崩界のオブリテレーター   作:エチゼン鏡介

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第155話 ひとまずの帰還

 骨砕きの霊廟(ル・セピュルクル)より戻って数日間。

 

 予想された通り、イリスは件の病への対応に追われる事となった。

 

「きっちり徳稼ぎしといて正解だったわ」

 

 そう言って神殿で祈り(オラティオ)に勤しむイリスは、忙しそうだったが実に充実した表情をしていた。

 

 今も彼女はホールで子どもたち相手に祈り(オラティオ)を振りまいている。

 

「基本的に人が良いんでしょうね、彼女」

 

 脇でその勤労ぶりを見ていたニノンが呟く。

 

 三人はイリスに雇われた護衛という立場である為、基本的にはイリスに侍るように付き従っている。

 故に普段ならばそうそう立ち会う事の無い祈り(オラティオ)の場にも、こうして共に居るというわけだった。

 

「口はアレですけど、裏表も打算も無しに人を助けようとする類の人間ですよね。なかなか珍しい部類ですよ」

 

 ニノンの口調には感心とも呆れともつかない色が含まれていた。

 

 自分が利害を度外視してここまで他人に尽くせるかと考えたら、やはり無理だろうと思う。

 困ってる人間を率先して見捨てる程薄情ではないという自負は有る。

 それでも、身内と他人のどちらかを優先しなければならない、どうするかと問われれば、躊躇無く身内を優先すると答えるだろう。

 

 だがイリスはおそらく双方を救おうとするはずだ。

 自分ならまずリスクを鑑み、使用できるリソースを把握し、それでどうするか考える。

 しかしイリスはそれを度外視してまず救うという事を決め、できるかどうかではなくやろうとする。

 

 そういう、愚かしく眩しい人間だと、この短い付き合いの中でニノンは理解していた。

 

「私達は良くも悪くも理性が先行する」

 

 未来がイリスを見守る視線は、温かいものだった。

 

「彼女はそれとは正反対、感情が先行する人間だ。その良し悪しはともかくとして、真逆の性質を持つ人間なのは間違いないだろう」

 

「でもこういうの、嫌いじゃないですよね」

 

「そうだな」

 

 二人は示し合わせたように、苦笑する。

 言わずとも、気持ちは同じだった。

 

「自分にできない事をする人間だからこそ、むしろ好ましいのだろう」

 

 憧れとは、欠落を埋めようとする感情だと、未来は何より理解していた。

 

「さて」

 

 切り替えるように、未来が言う。

 

「一先ずは予想通りに推移していると考えていいのかな」

 

 そう問われたトトは、です、と言いながら小さく頷く。

 

「病気の人は段々減ってるですよ。めんえき?とか付いてるで良いんですかね」

 

「私も専門家ではないので確実な事は言えないが」

 

 未来の視線の先には、乳児を抱いた母親たちが群れを為していた。

 しかしその数は着実に減りつつある。

 

「この病気の目的が、私の考えた通りの場合。事態が収束しないのは、あちらも困るはずだ」

 

 主目的はイリスに醜聞を与える事。

 その後、牽引派は事態を収束しなければならない。

 

 まさか馬鹿正直にワクチンなどを打つはずもない。

 おそらく今イリスがやっている通り、祈り(オラティオ)による治療を行うはずだ。

 それで全てが収まらなければ、むしろ話は拡大しかねない。

 

 イリスではなく、聖地を荒らした事、それ自体が不味かったのだと。

 しかし、それではよろしくない。

 

「だからおそらく、一度免疫を獲得した人間には症状が出ない類の病気なんじゃないかと思う」

 

 効果は凶悪だが、収束は容易い。

 そのような性質の病気を用いているはずなのだ、牽引派は。

 

 少なくとも、自分ならそうするだろうと未来は思う。

 

「割と滅茶苦茶やりますね、牽引派って」

 

 はあ、とニノンは溜息を吐いた。

 

「殺しに来るまでは百歩譲って理解しますけど、相手に落ち度を作る為に病気までばら撒きますか普通」

 

