崩界のオブリテレーター   作:エチゼン鏡介

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第66話 侵入のニノン

 眩い光に包まれて――

 

 ニノンは自身の体が浮き上がり、世界から切り離されたかのような感覚を覚えた。

 まるで存在自体が薄く、軽くなったかのような錯覚。

 物質的な(しがらみ)から解き放たれ何か自由になったような、ふわふわとした心地を彼女は味わっていた。

 

 ――アストラル界への接続、以降は問題なしですね。

 

 馴染みの感覚が、自分の魔法解析の正しさを証明していると実感できた。

 ニノンは()()()()()()でほっと一息付く。

 

 転移魔法は危険が一杯だ。

 失敗すれば世界の狭間に転がり落ちてそのままおさらば、なんて事はざらに有る。

 普通の魔法使い(アプレンティス)であれば、師匠の補助無くこの手の空間を操る魔法は使わせてすら貰えない。

 私も最初は監視されながら使ったなあと、ニノンは不意に未熟だった頃を思い出した。

 

 今回の転移は座標の指定は必要無い。

 予め決められた出口へ、自分が強制的に割り込んでいくだけだからだ。

 

 眼の前がきらきらと輝く光景を見つめながら、徐々に自身の存在が一点に収束していく感覚をニノンは感じた。

 これならあと数秒で、目的地に出るだろう。

 

 意識を切り替える。

 この先は、間違いなく敵地だ。

 

 ぐん、と上から押し付けられるような感触。

 足の裏に再び重力を感じながら、ニノンはゆっくりと目を開ける。

 

 まず彼女の目に入ってきたのは、一面の白。

 美しく磨き上げられた汚れ一つ無い白亜の壁が、まるでニノンの視界を塞ぐように存在している。

 

「あー、光神教も絡んでますか」

 

 どうして敵がどんどんでっかくなるのかなぁ、とニノンはボヤく。

 あの神の僕達は真っ白なのが大好きなのは、光の民であれば教えられるまでもなく知っている。

 

 王国(エタ)に光神教。

 

 世界の二大勢力(推定)に喧嘩を売ってんじゃね?と今更ながらにニノンは気付いた。

 

「でも既にやっちまってんだから仕方ねえ! 私はわるくねえ! わるくねえ!」

 

 ニノンは厄介事を頭の中の棚にぶん投げた。

 そしてその存在を即座に忘れた。

 脳内の遺失物管理所は既にぱんぱんになっていてパンクしそうな事も、彼女はあえて意識しなかった。

 

『登録者以外の来所を検知しました。只今係の者が参りますので、適切な手続きを行ってください』

 

 魔核(IACI)を通して、そのような言葉が脳内に送られる。

 このアナウンスを平たく言えば、お前不法侵入者だから大人しくしてろよ、である。

 

 その証拠に、眼の前の入口――大きな両開きの扉――の向こうから、重苦しい足音が聞こえる。

 硬質で重量感の有るそれは、ニノンにもどういう人物が来るか容易に想像できた。

 

「もう完全に初手制圧するつもりですよねこれぇ!?」

 

 鎧を着込んで剣を持ってりゃ人間誰でも重くなる。

 そういう人間が、おそらく2、3人。

 自分を捉える為にやってくる。

 

「でもまあ」

 

 ニノンはすっと、左手で杖を掲げる。

 

 杖先から漏れた光が、まるで生きているかのように空中を奔った。

 放たれた光は途中で幾つか枝分かれし、その先でもまた分かれ、次々と新たな光を産んでいく。

 その光景は光の妖精が楽しげに遊んでいるかのように。

 美しく、そして神秘的だった。

 

伝統派魔法使い(オブソレット)に時間を与えちゃ、いかんでしょ」

 

 最年少の魔導師(マスター)は、不敵な笑みを浮かべて、佇む。

 扉の向こうを見据えながら。

 

 

 

 足早に廊下を進むのは、現代式甲冑(プロテクター)を身に纏った一行だった。

 秘匿研究所特務騎士団。

 彼らは三人一組で行動し、所内の警邏にあたっている。

 

 夜間警備は一隊体制であり、今晩それを担当していたのは第二隊であった。

 

 その第二隊の隊長は、【正規搬入口】へと繋がる廊下を足早に進んでいた。

 後ろには二人の部下が並んでついてきている。

 

「大丈夫か、新人」

 

 隊長はその内一人が明らかに緊張しているのを感じ取っていた。

 この新人はつい先日、まだ二ヶ月前にここに来たばかりの()()()()だった。

 

「は、はい」

 

 新人は緊張した面持ちで、短く頷く。

 しかしどう見ても大丈夫ではない。

 恐怖か武者震いか、細かな震えが見て取れた。

 

「気楽に行けよ、気楽に」

 

 そう新人をフォローするのは、隊長にとっては馴染みの部下。

 それなりに付き合いも長く、信の置ける相手だった。

 

「不審者って言っても相手は一人。こっちは三人、正式装備だぜ」

 

 な?と。

 

 彼は新人を励ますように、軽く肩を叩く。

 

