導いた、という言葉。
そこに、僅かながらに未来は表情を動かす。
純然たる興味、そして添えられたような不快感。
彼女の顔にはそれが有った。
「君が私と大魔将が戦うよう仕向けたと?」
冷たい硬質な声色で、未来が尋ねる。
「残念ながら、私達はこの世界への直接介入を自由にできるわけではありません」
エレクトラはそう首を横に振り否定した。
「できる事はほんの僅か。そよ風程度の微力な影響を与えられるだけです」
上位に立つ立場であれ、全能ではない。
そこまで融通が利くのであれば、このように迂遠な会談を彼女が行う必要はそもそも無かった。
「私達がした事はたった一つ」
精一杯の干渉。
それは――
「
「なるほど、グリか」
未来は即座に思い当たる。
大魔将との初めての邂逅の後。
まるで作為的なまでの、乗ってきた馬との幸運な再会が有った。
確かにそれは自然に起こるにはあまりにも不自然な出来事だと、未来も訝しんでいた。
「確かにあそこでグリと出会わなければ、おそらくジョーフィアは逃がしていただろうな」
あそこでグリと出会わなければ、ダラマトナへの帰還は間違いなく遅れていた。
もし遅れていれば、トトは殺されていただろう。
トトが殺されれば、大魔将を的確に追う事は困難になっていた。
足跡は追えるだろうが、進むための足が無い。
自ら駆けて数百キロ追いかけるというのは現実味に欠ける。
たった馬一頭。
それと出会わないだけで、状況は一変していたはずだ。
「初遭遇と敗走の後、貴方は大魔将を取り逃がす事になる」
起こるかもしれなかった既知の未来を、エレクトラは語る。
「そして大魔将を追う手がかりの一環としてこの場所へ、マルグリットを伴い訪れるはずだったのですが」
しかし、その未来は訪れなかった。
未来は大魔将ジョーフィアを下し、イリスと出会ってこの霊峰へ足を踏み入れる事となった。
「そうでなかったと言う事は、私達の介入は成功したという何よりの証拠でもあります。喜ぶべき事でしょう」
「まあ、グリの件は実際助かったから礼は言っておくよ」
どういう思惑が有れ、結果的にトトの命が助かる事となったのであれば文句は無い。
未来は一先ず目の前の女の話を聞き続ける事とした。
「要するに大魔将を倒すと莫大な
「はい。先程も言いましたが、私達は無制限にこの世界に干渉できるわけでは有りません。手順を踏んで、
回りくどく、半ば運に任せ。
エレクトラは未来を導いた。
必ず大魔将を倒すと信じて。
「貴方が
「侵略者」
むしろ無理矢理連れてこられたのだけれど、と未来は心の中で独りごちる。
「そしてその登録には、莫大な
「それを満たす為には大魔将の撃破が必須だったと」
「魔将でも二十人くらい倒せばなんとかなるのですが、この国ではそんなに出てきてくれないので」
本当に困ったものですね、とエレクトラは顔に手を当て、何度目かの嘆息を見せた。
「よりによって一番弱くてどうしようもない所に中枢が置かれているのは、白の軍勢にとっては不幸な話でしょうね」
「一つ気になったのだが」
ふと、エレクトラの言葉に疑問が浮かぶ。
「その口ぶりだと、どうにも
「魔王は地上へと侵攻した際、白の軍勢の領域を幾つかに分断しました」
さっとエレクトラが手を振る。
それに呼応するように、虚空に地図が現れた。
見覚えのない大地、見知らぬ大陸。
明らかに地球のものではない世界が描かれていた。
そしてその地図の大地が、虫食いのように塗りつぶされていく。
やがて地図上には五つの空白だけが残り、他は全て黒い色で染められてしまっていた。
「地上世界を五つの領域、彼らが
ある程度の大きさで抵抗できるだけの余力を残し。
その上で、決して勝つ事はできないだろう範囲。
その範囲で地上を分断し、区画を形成した。
これが魔王の行った、必勝かつ勝利してしまわない為の調整であった。
「全ての
「とんだ茶番だな……」
何もかもが救われない。
「だが良いことを聞いた。最悪、この国から出て他の
「普通の人間なら自殺行為ですが、貴方とお仲間が揃っていれば不可能ではないでしょうね」
魔族が大量に跋扈し、侵入すれば即座に魔族側も戦力を投入してくる魔族の領域。
そこを進むのはどれだけの軍を投入しても不可能と言えた。
「そもそも貴方はそこを踏破して魔王を倒しますからね、大抵は」
だが天音寺未来であれば、為せる。
怪物に道理は通用しない。
「さて」
エレクトラが頭上に手を振りかざす。
天より何かを授かるように、恭しく、そして力強く。
「では、そろそろ始めましょうか」
