崩界のオブリテレーター   作:エチゼン鏡介

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第182話 たった二人だけの

 そう聞かされたのは、イリスがまだ幼い頃の話だった。

 

「貴方にはね、お姉ちゃんが居るのよ」

 

 四つも越えて、どれだけだったか。

 未だ幼く、記憶すら朧げな程昔の事。

 

 我儘ざかりだったイリスは母の腕に抱かれてそう聞かされたのを覚えている。

 

「おねえちゃんいるの?」

 

 彼女に兄弟姉妹は居なかった。

 正確には、自分が会える兄弟姉妹が居なかった。

 

 贅沢と我儘は許容されるも、家族としては扱われていない生活だったと、今なら彼女も分かる。

 だが当時は歳の近い家族が居ない事への不満しか無かった。

 

「どこ! どこにいるの!?」

 

 だからそれを聞いた時は、とても嬉しかったのを彼女は覚えている。

 

 しかしイリスの母ははしゃぐ彼女に悲しそうな顔をしながら、首を横に振った。

 

「ここには居ないわ。とても遠くて、会えない場所に居るの」

 

「だったら行く! 行こう行こう!」

 

 じたばたと手足をばたつかせ暴れるイリスを、母はぎゅっと抱きしめた。

 誰よりも叶わぬ願いだと知っているのは彼女自身。

 その思いを、両腕に込めた。

 

「今は会えないけれど」

 

 きっと、と。

 

「いつか会えるわ。だから覚えておいてね」

 

 そう言った母の顔はとても優しく、透き通ったものだったとイリスは記憶している。

 数少ない、はっきりと覚えている母親の顔だった。

 

「貴方のお姉さんは背(・)中(・)に(・)星(・)を(・)背(・)負(・)っ(・)て(・)い(・)る(・)。一目見ればきっと分かるから」

 

 遺言というわけでは無かったのだろうが。

 イリスの母が亡くなったのは、それから程無くしての事だった。

 

 そしてそれから程なくして、イリスの神殿行きは決まった。

 それは最早用済みとでも言うかのようだった。

 

 

 

 それから暫くの間、イリスは姉の事など忘れていた。

 修行とや(・)ら(・)か(・)し(・)の日々。

 新たな生活に埋没し、母の言葉は忘却の彼方に有った。

 

 だからマルグリットに会った当初も、その事はすっかり忘れていた。

 姉の存在など意識する事すら無かった。

 

 それを思い出したのは二人が出会ってから二年も経ち、そろそろ体も成熟してきた頃。

 幼い時代を脱し、ようやく大人へとなりつつあった、そんな時期だった。

 

 ヴェネリサール王国は乾燥気味の気候であり、激しく動かなければ汗を流す事も少なかった。

 故に入浴文化が栄える事も無く、体を清めるのには専らシャワーの利用が主であった。

 魔導式が普及する前など、庶民は近くの川に行って体を拭うのがせいぜい。

 

 ましてや神殿など、沐浴で体を清める以外で身の清潔さを保つような事はしていなかった。

 互いに肌を見せ合う機会はほぼ無かった。

 

 故に、判明したのは偶然。

 

「ぎゅっ」

 

 間抜けな声が、背中から叩きつけられたマルグリットから漏れる。

 

 それは傍目から見れば笑いすら誘うものであったかもしれないが、当事者からすればまったくの逆だった。

 受け身を損じた彼女は強かに背中を打ち付け、鈍い痛みが全身を駆け巡った。

 

「大丈夫!?」

 

 しまった、と投げ飛ばしたイリスも感じたのだろう。

 すぐに駆け寄り、様子を探る。

 

「ちょっと……痛いかも……」

 

 不器用に笑うマルグリットだが、手は上手く力が入らないらしく、起き上がろうとするも上体を起こす事すらできていなかった。

 

「教官!」

 

 イリスはマルグリットを肩で支えながら、勢い良く挙手をした。

 

「マルグリットが少し痛めたみたいなので、休ませてきます!」

 

 そう言葉を受けた教官――壮年の巫女――は、静かに一つ頷くと、退出を促す。

 

「状態を見て祈り(オラティオ)が必要であれば申請しなさい。ただし軽い怪我であれば静養に留めるように」

 

 いいですね、と彼女は言う。

 

「祈り(オラティオ)は広く民に与えられるもの。私達が浪費するべきものではありません」

 

「はい」

 

 幾度となく言われた言葉。

 飽きる程に繰り返されるのは、決して忘れてはならない戒律だからだ。

 

