「で、ここが雑貨屋です」
案内された雑貨屋は、武器屋とは対照的にこじんまりとした印象のある店だった。
広くない店内に所狭しと商品が並べられ、実際の広さよりも随分と窮屈な印象を覚えた。
ぱっと見た所、生活用品は一通りここで揃えられるようであった。
「お金が手に入ったら、お世話になろうかな」
お金どころかほぼ全ての生活必需品を持ち合わせていない女、天音寺未来。
ないない尽くしであった。
「じゃあお金を手に入れるためにもとりあえずこれ買うです」
トトは棚から麻布と裁縫道具を持ってくると、未来に手渡した。
「きりきり働いて借金返すですよ」
「世知辛い……!」
そんな二人の脇で、ザバが筆記用具を物欲しそうに眺めていた。
カロは相変わらずザバの後ろに隠れていたが、彼女の興味は専ら食料品の方に向いているようだった。穀物の入った樽に近づきくんくんと匂いをかぎ、目を輝かせていた。
「ザバはそれが欲しいですか?」
弟の様子に気づいたトトが、声をかけた。
「えと」
ザバは伏し目がちに、少し戸惑ったような様子を見せる。
ほんの少しだけ逡巡した後、ぽつりと呟く。
「もっと字を練習したくて」
「ふーむ」
トトは腕を組んで、悩む。
ザバが賢い事は、姉のトトも良く理解している。
年齢の割に落ち着いていて物覚えも良い。学をつければ大成できるかもしれない。
お役人くらいには、頑張れば届くかもしれない。
そう考えると買ってあげたくなるのが姉心だが、あまり気安く買い与えるのもどうかとも思った。
これは悩むですね。
トトはあまり回りが良くないと自覚している頭を全力で動かして、どうすればいいか考え続けた。
横ではザバが期待するような目で自分を見ている。
うっ、負けそうです。
だけどここは良く考えて決めるですよ!
「考えたのだけどね」
横から割り込んできたのは、未来の声だった。
「私も文字の練習は必要だと思うんだ。ここの文字はまだ覚えきってないからね。だから私に紙とペンを買ってくれないか」
満面の笑みでそういう未来の顔に、トトは何かの企みを見たのは気の所為ではないだろう。
「どうせ一回借金したら、二回目も変わらないからね。だからもっと貸してくれ」
「こ、こいつ……タガが外れやがったですよ」
「借金とはそれが有る事が問題なんじゃない。それを活かせない事が問題なんだ」
未来は得意気に借金を重ねた。
こんな大人にはならないようにしよう、とトトは誓った。
「多分そんなに時間もかからず覚えられるからね。そうしたら無用の長物になってしまうが」
悪戯っぽい表情で、ザバの顔を覗き込む。
「その時は引き取ってくれると助かるよ。なるべく身軽にしたいんだ」
少年は、眼の前の相手が何を言いたいのか正確に理解していた。
その上でやや戸惑い、それでも欲求が勝ったのだろう。
「……はい」
ただ一言、小さく返事をした。
「ミクはあんま弟たちを甘やかすなですよ。駄目な大人になるですよ」
「玩具をねだってるわけじゃないんだ、いいだろう」
私はね、と未来は言う。
「知識は重要だと思っているよ。そして知識を手に入れる為には、言語能力は必須だ。それを求める気持ちを、あまり蔑ろにしたくなかっただけだ」
「理論武装してやがるです」
「事実だよ」
トトの言葉を、未来は飄々と受け流した。
「しかしそうなると」
未来はザバの後ろにくっついているカロを見て、考え込む。
視線を感じたカロはささっとザバの後ろに隠れてしまった。
「彼女にも何かあげないと不公平かな……」
「あんま気を使うなです。いいからさっさと会計してくるですよ」
未来にさらなる硬貨を握らせ、トトは購入を促す。
彼女もそうだね、とそそくさと奥で船を漕いでいる店主の下へと向かっていった。
それなりの量の荷物――麻布が嵩張るのだ――を抱え、未来達は雑貨屋を後にした。
次は、とトトが歩きだそうとしたのだが。
「ちょっと待ってくれ」
未来がそれを止めた。
「どうしたですか?」
未来はカロに近づくと、しゃがみ込んで彼女に話しかける。
「もしかして、そろそろ疲れたんじゃないかい?」
「そうですか?」
まだ大丈夫そうですけど、とトトは思った。
ザバの方も特にそういう様子は見当たらなかったが――
「子供は無理をしがちなんだよ」
カロの顔色を探るように、そして何かを確かめるようにその手首を軽く触る。
「自分の限界に自覚が無いから、それを容易に超えてしまう。特に今日みたいに
未来はしゃがんだままカロに背中を向けると、促すように顔だけ振り返った。
「おぶってあげるよ。さ、遠慮せず」
カロはおずおずと、未来の背中にしがみつく。
ちょっと躊躇いを見せながら、ゆっくりと。
そんなカロを、未来は柔らかに背負った。
「ん」
小さな呟きと共に、小さな腕がしがみつくように未来の首元に回された。
それを確認すると未来は立ち上がる。
「じゃあ、行こうか」
背中にカロを抱え、脇では麻布を挟み。
未来は何事も無いように、歩き始める。
「ミクって」
その姿をまじまじと見つめながら、トトは呟いた。
「意外と体力有るですよね。リュウハの次くらいには有りそうです」
「まあ、人並みには有るつもりだよ」
未来とトト、そしてザバが、ダラマトナを暫し歩く。
何処、と言うでもなく。
ぶらりと街の景色を楽しむように、ゆるりと歩いた。
やがて、祈祷所の前を通りかかる。
