四人の雅人はほぼ同時に、同じ過去を想起した。
この世界へと召喚された時の事を思い出す。
西浜雅人が召喚されたのは、今から五年前の事だった。
まだ高校三年に上がったばかりの雅人が学校へと通おうと見慣れた通学路を自転車で走っている最中、それは突如起きた。
塗りつぶすような白。
光そのものが世界になったかのような一瞬の間を置いて、次の瞬間にはまったく別の場所へと彼は飛ばされていた。
「ここは?」
まるで切り替わったように入れ替わった周囲の光景に、戸惑った事を彼は良く覚えていた。
白亜の壁に囲まれた、ホールのような部屋。
秘された聖地の一つ、サン=ヴォワイエの地下に彼らは召喚された。
きょろきょろと辺りを見回すと、自分と似たような行動を取っている、同じ年頃の男女が九人。
その様子になんだか安心感と共感を覚えながら、恐れと警戒で雅人は身構えた。
だがそれもすぐに和らいだ。
おずおずと現れた巫女――最早名前も忘れた――が告げたのだ。
貴方達は勇者だと。
魔王の脅威に脅かされるこの世界を救う為に喚ばれたと。
そして恭しく貴賓客を迎えるような扱いを受ける内、警戒心も薄れていった。
それが間違いだったと今ならわかるが、その当時の雅人はただ浮かれるのみだった。
砦の二階に存在する休憩室、そのソファーに身を静めながら、雅人は溜息をつく。
「食べた相手を再現する能力って」
召喚者達に神から与えられる特殊能力、
その使い方は当然のように頭に刷り込まれていた。
だからこそ、わかってしまう。
この能力の使い辛さが。
食べた相手を再現する能力。
相手の一部を取り込む事で、それに応じた時間だけ相手の姿形と能力を真似る事ができる能力。
一見すると強そうではあるのだが――
「使いたくねえよこんなもん……」
人を真似るのであれば、当然人の一部を取り込まなければならない。
だからと言って、人の肉を喰うわけにもいかず。
髪や爪を口にしても、数秒程度しか変化時間が無い。
何より、生理的にキツ過ぎる。
ならば人間以外、動物等はどうかと言えば、効果としては決して悪くはない。
動物の肉を食せばきちんと動物の姿に変身もできるし、その力も再現できる。
魔族の肉であれば、魔族にすらなれる。
だが――
「動物にはもう二度となりたくねえ」
動物に変化すれば、その知能までもが同じラインまで落ちる。
強制的に脳と意識を泥のように変化させられるおぞましさ。
それは経験した事の無い人間には理解できない不快さだった。
魔族への変化も同様だった。
こちらは知能としては明晰なのに、自我が限りなく薄くなっていくような、何かの一部に組み込まれてしまったかのような感覚を覚える。
どちらにせよ、心を壊すに十分だった。
総合すると、あまりにも使えない
「まあ、気を落とすなって」
気落ちする雅人の肩にぽんと手を置いたのは、大柄な少年だった。
百九十センチを越える身長に、がっしりとした体躯。
浅黒い肌はその快活さをより際立たせていた。
雅人と同じく召喚された高校生の一人だった。
「俺の
そう言って哲也は
「地面とか壁とかに潜れたからって、魔族との戦いになんか役立つのかよ」
そう言いながら哲也は地面を泳ぐ。
故にこうして泳ぐような事も可能になる。
「勇者として戦え、って言うならもうちょっと気前良く凄い
そう言うのは
哲也と対照的に百五十センチも無い小柄な彼女が持つ
「こんな手品で何しろってんだろ」
そう言いながら、ぽいぽいっと手元のケースから取り出したペンを数本空中に放り投げる。
放物線を描いて宙を進み、地面へと落ちるかと思われたそれらは、途中で縫い留められたようにぴたりと静止した。
「ものを固定する能力、って言っても、こんな小さくて軽いものしか止められないんじゃさあ」
千夏の
一見するとやはり強力に思える力だったが、その作用範囲が問題だった。
軽く、小さいもの以外に作用しなかったのだ。
しかも発動のトリガーとして自分が視認できるものに限られる為、例えば銃弾など自身が認識できない速度で飛んできたものには使えない。
なんとも片手落ちの
「それに比べると、俺は大分恵まれてるな」
雅人の隣に座っていた少年が、手を伸ばす。
前に置かれていたテーブルの上、その籠に積まれていた林檎のような果物が、その手に吸い込まれるように飛んできて収まった。
「割と使いやすいし」
果物を口にしながら、
「ものとものを引き寄せる能力か」
羨ましいな、と雅人は素直に思う。
この
磁力や引力のような力をものの間に発生させ、双方を引き合わせる事ができる。
応用範囲は広く、自分とものを対象にする事で今のように小さな物品を自分の手元に引き寄せる事ができたり、ものとものを対象にする事で、その間に敵を挟んで攻撃したりと無限大の可能性を秘めていた。
召喚者の中ではかなり
「きちんと訓練もしてくれてるし、
千夏の気楽そうな言葉に、皆も心の中で同意していた。
四人はまだ、事態を楽観視し過ぎていた。
数多はびこるフィクションの世界をなまじ知っていた為、
自分達は選ばれた英雄で、華々しく活躍できるものだと。
無知と既知が混ざりあった無邪気さが、彼らから警戒心を奪っていた。
そしてそのツケの精算は思ったより早くやってくる。
初陣で彼らが相対させられた相手は、魔将という敵の幹部だった。
「魔将相手にこの世界の人間は戦う事ができない」
そう説明され、自分達こそ切り札だと言い含められ。
高校生十人はいきなり敵の最強戦力と対決させられる事となった。
結果は言うまでもない。
戦闘が始まり、どれだけの時間が経っただろうか。
「畜生……」
苦痛に耐えながら、剣を杖になんとか雅人は立っていた。
既に仲間の半数以上が地に倒れ、息をしていない。
そして雅人自身が今生きているのは、優れていたからではない。
なんの有用性も無い
目の前では浩が魔将――赤い水晶の鎧を纏った敵と、剣を交わしている。
だがそれは互角の攻防ではない。
浩が必死に攻めるのを、魔将は涼しい顔でいなしている。
その様はまるで、必死に師に一本入れようとする弟子の姿のようだった。
「筋は悪く無いな、
怜悧な女の声が、感心したように響く。
「だが惜しい。練度が足りないな。あと数年鍛えてからであれば、多少の戦いにはなっただろうに」
そう告げる魔将の剣捌きは軽やかで淀み無く、見惚れるような美しさを保っていた。
――くそっ!
