翌日も、道行は順調だった。
稀に試練とばかりに先日の
最初は驚いていたイリスも、もう三度目には慣れて何も言わなくなった。
そういうものだと、割り切った。
「これ置いた連中も、こんな扱いされるとは思って無かっただろうなあ」
この人型の存在は神話の時代の遺物であり、現在では再現できないオーパーツの一つだった。
一体如何にしてこの巨体を動かしているのか、未だに解明されていない。
ただ唯一、核が弱点である事が知れ渡っているだけ。
その構造から実は魔族なのでは?という珍説すら飛び出す始末だった。
だがその構造を見れば人の手により作られたものである事は一目瞭然であり、それがまた謎を深まらせていた。
魔法史を研究している者にとって、このような法則を無視した魔法の遺物の謎を探るのは人生の目標の一つであった。
「いちいち邪魔されるのは面倒なだけなんだけどな」
幾度戦おうと、何体倒そうと。
当の未来は疲労の色すら見せていなかった。
顔には汗一つなく、涼しいものだ。
「すんなり通してくれればいいものを」
「ただ山登らせるだけじゃ格好が付かないと思ったんじゃないですか」
「どうせ一撃で壊れる程度の玩具だろう」
「一撃で壊せる方がおかしいんだよ!」
本来なら普通の戦力では大苦戦を強いられる事間違いなしの強敵のはずなのだ。
巨大な体躯と膨大な質量はそれ単体で脅威であり、それが思考しながら技術を用いて動いて襲ってくる。
硬い外装は並の刃では歯が立たず、砕こうにもその衝撃も減じられる。
その他放射系の魔法等で攻撃しても
とにかく強さの塊みたいな存在なのだ、
それをぽんぽん壊してるのがおかしい。
こいつほんと常識が効かねえなと、毎度のようにニノンは呆れた。
「先行してる犯人が一体も倒してない時点で察して欲しいよなあ……」
ここに来る過程で、
つまり、先を行く犯人はなんらかの方法で戦闘を回避し、スルーしたと言う事になる。
戦闘を選んでない時点でまともに戦おうとする相手でないと言っているようなものではないか?
多分置いた奴だって、一時的に戦闘不能にして逃げるのを想定してるだろこれ、とニノンは思わざるを得なかった。
「そろそろ追いつくですよ」
トトが神妙な顔をして、そう報告してきた。
「あっちも止まったみたいです。目的地に着いたですか」
「そろそろ啓示場のはずよ」
ここまでぐるぐると回るように山の斜面を歩き登ってきた。
高い山の表面を、まるで螺旋塔を進むようにしてきて徐々に山頂へと四人は進んで、ついに目的地手前まで迫っていた。
「やっぱりあっちの目的も
イリスの表情はやや固く、声色もこわばっていた。
「急ぎましょ。もし犯人の目的の一端がマルグリットを聖女にする事なら、あの子が危ないわ」
急がないと。
そんな気持ちから自然と足早になり、イリスは一人先行する形になってしまった。
他三人が制止する間も無く彼女は突き進む。
「待ってくださいよぉー」
あんま一人で行くと魔法の範囲から外れるんですけど?と、イリスに追いつこうとしたニノンの目の前で、それは起こった。
唐突に、イリスの姿が消える。
「ファッ!?」
突如の消失に、ニノンは思わず身を固まらせた。
一切の予兆も、なんの痕跡も無く。
イリスは唐突に消えた。
「なんでえええええ!?」
少なくとも、魔法の反応は無い。
となれば
「トト」
未来の短い呼びかけに、トトは即座に意図を汲み取った。
「確かにこの先にイリスは居るですよ」
トトはやや困惑したように、そう報告した。
「でも、見えないです」
「少なくとも無事なのは確定か」
未来はそのまま、イリスが消えた辺りを進んでいく。
「慎重に、と言いたいが、イリスがどうなっているかも分からない。行こう」
そしてそのまま、イリスが居た辺りまで躊躇無く進み――
未来の視界が、暗転した。
まるで突如違う場所に放り出されたように。
光景ががらっと変わる。
激しく雪が降り風が吹き荒ぶ険しい山の斜面だったはずの光景は、完全に様変わりしていた。
周囲に広がる黒い闇。
いや、それは広がるなどという生易しいものではない。
どちらを向いても闇が広がる、暗黒の空間。
しかし頭上を見れば、そこには
まるで凝縮されたような、丸い
空に浮かんだシャーレのようなそこには、所狭しと星々が並べられていた。
そして、足元。
そこはやはり大地ではない。
空とは違い何も無い、虚無のような黒。
星の一つもない真の漆黒。
それが、底なしの穴のように存在していた。
光の天と、暗き地。
神々しくも恐ろしい光景がそこにはあった。
そして何も無い空間のように見えたそこには、しかし接地面を表すように
それは実存する線ではないと理解できるのに、確かにそこに存在していた。
矛盾する奇妙なガイドが、唯一足を支える論拠だとでも言うように。
「ここは……」
常に表情を崩さない未来の顔が、明確な驚愕に歪む。
それ程までに衝撃的な光景だった。
隣を見れば、イリスも呆然と立ち尽くしている。
目を見開きぽかんと口を開け、言葉を失っていた。
「なっ、……なんじゃこりゃあああああああ!?」
後から続いてきただろうニノンは叫んでいた。
「私ら雪山に居たんじゃねえの!?」
ニノンは混乱しつつも、その裏で思考を回す。
トトの
だというのに、まったく別の場所へと移動したかのような光景。
幻惑か?
