崩界のオブリテレーター   作:エチゼン鏡介

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第5話 悪意の恩寵

「え? なんで?」

 

 麻美の狼狽えた声。

 通路の前後が巨大な鉄の扉で塞がれ密室となったその場所で、彼女の声が反響し何度も響き渡った。

 

「誰かが放水口を開放したんだろう」

 

 一方、未来はこのような状況でも平静さを失っていなかった。

 努めて冷静に、状況を考察する。

 

「おそらく水門を閉じたのも同一人物だ。私達を閉じ込め、水責めするつもりのようだ」

 

「水責めって」

 

 さあっと南那の顔が青ざめる。

 

「そんな、死んじゃいますよ」

 

「殺すつもりなんだろうな」

 

 未来は淡々と、しかし険しい声でそう言った。

 

「下手に殴ったりなんだりするより殺意高いね、これは。溺死は最も苦しい死に方だ。これを選ぶ時点で()()の強い殺意が窺える」

 

「殺したい位恨まれてるっての? 私達」

 

 麻美の瞳に、怯えの色が浮かんでいた。

 殺される。

 そんな事、考えた事も無かったと。

 

「恨まれてるかはともかくさ」

 

 そう言う琉覇も未来同様、比較的落ち着いていた。

 二人は年長者らしく、後輩を守る為に己を律しているように見えた。

 

「少なくとも、嫌われまくってはいるだろ? もう、全員から」

 

 特別組も、戦闘組も、補助組も。

 いずれの集団も保護組に良い印象を抱いていないのは間違いなかった。

 

「だからって、殺す程ですか!?」

 

 南那もかたかたと体を震わせていた。

 おそらく生まれて初めてだろう、殺意の当事者となる事は。

 それは筆舌しがたい恐怖を彼女に与えていた。

 

「そんなに、私達嫌われてるんですか?」

 

 もう泣きそうな程に。

 その声までも震えていた。

 

「恨みなんてさ、受ける方は意外とわかんねェもんなんだ」

 

 そう告げる琉覇の言葉には、何か含みが有った。

 

「でもな、恨む方からすりゃ譲れねェくらいに憎い何かがあンだよ」

 

「そんなん、逆恨みじゃん……」

 

 消え入りそうな麻美の呟き。

 あまりにも理不尽だった。

 

 この世界に来てから、少なくとも誰かを害するような事をした記憶は、保護組の誰にも無かった。

 だというのにいつの間にか殺したいほどに恨まれている。

 

 納得できるわけが無かった。

 

「お、お前ら何悠長に喋ってんだよ!」

 

 普段の気弱で小さな声は何処へやら。

 帆が張り裂けんばかりに叫ぶ。

 

「さっさと逃げなきゃヤバいんだろ! 早く門を開けなきゃ!」

 

 所在なさげに手を小刻みに動かしながら、帆はがなり立てる。

 何かをしたいのに何をすればいいのか分からない。

 手がそう主張しているようだった。

 

「確か扉の脇にハンドルが有ったような」

 

 南那の発言に、全員が一斉に扉の方を向く。

 

 彼女の言う通り、水路を隔てている分厚い鉄扉の横には手回し式ハンドルが設置されていた。

 やはり鉄製のそれは飛び散った飛沫に濡らされ鈍く光っていた。

 

 それを認めた帆は、反射的に駆け出す。

 

 彼の顔は恐怖と焦燥で満たされていた。

 

 もう早くこんな所から出たい。

 そんな感情だけが、まるで臭いを発するように滲み出ていた。

 

 足元の水位は、緩やかながら徐々に上がってきている。

 

 先程はくるぶしの下程までだったのに、もう足首まで満たす程になっていた。

 

「なんなんだよぉ、もう」

 

 半泣きになりながら、ばしゃばしゃと音を立てて扉の方へと向かった帆は、飛びつくよう

にハンドルに縋り付いた。

 

「うっ」

 

 固い。

 非力な帆ではキツい重さ。

 だが、死への恐怖が呼び起こした生存本能が、限界まで帆の力を引き出そうとして――

 

