雅人が消えた
残されたトトは、ニノンをなんとかしようと必死になっていた。
「うう」
腹を横一文字に割かれ、倒れ伏すニノン。
倒れ方が良かった為か臓器がまろび出てはいないが、滝の如く傷からは血が流れ出てきている。
致命傷なのは明らかであった。
「なんとかしないと」
せめて傷口を塞がないと。
そう思うが、どうすればいいか分からない。
布等で傷周りを縛り上げたいが、迂闊に体を動かせばそのまま中身がボロンと行きそうで怖い。
「どうすればいいですか」
軽い傷の手当ならともかく、死にかけの人間をどうこうできる技術はトトに備わっていない。
そも、このような重傷は
如何に早く神殿に連れ込むかという考えはあれど、治療という観点が根本的に欠けていた。
既にニノンは虚ろな目が半開きになり、意識を消失しつつ有る。
一刻の猶予も無い状況。
だが、取れる手が浮かばない。
頼みのイリスは大地へと飲み込まれ消えていった。
彼女さえ居れば
そう、トトは思ってしまう。
どうにもならないと、少女は天を仰いだ。
最早トトにやれる事はそれしか無かった。
だが、そうしたが故に彼女は気づく。
天に、煌めく光が集っているのを。
「これは……」
山頂を覆う程の光。
優しく温かな光は、まさしく――
「
人の祈りに答える神の慈悲。
それが天から降り注いでいた。
辺り一面を包む程の巨大な
淡雪のような光の奔流がひらりと舞い、傷ついた少女の体に纏わりついていく。
やがて繭を形成した光は、暫しの間その形を保ち。
そして、一際強く輝いた。
「っしゃああああああ!」
そして、光の膜を突き破り、ニノンがそこから飛び出してくる。
「ニノンちゃん大復活! いてーんだよ畜生が!」
このローブ高えんだぞ、とぶつぶつ言いながら、切れた布同士をどうにかくっつかないかなと合わせるようにして彼女は立ち上がった。
「ニノン!」
何がなんだか分からないが、ニノンが治った。
絶望的だった状況に光が差し込み、トトはようやく安堵する。
「状況はまあ、一応分かってますよ見てましたし」
よっこいしょと杖を大地に突き刺しながら立ち上がったニノンは、少しよろめきながら歩みを進める。
「大体この辺りでしたっけ」
口早く呪文を唱え、ニノンは杖を振りかざした。
「
まるで土が消滅していくかのように、その場に穴が形成されていく。
それは掘るというよりも大地の形自体を変えているかのようだった。
僅か数秒もしない間に、数メートルもの深さの穴がそこには出現した。
そして、その底面。
掘られた穴の際から飛び出るものが一つ。
細い少女の右腕。
それが、底面から飛び出ていた。
少女の右腕は外気に触れた事を確認したのか、動かせる手首から先をばたばたと激しく振り、彼女がまだ生きている事を必死にアピールしてきている。
「いやードンピシャでしたね」
さらに杖を振ると、
そしてまたたく間に埋まっている少女の全身が露わとなった。
「ッ! ゴホッゴホッ!」
ようやく外気に触れ、咳き込むようにして急速に肺へと空気を送り込む、土まみれの少女。
雅人に埋められたイリスの姿がそこには有った。
「死ぬかと思った! 本気で死ぬかと思った!」
膝に手をつき、ぜえぜえとイリスは息を切らせていた。
土に埋まっていた時間はそう長くは無い。
とは言え、苦痛を覚えるには十分な時間だった。
「私も死ぬかと思いましたよマジで」
なんか走馬灯も見たような気がする。
やっぱ死にかけるとヤバいんだな、とニノンは変な知見を得てしまった事に、なんとも複雑な感情を抱いていた。
「しかし良く
そんなニノンの問いに、涙目になりながらイリスは顔を上げる。
「そこいらの巫女ならともかく、わたしは気合が違うからどうとでもなんのよ」
聖句も祈りの形も無く、
イリスという聖女にすら選ばれる実力を持った巫女だからこそ行えた荒業だった。
「なんか死にかけてるから、
「発想が脳筋過ぎるです」
死にかけてる!
じゃあ治すわ!また死にかけた!もっと治すわ!
