崩界のオブリテレーター   作:エチゼン鏡介

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第163話 恩寵を抱えし者

 同時刻。

 

 男とマルグリットの歩みは止まろうとしていた。

 

「くそっ」

 

 男が悪態をつく。

 忌々しげに、しかしどうしようもないとでも言うように。

 

 大きなマントで風雪を避ける、その内側。

 彼の腕の中には、疲労困憊して意識を失いかけたマルグリットの姿が有った。

 

「こいつの体力じゃ、俺の移動に着いてこられないか」

 

 彼としては、一刻も早く目的の場所に着く為に、休息など取りたくはなかった。

 彼自身の体力はまだ万全であり、目的地まで休まず進む事も出来ただろう。

 

 しかし同行しているマルグリットは違った。

 彼女が自分の()()でここまで疲労するとは、想定外だったのだ。

 

 見た目からして線が細く、まさに触れれば手折れるような儚げな少女であるマルグリットは、見た目通りにあまり体が丈夫とは言えなかった。

 

 勿論日常生活を送る程度なら問題無い。

 だが、このような険しい山で強行軍、しかも()()()()()()でそれを行われれば、激しく体力を削られ倒れてしまうのは自明の理であった。

 

 ()()()()()()()彼は、その事を失念していたのだ。

 

 普通の人間は、ここまで弱いと。

 

 ――これからは、こまめに休憩を挟むか。

 

 ぐったりとした巫女を見ながら、男はそう考える。

 

 この激しい吹雪を避ける為にも、()()は行使して進まなければならない。

 だがそうすると、巫女の疲労は激しく、定期的な休息が必要となる。

 

 早く進もうとすればする程休息ポイントは増えていく。

 この、二律背反。

 

 思うままにならない現実に、男は頭を掻きむしった。

 

「あと少し、あと少しなのに」

 

 男の心を焦燥感が支配する。

 

 ここに来るまで何年かかった?

 苦労を重ね、ようやく辿り着いたのに。

 だというのに、最後の一步がこんなにも遠い。

 

 苛立ち紛れに、男は横に有る岩壁に拳を叩きつけた。

 ガン、という鈍い音と共に、岩壁に亀裂が入る。

 ぱらぱらと落ちるはずだった細かい欠片が、激しく吹き付ける風に舞い上げられ、白い世界に消えていった。

 

 ――落ち着け。

 

 ゆっくりと呼吸を整え、心を落ち着けさせる。

 ここで失敗したら全てが台無しだ。

 焦らず、確実に行くんだ。

 

 数十秒かけ息を吸い、そして同じ時間をかけて吐く。

 そのような緩やかな呼吸を数度、男は繰り返した。

 

 ささくれだっていた己の心がなだらかに、平穏を取り戻していくのを男は感じていた。

 そうだ、落ち着け。

 焦りは思考も鈍らせる。

 

 それで今までも、何度も失敗しそうになったじゃないか。

 

 そう自分に言い聞かせて、男は自分の心を押さえつけた。

 

 じっと、己の掌を見る。

 豆だらけで、無骨になってしまった手。

 くすんだその肌を見る彼の目は、何処か遠い所を見ているようだった。

 

 

 

 十分か、十五分か。

 

 一言すら漏らす事無く、ただ息を整えていたマルグリットが、ようやく回復の兆しを見せていた。

 朦朧とする意識が徐々にはっきりしていき、状況を把握する。

 

 ――ここは……もう、拒絶山峰(モン・イナクセシブル)の中?

 

 ()()()()()()の中、周りを確認する余裕すら彼女には無かった。

 ここに至ってようやく、彼女は霊峰の奥深くまで連れてこられたのだと理解できた。

 

 ――何故?

 

 彼女がまず思ったのは、それだった。

 そもそも彼が誰なのかも何をしたいのかも分かっていない。

 

 この黒髪の男と会った事は、記憶の限り無かったはず。

 

 初見の男が何故この山に登りたがるのか。

 それがまず疑問だった。

 

 拒絶山峰(モン・イナクセシブル)はその名の通り万人を拒絶する聖地。

 神に最も近い山とは言われるが、そこには何も無い。

 ただ聖女として啓示を受けるだけの場所のはず。

 

 そこに一体何の用が有るというのか。

 

「どうして」

 

 まだ整いきらぬ呼吸の中、マルグリットはそう問いかける。

 

「どうしてこのような事を」

 

 その言葉に、男は虚を突かれたような驚いた顔をした。

 さも意外であるかのように、心から驚いた表情。

 それが彼には浮かんでいた。

 

「どうして、なんて光神教の連中に言われるなんてな」

 

 そう呟く男は、自嘲めいた顔つきに変わっていた。

 

「イラつくぜ、正直」

 

 男の目に浮かぶのは、憎悪。

 全てを燃やし尽くさんばかりの激しい怒りが、その瞳には宿っていた。

 

「全部、全部」

 

 呪詛のように、断罪のように。

 彼はそう口にする。

 

「全部、お前たちの所為だろうが」

 

 何が、と聞きたかった。

 だが、マルグリットの喉からは一言も出てこない。

 

 あまりにも強い、憎しみの圧。

 それが彼女から言葉を奪い去っていた。

 

「俺達がどんな思いで」

 

 そこでぐっと、男は言葉を飲み込む。

 その先を言えば後戻りはできないとでもいうように。

 

 口を噤んだ男は、ただ、剣呑な視線だけをマルグリットに寄越した。

 

「喋れるようになったなら、もう行けるな」

 

「え」

 

 マルグリットは思わず身を固まらせる。

 

 あの移動をまた?

