「ちょっとそれ、どういう事なの!?」
他の者が止める間も無く、イリスがおばさんに食って掛かる。
いきなりの事におばさんは面食らった表情をしたものの、年の功だろうか、すぐに元の顔を取り戻すと穏やかに話し始めた。
「あたしも詳しい話は知らないんだけどねぇ」
噂話に聞いただけだし、と前置きして。
「どうも、一緒に泊まってた騎士の一人がお仲間を全員殺して、そのまま巫女さんを攫ったんですって。こわいわぁ」
いやねぇと不安な顔をしながら、そう言った。
「ちょっと状況が良くわかんなくなってきましたよ?」
ニノンも若干頭が混乱してくるのを感じていた。
巫女が攫われる。
これはまあ、まだ分かる。
一緒に居た騎士の一人が仲間を皆殺しにして?
なんでよ。
「おばさんもそれくらいしか知らないの。ごめんねぇ」
こわいわぁ、と去っていくおばさんの後ろ姿を見ながら、ニノンは考える。
「今更仲間割れ……?」
目的地である
おそらく犯人には独自の目的が有って、その為には周りの騎士が邪魔だったのだろうという推測は立つ。
それで限りなく目的地に近く、ギリギリのタイミングで事を起こした。
そう考えられる。
だが、とも思う。
もう少し穏便に事を済ませるタイミングは、有ったのではないかと。
それこそ入山直後の方がむしろやりやすいはずだ。
だから、引っかかる。
「一体何が起こってるのよ……」
イリスは頭を抱えていた。
もう何がなんだか分からない。
「トト」
未来が冷静に、きょとんとしているトトに声をかけた。
「
未来の言葉を受けたトトが、んー、と集中するように目を閉じた。
そして数秒もする事なく、返事を返す。
「あの山の方に居るです。結構凄い勢いで移動してるっぽいですね。どんどん距離が広がってくのを感じてるです」
「なるほど」
ふむ、と腕組んだ未来は暫し思案する。
「犯人はあの霊峰に用が有る。だが、それは他の騎士達とは違う独自のものだった。そう考える事ができるか」
「だとしても、裏切るなら直前で良さそうなものですけどね」
ニノンの疑問に、未来も頷く。
「合理的な判断をするなら、そうなる。だから、この件は何かこちらが把握していない要因。非合理的な選択を選ばざるを得ないような何かが潜んでいる」
「つまるところ、判断材料が足りないって事ですか」
自分達が掴んだのは、事件の概要だけだ。
その真実を知るにはあまりにも情報が少なすぎた。
「確定しているのは、マルグリットが攫われ犯人と共に
「助けにいかないと!」
そのイリスの言葉には、切迫したものがあった。
誰が見ても分かる程に焦りが浮かび、早く動かないと、という焦燥感が全身から滲み出ていた。
「助けない方が、イリスさんには良いんじゃないですか?」
しれっとそう答えるニノンに、イリスは虚を突かれたような表情をした。
え?と何が言われたかわからないように、身を固まらせる。
「だってそうでしょ。多分犯人の目的は、あの子を聖女にする事じゃない。多分何か別の目的が有る。だったら放置すれば、イリスさんが自動的に聖女になれるって寸法です」
ですよね?とニノンは問いかける。
「実質的に牽引派は壊滅。つまり礎石派の勝利は確定的なんですよ、この状況は。あとはイリスさんがしくじらなければ、勝ちです」
意地悪く笑うニノン。
だがその視線だけは、何かを測るような鋭さを備えていた。
「ならこのまま放置して行けばいいじゃないですか。運が向いてきたって奴ですよ」
「そんな事できるわけ無いじゃない!」
イリスは叫ぶ。
「わたしはあの子を
はっとイリスが気づいた時には遅い。
失言したとばかりに口を手で覆うが、後の祭りであった。
「言えたじゃねえか」
うんうん、とニノンが頷く。
どこか嬉しそうに。
「始めから素直にそう言えば良いんですよ。めんどくさい」
「めっ」
めんどくさいって何よ!と抗議したかったが、その通りだとしか思えなくて、イリスは口を噤んだ。
「君が地位や権力を求める人間では無いという事は、短い期間で良く理解できている」
そうだろう?と同意を求めるように、未来が言った。
「君が動くのは、誰かの為だけだ。昨日の様子を見ればその相手は容易に想像がつく」
「ううううう」
「今更恥ずかしがっても遅えんですわ。バレバレっすわ」
うーとかあーとか呻いてしゃがみ込むイリスを尻目に、未来とニノンはしたり顔をしていた。
特にニノンは凄まじいドヤ顔だった。
「イリス。君の優先順位はマルグリット、彼女を助けるのが第一という事で良いのかな?」
「そうよ。あの子が聖女にならずに逃げられるなら、それでいい」
顔を俯かせたまま、イリスはそう答える。
「まあ聖女になるならない以前に、もっとヤバい事になってるけど」
「成る程」
未来は軽く頷く。
「
「何故か知らないけど、聖女は代々短命なのよ」
イリスが知る限り、聖女に選ばれた巫女は皆若くして亡くなっている。
一人の例外も無く。
「長くて十年。早ければ一年以内に皆死ぬわ」
「それもう呪いかなんかでしょ」
