それから数年間は、苦難の日々だった。
身元不明の
迂闊に誰かと組むわけにも行かず、単独で場を転々としながら生活する事となった。
――俺が生きている事がバレないようにしないと。
雅人はこの世界の情報技術が想像を遥かに超えるレベルで発達している事を、戻ってから初めて知った。
その手の技術が有る事は徹底的に秘匿され、まるで一般的に想像するようなファンタジー世界であるかのように錯覚させられていたのだと、こうなってから気づいた。
最初から騙す気満々だったのだ、
そんな国が、密かに召喚した勇者が生きていると知ったらどうするか。
言うまでもなく、殺しに来るだろう。
雅人はそう判断した。
だから、行動には細心の注意を払った。
親しい人間を作らず、顔はなるべく見せず、人との関わりも最小限にした。
時には自分の
気は進まないが、屍肉を喰らう事で他者へと変身する事はできたからだ。
その死体の肉を燻製にし、持ち歩けるように加工する。
こうする事で、長期間他人になり済ませる。
だがその行為も雅人の心を壊していった。
元は単なる平凡な高校生。
そんな彼が人の肉を加工するなど猟奇的な行為に耐えられるわけが無かった。
だがそれでも、彼は続けた。
――帰るんだ。
ただ一つ、望郷の念だけが彼を支えていた。
――絶対に、日本に帰る。
死んでいった仲間達の為にも、日本に帰らなければならないと雅人は思っていた。
そうでなければ、一体誰が彼らの死を故郷に伝える事ができるのか。
例え荒唐無稽で夢のような話であっても。
それでも、伝えなければならない。
雅人はそれだけを支えに、おぞましい行為を続けた。
哲也の残した
その能力で幾度か侵入し、自身が警報に引っかからない体質だという事も知った。
どうも召喚者である異世界人の自分達には魔力というものが備わっていないらしい。
だから魔法を使う事はできないが、逆に魔力の探知にも引っかからない。
その為、万物に魔力が宿るという前提のこの世界では、ある種の透明人間として振る舞える事を彼は理解した。
その特性を活かし、神殿に、貴族の邸宅に、情報が有りそうな場所に片っ端から忍び込む。
情報というものは外からの侵入に対してはガチガチに対策し弾いて守ろうとはしているが、中での扱いは意外とザルだ。
一旦安全圏と思われる場所まで入り込めば、後は閲覧し放題に近かった。
そこで知ってしまった。
最初の勇者、榊巻玄悟の真実。
勇者召喚を幾度となく繰り返す狙い。
この
知れば知る程、雅人の心は擦り切れた。
この世界には、この国には、何も希望が無い。
――まるで地獄だ。
最初はまるでフィクションの主人公になったようで高揚した。
だが今ではまるで逆の考えを雅人は抱いていた。
どれだけの罪を犯せばこのような場所に送られるのか、そんなに自分は悪いことをしてしまったのかと本気で思う程だった。
日々心は削れやせ細り。
それと反対に、帰郷への意思は強固に固まっていく。
「帰る、必ず帰る」
コント・アンゲランの肉を食みながら、いつものようにその言葉を口にする。
足元に倒れた騎士は、彼が目的を達成するのに最も相応しい
旅をする事数年。
ついに訪れた、
鍵となる聖女候補、そのお付きに選ばれたのがコントだった。
下からの叩き上げで実家との繋がりが細く、成り代わってもバレにくい。
雅人はそういう人間を探していたのだ。
コントを殺すのは簡単だった。
自身の
弱体化したとは言え、強力な仲間の残した三つの
これらを駆使すれば、騎士一人殺すなど造作も無い事であった。
「ようやく帰れる」
だが彼の中では、既にその場所への到達で帰還が果たせると、認識がすり替わっていた。
擦り切れた心の中、願望が真実へと入れ替わったのだ。
ただそれを心の支えにしなければいけない程に、雅人の精神は崩壊寸前だった。
そして遂に辿り着いたのに。
そのはずなのに。
四人の雅人は、ただ呆然とお互いを見つめる。
自分と同じ顔が三つ。
鏡で見るものとは微妙に違うそれが並ぶ様は、どうしようもない位に滑稽だった。
「ああああああああ」
雅人達が、まるで操られでもしたように、ほぼ同じタイミングで頭を抱える。
しかし各々が微妙にずれて動く様は何処か生理的な嫌悪を感じさせるものがあった。
「どうするんだあれ」
流石の未来も、困惑しながら雅人の様子を眺めていた。
常に冷静さを保っていた顔もやや引きつり、頬には一筋汗も流れていた。
「これから俺の人生四倍! やったぜ! で納得してくれないですかね」
「納得するわけねえだろ」
この上位存在は存外ポンコツだと、未来は急速に認識を改めていた。
「また一人に戻せないのか?」
そうすれば落ち着くだろう。
そう考え、未来はエレクトラに提案したが――
「いやそれはちょっと」
えー?とエレクトラは露骨に嫌そうな顔をする。
