崩界のオブリテレーター   作:エチゼン鏡介

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第181話 バイオレンス・キャットファイト

「聖女になんてなったら駄目よ、マルグリット」

 

 先に口を開いたのはイリスだった。

 

「あなたはその意味が分かってない」

 

 かつてない程真剣な表情で、彼女はそう告げる。

 

 マルグリットは聖女の真実を知らない。

 この名が単なる栄誉を齎す称号ではないと知っている巫女はイリスだけだった。

 

「えっと、分かってないって」

 

 一方のマルグリットは困惑が隠せなかった。

 

 何故そんな事を言うのか、まったく理解できない。

 何故聖女になってはいけないのか?

 

 と、少し前のマルグリットなら思っていただろうが、今はもう言いたい事が痛い程理解できてしまう。

 

 あのとてつもない情報の羅列。

 それをただ一人で受け止めていたら、間違いなく心がどうにかなってしまっていただろう。

 

 だが――

 

「多分、すごく分かってると思うのだけど」

 

 世界で一番理解してると思う。

 間違いなく。

 マルグリットは心の中で力強く頷いた。

 

「いいえ、まったく分かっていないわ!」

 

 この分からず屋!とでも言いたげに、イリスは語気を強める。

 やはりマルグリットはその意味を理解していない。

 そう彼女は確信した。

 

「やっぱり力づくで止めるしか無いようね」

 

 すっと、イリスは構える。

 

「こうなったら拳で語るしか無いわ」

 

 重心を下げた、前かがみの姿勢。

 やや小柄なイリスがさらに小さく見える程に、彼女は腰を落とす。

 

「分からず屋は貴方の方よ、イリス」

 

 イリスに応えるようにマルグリットも構える。

 小さく低く纏まるイリスとは対照的な、すっくとした立ち姿。

 左前の半身で拳を正中に掲げ、軽くステップを踏む。

 

 その姿に、イリスもにやりと笑う。

 

「白黒つけましょう、巫女らしく」

 

「巫女らしさってなんですか」

 

 唐突な展開に、トトが真顔で突っ込んだ。

 

「巫女さんって拳で語り合う仕事ですか?」

 

「知らんがな」

 

 巫女。

 巫女とは一体。

 ニノンも良く分からなくなってきた。

 

「この世界の巫女って、皆こうなのか?」

 

 どう?と未来は雅次へと話を振る。

 

「え? まあ、そうだな」

 

 自分に話が振られると思っていなかった彼はやや驚くも、すぐに気を取り直し応える。

 

「全員が全員じゃないけど、そういう奴も居るくらい?」

 

 流石にここまで血の気が多いのは珍しいが、と雅次は付け加える。

 

「ほら、巫女って割と娯楽から遠ざけられてるだろ。だから殴り合うのが好きな奴もそこそこ居るって話だ」

 

「まあお互い技術が有る分、下手な素人が殴り合うよりは安全なキャットファイトか」

 

 子猫がじゃれるようなものだな、と未来は納得する。

 

 少なくとも命のやり取りをしようと考えているわけではないのは、未来には分かる。

 だとすれば、積極的に止める理由も無いだろう。

 そう彼女は判断した。

 

「巫女さんって平和の為に祈る人達じゃないんです?」

 

 頭に疑問符を大量に浮かべながら、トトは混乱していた。

 

「まあ平和なんて力で勝ち取るものだし」

 

「無常だけど真理ィ!」

 

 巫女の定義が崩れる中、パァン!という音が響いた。

 

 四人が顔を向けると、今まさにイリスの顔面がぐらついている所だった。

 

 痛みで表情を歪め、片目を細めるイリスの顔に、更なる打撃が加えられた。

 

 先手を打つのはマルグリットの拳。

 しなりを加えた、鞭のような一撃がイリスの顔面を捉えていた。

 

 手先がぶれて消えたかのように見える、高速の拳。

 まるで腕が伸びたと錯覚するそれは、一瞬でイリスに突き刺さる。

 

 パァン!