浩は心の中で悪態をつく。
彼の
だというのに、剣捌きが止まる様子は無い。
まったくの効果が無いようにすら思える。
だが違う。
もし
地に伏せる仲間達のように。
そして魔将の頭の脇、肩の上には、無数の小さな針が浮かんでいる。
魔将が使う、細やかで凶悪な飛び道具だった。
視認するのが困難だが十分な破壊力を持つそれは、野放しにすれば一瞬にして戦線が崩壊する脅威度を誇っていたはずだった。
しかしその針は今千夏の
遠近双方の攻め手を
幾合もの、数え切れない剣閃が繰り広げられる中。
唐突に魔将の足が止まる。
「今だ、やれ!」
密かに地中を泳いで迫っていた哲也が、その足に縋るように組み付いていた。
片足を制し、魔将の動きが一瞬止まる。
仲間が命懸けで作ったその瞬間を、浩は見逃さなかった。
まるで魔将へと引っ張られるように、浩は急加速して前進した。
決して剣術に秀でていない浩が編み出した、攻撃の為の使用法だった。
さらに、固定された足と、突如発生した引力。
その二つに魔将の体もぐらりと態勢が崩れる。
今まで訪れる事の無かった、絶好の好機が目の前に有った。
「ずえりゃあああああああああ!」
肺と腹の空気を全て吐き出す勢いで、浩は叫ぶ。
相手の腹を狙った、横薙ぎの一閃。
彼が今放つ事ができる最高の一撃を、魔将に叩き込んだ。
キィィイン、という甲高い音が響く。
刃は確かに魔将の胴を捉えていた。
だが――
「よい
必殺を誇る攻撃ですら、魔将の鎧に傷一つ付ける事はできなかった。
ききらと輝く水晶の装甲は僅かばかりも曇る事も無く、変わりない輝きを湛えていた。
「だが悲しいかな、地力が足りない」
剣の柄で殴るようにして、魔将は浩を吹き飛ばす。
胸を強かに打ち付けられた浩は一瞬呼吸を失い、地に有りながら溺れるような心地を覚えていた。
そして足元で縋っている哲也を、
アメフトで鍛えられた三桁台の体重が、いとも容易く宙に浮き、放り投げられていた。
離れた場所で生き残った四人と魔将は静かに向かい合った。
まるでゲームの戦闘画面のような、整った
だが戦闘は既に手詰まりを迎えていた。
最早四人に打つ手は無い。
「お前達は弱い」
魔将がぽつりと、そう零す。
「だが、勇敢だ。決して逃げる事無く、無力を工夫で覆そうとする。仲間と手を取り合い、勝てぬだろうと思いながらも向かってくる」
ああ、と魔将は感嘆を漏らす。
この戦いの結末は決まっている。
だが、今こうして剣を交えている事に意味は有ったと、彼女は思う。
「感謝する。お前達のような
ちゃきり、と魔将は剣を構える。
美しく赤い刃を持つ細剣が、日の光を照り返し燃えるように輝いていた。
「だがそろそろ終いとしよう。個人的な満足でこれ以上時間を食うのも、皆に悪いのでね」
ああ、と四人は悟る。
これでもう終わりだと。
雰囲気を変えた魔将の様子に、悟ったのだ。
彼女は今まで本気を出していなかったのだと。
遊びに等しい状況ですら、天地の差程開いた戦力差。
本気となれば抗う事など不可能だろう。
「おい」
浩が雅人に声をかける。
「お前だけでも逃げろよ。まだ動けるだろ」
ぜえぜえと息を切らせながら、浩は剣を構えた。
手が震え、最早剣を掲げているのが精一杯という様子だった。
「逃げるなら千夏だろ」
確かに自分は何もできない。
だとしても、逃がすなら女の子にしてくれ、と雅人は思う。
「いや私逃げたら飛び道具止めらんないし」
泣き笑いの顔を浮かべながら、千夏がそう言う。
「まあ、仕方ないかな。運悪かったね」
「俺は肋骨が折れまくってるから、もう走れねえわ」
哲也も苦しそうに喘ぎながら、苦笑いする。
「息するだけでも痛えって。少しここで休ませてくれよ」
そう言って膝を付く哲也の様子に、雅人はゆっくりと首を横に振る。
「結局役立たずだったけどさ」
それでも、と。
「せめて、最後まで仲間で居させてくれ」
逃げる事だけはしたくない。
それが雅人に最後まで残った矜持だった。
三人は無言だった。
ただ何も言わず、誰もが魔将を見据えていた。
雅人も剣を構える。
なんの抵抗にならずとも、戦う意思だけは持っていたかった。
「名残惜しさすら感じるが」
魔将が僅かに腰をかがめる。
「これで――」
だが、魔将の言葉が終わる前に。
唐突に音が消えた。
そしてまるで浮き上がるような感覚を、雅人は覚えた。
世界から自分が切り離されたかのように。
何も感じる事ができない瞬間が、彼を満たしていた。