 巫女が祈るのは他者の為。

 自らの為に祈る事はしてはならない。

 

 彼女達はそう教えられていた。

 

 尤もイリスはそのようなものを守る気がさらさら無い不良巫女であったが、それ故にきつく言い含められているという事を彼女は理解していなかった。

 

「まったく、トロいんだから」

 

 そう言って自室にマルグリットを運んだイリスは、彼女を寝台に横たえる。

 

「あはは……ごめんね」

 

「あんたは黙ってろ」

 

 まだ痛みが残るマルグリットを慎重に仰向けにさせ、シャツを捲くる。

 骨が折れたりはしてないだろうけど、と思いながら背中を覗き込んだイリスは、驚愕に目を見開いた。

 

 

 

 マルグリットの背中にある、大きな傷跡。

 

 

 

 背中全面に広がるようなそれは、巨大な手術痕だった。

 背部全てを切り開いたかのような、広大な切傷。

 その痕跡が、彼女の背中には残っていた。

 

「凄いでしょ、これ」

 

 息を呑んだイリスの気配を察したのだろう。

 苦笑しながら、マルグリットはそう零した。

 

「私は生まれた時に障害が有ったらしくて、魔核(ロイユ・セレスト)を埋め込む時一緒に背中にも幾つか埋め込んでるの」

 

 王国(エタ)で生まれた子供は、その直後頭を切り開かれ魔核(ロイユ・セレスト)を埋め込まれる。

 これにより、彼らは上位種として魔導式を自由に使いこなす、新たな人類として成長する事ができるのだ。

 

「うちは裕福だからこんな事もできたけど、そうでなかったら多分死んでたって」

 

 その処置を体の他の部位にまで行うというのは、イリスにとっても初めて聞く話だった。

 

 だがこの傷口を見た瞬間、彼女の記憶が溢れるように、母の言葉を繰り返す。

 

 星(・)を(・)背(・)負(・)っ(・)て(・)い(・)る(・)。

 

 ああ、確かに。

 背中の皮をめくるように切り開かれたこの痕は、そうとしか表現しようが無い。

 

 星が有る、でも星のよう、でもない。

 まさしく星を背負っている。

 

 このような背を持つ人間は、おそらく二人と居まい。

 

「凄いわね、これ」

 

 動揺しながら、イリスは言葉を絞り出す。

 

「大変だったんじゃない?」

 

「子供の頃はひきつる感覚が有って、ちょっと辛かったかな」

 

 今でも偶につっぱって、とマルグリットは笑う。

 

「赤ちゃんの頃は寝る時も痛がって、乳母が苦労したって言ってたわ」

 

「ご両親も心配したでしょうね、それじゃ」

 

「あー」

 

 イリスの言葉に、マルグリットは少し気不味そうに目を泳がせながら。

 

「お父様は殆ど居なかったし、お母様はその……生まれてすぐ亡くなったみたいで」

 

 うーん、さらなる状況証拠が。

 マルグリットの言葉に、イリスはさらに悩む。

 

 亡くなった、とは言うが。

 これ、実際は自分の家に来ていたのでは?とイリスは思う。

 

 マルグリットを産んだ母は、なんらかの理由でマルグリットの家から追い出された。

 そして、自分の父に拾われ家に入り、イリス自身を産んだと。

 

 そういう流れなのではないか。

 

 そう考えてしまいたくなるくらい、マルグリットが姉だという認識がしっくり来てしまったのだ、イリスには。

 

 初めて会った時から、どことなくう(・)ま(・)が合った。

 まるで性格も違うのにすぐに打ち解けたのは、二人の血が繋がっていたからではないか。

 

「イリス?」

 

 無言で黙るイリスに、マルグリットは不思議そうな声をあげる。

 

 イリスはこの時、決めた。

 例えこれが事実かそうでないか、なんであれ。

 彼女は自分の姉だと、そう心に刻んだ。

 

 

 

 ぎりぎりとイリスはマルグリットを締め上げる。

 自分の姉を、あんな風にはしない。

 その決意を込めて、両足の力をさらに強める。

 

 マルグリットがどう思おうと。

 イリスは、彼女の妹で有りたいとそう思ったのだ。

 

 だが、だからこそ。

 マルグリットの一言は、イリスの不意を突いた。

 

「知って……いたの?」

 

 驚愕したようなマルグリットの顔。

 そして、その言葉。

 

 それは、イリスにとって余りにも想定外なものだった。

 

「え?」

 

 あまりの衝撃に、拘束が緩む。

 

