

 結果、リカバリーがし辛い状況に置かれたのは間違いなかった。

 

「転移元に魔法陣が無いと転移は難しい、という事で良いんだな?」

 

「出来なくはないですけど、時間は滅茶苦茶かかりますね」

 

 魔導士(マスター)であるニノンにとっても、転移魔法はそれなりに手間のかかる魔法だ。

 不可能ではないがリソースをつぎ込む必要は有る。

 少なくとも一時間二時間で済む話ではない。

 

「まあ、すぐ部屋の外に出るくらいならまだなんとかなるかもしれませんが」

 

 短距離転移程度なら、短時間の詠唱でもいけるだろう。

 単独ならすぐ、三人連れてなら数分程度か。

 そうニノンは試算した。

 

「でもねえ、部屋から出た瞬間あの腕が出てきて、引き戻されないって保証有ります?」

 

「無いだろうな。少なくとも、この霊廟の外に出るくらいでないと」

 

 あの腕がこの霊廟と結びついた存在なら、それで効果範囲から外れる事ができるかもしれない。

 だが、あくまで()()()()()()という話だ。

 

 最悪何処に居ようが延々と腕が伸びてきて、ここに引き戻されてしまう可能性も、未来には否定ができなかった。

 

 その事はニノンも気づいているのだろう。

 どうします?というようにニノンは未来と顔を見合わせた。

 

「こういう場合は、何故私達はこの現象の被害に遭っているかを考えるべきだろうな」

 

 ふむ、と未来は腕を組む。

 

「トト、済まないが出口から出ようとしてみてくれないか?」

 

「えええええええ!?」

 

 未来の提案に、トトはぶんぶんと首を振って拒否する。

 それはもう首が回転するのではないかという勢いで首を振っていた。

 

「絶対いやです! ぶっちゃけ滅茶苦茶こええですよあれ!」

 

「別にちょっと足を掴まれるだけだから」

 

「ちょっとでも怖いもんは怖いですよ!?」

 

 普通は理解不能な超常の現象に突っ込みたいとは考えない。

 それはトトも同じだった。

 

「まあ幽霊の手(ゴーストハンド)だと思って我慢すれば」

 

「それでも十分怖いですからね!?」

 

 幽霊の手(ゴーストハンド)は残留思念となって物理世界(フィジカルサイド)に残るアストラル体の残滓で、何か心残り等が有る人間が死んだ場所などに出現する事が有る。

 

 所謂幽霊(ゴースト)としてはありふれたものだが、トトのような一般の人間が遭遇する事は稀と言って良い。

 

 つまるところ、普通に怖い。

 

「ていうか、なんでトトがやらないといけないですか!?」

 

 そう食い下がるトトに、未来は優しい口調で語りかける。

 

「今この中で、明確に()()()()()と言える人間がトトだけだからだよ」

 

 そう言って未来は皆を見る。

 

 ニノン、イリス、トト。

 そして未来自身。

 この四人で、トトだけが亜人(ミノール)であった。

 

「もしトトも引き戻されれば、条件も何も無く、この部屋に入った全員が無条件で引き戻されているという可能性も視野に入る」

 

 だが、と。

 

「トトがもし、これに引っかからないとすれば――()()()()()事は間違いなく判明する」

 

「つまりあの腕の出現には発動する為の切っ掛けが有るかもしれない、それを探りたいという事ですね」

 

 成る程とニノンが頷く。

 

「これでトトも掴まれるようなら、条件把握はかなり困難だ。無差別なのか、条件発動なのかを判別するのは難しくなる。だがもしトトが抜けられるようなら」

 

 確実に、トリガーは存在する。

 

「何がなんだかわからないけど」

 

 イリスは事態についていけてないようだった。

 

「でも、なんかあってもわたしが祈り(オラティオ)で治してあげるから! 安心しなさい」

 

 どんと胸を叩き、イリスはそう豪語した。

 

「治す事前提でいないで欲しいです」

 

 そうは言いながらも、しぶしぶとトトは出口へと向かっていった。

 

 一步一步、少しだけ及び腰になりながらも、トトは出口の手前へと辿り着く。

 

