崩界のオブリテレーター   作:エチゼン鏡介

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第56話 夜の死闘

 ここ半年近くのダラマトナでは、不文律が有った。

 

「夜は極力出歩かない」

 

 ただそれだけであった。

 

 この世界の人間は夜闇が来たからと言ってすぐに就寝するような前時代的なタイムスケジュールで動いてはいない。

 

 少なくとも灯りという魔導式の恩恵はこの衛星国(セクタ)ですら享受する事が可能であり、それは人類の活動時間を大幅に増加せしめた。

 

 故に夜と言えど、宵の口という頃合いは本来なら()()()()()()()()という時間帯なのであったが――今のダラマトナは、そうではない。

 

 しかし害獣(フェルテ―ニュ)という魔族の出現が、人々の夜間外出を抑制した。

 小型の魔族とは言え、一般市民が襲われればひとたまりもない。

 金属に覆われた強固な外皮。獰猛な牙と鋭利な爪。何より、一度見定めたら執拗に追ってくる執念深さ。

 なんの力も無い者からすれば、恐るべき狩人(ハンター)であった。

 

 故に殆どの住人は、暗くなればもう出歩かない。

 家に閉じこもり、朝が来るのを待つのみ。

 命が惜しい賢明な者達は皆そうしている。

 

 

 

 しかし、何事にも例外は有る。

 そうでない者も少数は居るのだ。

 

 

 

「うぇーい」

 

 細い路地を千鳥足で歩く男が一人。

 街灯の灯りも少なく、薄暗いこの場所を歩くのは平時であっても危険にしか見えないが、彼はお構い無しに進んでいた。

 顔は赤ら顔。表情には締まりが無く、一目で酩酊状態である事が察せられた。

 何より、手に握られた酒瓶がそれを証明していた。

 

 このような、魔族も恐れず盛り場へ繰り出す命知らずがやはり存在した。欲望に弱く、己を節制できない彼らは酒の誘惑に負け、夜遅くまで飲んでは騒ぎを繰り返していたのだ。

 

 そして、その多くは人間(スプレム)であった。

 

 男はよたよたと路地を進む。

 果たして何処を歩いているのか、きちんと理解しているのか。

 彼のよろめく歩みからは、目的意識というものが一切窺い知れなかった。

 

「んぅ?」

 

 そんな彼の目が異常を捉える。

 眼の前にきらきらと輝くなにかが現れたではないか。

 

「おー、ほほほ」

 

 何が楽しいのか、その輝きに向かって大きく手を挙げ、ご機嫌で笑った。

 彼にはそれが何に見えていたのだろう。

 自らを祝福する輝きとでも思ったのか。それとも単なる妄想とでも思っていたのか。

 

 なんにせよ、彼はそれに警戒を取らなかった。

 そしてそれが彼の運命を決定づけた。

 

 その輝きは一直線に男に向かって突っ込んでくる。

 間近まで迫り、ようやく男はそれがなんなのか理解した。

 

 圧倒的な存在感を持つ、凶猛な獣。

 憤怒の表情すら浮かべ、鬼気迫る勢いで走ってくるそれは、本能的な恐怖に訴えかけるものがあった。

 

 しかし酔いが脳を支配している男は、その本能すら機能しなかった。

 鈍った思考力がそれを動物だと認識して、なんらかの感情を生じさせる前に――

 

 男は真正面から、砲弾の如き体当たりをもろに食らった。

 

 男の口から、吐瀉物が撒き散らされる。

 大量の酒と消化しかけのつまみ。そしてそこに、赤いものも混じる。

 

 ぐえ、と空気が押し出されるような音と共に、男は地面に倒された。

 体当たりした小柄な影はそれを意に介さぬようそのまま通り過ぎていった。

 

 そしてそれを追うように現れる三人の男たち。

 防衛隊第三隊の面々であった。

 

「隊長!」

 

 隊員の一人が叫んだ。

 

「また出ましたけど、どうします?」

 

「住所だけ救護隊に送っとけ!」

 

 振り返りもせず、隊長は怒声で返した。

 

「何があろうと酒が飲みたかったんだから、万が一死んでも本望だろう! 俺達は()()()な住人を守るのが仕事だ!」

 

 魔族が出現しており、夜間外出が危険な旨は都市参事会から公式な声明として発表された事実である。

 それにも関わらず出歩いているのであれば、それは自己責任というものだろう。

 

 命は無条件に尊い、などという理想論はここには存在しなかった。

 

 

 

 このような光景が、街の至る所で繰り広げられていた。

 犠牲者の大半は世の中を舐め腐っている人間(スプレム)

 彼らがもし慎み深く弁えた人間であれば、防衛隊の人間も苦労の何割かは減じていたであろう。

 

 

 

「それにしても」

 

 隊長は訝しむ。

 

「こいつら、何処に向かうつもりだ?」

 

 他隊の様子や情報を見る限り、どうやら害獣(フェルテ―ニュ)どもは街の外れの方向に向かっているように見受けられた。

 重要施設を攻めるなら兎も角。

 何故あのような場所に?