 その隙を逃さず、マルグリットは残った左手で足を押しのけ、勢いのまま飛び退いた。

 

 再び振り出しに戻ったかのような二人の距離。

 

 数メートル置いて向かい合いながら、少女達はお互い困惑したような顔を向け合っていた。

 

「私達が血を分けた姉妹だって、いつから」

 

「いつからって言うなら、最初から?」

 

 ええー、とどちらも何か納得できないものを抱えたまま。

 想定外な事になってきたぞ、という表情を浮かべた。

 

「なるほど」

 

 だが脇に居た未来は、ふむ、と何か納得したように頷く。

 

「身長に差は有るが、骨格や動きが似ているのは姉妹だったからか。自分としては得心が行った気分だ」

 

「判別法が独特過ぎる」

 

 イリスがマルグリットに拘った理由。

 それは血を分けた姉妹だからと考えれば、全てが氷解する。

 

 肉親の為、というのは万国共通、世界を越えてすら通じる共通言語だった。

 

「高位貴族は、優秀な娘を巫女として送り込む為に、金銭等を対価に刻印容量(キャパシティ)の大きい女性に自分の子を産ませる事が有るわ」

 

 息を整えながら、マルグリットが語る。

 

「所謂【巫女売り】よ。私のお母様はそれだった。そして、私を産んだ後すぐ、さらに他の貴族に売られた」

 

「それが、わたしの家だったって事」

 

 なんらかの理由が有るのだろうと思っていた。

 だがそれが金銭という生々しいものだった事に、イリスは嫌悪を覚えざるを得なかった。

 

 別に理想論者(ロマンチスト)というわけではない。

 だが自分の生まれに愛が無く、自分も母も売り払う前提のも(・)の(・)だったと突きつけられるのは、なかなかにきつい。

 

「私が神殿入りするのは生まれる前から決められていた事」

 

 マルグリットの人生は生まれる前から決められていた。

 だが、だからこそ。

 

「ならせめて、居るだろう自分の妹に会いたい。そう思ったの」

 

 たった一つだけの我儘を、父に叩きつけた。

 巫女として赴く対価として。

 自分の妹の事を知りたい、そして会いたいと。

 マルグリットはその一つだけを望んだ。

 

「そして、貴方に会った」

 

 イリスとマルグリットが出会ったのは偶然では無い。

 全ては必然だった。

 

 姉が妹に会いたいという、その意思が二人を結びつけた。

 

「だったらもうちょっと姉らしくしなさいよ」

 

 静かに、そして再び、イリスは構えを取る。

 

「どう考えてもあんたの方が妹って感じだったわよ」

 

「歳上らしく扱わないイリスが悪いんです」

 

 マルグリットも未だ戦意旺盛だった。

 

 二人の戦いは未だ終わらない。

 

「もう、いいだろう」

 

 だが、不意にぽん、とイリスが肩を叩かれる。

 いつのまにか隣に来ていた未来がそこには居た。

 

 その事にイリスもマルグリットも戦慄する。

 

 まったく、気づかなかった。

 特にマルグリットなど、目の前で見ていたはずなのに、気づけなかった。

 

 イリスにしても、音も気配も何も感じていない。

 だというのに、まるで突如湧いて出てきたかのように未来はそこに居た。

 

「駄目よ」

 

 少々ビビりながら、イリスは言う。

 

「わたしはあの子を止めないと」

 

「うーん」

 

 そっかあ、と軽い様子で。

 

 刹那、イリスの体がくるりと回る。

 

「へ?」

 

 彼女に出来たのは、小さく声を上げる事だけだった。

 

 未来の細い腕が絡みつき、一瞬にしてイリスの首が絞められる。

 彼女の首横に有る頸動脈、そこを測ったかのように正確に圧迫され、即座に血流は停止された。

 

 考える間も無く、イリスは数秒で意識を消失した。

 

「これ以上は遊(・)び(・)じゃ済まなくなるだろうからね」

 

 そう言って、未来はマルグリットに笑顔を向ける。

 

「済まないが、強制的に止めさせて貰ったよ。話は、イリスが気づいてから改めてするといい」

 

 そういう未来に、マルグリットはこくこくと無言で頷く事しかできなかった。

 

 彼女とて印可持ち。

 故に、理解したのだ。

 

 目の前の少女が自分達より圧倒的に上の、達人と言われる人間である事に。

 

 最早強さの高さを測ることすら不可能な程に圧倒的に実力に開きが有る事を、マルグリットは魂で知覚していた。

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