翌日。
宿で一夜を明かした一行は、パサを出発する。
再び馬車に半日揺られる時間の開幕であった。
ちなみにニノンの荷物はやっぱり未来とトトが運んだ。
「馬車って暇ですよね」
トトが退屈そうにつぶやく。
早朝から夕方近くまで、がたごとと運ばれるだけの時間は、少女にとってはあまりにも長過ぎる拘束時間だった。
「大人しく寝とけばいいんですよ」
すっかり距離の縮まったニノンが、二人の隣に座っていた。
「やる事無い時は寝とくのが一番です」
そう言ってニノンは遠い目をした。
「寝たくても寝れない時も大人になればありますからね……ヒヘヘもう五徹はしたくねえよワシは」
「良く死ななかったですね」
一日徹夜くらいは有るが、流石に五徹は人間辞めてるとトトは引いた。
「確かに退屈を紛らわせる術がなければ、人間寝るくらいしかやれる事は無いからね」
未来はそう言いながら、背もたれに体重を少しかける。
「生憎私も他人を楽しませるような話題は持ち合わせていなくてね。申し訳ない」
どうにも口下手でね、と未来は苦笑する。
「大体まだ朝ですよ。寝れねえですよ」
馬車が出発して、未来の体感では二時間というところか。
まだまだ朝と言って差し支えのない頃合いだった。
「私は朝でも夜でもいつでも寝れますが」
ニノンは少し得意げだった。
それ絶対自慢する事じゃないよなとトトは心の中で思った。
「トトさんの言う事も一理有るかと思います。
そーこーで!と。
「昨日の話の続きでですね、お二人の魔法適正を私が測ってしんぜましょう」
「魔法適性?」
「そのままどんだけ魔法使いに向いてるかって話ですね」
昨夜見せたように。
ニノンは教師の顔で話を続ける。
「どれだけ魔法を連続して使えるかに関わる、体が保有する魔力量。魔法陣を書く為の魔力操作力。呪文や魔法陣を励起させる為に送り込む魔力出力。色々ありますが、そういうのを調べてみませんかって話です」
「なんか面白そうですね」
魔法に憧れが有るだろうトトは興味津々だった。
「私も少し気になるね」
未来も興味を引かれたのか乗ってくる。
「じゃあ、早速やってみましょうか。トトさん、両手の掌を上に、手を差し出してくれませんか」
「こんな感じです?」
言われた通りに、トトが手を差し出す。
その上に、ニノンは手を重ねた。
「じっとしててくださいね」
ニノンは静かに目を閉じる。
まるで瞑想に入るように、それは普段の彼女からは考えられない静謐さを纏っていた。
「どうです、胸の辺りが熱くなってきませんか?」
最初は不思議そうに首を傾げるトトだったが。
あ、と。
不意にトトが声を上げる。
「なんか胸があったかくなってきたですよ。ドキドキするです」
「それが魔力の感覚です」
ニノンも嬉しそうに言う。
「魔力量は……まあ、なかなかですね。悪くない感じです」
むー、と唸りながら、ニノンはさらに言葉を続ける。
「その
「えっと、こうですか?」
「そうそう、上手ですよ! そのままそのまま」
そんな二人の様子を、未来は微笑ましそうに見つめていた。
柔らかな笑顔は、まるで子を見守る母のようにも見えた。
「繊細さは……うん、まああんまり……でも押しは強いですね。大雑把でどかんと一発かますタイプですか」
うんうん、とニノンは頷く。
「多分50年くらい頑張れば私と同じくらいにはなれますね。大したもんです」
「なんか全然嬉しくねえですよ!?」
「50年で私と並べたら普通に凄いですからね!?」
このお子様は、と言いながら。
ニノンは未来に向き直る。
「では今度は未来さんの番ですね」
「今トトがやってた要領でいいのかな?」
「そうですね。まず胸の中の熱を感じてください」
そう言うと、ニノンは未来に手を重ねる。
この人はどうだろうな、とニノンは思う。
トトという少女は決して無才ではなかった。
仕込めばちゃんと
そも獣人は魔法使いには向いている。
もし古式がメインストリームに鎮座し続けていたなら、
実際、古代の魔法使いというのは人間というイメージは少なかったのだから。
そんな事を考えながら、ニノンは自らの掌より未来の掌へ、魔力を流し込む。
この手法は自らの魔力を対象の魔力路に強制的に流し込み、魔力核を強制的に覚醒させるという一種の荒業であった。
魔力を制御できる魔法使いでは成立しない。
一方が魔力操作の素人で為すがままだからこそ成立し得る、そんな技法だった。
ニノンは魔力を流し込む。細く、深く。
相手の奥底まで潜り込むように。
「ん?」
送り込む。
送り込む。
送り込む。
「んん?」
送り込んでも送り込んでも。
どういうこと!?