 疑問は尽きなかった。

 

「まあいい」

 

 考えるのは後だ。

 まずはあいつらをどう狩るか考えなければならない。

 

 人員(マンパワー)が足りない以上、どうやってこいつらを追い込むか。

 おそらく目的地につけば大量の害獣(フェルテ―ニュ)が群れをなす事となり、そうなればどれだけの人数を集めても不利になる事は否めない。

 

 

 

 

 そんな思考の最中、眼の前の影が一刀両断された。

 

 

 

 それを為したのは、一人の男であった。

 魔化で強化された人工竜鱗製の現代式甲冑(プロテクター)に身を包み、月明かりが照り返す剣は見事な拵えのものに見えた。

 

「王国騎士……!」

 

 ヴェネリサール王国、その王より叙勲を受けた騎士。

 彼らは貴種であるというだけではない。

 その戦闘力もまた圧倒的である。

 

 また別のが横の路地よりやってくる。

 騎士は王国正式剣術の構えを取ると、油断なくそちらに向き返った。

 

 騎士に跳び縋るよう体当たりする害獣(フェルテ―ニュ)

 しかしそれを騎士は剣の鎬で難なく受け止める。

 

筋力爆増(バースト・ストレングス)

 

 一言告げられる、魔導式の起動鍵(コマンドワード)

 その発動と共に騎士は銀の獣を押し出すようにして勢い良く跳ね飛ばし、人の力とは思えぬ剛力で害獣(フェルテ―ニュ)は壁にふっ飛ばされる。

 

 騎士は追いかけるように石畳が軋むかのような力強さで踏み込み、害獣(フェルテ―ニュ)を一刀で切り捨てた。

 

 躱す暇も無く。

 街を我が物顔で駆けた魔族は、たった一撃で屠りさられた。

 鋼の体毛も関係ない。

 それごと断ち切る剛剣。

 

「すげえ……」

 

 隊員の一人が呆然としたように呟いた。

 

 自分たちが我武者羅に振るう槍術(それ)とは違う。

 正しい師の下で学び、厳しい訓練を受けてきた剣術(わざ)は、付け焼き刃では身につかぬ美しさと堅実な強さを感じさせた。

 

 そして、圧倒的な力。

 魔導式という衛星国民(セクタ・ミノール)では届かぬ魔導の恩恵を、彼はまざまざと見せつけられていた。

 

「鎮圧は我々王国軍が行う」

 

 騎士は感情を感じさせぬ声で、そう告げた。

 防衛隊など、視界にすら入れていなかった。

 ただ害獣(フェルテ―ニュ)の亡骸を、観察するように見つめているだけだった。

 

「お前達は住人が邪魔にならぬよう囲っておけ」

 

「ハッ!」

 

 隊長は見事に敬礼を返すと、街の中心部へと戻っていく。

 騎士から逃げるように。

 

「いいんですか、任せて」

 

 そう疑問の声を隊員たちは上げるが。

 

「いいんだ。騎士様の仰る事だからな」

 

 軽い口調でそう言うものの、隊長の目は笑っていなかった。

 

「騎士が出てきた以上、制圧は時間の問題だろう。俺達は邪魔にならないようにするだけだ」

 

 実際、苦戦しているのは防衛隊の戦力のみしか運用できないからであり、駐屯している王国軍が出張ってくるのであれば、その懸念は全てクリアされる。

 

 王国軍は末端の一般兵ですら自分たちのような防衛隊とはものが違う。正式な訓練を受け、魔王軍と戦う為に鍛えられた精鋭なのだ。

 

 何より王国騎士の実力はずば抜けている。

 防衛隊で換算するなら、騎士一人で十人分の働きは優にこなすだろう。

 それほどまでに力に差が有る。

 

 そんな彼らが、おそらく総出で事態収拾にあたる。

 これは既に解決が約束されたようなものだった。

 

「それに」

 

 そこまで言って、隊長は口を噤んだ。

 

 ――それに、ここに至っていきなり出てくるのは露骨に怪しいだろ。

 

 そういう疑念を口に出すのは不味いと、すんでの所で思い直したからだ。

 うっかり聞かれでもしたら面倒な事になるのは確実だ。

 沈黙は金である。

 

 何故、今になって王国軍は動いたのか。

 魔族が大量侵入してきたから――ではあるまい。

 彼らが衛星国民(セクタ)の命を惜しんで動く道理がない。

 本来なら、せいぜい駐屯地の防衛に勤める程度のはず。

 

 それが、わざわざ打って出て来た。

 ここに何か後ろ暗いものを感じたのは、彼の気の所為だろうか。

 

「隊長、何か言いました?」

 

「いや」

 

 疑念を心から追い払う。

 余計なことに首を突っ込んでも藪蛇になるだけだ。

 今は頼りになる援軍が現れた事を素直に喜ぼう。

 

「今後は()鹿()の救護に回るぞ。忌々しいがな」

 

 おそらく、少なくない数の放蕩に浸った人間(バカ)が倒れているだろう。

 そいつらを施療院やら神殿やらに連れて行くのが、これからの自分たちの仕事だ。

 隊長はそう思い、走り続ける。

 

 出来ればまともな住民に被害出ていなければいいが、と彼は思う。

 儚い願いだと思いながら、防衛隊は新たな任務へと向かうのだった。

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