 

 

 帆は、ハンドルを握ったまま動かない。

 

 

 

 突如動いた帆に、他の四人は当初呆気にとられていた。

 だが帆が何をしようとしているのかすぐに理解し、それを見守っていたのだが――

 

 その帆が、勢い勇んでハンドルを回そうとして、そしてその直前で動きを止めた。

 

「何やってんの帆?」

 

 訝しげに、麻美が声をかける。

 

 だが、帆からはなんの返答も無い。

 無言でハンドルを握り続ける。

 

「なんだよ、声も出せねえ程キツいってか」

 

 しゃあねえな、と琉覇が手伝いに向かおうと扉へ足を踏み出した。

 

 だが、その刹那。

 

「動くな、琉覇」

 

 恐ろしく鋭い声が、水路内に響き渡る。

 

 普段は柔らかな未来の声。

 それが今は固く、緊迫した声色へと変化していた。

 

 その声にびくりと驚き、琉覇の太い足が空中で止まった。

 

「いきなりなんだよ、お嬢」

 

 戸惑いを見せながら、彼は足をゆっくりと引いた。

 何故そんな言葉を発したのかは分からない。

 

 だが未来が何かを警戒している事だけは、戦闘で培われた勘で理解した。

 

「帆の様子を良く見てみるんだ」

 

 促すように、未来は視線でそう訴えかける。

 

 琉覇は改めて帆の様子を観察する。

 ハンドルを握った姿勢のまま、彼は微動作にしていなかった。

 

 文字通り僅かな動きすら無く、彫像のように。

 

 それがどれだけ異常な事なのか、琉覇もようやく理解した。

 

「すまん、迂闊だったわ」

 

 そろりと、静かに。

 琉覇は後ろへと下がった。

 

「え? 何? どういう事?」

 

 二人が何を言っているのかわからない。

 麻美は混乱で頭が一杯だった。

 

「旦尾くんの様子が、おかしいって事ですよね?」

 

 南那は辛うじて何かが変だという部分だけは理解して、訝しげな目を帆に送っている。

 じっと見つめて、うーんと少し悩んだ様子を見せながら。

 

「人間ってさ」

 

 その二人の疑問に答えるように、琉覇が話し出す。

 

「びったり止まるのって、滅茶苦茶難しいんだわ。同じ姿勢でいろって言われたらすげえキツいんだぜ? 結構いろんな筋肉使うから、武術でもこういうのは修行で取り入られてるくらい、体が鍛えられるレベルでキツい」

 

 所謂站椿のように、一定の姿勢を保つ事で筋力増強や脱力を覚えさせる修行法はあらゆる武術に存在する。

 動きが無いから簡単だと思うのは素人の話。

 これが最も厳しい鍛錬だと、実際に行なった者はよく言う。

 

 それだけ姿勢を維持し続けるというのは、肉体にとって高負荷な行動なのだ。

 

「おかしいだろがよ。もやしっ子の帆クンがこんなびたっと止まってられんのはよ」

 

 そのような行動を、ハンドルにもたれかかるという補助的な姿勢であったとしても、継続的に続けている帆の状態は――あまりも、不自然だった。

 

 動かないだけならまだしも、返事すらしない。

 これは明らかな異常事態としか言いようがなかった。

 

「なんか帆がおかしいっていうのは判ったけど」

 

 一つの納得は得られたものの、まだ完全な理解には遠い。

 麻美は依然おろおろとした口調で、混乱から脱しきれていない様子だった。

 

「なんでそんな事になっちゃってるの?」

 

 誰もが抱いた疑問。

 

「攻撃だ」

 

 未来は端的に、答えを口にした。

 

「今私達は誰かの恩寵(チート)能力の標的にされている。そう判断するのが自然だ」

 

「え」

 

 思いもしなかった言葉に、麻美も南那も言葉を失っていた。

 

「え? 攻撃って、なんで?」

 