白を基調とした石材で組み上げられたそれは、どことなくあのサン=ヴォワイエを思い出させるものがあった。
「確かに大きくなってるですね」
昔は小さかったのに、とトトは一年前を思い起こす。
その頃はまだ個人邸宅かと見紛うほどの規模だったはずだ。
それが今や屋敷と言っても差し支えのない大きさになっている。
祈祷所の回りでは、見習いの巫女達が辺りを清めている最中だった。
清浄さを保とうと丁寧に掃き掃除をしている。
「まあ、トト達にはあんまり関係無い場所ですけどね」
「そうなのか」
未来には、あまりこの世界の宗教――光神教の事はわかっていない。数少ない情報は、自分たちを喚んだ集団だという事くらいか。
「
祈祷所を見上げるトトの目には、複雑な感情が宿っていた。
羨望のような、侮蔑のような、色々な感情がごちゃ混ぜになった色が瞳に現れ、揺れていた。
「
降臨祭の時だけですね、とトトは付け加える。
「ミクは
「いや、全然」
未来はきっぱりとそう告げた。
その表情にはなんの興味も無いとありありと表れていた。
「こういう所は苦手でね。少年の尻を追いかけるオッサンが居るってイメージしか無い」
「なんかとてつもない偏見が飛び出してきましたよ!?」
トトはドン引きした。
ここまで光神教に不敬な物言いをする
「…………ほんとミクは変わってるですね」
「私は嫌いなんだよ、こういうの」
うっすらと嫌悪を滲ませながら。
未来は踵を返す。
「祈る暇が有るなら、私は誰かに手を差し出すよ。その方が建設的だからね」
未来は背を向ける。
白く輝く祈祷所に。
「人を救うのは、人だ。神なんかじゃあない」
未来の言葉は、どこか重いと。
トトにはそう感じられた。
三人――歩く三人と、背負われた一人――が家路を行く。
流石に街中を歩き回ると、疲れるのだろう。
ザバは疲労が隠せない様子だった。
トトも若干いつもの明るさがなりを潜め、言葉少なな様子を見せていた。
未来に背負われたカロは、未来の制服の胸元にあるリボンを軽く弄っていた。
どうやらこのひらひらとした布が気に入ったようだった。
無言で、三人は歩く。
「本当に、助かったよ」
未来が感謝の言葉を口にした。
「この街の事は大体わかった。明日からは一人でも歩けるだろう」
「それは良かったです」
流石にずっとはお守りしてらんねえですよ、とトトは笑った。
「ザバも付き合わせて悪かったですね」
「いえ、楽しかったです」
最も小さい少年は、少し息を切らせながらも。
「本当に楽しかったです。カロも喜んでるし、良かったです」
「本当に良く出来た子だな」
まだ小さいのに、道理を弁えた子だと、未来もここ二日で理解していた。現代日本に連れて行っても行儀の良い子供だと褒められるのは間違いないだろう。
「ザバはお母さん似なんですよ」
トトとシリバはお父さん似ですね、と言う。
「でも顔は一番お父さんに似てるってお母さんは言うです。大きくなったらきっとお父さんみたいになるって」
「僕はあまり自覚は無いです」
ザバの声は、寂しそうだった。
「まだ小さい頃に、父さんは居なくなったので」
気不味い沈黙が、場に流れた。
トトはしまったな、というような表情を隠しきれず、渋面で歩みを進めていた。
未来も表情こそ崩していないが、どこか持て余したような雰囲気をしている。
響く足音だけが、時間を刻んでいった。
「あ、着いたですね」
家が見えてきてすぐ、雰囲気を吹き飛ばすかのようにトトが大きな声をあげた。
「今日はもうゆっくりするですよ。疲れたです」
そう言うとトトは足早に家へと向かっていった。
「そろそろ下ろしても大丈夫かい?」
未来は背中に背負ったカロに問いかける。
彼女はちょっと手の力を緩めると。
「……うん」
しゃがんだ未来の背中から、とん、という軽い音と共にカロがゆっくりと降りる。
「ちょっと待ってくれ」
未来は胸元のリボンを外すと、それをカロの髪に綺麗に結わえる。
暗い髪色の少女の頭が、鮮やかな彩りを加えられ、輝いたように見えた。
「気に入ったみたいだからね。君にあげるよ」
カロは自分の頭をぺたぺたと触り、さわさわとした滑らかな布の感触に顔を綻ばせた。飽きを忘れたように、それを触り続ける。
「……ありがと」
控えめなカロの笑顔に、未来も笑顔を返した。
「ありがとうございます、未来さん」
隣で妹の姿を見守っていたザバからも、感謝の言葉がかけられた。
丁寧に頭を下げながら、謝意を示す。
「すごく気を使って貰ってばかりで、なんてお礼を言っていいか」
「そう思うなら」
未来は優しくザバの頭を撫でる。
そして、言い聞かせるように、言葉を続ける。
「君が大きくなったとき、誰かにこうしてあげなさい。私も昔、色々と気を使って貰ったんだ。君が同じ様に感じて誰かに同じ事をしてくれたら、私は嬉しい」
自分が受けた親切を、誰かに返して。
その誰かがまた誰かに親切を返し続ける。
そんな世の中はきっと素敵だと、ザバは思った。
未来という歳上のお姉さんはきっとそれを望んでいるんだなと、彼は理解した。
「はい、そうします」
少年の返事に、未来は満面の笑みを浮かべた。
それは花のように美しく、母のように慈愛を持った笑みだった。
ザバは少しだけ、その表情に気恥ずかしさを覚える。
それが幼い恋心だと、少年は終ぞ気づく事は無かった。