 それを思うと、心に恐怖が湧き起こる。

 

「そろそろ慣れろ」

 

 マルグリットの様子を察したのか、男がそう言った。

 

「適当に目でもつぶって、息を止めてろ。それで済む」

 

「一回なら我慢できますけど」

 

 思わず、彼女も言い返す。

 

「あんな何度も何度も、立て続けに行われてはこっちが持ちません!」

 

「チッ」

 

 忌々しげに男は舌打ちしながら、しかし一方で冷静に考える。

 業腹では有るが、この女の言う事も一理有ると。

 

 急ぎすぎた結果がこの足止めだ。

 まだ体力も回復しきっていないのは見え見えであるし、連続で()()すればやはりすぐにダウンするだろう。

 となれば、仕方ない。

 

「今度は多少、間にインターバルを設けてやる」

 

 そこが妥協点だと、彼は言った。

 

「手早く呼吸を整えるんだな」

 

 そういうと、男は有無を言わさずマルグリットの手を掴んだ。

 

 マルグリットが悲鳴を上げる間も無く。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――ものに潜る能力。

 

 この恩寵(チート)は、文字通り物質に自分を潜り込ませる事ができる。

 自らが侵入する意思を持つ事で、壁だろうが地面だろうが、まるで水中のように自分の体を浸す事が可能。

 

 弱点は、物質と同化してしまう為呼吸もできなければ視覚もその他五感もほぼ機能しなくなる事。

 唯一触覚だけは十全に機能するが、全身を不快な感覚が包み、むしろ消えてくれとすら思う有様だった。

 このように埋まったが最後、ほぼ感覚を封じられた無呼吸ダイビングを強いられる事になってしまうのがこの恩寵(チート)だった。

 

 強力なようでいて、使い勝手が限られる。

 そんな恩寵(チート)だった。

 

 この恩寵(チート)単体であれば、さして意味は無かった。

 

 ずぶずぶと全身を地面に浸すまで潜った男は、次なる恩寵(チート)を続けざまに発動する。

 

 ぐん、と。

 

 突如、男とマルグリットが()()()()()()()()()ように、急激に土中を移動する。

 見えないゴムロープが結わえられていて、目一杯引き伸ばされたそれが元に戻るように。

 急速に、そして力強く、二人の体は緩やかな角度で地面へ向かって引きつけられる。

 

 ――自分とものを引き付ける能力。

 

 自分と指定した対象に、まるで磁力のように引き合う力を付与できる。

 目視できる対象に対し発動可能で、発動した瞬間から双方は互いに引きつけ合い始める。

 その力は強力で、決して逃れる事はできない。

 

 自分の体重より大幅に軽い、手で持てる程度のものであれば、まるで自分に引き寄せられるように対象は寄ってくる。

 

 逆に自分より遥かに重い、もしくは固定されている対象であれば、逆に自分がそちらに引き寄せられるような動きになる。

 

 そして双方が同程度の重量であれば、互いが引き合い、ぶつかるような動きとなる。

 

 今男は地面、正確にはその地表に対しその能力を行使していた。

 地面に潜る直前、男は遙か先の移動場所、その表面を目視し、能力の目標と定めていた。

 結果大地という圧倒的質量を前に、二人の体はぐんぐんと地面に向かって引きつけられていく。

 

 恩寵(チート)という神の御業により与えられた推進力は、時速に換算し七~八十キロを優に越える速さを誇っていた。

 

 男は二つのチートを組み合わせる事で隠密かつ高速移動を行っていた。

 また、地面に潜る為、風雪の影響は限りなくゼロとなっており、彼らの負担を軽くしていた。

 尤も、その代わり無呼吸無感覚という地獄を味わっているのだから、どちらが良いという話でもないだろう。

 特に、わけも分からずこれに付き合わされているマルグリットにとっては。

 

 二人の体が、地面の中を滑るように登っていく。

 山の斜面などものともしないように、まるで弾丸の如く進んだ。

 

 それが数十秒続いた頃だろうか。

 

 ようやく、二人は地上に顔を出す。

 勢いよくまるで吐き出されるように、二人の体は小さく地面に跳び上がった。

 

 着地した男は後ろを振り返る。

 吹雪で遮られ良く見えないが、移動距離はおおよそ五百メートルくらいか。

 

 男単体であれば、もっと長い時間潜って長距離を移動する事も可能だった。

 しかしひ弱な巫女を連れては、ここが限界であった。

 

 隣では、マルグリットがごほごほと咳き込みながら、どうにか新鮮な空気を取り込もうとしていた。

 凍えた空気で肺が痛むのも構わず、彼女は激しく呼吸をしていた。

 

「一分だけ待ってやる」

 

 男は冷淡にそう言い放った。

 

「そうしたら、また移動するぞ」

 

 恨めしそうに男を睨みつけるマルグリットの視線を、男は涼しげに流していた。

 例えどのような目で見られようと、それが光神教徒であれば彼にとっては何も気になりはしない。

 

 男からすれば、忌むべき怨敵以外の何者でもないのだ、このイカれた宗教家達は。

 今更好かれたいとも、仲良くしたいとも微塵も思ってはいなかった。

 

「もうすぐだ、もうすぐ」

 

 彼が見ているのはただ一点。

 

 拒絶山峰(モン・イナクセシブル)の、その頂点。

 

「ようやくだよ、皆」

 

 そんな男の呟きは吹雪の中に消え去り、誰に届く事も無かった。

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