「普通の相手はそもそも人を殺そうとは考えないよ、ニノン」

 

「だとしてもやって良い事と悪い事が有ると思うんですけどねぇー」

 

 この世界では対人での戦争はあまり起こっていないと、未来は歴史関係の書で読んだ記憶が有った。

 その為この世界の人間には細菌兵器や化学兵器という発想は出てこないのだろうと考えていた。

 

 だからこそ、今回のやり口は効く。

 大多数の人間は意図的に病がばらまかれたなどという発想すらできない。

 それこそ呪いと言った方が通りが良い。

 この世界には確かに呪いが存在するのだから。

 

「なかなかに悪辣な人間が居るな、あ(・)ち(・)ら(・)には」

 

 自らの望む結果を得る為に他の誰を犠牲にしようと気にしない。

 そのような人間が牽引派のブレーンに就いている。

 

「怖いですねえ」

 

 うんざりしたように言うニノンに対し、未来は。

 

 ――やりやすいな

 

 薄く、口を歪めていた。

 そのような人間であれば、むしろ対処は容易い。

 

 ゴ(・)ミ(・)掃(・)除(・)は(・)得(・)意(・)中(・)の(・)得(・)意(・)だと、自負していたからだ。

 

 汚(・)物(・)に対する知識は、十全に備えている。

 自分が裏をかかれるとしたらその逆、真白のような善性の人間であろうと、未来は自覚していた。

 

「あーちょっと休憩」

 

 祈り(オラティオ)を終えたイリスが、三人の下にやって来る。

 

 額には汗を滲ませ、軽く火照った肌の色が彼女の疲労を伺わせた。

 

「おつかれさまでーす」

 

 ニノンが水筒をイリスへ差し出す。

 イリスは、ん、とそれを受け取ると一気に煽った。

 冷却の魔導式により冷やされたそれは、彼女の乾いた喉にとてつもない快感を齎していた。

 

「っかー、生き返るわ」

 

「毎回思うですけど、全然聖女らしくねえですねほんと」

 

 あまりに豪快な姿を見せるイリスに、トトが呆れたように言った。

 

 イリスの行動は聖女なのだが、立ち振る舞いはむしろ逆。

 非常にや(・)ん(・)ち(・)ゃ(・)としか言いようのない少女だった。

 

 しかし決して下品ではない。

 粗であるが卑に非ず。

 一見矛盾したような二つを持ち合わせている。

 

「結果さえ出せば良いのよ、結果さえ」

 

 ぐびぐびと水を飲みながら、イリスはそう主張する。

 

「お上品にしたって信仰心は湧いてこないんだから」

 

 ぐっとイリスは拳を握り、突き出す。

 

「信仰心は、力よ」

 

「絶対違うですよね、それ」

 

 だとしたらマッチョ野郎は信仰心限界突破してるんだろうか。

 

 イリスの言葉を聞く三人の心は一致していた。

 

「とりあえず見た感じ、あと数日くらいで出発できそうですかね」

 

「段々来る人数も減ってるから、多分いけるんじゃないかしら」

 

 今イリスが対応せざるを得ないのは、人数が多いからだ。

 これがヴェズレー神殿の巫女たちだけで賄える人数まで落ち着けば、イリスはようやく出立する事ができるようになる。

 

「まあ一応予想の範囲内の滞在日数ではあるから、そうあっちに遅れはとって無いと思うけど……」

 

 元から想定していたヴェズレーでの滞在期間は一週間。

 あと一日二日ここに居ても問題無い状況だった。

 

「あちらさんの動きとかは分からないんですか?」

 

 この情報通信社会で、まったく情報が漏れてこないというのは考え辛い。

 ニノンとしては当然の疑問だった。

 

「基本的に相互に連絡取る事はできないようにしてあるし、大神殿の方もお互いの情報は渡さないようにしてるからわかんないわね」

 

「公平になるようにしてるですね」

 