彼女は混乱する。
こんな事態はあり得ない話だった。
それこそ、まさか――
「魔力が、無い?」
魔力が存在しないのであれば、起き得ない事態。
愕然としたように、ぽつりと呟いた。
「そうなのかい?」
対する未来は特に気にした風も無かった。
「まあ、そういうものかもね」
「いやいやいやいや」
ニノンは慌てたように首を横に振る。
「魔力が無い人間って、あり得ないでしょ? 見た事も聞いた事も無いですよ???」
「眼の前に一人居るようだが?」
レアケースだね、と未来は笑う。
「笑い話じゃねーよ! こんなの想定してないよぉ……うひぃ……」
ニノンという魔法使いの常識にはあり得ない状況だった。
人も物も、魔力を宿す。それが世界の理だった。
魔力を保有しない
真実だとしたら、世紀の大発見である。
大発見だが、だからどうしろと。
ニノンは心の中で頭を抱えた。
「ああ、なるほど」
――不意に。
足首を唐突に掴まれたような、そんな感覚がした。
ぞくりと背中に悪寒が走る。
決してあり得ない、埒外の奇襲。
「
ニノンの魔力が、押し返される。
未来の体より、力強く、そして繊細に。
咄嗟にニノンはそれに抵抗しようと、意識を集中する。
だがそれを嘲笑うかのように、自らの魔力がその所有権を失ったように――突如の反逆者と化して、ニノンの魔力路に逆流して襲いかかる。
ニノンは声にならぬ悲鳴をあげた。
このような事は初めてだった。
いや、一度だけある。
まだ未熟だった頃、
同じように二人の魔力路を繋ぎ、こうやって魔力の
師匠には一方的にボロクソにされたっけ。
その時と同じような、全てを弄ばれるような感覚が、再びここにある。
あの頃よりも何もかもが完成され、上を行っている今なのに!
「おっとすまない、不躾だったかな」
未来がぱっと手を離す。
「初めての感覚でね……年甲斐もなく、はしゃいでしまった。失礼をした」
「いえ」
ニノンは言葉少なにそう返すのが精一杯だった。
胸に去来したのは恐怖か、敗北感か。
ただ眼の前の少女の才能に戦慄した。
「未来さんは」
少し心が落ち着いてきたのだろう。
彼女は言葉を絞り出す。
「魔力は全然ですけど……その他は多分、天才的です。こんな人見たこと無いです」
「ミクの方がトトよりすげーです?」
「いや結局魔法自体使えないんで、トトさんの方が上ですね」
「やった! ミクに勝ったです!」
わーい!と無邪気に喜ぶトト。
そしてそれを微笑ましく眺める未来。
その二人をぼうっと見つめながら、ニノンは掌をにぎったり開いたりして――先程の感覚を思い出す。
あまりにもちぐはぐな、その才。
魔力を持たないのに、その操作は誰よりも上。
まるで、何処か別の場所より現れたような、完璧な異才であった。
もし彼女が魔法を使えたなら。
おそらく、誰よりも大成しただろう。
きっと歴史に名を残す大魔導師になったに違いない。
その事が、少し惜しいと感じた。
それから暫く、トトとニノンはじゃれあっていた。
トトはどうやら先程の感覚がいたく気に入ったようだった。
「トトも魔法、習ってもいいかもです」
「ちみっこもようやく私の偉大さが分かりましたか」
「お前の偉大さじゃなくて魔法の凄さです。勘違いするなです」
トトが楽しそうに、魔法についての興味を見せていた時。
完全に弛緩しきっていた、その時。
未来が不意に、彼方を見やる。
馬車の幌の先まで見通すように。
「
緊迫した男の怒声が響き渡った。
「
周囲がにわかに騒がしくなる。
音だけではない。
先程とは違う、緊迫した空気。
何も変わっていないはずなのに何もかもが翻ったような、名状しがたき感覚。
それが場に溢れた。
「はぐれ?」
未来が不思議そうに呟く。
「もしかして意外と箱入りですか未来さん」
ニノンが焦ったように言う。
「
彼女の顔にも、緊張が走っていた。
いつものちょっと緩んだ表情ではない。
それは引き締められ、魔導師としての顔が彼女を支配していた。
「襲撃です」