「じゃあ、行くですよ」

 

 確認するように、自分を鼓舞するように。

 一言そう言って足を踏み出す。

 

 そろりとつま先から扉の外へ。

 

 そうっと足を差し出して――

 

「あ」

 

 何も無い。

 トトの小さな足はなんの妨害もなく、そこを通り抜ける。

 

 そのままとっと足を外に置き、一步。

 そしてまた一步。

 

 いとも容易くトトの体は砕骨場から離れる事ができた。

 

「出られた! 出られたですよ!」

 

 ぴょんと小さく飛び跳ね喜ぶトトに、未来はふむ、と唸るようにして腕を組む。

 

「これで無条件ではないと証明はされたか」

 

「ですねー」

 

 うんうんとニノンは頷き、やはり出口へと向かっていく。

 

「実は私も出れたりとか」

 

 扉の外へと突き出されたニノンの足を、即座に出てきた透明な手ががっしりと掴んだ。

 

「しねえですよねええええやっぱねええええええええええ!?」

 

 無様に叫びながら、ニノンは後ろに転げ飛んだ。

 思いっきり飛んで背中を打って、ぐえっというカエルが潰れたような音が口から漏れる。

 

「何やってるんだニノン」

 

 呆れながらも、奇行はいつもの事かと未来は放っておいた。

 

「これ、人間(スプレム)だからって事?」

 

 イリスはそう疑問を呈する。

 現状室内に残っている三人は何れも人間(スプレム)

 

「少なくとも、人間(スプレム)である事が関係する事態だろうとは思う」

 

「私達とトトさん、その違いは何か、って事ですね」

 

 いてーと立ち上がったニノンもそう言う。

 

 条件は間違いなく有る。

 だが、次はどうやってそれを絞るか。

 

「これは、少し思いつかないな」

 

 流石の未来も、ここから更に条件を詰めていくのは困難極まりないと感じていた。

 あまりにも情報が少ない。

 

 それはニノンも同様だった。

 今トトが通り抜けた事が仮定できる条件の違いは、人種と年齢くらいだ。

 他の何が違うのか、それを絞り込むにはあまりにも手がかりが少ない。

 

「最悪、掴まれない事を祈って短距離転移するしかないですね」

 

 最終手段で賭けに出るしか無いですかね、とニノンも思う。

 

「?」

 

 イリスは良くわからないので、とりあえず胸を張っていた。

 堂々としていればなんとかなる。

 

「あのー」

 

 そんな中、申し訳なさそうにトトが手を上げる。

 

「トト、原因分かったですよ」

 

 少し戸惑いがちに、そう口にする。

 

「なぬ」

 

 意外な所からの意外な発言に、ニノンは目を丸くした。

 

「私が分からないのに、ちびっ子が解明しただと……?」

 

「どんだけトトの事馬鹿だと思ってんですかアホの子」

 

 ジト目をしつつ、トトは続ける。

 

「トトもわかんねえから、もう出れない原因までの距離を測ってみたですよ」

 

 あー、とニノンは気まずそうに未来を見るが、未来は小さく頷くのみだった。

 ここに至り、イリスにトトの事を隠し続けるのは支障が有ると、そう判断しているようだった。

 

 尤も当のイリスはトトが言っている事が良く理解できていないようだったが。

 

 そんな三人の様子に構わず、トトは話を続けた。

 

「そしたらですね、三人の体に沢山と――あと、街の方にもっと沢山有るのがわかったですよ」

 

 トトが感じた距離。

 それは単体ではなく、数多に登るだけ存在した。

 

「そうか」

 

 未来がそれを聞いて、何かに気づいたように声を上げる。

 

「例の病気か。()()()()()()()()()()()()()か、これは」

 

 ここの三人の体内と、街にの方向に多数存在する。

 それを考えると、自ずとそういう答えが導きだされた。

 

「つまり――人間(スプレム)にしかかからないか、もしくは亜人(ミノール)であればすぐに治癒してしまうような病気だったと言う事か」

 

 事態を解決する光が漸く差し込んできた。

 少なくとも事態は好転している。

 そう思えた。

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