 なるほど、とトトは納得するが、未来とニノンはお互いちらりと目配せをする。

 

 ――これは、情報が筒抜けだな。

 

 ――まあ、でしょうね。

 

 聞いている限り、牽引派の方が力が強い。

 権力の中枢により食い込んでいるのもこちら。

 

 しかも未来は知っている。

 召喚を主導していた者達が牽引派である事を。

 そしてそれを、礎石派が知らない事を。

 

 この時点で、重要な情報がイリス側に降りてきていないのは明らかだった。

 

 そもそもイリスの居る場所をピンポイントに特定し襲ってきた時点で、それは明白である。

 

「……とりあえず、相手がどこらへんまで来てるかは分からないって事ですね」

 

「まあなんの通達も来てないから、あっちが先に目的を遂げてはいないって事だけは分かるわね」

 

 ごっごっと喉を鳴らし、イリスが水筒の水を飲みきった。

 

「ま、勝った負けたを今考えても仕方ないわ。とにかくやる事を全力でやるだけよ、わたしは」

 

 どん!と手近なスツールに水筒を叩きつけるように置くと、それよりさあ、とイリスは話を変える。

 

「先に霊廟に入ってたのがアルマン司祭とは思わなかったわね」

 

 骨砕きの霊廟(ル・セピュルクル)に先んじて入り、迂闊にも罠を起動させた人物。

 その正体はこの神殿を束ねるアルマン司祭だった。

 

 トトの規格外の恩寵(チート)は、条件さえ適切に入力できれば確実に答えを返してくる。

 それこそ、「先に入って罠を発動させた人物」と決めて能力を使えば一発なのだ。

 証拠が無かろうが、どれだけ隠そうが、トトの恩寵(チート)の前には無力であった。

 

「訪れた聖女候補に直接的に媚びを売れる人物、と考えれば当然と言えば当然だね」

 

 下っ端の巫女がこのような事をした所でなんの意味も無い。

 つまり忖度して益を得られる人間は相応の立場を持っているという事になる。

 そう考えれば、アルマンが第一候補として上がるのは当然の成り行きであり、実際そうであった事になんの驚きも無かった。

 

「霊廟行ってきたって報告した時ニッコニコだったわよあのオッサン」

 

 その時のアルマンと来たら、下品なにやけ顔で手揉みしながら機嫌を伺ってきたのを、イリスは忘れる事ができなかった。

 

「いやあんなんで何感謝しろってのよほんと。わかんないわねー」

 

 不機嫌そうなイリスの様子に、未来とニノンも苦笑した。

 そこは二人ともまったく同意見であった。

 三者三様、考え方の違う三人だが、媚を売っても一切響かない人種という一点で彼女達は同類であった。

 

「まあキモいオッサンの事はどうでもいいとして、犯人の方が分からなかったのは痛いわね」

 

 当然トトの恩寵(チート)で病の罠を仕掛けた人物も調べてある。

 しかしその下手人は残念ながらヴェズレーには居ないようだった。

 既に遥か遠く、まったく違う場所に逃れていた事だけが判明した。

 

「この神殿の人間じゃなかったのは、良いことかもしれないけど……」

 

 イリスとしては、神殿にそのような凶行に及ぶ人間が居るとは思いたくなかった為、密かに胸を撫で下ろしていた。

 

「トトが探った限りでは、再度こちらに仕掛けてくるような動きも無い。一先ず安心して良いだろう」

 

「逆に言えばまったく知らない未知の誰かがまた妨害してくるかもしれないって事ですけどね」

 

 まったく安心できませんねー、とニノンが言う。

 

 病の治療が終われば、いよいよ拒絶山峰(モン・イナクセシブル)に向かう事になる。

 最終的にこの場所にイリスが訪れるのは確定している。

 そうであれば、また何らかの罠が仕掛けられている可能性は決して低くない。

 

「準備は入念にしておかないとですねえ」

 

 出立まであと数日。

 ニノンはどれだけの巻物(スクロール)を書かなければいけないのかと、密かに頭を抱えた。

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