「殺したい程恨んでる相手を罠にかけて閉じ込めてんだぜ」

 

 いつもは軽く若干軽薄にすら見える琉覇の表情が、引き締まったものに変わっていた。

 油断ならぬ敵手を前にするように、彼から油断が消えていく。

 

「ついでに恩寵(チート)とか使って確実に()りてえって考えるのは、自然だろ」

 

「水路を隔てるように落ちた水門。少しずつ流入してくる水。逃れるには、水門を開けるしかない」

 

 まるで自分の考えを纏めるように、未来が呟く。

 

「扉を開けるハンドルが有るなら、当然皆でそこに殺到するだろう。普通ならね。それを逆手に取ってハンドル近くに来たら動きを止められるような恩寵(チート)を全員に使えば――」

 

 ぱん、と未来が手を叩く。

 

「晴れて確殺できる状況の完成だ。良く考えてあるよ、これ。人の心理を理解してる。実際もし焦って全員でハンドルの下に向かってたら、全滅してただろう」

 

「今回は帆がビビりで助かったって事か」

 

 助かりたい一心で帆が即座にハンドルに飛びつかなければ、おそらく皆でハンドルに向かった事だろう。

 琉覇はそう考え冷や汗を流す。

 

「とりあえず近づくなよ」

 

 両手を広げ、残る女性陣を守るように。

 琉覇はじりじりとハンドルから遠ざかった。

 

 その背中の後ろで、南那は震えながらメモ帳を取り出した。

 いつものように、心を落ち着けるように。

 彼女は無意識に気持ちを書き出し始めた。

 

 

 ――何、一体何が起こってるの?

 

 掃除中にいきなり閉じ込められて、誰かが私達を殺そうとしてる?

 

 どうしてそんな事になってるんだろう。

 

 確かに私達はどの組からも嫌われてる。

 無能とかなんとか言われて蔑まれてる自覚は有るよ。

 

 でも、殺したいって思われてるなんて、想像もしないよ!

 

 私達そんなに悪い事したの?

 こんな狭い所に閉じ込めて、溺れさせるなんてじわじわなぶり殺しにするみたいな事して。

 そんなにまでして、苦しませて殺したいの?

 

 わかんないよ……。

 

 旦尾くんはまるで固まったみたいに動かない。

 もし一緒にハンドルを回そうとしてたら、私もああなってたのかな。

 

 怖い。

 すごく、怖い。

 

 今更ながら、私達が貰った恩寵(チート)が異常な力だって理解した。

 強くないとかなんとか言われてる力だって、それが自分に向けられたとしたら、とても恐ろしい。

 

 今も手が震えて、文字が上手く書けない。

 

 私の能力がこんなつまらないもので、本当に良かったと思う。

 

 こんな簡単に他人をどうこう出来てしまうような力なんて、欲しくない。

 

 自分が使うのも使われるのも、怖い。

 

「とにかく観察するんだ」

 

 未来さんの声があたりに響く。

 

「どんな恩寵(チート)で攻撃されてるのか、私達は探らなきゃならない。何故帆が動きを止められてるのか。その条件はなんなのか。それを理解しなければ、私達は死ぬ」

 

 本当にこの人はいつも冷静だ。

 その事にちょっとだけ安心感を覚える。

 

 四十八願さんも、ちょっと戸惑っているようだけどしっかりしてる。

 やっぱりこの二人は私達より大人なんだな、って思う。

 

 たった二歳だけど、その二年の差はこんなにも大きいんだって実感する。

 

 私はそんな冷静ではいられない。

 

 もう水が膝下くらいまで来ている。

 まだそこそこ動けてるけど、もしこれが腰まで来たら?

 

 もっと上まで来てしまったら、もうまともに動けなんてしない。

 

 私達のタイムリミットは、見た目よりずっと少ないんだ。

 

 そう考えると、体の震えが止まらない。

 

 気づいたら、隣の麻美ちゃんと二人で抱き合っていた。

 麻美ちゃんも震えていた。

 

 私達はただ震えてる事しかできなかった。

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