その可能性が一番高い。
だがその思考とは裏腹に、直感はこれが
あまりにも矛盾した感覚。
それがニノンの脳を苛み、胃をかき混ぜるような感覚を与えていた。
「ふええ」
想像を越えた光景に、トトも小さく声をあげ、固まるのみだった。
完全に彼女の頭では理解できない異常な光景に、イリスともども立ち尽くすしかできなかった。
「やべーって」
咄嗟に戻ろうと後ろに下がったニノンだったが――
「戻れねえええええ!?」
再び絶叫する事となった。
進んでこんな所に来たんだから、下がれば戻るだろうと後ろへ行っても、目の前の光景が変わる事は無い。
広大な闇が目の前には広がっていた。
たった一步、進んだだけで。
まるで違う場所に閉じ込められてしまった。
「な、なんですかねえこれ」
歪んだ笑いを浮かべながら、ニノンは未来に視線を向ける。
一方の未来は考え込むように、ただ天を見つめていた。
あまりにも理解を越えた光景。
――ここは、なんだ?
その疑問が溢れ出て尽きない。
唐突に変わったこの光景には、何らかの意味や意図が有るはずだと未来は思っていた。
単なる戯れで作り出すにはあまりにも奇妙過ぎる。
きっと重大な何かが、この空間には潜んでいる。
その予感が拭い去れなかった。
「戻れない以上、進むしかない」
未来はそう断言した。
判断するには情報が無さ過ぎる。
そして情報を得るには、行動しかない。
「こ、これ、歩いて大丈夫なの?」
イリスはおそるおそる足を動かす。
前に踏み出せるかどうか、ちょんちょんと先をつま先で叩いて確かめるようにしていた。
ぐっと指先を押す感触をイリスは覚えたが、それでも信用できなかった。
視覚から伝わる光景が全てを拒否していた。
足元に広がる
トトはいつのまにかぎゅっと未来に抱きついていて、縋るような視線を向けていた。
「足裏からの感覚はここが平面だと伝えているが」
彼女の足は確かに足裏からの反作用を感じていた。
勿論、重力も有る。
だがそれでも、その感覚を疑いたくなるほどにこの空間は異常だった。
未来以外の三人にとっても、それは同様だった。
そして未来以上に深刻でもあった。
目に映る光景の異常さと、感覚が受ける変わらなさ。
その二律背反に一秒毎に精神が削れる音がする。
彼女達の呼吸も徐々に荒く、乱れつつあった。
聖女認定の試練を受けた者が口外禁止の措置を受ける理由を、四人は今まざまざと実感していた。
このような光景、どうやって説明すればいいというのか。
「ニノン、何か周りに展開できて目に見えるような魔法は無いか?」
未来がそう提案する。
「まず
無言で頷いたニノンは、動揺しながらも杖を掲げた。
「えーと、じゃあ……
ニノンが展開したのは魔力の防御フィールドを張る魔法だった。
半円状に展開されるこの魔法は、薄いドーム上の魔力の膜が目に見える。
四人の周りに、その魔力壁が半円状になって現れ包む。
目に見える壁の出現。
そして、半円状という、地面で遮られたような魔法の効果。
「……なんか、確かに落ち着いてきたわ」
ほんの薄壁一枚。
だがそれは、心の均衡を驚く程に回復させていた。
壁と床の存在が、無限に続く空間に有限を作り出し、心に安寧を齎した。
「助かりました未来さん」
自分だけではこんな判断はできなかったとニノンは思う。
正直な所、既に冷静さを失っていた。
このままだと恐慌していたかもしれない。
「この空間は危険だ」
完全に無ではない。
だが限りなく五感を冒すこの場所に長時間居るのは危険だと未来は判断した。
「手早くマルグリットを取り返して脱出しなければ」
「脱出できるんですかねぇ」
「歴代聖女が出てきてるんだ。出る方法は必ず有る」
少なくとも、永久に閉じ込められる事はない。
だが五体満足で精神健やかにと行かないのは、過去が既に証明している。
「幸いな事に、行く先はわかる」
トトが居る限り、それを見失う事はない。
それは大きな救いだった。
「行くぞ」
四人はゆっくりと進み始める。
まるで闇を泳ぐように、緩やかに。
そして、恐る恐ると、彼女達は足を踏み出した。