 

 再び乾いた打撃音が響いた。

 

「ふうん」

 

 ただ一人、打撃の本質を見抜いている未来が感心した声を上げる。

 

 拳を当てるのではなく、手の甲を叩きつけるような打ち方。

 この打ち方に、威力自体は然程無い。

 だがその分速く、不意を打つには最適。

 

 古流柔術等でも牽制として使われる打ち方であった。

 

 距離を詰めようとするイリスに対し、マルグリットは続けざまに同様の打撃を見舞う。

 

 二度、三度。

 

 華麗にステップを踏み、位置を調整しながら。

 その前進を止めるように、楔を穿つ。

 

 組み付きへと持っていきたいイリスへの、徹底した遠距離戦(アウトボクシング)

 

 マルグリットはリーチの差を活かし、徹底的に封殺にかかっていた。

 

 とん、とん、と軽やかに飛び跳ねるマルグリットは、まさしく蝶のようと形容される姿そのままだった。

 

 見目麗しく、荒々しさの一つも無く。

 軽やかに場を飛び跳ねる様は、暴力の匂いすら感じさせない。

 

 だがその拳は無情なまでに鋭く、イリスへと叩きつけられる。

 

「早く降参した方が良いですよ」

 

 涼しい顔で、マルグリットは言う。

 

「お顔、ボコボコになっちゃいます」

 

 実際イリスの顔は鼻血が垂れ、口からも血が滲んでいた。

 軽い擦過傷が主である為、致命的ではない。

 だがその鈍い痛みは確実に相手を鈍らせるだけの精神的負荷を与えていた。

 

「何度あんたの拳受けてきたと思ってんのよ」

 

 ぺっ、と口の中に溜まった血を吐き出しながら、イリスは不敵に笑う。

 

「こんなん挨拶にしかなってないっての」

 

「強がりです……ねっ!」

 

 再びマルグリットの左手がぶれる。

 

 目にも止まらぬ、鞭のような打撃。

 それはまたしてもイリスの頬を的確に捉えた。

 

 乾いた音が再び響くかと思われたその刹那、まったく違う光景がそこには有った。

 

 イリスが、マルグリットの腕を見事に捉えていた。

 頬にめり込んだ手をがっちりと、その前腕をしっかりと握りしめていた。

 

 本当に一瞬、場に静寂が訪れる。

 

 僅かな時間の間隙の後、イリスは己の左手でマルグリットの手を捻り上げる。

 ぐっと拳を握り込むように、彼女の外側――マルグリットにとっては内側へ、彼女の左腕を捻じる。

 

 そして同時に、伸びたマルグリットの腕、その外側をなぞるように己の右手を這わせた。

 二つの動きが、僅かに緩んでいたマルグリットの腕を反射的に伸ばしていく。

 

 イリスの右手はまるで導かれるようにマルグリットの左肘、そのやや上を捉えた。

 

 ほんの一秒も満たない間、その時間でイリスはマルグリットを極めの形へと持っていった。

 

「ッ!」

 

 僅かにマルグリットが息を飲む、その間にもイリスは動く。

 

 右足を一步前に。

 そして踏み出した足を軸に変え、体を左へ回す。

 

 回転運動が渦のようにマルグリットの体を引き込んだ。

 極められた手はその体幹を崩し、大きく前へとよろめかせる。

 

「貰ったァァァァ!」

 

 数秒後には、マルグリットは地面へと叩きつけられ、完全に極められた形となるだろう。

 

 そうなれば詰みであった。

 

 しかしマルグリットも光神征律拳の印可を持つ巫女。

 そう簡単に事は運ばない。

 

 己の腕が極めにかかられたと感じた瞬間。

 マルグリットはその左腕、イリスに加えられた捻りを強めるよう、自ら()()()をさらに与える。

 

 一見自爆行為にも見えるこの動き。

 しかしその()()()により、引き伸ばされた腕に僅かな()()()が生まれた。

 

 その()()()は極められて死んでいたはずの腕を僅かに生き返らせた。

 左腕がほんの少しだけ自由になる。

 

 マルグリットはふっと体の力を抜いた。

 そして前へと、イリスの動きに逆らわず、追従するように体を落とす。

 