考えても普通の人間だったら絶対やろうとはしない。
「それでついでに範囲広げたらニノンも拾えるかと思って。どうやらばっちり狙いは当たったみたいね」
「マジ感謝っす」
おそらくあと少し遅れていたらあの世行きだっただろう。
ニノンはイリスの英断に感謝した。
「こっちも掘り出して貰えて助かったわ。
「柔軟性と即応性が売りですからねえ
お互い、いやー死にかけた、とにこやかに談笑するニノンとイリスに、トトの心配はなんだったですか?とトトは少し理不尽に感じた。
ぶっ飛びすぎている未来の陰に隠れがちだが、この二人も十分に常人離れしているのだと、トトには感じられない程に感覚が麻痺していた。
「で、やっこさん居なくなったみたいですけど」
きょろきょろと辺りを見回すが、ニノンの視界に件の男――ニシバマ・マサトの姿は無かった。
そして先程まで光球の下に居たマルグリットの姿も共に消えている。
「私も埋まってたから良くわからないんだけど」
イリスは唯一状況を把握しているだろうトトを見やる。
だがトトはぶんぶんと横に首を振った。
「トトにも良くわかんねえですよ。なんかぴかっと光ったら二人とも居なくなったです」
「どうしましょうかねこれ」
自分も光球に触ってみるべきか、とイリスは思案する。
ここまで来た人間なのだから、マルグリットと同じような資格は有るはずだ。
行動をなぞる事でマルグリットの後を追う事ができるかもしれない。
そう思い、イリスが歩きだそうと一步を踏み出した所で――
場に光が満ちる。
「うおっ」
「ッ!」
「なんです?」
三人が咄嗟に目を庇った。
目も眩むような、唐突な閃光。
それは世界全体に広がるような強さで唐突に現れた。
まるで全てを塗り替えるように、光が満ちる。
永劫にも思えた、たった一秒の発光。
「ここは……山頂か?」
その終わりは、ようやく現れた少女の声により告げられた。
「未来さん!?」
姿を消していた天音寺未来の帰還。
ようやく現れた彼女の姿に、ニノンもほっと胸を撫で下ろす。
そして同時に、その背後に居る二人にも気づく。
巫女マルグリット。
そしてニシバマ・マサト。
先程までそこに居た二人もまた、戻ってきていた。
男の姿を認めた瞬間、イリスとニノンが咄嗟に構えを取る。
イリスは腰を低く拳を前に掲げ。
ニノンは突如の動きで落ちそうになった帽子を押さえながら杖を突き出した。
「そんなに身構えなくても大丈夫だよ」
まあまあと落ち着かせるように、未来は優しく微笑んだ。
「
そうだよね、と。
「
「マサツグ……?」
こいつの名前はマサトじゃなかったっけ。
ニノンとイリスは首を捻るが、まあ名前なんてどうでもいいかと気にしない事にした。
「俺としても、もう争う理由は無い」
そう言って、雅次は頭を下げる。
「すまなかった」
「お、おう」
やたらと素直な様子に、ニノンは拍子抜けした。
目の前の男は先程までの殺意を漲らせた様子とはまったく違う。
まるで憑き物が落ちたような、そんな落ち着きようだった。
「色々と話し合った結果、こちらとも利害が一致している事が判明してね」
未来は暴力の申し子であるが、そも暴力を好いてはいない。
彼女自身はそれを行使しないでいいのなら、それに越したことはないと考えている。
故に対話で事が済むのであれば、彼女はまずそれを選ぶ。
「だから和解して協力する事とした」
「いきなり急展開!?」
さっきまで殺し合っていたのに、いつの間にか協力関係になっていた。
ニノンもイリスもトトも、目が点になってしまうのは仕方のない事であった。
「
ちらりと視線を送ってくる未来に、ニノンは全てを理解した。
――つまるところ、彼も牽引派が敵って事ですか。
ニノンは知らないが、召喚を主導し仲間を殺した牽引派は、雅人達にとっても怨敵であった。
召喚者全てを不幸に叩き落とした元凶。
彼がかの派閥を敵視するのは当然の話だった。
「そういう事なら」
腹掻っ捌かれた恨みは消えねえけどな!
心の中でそう毒づきながら、ニノンはそれを飲み込む。
思う所は有るが、陰湿なクソ野郎どもに比べたら万倍マシだ。
少なくとも謝罪一つできるだけ、
――それに、未来さんが味方にすべきと判断したのなら、そうする理由が有るんでしょう。
ニノンは未来の判断を信用している。
単純に情に流されたり言いくるめられたりするタイプではない。
そこには何らかの理が間違いなく有るはずだ。
少なくとも自分達に不利益を被る事はないと、ニノンは信じていた。
「で、私たちは良いとして」
ニノンはその二人を見る。
未来の背後で向かい合う二人の少女。
「イリス……」
困惑した表情のマルグリット。
「マルグリット」
そして、険しい顔のイリス。
ようやく出会えた二人。
だがそこに友好的な雰囲気は微塵も無い。
剣呑で不穏な空気が二人の間には満ちていた。