唐突に、光が生まれた。
深い闇に包まれた世界に突如太陽が現れたように、二人の頭上が輝く。
「
光が、一際強くなった。
未来は目を細めながらそれを見る。
その光を、未来は知っていた。
「全ての祖、大いなる太母の名に誓い、ここに銘記する」
――世界の果て。
かつて
より強く、より存在感を増して。
まるで常世に現出した神のような圧倒的な存在感で、頭上に鎮座していた。
「――
世界の果てが、全てを埋め尽くすような光を放つ。
何も無かった虚空の全てが光で塗りつぶされ、黒かった世界が一瞬にして白へ反転した。
あまりの光量に、未来も思わず目をつぶり手で覆う。
目を灼いてしまうかのようなそれは、覆っていてなお貫通してくるかのような錯覚を彼女に覚えさせた。
光が満ちていたのは僅か数秒。
唐突に世界はまだ闇と虚無に包まれる。
まるで最初から存在しなかったかのように光球は消え、辺りは静寂に包まれた。
「これで登録は完了しました」
にっこりとエレクトラは微笑む。
「今より貴方は赤の軍勢です、未来さん」
「だからと言って何が変わったわけでも無さそうだが」
身体的な変化は何も無い。
精神的には、自覚症状が無いので判別不能。
主観の変容というものは兎角認識し辛い。
もし密かに価値観を変ずるような何かを埋め込まれても、今の未来には理解できないだろうと認識していた。
「言ってみればラベルを貼ったようなものですからね」
こう、ぺたりと。
エレクトラは可愛らしい動作で、手を空中にぺちぺちと叩きつける。
「貴方自身の変化は何も有りません。それを認識できる者も一人を除いて居ません」
「その一人というのは」
「魔王ですね。彼は世界の裏側に指一本食い込んできている存在なので」
ふうん、と未来は静かに頷く。
「人類を滅ぼしかけているだけあって、大した傑物のようだな魔王というのは」
未来の言葉にエレクトラも、ええ、と感心したような素振りを見せる。
「
「成果、か」
未来の眼差しが鋭さを帯びる。
エレクトラ、そして彼女の属する集団の望み。
それは間違いなく、単なる世界の存続などでなはい。
「私に一体どんな成果を望んでいる? 私を生かし続ける為に時間を越えた小細工までして、何を得ようとしている?」
善意で手を差し伸べているのではない。
自分に何かをさせたいからそうしているのだと、未来も気づいている。
「それは貴方自身自覚できているものではなく、また説明して理解できる事項ではありません」
そう、エレクトラは頑として言った。
「貴方はただこのまま生きて、そして思うがままに行動してくれればいいのです。それが最終的に、私達の望みへと繋がる可能性が生まれます」
「ふうん」
隠すべき話なのか。
それとも、本当に理解しがたいものなのか。
それをエレクトラの表情から読み取るのは困難だった。
「まあ、いいさ」
この女が上位者であるという事は、理解できている。
今はそれでいい。
少なくとも今は、友好的だ。
なら、ここは大人しくしておこう。
未来は冷静に彼我の戦力差を測り、そして次を考える。
「とりあえず要件が済んだなら帰して貰えないか」
そう言いながら未来は椅子から立ち上がる。
「あんまり待たせると、怒られてしまいそうなのでね」
「送り返す事はすぐに出来るのですが」
しかしそう言いながら、ふふ、とエレクトラが笑う。
「どうやら来客のようです」
彼女がそう言った刹那。
ぼうっ、と、二人の人影が現れた。
「えっ!?」
驚いたような、少女の声。
「な……なん……だ……?」
もう一人は、男のくぐもった声。
「ようこそ」
エレクトラが両手を広げ、二人を迎える。
「ここは一体」
その少女の顔は、未来はよく覚えている。
マルグリット。
イリスの探し人が、そこに居た。
その足元には見知らぬ男が一人倒れている。
苦しそうに喘ぎ、その右足はあらぬ方向にねじ曲がって地に伏している。
黒髪の東洋人といった顔立ち。
そこに未来は懐かしいものを感じた。
「良く来ましたね、今代の聖女。待っていましたよ」
慈愛の表情を浮かべ、エレクトラはマルグリットへと向き直る。
「貴方は、一体どなたなのですか?」
状況が掴めず、混乱して。
ただそう、マルグリットは誰何する事しかできなかった。
「貴方達に合わせた言い方をするなら、そう」
この空間の主である白い女は続ける。
「――白の聖女エレクトラ。そう呼んでください」
エレクトラはそう言ってにっこりと微笑んだ。
それはあまりにも美しく、作り物めいた笑顔のように未来には見えた。