「産まれた以上、無闇に殺すのは倫理的に宜しくないですよね?」
「今以上に倫理がぶっ壊れてる状況は無いんじゃあないか?」
少なくとも、普通の人間基準では死ぬ以上に酷い事になっているとしか思えない。
どうすりゃいいんだ、と未来は内心頭を抱える。
価値観のディスコミュニケーションが、限りなく場を荒らしていた。
「流石になんか可哀想になってきたな」
「せめて三人にしておけば良かったですね」
「一人の差で何か変わるのか……?」
どうするか。
腕を組み、暫し未来は思案して――
「よし」
未来はおもむろに四人の雅人に近づき、そして。
おもいっきりビンタした。
「ぶべっ!」
べちん!という派手な音が四回響き、四人が次々と床――便宜上そうなっている平面上――に転がった。
あまりの音に、呆然と眺めていたマルグリットも体をびくん!とさせ、え?というような顔でその光景を眺めていた。
そしてビンタを食らった当の雅人達は、痛みに悶えながらも、なんで?とわけが分からないとばかりにぽかんとして未来を見上げている。
「お前ら、男なんだからいちいちくよくよするな」
転がる雅人達の眼前で。
もうめんどくさいとばかりに、未来がそう言い放つ。
「世の中大体思い通りにならない事ばかりなんだ。ちょっと帰れなかったり四人に増えたりくらい気にするな」
「いや気にするだろ」
いち早く立ち直った雅人、おそらく雅人=Ⅳだろう男がそう言った。
頬は赤く腫れ上がり、傍目から見ても痛みが伝わってくるようだった。
「こんな気軽に増やされる程度の、作り物って見せつけられて。平気で居られるわけ無いだろ……」
自らのアイデンティティの喪失。
自己の唯一性を失い、自らの価値を見失い。
雅人達にはもう、寄るべきものが存在していなかった。
「女の腹から産まれようが、培養液から這い出ようが、コピペで複製されようが」
だが未来は、そんな雅人を意に介さず。
「
ただ、そう言い放つ。
「産まれに悩むのは思春期に有りがちな病気だ。乗り越えろ」
「絶対そういう問題じゃない……」
まだ転げたままの雅人=Ⅲがそう呟く。
「日本にだって帰れない。もう二度と、家族や友達にも会えないんだぞ」
座り込んで恨めしそうに言う雅人は、未来にそう投げかけるが。
「唐突な別れも人生だ。受け入れろ」
そう一刀両断する。
「まあ貴方がたのデータを採取したのは六十億年前ですから、そもそも故郷の星自体存在しないかもしれませんしね」
「なんで火に油を注ぐ情報を今出すんだ?」
こいつ口を開けば問題発言しか出てこないな、と未来はエレクトラへの評価をさらに改めた。
「ともかくまあ、不可抗力で環境が変わるのは良く有る事だ」
うんうん、と言い聞かせるように未来は頷きながらそう語りかける。
「元気を出してこれからは四兄弟として強く生きろ」
「いやそれはおかしいだろ」
最後にようやく立ち直った雅人=Ⅱは、真顔だった。
「それに今気づいたが、お前も召喚者だろ!」
黒い髪に、見慣れた顔立ち。
そして何処のものか知らないが、明らかに制服と思われる格好。
それは雅人が久々に見た、日本人の姿だった。
「だったら何か思わないのか、今の話で!」
「いや色々思う所は有るんだが」
未来にも、日本に柵は有る。
親しい人間も居たし、まだやりたい事も沢山有った。
だが――
「
それは
「なら生きるさ。ここで精一杯」
「どうしてそこまで割り切れるんだよ……」
雅人には目の前の少女の気持ちが理解できなかった。
衝撃の事実を次々に叩きつけられ、生きる目的すら奪われ、そもそも本当に生きていると言えるかどうか怪しい状況だと理解させられた。
その上でなお、それをどう受け入れろと言うのか。
「まあ私は親族皆殺しにしてほとぼり冷ますのに米国に留学した経験も有るしね。そういうのでちょっと慣れてる面は有る」
「ん?」
今、聞き間違えたかな?
雅人達は一斉に自分の耳を疑った。
「その後米でも成り行きで麻薬カルテルの幹部を吊るしたら居づらくなって日本に戻ってきたんだが……人生はそういうものだよ」
なんか流れ変わったな。
雅人は自身の置かれた境遇も忘れてそう思った。
「…………日本人、だよな?」
「見ての通り、産まれも育ちも日本だが?」
あ、まあ今の私はコピーだから元が日本産か、と言う未来に、信じられないような視線を雅人は送る。
「あの、もしかして何か秘密組織の一員とかそういう方でいらっしゃる?」
「いやなんの変哲もない……と言うには少々財は有る産まれだったが、まあ普通の家庭の出だよ」
うーん、と未来は不思議そうに言う。
「何か不思議に思う所が有ったかな?」
不思議に思う事しかねえよ。
四人の雅人の心は一つになっていた。
今自分が置かれている状況より、このとんでもない女に出会った事の方がよっぽどレアケースなのではないか。
そう、彼らは思わざるを得なかった。