あちゃーとニノンは額を押さえる。
これが事実なら、そりゃ親しい人間には聖女になんかなって欲しくないだろう。
「聖女の話なんて御伽噺でしか出てこないの、そういう理由ですか」
「聖女任命されると、軟禁される形で大神殿の奥深くから出れなくなるの。一般の目には触れないから、今でも聖女が居るって知ってる人すら少ないわ」
「トトもそんなの聞いたことも無かったですよ」
「表向きの理由は勇者の来訪に備えるという話だけど、眉唾ね」
でしょうね、とニノンは思う。
勇者云々であれば、その反証が目の前に居る。
既に幾度となく勇者召喚が行われていた証拠が、ここに有る。
それでなお聖女がアプローチを起こした様子が無いというのであれば、やはり別の理由なのだ。
「状況は大分判明してきたな」
イリスの主目的は、マルグリットの救出。
彼女を聖女にせずに帰す事が目的。
そのマルグリットは正体不明の、騎士の一人と思われる相手に誘拐され霊峰へと向かっている最中。
ならば、指針を決める事は容易い。
「私達がやる事は、犯人の追跡。イリスが聖女になるかどうかは優先しなくていい。そういう事だね?」
「まあ正直、聖女に拘りなんて無いし」
最早聖女への興味の無さを、イリスは隠してもいなかった。
彼女としては聖女になるというのは手段でしかなかった。
「
「決まりだな」
ぱん、と未来が手を叩く。
「目的は少々変わったが、やる事はあまり変わらない。
「その後逃げたきゃ
未来は、しゃがんでいるイリスに手を差し出した。
その手は、どうする?とまるで問いかけるように、イリスの眼前に突き出されている。
イリスは迷いなくその手を取った。
ゆっくりと、だが力強く。
彼女は立ち上がる。
「行くわよ、あの子を助けに」
その言葉に、未来は笑った。
実に満足そうに、そして嬉しそうに。
「んじゃまず下手人の絞り込みからいきますか」
ニノンもどこか生き生きとしながら、
「昨日遭った時に、全員の
ふふん、と言いながら、ニノンはトトに幾人かの名前を告げた。
「今言った人間、全員との距離を測ってみてください。距離測れる奴が犯人です。まあ死体に反応するかは知らないですけど、その場合は動いてる奴でしょう」
トトは目をつぶって、精神を集中させる。
おそらく幾許もなく犯人は判明するだろうと、ニノンは考えた。
「とてつもなく便利ねこの子の
「対象の指定が現物無しで出来るのがほんとヤバいんだよなあ……」
ふんわりとした、◯◯との距離が測りたいという指定だけで、その対象がどこに居るのか、本当に存在するのかがおおよそ判明してしまう。
本来の想定とはまるで違うが強力無比な効果は、何度見ても驚嘆するものがあった。
「誰かわかれば、後はそこから深堀りしていけば経歴とかは判明しますからね」
濫りにする事ではないが、こういう緊急事態ならば相手の個人情報を抜くのも吝かではない。
「どういう人間か分かれば、対処もしやすいですからね」
動機は何か。
何を目的とするのか。
それが判明すれば動きやすくなる。
だからトトの
何か戸惑うように、想定外と慌てるように、うーんと首を捻っている。
「どうかしました?」
ニノンの問いかけに、トトは困惑したように答えた。
「それがですね」
本当に困ったように、トトは言った。
「
「へ?」
えーとですね、ともう一度騎士達の名前を全員分挙げる。
まさか漏れが有った?
だが再び意識を集中させるトトは、ゆっくり首を横に振る。
「やっぱ引っかからないです。あの山に登ってる犯人」
トトは確信して言う。
「騎士じゃねえですよ、絶対」
トトが困惑しているのと同時刻。
マルグリットは、男に担がれるようにして連れ去られていた。
彼女の意識が覚醒したのはつい先程だった。
ベッドで眠っていたはずが、気づけばこんな山の中。
しかも、手足は縛られていて自由に動かせない。
口には猿轡がされており、自由に喋る事もできない。
むー!むー!と声を上げて身を捩るが、がっしりと彼女を捕らえる腕はびくともしなかった。
「目が覚めたか」
若い声が、自分の背中側から聞こえる。
少年というには大人びており、大人というには幼い声だった。
「できれば目的地まで寝てて欲しかったんだけどな」
「んー!」
なんで、とマルグリットは声にならない声を上げる。
一体何故こんな状況になっているのか。
そもそも、自分を捕らえているこの男は誰なのか。
彼女には、何もわからなかった。
マルグリットは力を振り絞って、揺られながらちらりと横を見る。
自分を運んでいるだろう男の後頭部。
それが見えた。
特徴的な黒い髪。
ちらりと見えたその色が、やけに印象的だった。
まるで、とマルグリットは思う。
まるで勇者のようだと。
もしマルグリットが正面から相対していれば、さらに多くの事がわかっただろう。
自分達とは違う顔つき。
まるで異世界から来たような、彼女が目にしたことの無いその人種。
御伽噺にだけ語られる彼ら。
日本人と言われる者達だと、彼女は未だ知る事は無かった。