 傍目からは、イリスがマルグリットの腕を極めて地に叩きつけているように見えただろう。

 

 しかし相対するイリスにとっては逆。

 ふっと手応えが消えた感触を、彼女は覚えていた。

 

 マルグリットはその勢いのまま、類稀な柔軟性で地を這うように右足を前へと進ませる。

 イリスの回転をさらに越えるよう、自らの体をさらに回し。

 まるでイリスの下へと潜り込むように、自らを滑り込ませた。

 

 マルグリットの左腕は極められてはいないものの、以前捻り上げられたままだった。

 むしろ自らが回転した所為で肩までもが捻りの範囲に入り、その肩は大きく上がって、腕の動きは完全に殺されていた。

 

 故に、マルグリットが使うのは足だった。

 

 跳ね上がった長い右足が、イリスの無防備な左脇腹に突き刺さった。

 

 純粋な脚力のみで放った、手打ちならぬ足打ち。

 然程の威力は無い一撃だったが、それはイリスの動きを崩すのに十分な働きをしていた。

 

 小さく、ぐはっ、と息を吐き。

 体を回していたイリスの上体がぐらりと揺れる。

 

 マルグリットの腕に載せられていたイリスの重心がずれ、その拘束が緩んだ。

 

 その隙を見逃さず、マルグリットは左腕を引き抜く。

 そして勢いのままに、左手はイリスの頭へ。

 右手はイリスの股下へと潜らせた。

 

 潜り込んだままイリスの体を肩に載せ、掬い上げるように立ち上がる。

 

 一瞬にして浮かび上がった浮遊感を覚える間も無く、イリスの背中から伝わるのは激しい衝撃。

 肩で持ち上げたイリスを、マルグリットはそのまま地面へと背中から叩きつけたのだ。

 

 柔道で言う所の肩車であった。

 

 イリスの肺から空気が押し出される。

 ひゅう、という情けない音が口から漏れた。

 

 動けない隙を見逃さず、マルグリットは次の攻勢へと移ろうと即座に動く。

 

 飛びかかるように進んだ彼女が狙ったのは、馬乗り(マウントポジション)

 圧倒的優位に相手を制する事ができるその形でイリスを抑え込もうと考えた。

 

 だがイリスを気遣い、肩車の形で投げ落とした事が尾を引いていた。

 本来であれば、体重を浴びせる形で諸共地面に投げつけ痛打し、そのまま寝技に移行するはずだった。

 しかし殺傷力が高すぎるその動きを避ける為、敢えて威力が抑えられる投げ離しをマルグリットは選択した。

 

 その為、馬乗りになるのは余りにも遠い()が存在する事となった。

 

 飛びかかるように、右腕をイリスに向かって伸ばした瞬間。

 

 イリスは全身のばねを活かし、足を跳ね上げた。

 

 一瞬にして上体に引きつけられた膝、そして足。

 胸元に来た二本の足が即座に開き、まるで鋏のようにマルグリットの伸びた腕、その脇と首を捕らえる。

 

 伸ばされた腕は一瞬にして掴まれ、引き伸ばされた。

 がっちりとホールドされたその形は、三角絞めそのものだった。

 

「イリス……ッ!」

 

 ぎりぎりとマルグリットの体をイリスは締め上げる。

 細いが筋肉質な両足が、万力が如き力を発揮し彼女を苛んだ。

 

「詰めが甘いのよ、マルグリット」

 

 マルグリットの両手は決して強くはない。

 最低限の力、筋力を保っているだけだというのは、長年同室だったイリス自体が良く知っている。

 その体幹こそ鍛え上げられているが、両の腕は単体では脅威とならないと理解していた。

 

「どうしてっ……そこまで」

 

 そうまでして、自分を止めたいのか。

 

 マルグリットにはそれが不思議だった。

 そこまで必死になる理由が、彼女には思い当たらない。

 

「決まってんでしょ」

 

 だがイリスは迷いなく言う。

 

「自分の()が死のうってのを、止めない妹が居ると思うの」

 

 その言葉に。

 

 マルグリットの目は、大きく見開かれた。

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