傭兵集団【西壁の槍】がダラマトナを離れて数日が過ぎていた。
「しかし隊長の読み通りでしたね」
小さな幌馬車一台の横、馬を歩かせるミシェルは小声でリュックに話しかける。
「随分と高値で売れました」
先の魔族侵攻の折、ダラマトナに滞在していた彼らは、そこから逃げ出す
――金なら幾らでも出す。儂をここから連れ出してくれ。
必死の形相でそう捲し立ててくる壮年の男に、リュックはかかったと心の中では舌舐めずりをしていた。
リュックは男を冷静に観察する。
体型は小太りで動きは素人。
成り上がり系の商人か、とアタリをつける。
――しかし我々も参事会から要請が来てましてねえ。
リュックは悩ましげにそう言って見せた。
勿論そんな事実は無かった。
あからさますぎる程の、見え見えのハッタリ。
だが相手が冷静さを失っている状況であれば、それは嫌という程効いた。
――倍、いや三倍出す! だからこっちに来てくれ!
心中でリュックがにたりと笑う。
そういう人間なら、こう返してくるのは読めていた。
勢いが有って金が幾らでも湧いてくると錯覚してるような人間なら、絶対に。
結果として、普段の三倍の報酬とさらに経費の諸々がタダとなる、非常に
稼ぎだけなら前線で魔物を狩る方がおそらく稼げる。
だが安全に手堅く稼げるのはこっちだ。
リュック達傭兵とて、無闇に危険に飛び込みたいなどとは考えていない。
ただ危険の傍に金が落ちているから拾いに行っているだけであり、安全に稼げるならそれに越した事は無いのだ。
ましてや今回は普段の小競り合いとは違う本格侵攻。
生きて帰れる保証など何処にも無かった。
「ラニヤナへの避難民護衛依頼も来てましたけど」
ミシェルがふと、気づいたように尋ねる。
「こっちを選んだのはどうしてです? あちらの方が依頼料は高かったですが」
実はほぼ同時に、そのような依頼も舞い込んでいた。
その金額は商人が提示した額よりさらに上、目も眩むような大金が提示されていた。
「勘が働いたのさ。こいつはヤバいぞってな」
とんとん、とリュックはこめかみを叩いて見せる。
「そいつの正しさはニュースファブでも見りゃ分かるだろ」
「そうですね……」
雑多な記事を乗せているファブリックには、ルグンド戦線で大魔将が現れた事が記載されていた。
数年ぶりの大魔将の降臨。
一度出現すれば、
今回の大魔将は
ルグンドに留まっている間、それに巻き込まれない保証は無かった。
「危うきには近寄らず、さ」
そう、リュック不敵に笑う。
「臆病でいるのがこの家業で生き残るコツだ」
暴力を友としそれで糧を得ながら、危険を極力避けようとする。
傭兵という生き方の矛盾がそこには有った。
現在彼らはルグンドを抜け、
ここまで来てしまえばもうそうそう危険は無い。
実に楽で美味しい仕事だったと、リュックの相好は自然と緩んでいた。
『隊長、おくつろぎの所申し訳ないんだが』
唐突に、斥候として周囲を見回っていたザンガから通信が入る。
『運悪くお客さんが来ちまったようだ』
『こんな内地でか』
リュックは思わず舌打ちをした。
辺境に近いとは言え、
『
ザンガから送られてきた視覚情報には、並走する三体の
銀の体躯で光を反射し、軽く土埃を巻き上げながらこちらに向かって走り込んで来ているようだった。
『別働隊はどうだ』
『居る気配はない』
リュックの脳裏に、この前の失敗が過ぎる。
あれでニコラが重傷を負う事となった。
『ザンガはそのまま哨戒を続行。俺とミシェルが前衛、ニコラが控えで後続を警戒しろ』
そのように
警戒によりリソースを割いても問題無いだろうとリュックは判断した。
雇い主への説明は護衛についているドニに任せ、リュック達三人は馬を走らせた。
ザンガが
それは即ち、すぐに襲われる危険性を孕んでいるのと同じだった。
一当てすれば、あの小さな幌馬車など一撃で吹き飛ぶだろう。
「見えたな」
馬を駆けさせて、数十秒の後に。
リュックは背中に括り付けられた
そして
全力で走る双方が互いに向き合うその相対速度は想像以上となる。
急速に距離が縮まり、ぐんぐんと姿が大きくなっていく
リュックに体当たりを仕掛けるように、そのまま真正面から突っ込む様相を見せた。
だがリュックもそれに怯まず、馬を進める。
まるで引き合うように急速に双方の距離は縮まっていく。
十メートル。
五メートル。
一メートル。
四本の足がぐっと地面を蹴り、障害を越えるように上空へと跳び上がる。
そう大きくはない
馬であれば、飛んで越える事は決して不可能ではない。
「
リュックは必殺の
魔族相手に出し惜しみは禁物だ。
今は一気に決める!
その叫びと同時に、リュックは
まるで馬上からゴルフのスイングをするように、彼は
跳躍による馬の突進力と、
そして
それらが合わさり、
決して軽くはない
ギイィィン!という金属が叩かれたような音と共に、銀の猪は吹き飛んだ。
軽く放物線を描いたその体は数メートルほど飛ばされると、ずんという鈍い音と共に地面にめり込んだ。
あれほど戦意に満ちて突進を行っていた
既に物言わぬ骸となって、大地に横たわっていた。
これほど強烈な打撃を受ければ、どの部位に
全身に遍く響き渡った衝撃がそれに耐えられるはずも無い。
魔族は命の源を砕かれ、永遠にその動きを止めた。
リュックがちらりと後ろを見ると、ミシェルが
ミシェルの武器はリュックとは違い一撃必殺とは言えない。
彼はあくまでリュックの補助として動く事を徹底した。
馬首を返し、リュックは後ろから
まだまだ
あと二体倒すには十分過ぎる程の余裕だ。
そう思い手綱を握りしめ、リュックは走り――
唐突に、手に重みを感じた。
掲げた
「何!?」
リュックは
そこには、
その数字が、今ゼロになっている。
――何故!?
不可思議な状況にリュックの頭は混乱に支配されていた。
まだ魔力量は十分に残っている。
なのにまるで掻き消えたように、
「
もう一度、
だが、起動しない。
「
さらに叫ぶ。
だが必殺の魔導式は沈黙してしまったかのように、その力を発揮しなかった。
「隊長?」
ミシェルとニコラも、リュックの様子を不思議そうに眺めている。
彼らからすれば、何故そんなに
だがリュックからすれば洒落になっていなかった。
己の切り札が唐突に封印されてしまったのだ。
「くそッ!」
こうなれば
リュックは自分が保有する魔導式をどう組み合わせるか、頭を悩ませ始めた。
一体何故こんな事に?
そんな胸中の嘆きは、誰に聞かれる事も無く虚空へと消えていった。
だが、そのような状況に陥っていたのはリュックだけではない。
彼ら全員が一斉に、
まるで最初から存在しなかったかのように。