「その通りだ」

 

 安心させるように、隊長も部下の言葉に続く。

 

「貴様もここに送られるだけの優秀な騎士である自覚を持て」

 

「ですが」

 

 尚も気弱な新人に、隊長は続ける。

 

「厳しい訓練に耐え、刻印容量(キャパシティ)一杯に魔導式を刻んだ貴様が何を不安に思う事が有る。我々は、魔族と戦う人類の盾だぞ」

 

 諭すように、励ますように。

 隊長は敢えて落ち着いた口調で語りかける。

 

「そのような者が三人も揃っている。落ち着けば、何も問題は無い」

 

「そうですね……」

 

 新人は未だ不安そうな表情を残すものの、そこには若干の明るさが戻ったように見えた。

 これならなんとかなるか、と隊長は心の中で胸を撫で下ろす。

 

 このような場所に一人で吶喊してくる時点で、油断できる相手な訳が無い。

 何一つ楽観できる要素など無い。

 だとしても、このように震える新人にそれを突きつけるのは酷な事だと彼も理解していた。

 

 とりあえず自信を持たせて、フォローに専念させるべきだな。

 メインで動くのは我々二人か。

 

 隊長は冷静に各々の立ち位置を計算する。

 

 そうしてる間に目的の扉が目に入り、目標の人物と見える時が近づいてきた。

 

「新人は後ろで控え、不測の事態に備えろ」

 

 短く端的に、指示を下す。

 

「対象への対応は俺達が行う」

 

 二人の部下が無言で頷いたのを確認し、ゆっくりと抜剣する。

 王国騎士剣が廊下の照明の光を照り返し、怪しく光る。

 まさかこの場でこうして剣を抜く事になるとはな、と彼は苦笑した。

 

 気を取り直し、隊長は勢い良く両開きの扉を開け放つ。

 

 バン!という派手な音が、半円球のホール状になった正規搬入口に響き渡った。

 

 敢えて乱暴に扉を開けたのは、相手に対する威圧も兼ねての事だ。

 こういう暴力的な面を度々忍ばせていくのが威圧のコツだと、彼はこれまでの人生から学んでいた。

 

「抵抗の意思無くば床に伏せろ! 何もしないのであれば手荒には扱わん!」

 

 隊長は一息に要求を告げる。

 要は大人しくしろ、だ。

 

「賢明な判断を期待し――?」

 

 そこで、隊長は、いや第二隊の面々は気づく。

 淡い燐光が、搬入口を満たしている事に。

 

 彼らの眼の前には、中空に光で描かれた幾何学的で巨大な文様が浮かんでいた。白く仄かな光で描かれたそれは壮大な絵巻物にも、歴史を記した史記のようにも、法則を記した計算式のようにも見えた。

 

 美しき、魔法陣。

 彼は生まれて初めてそれを見た。

 

「やーやー皆さん、こんばんは」

 

 甘ったるく、呑気にも聞こえる、涼やかな声。

 

 その発生源、光の奥に、一人の女が居るのが見えた。

 まだ十代だろうか。

 歳若く、幼いとすら形容できる、女というよりも少女。

 

 彼女は素直に美しいと言える容貌をしていた。

 顔には大きな丸眼鏡をかけており、頭に被った大きな帽子は彼女の顔を覆い隠さんばかりに見えた。

 

 だぶついたローブは高級な生地を使っているのが遠目からでも分かる。精緻な刺繍が美しく、その布地を彩っていた。

 胸元には彼女の何某かを誇るかのように、紋章――隊長には皆目見当もつかないもの――が縫い付けられている。

 

 その左手には杖が握られており、それは天高く掲げられている。

 木製でありながら滑らかで艶のあるそれは、無駄を削ぎ落とした魔法を行使する為の機能美を放っていた。

 

 まるで、と。

 

 まるで、おとぎ話の魔法使いのようだ、と隊長は思った。

 子供向けの絵巻物から飛び出してきたかのように。

 彼女はただ、そこに居た。

 

 幻想的な光景に、隊長は一瞬固まってしまった。

 それは後ろの二人も同様なのだろう。

 どこか息を呑むような雰囲気を、彼は背中で感じていた。

 

 だがそんな様子もお構い無しに、眼の前の少女は言葉を続ける。

 

「はじめましてー。そんでもって」

 

 掲げられた杖が、動く。

 自分たちを指し示すように、狙いを定めるように。

 その杖先がこちらへと向けられている。

 

 ――不味い!

 

 隊長は反射的に前へと踏み込む。

 何をしようとしているのかは分からない。

 だがこれが、敵対的な行動である事だけは、考えなくともわかる。

 

 これを止めないと、ヤバい!

 

 彼の直感は正しい。

 しかし、同時に遅かった。

 

「おやすみなさい」

 

 少女の言葉は、その踏み込みが届くよりさらに早く。

 彼の剣先が届くよりも先に、その言葉が告げられた。

 それは古式(オブソレット)も、現代式(デルニエクリ)でも変わらぬ一言。

 

 魔法の、起動鍵(コマンドワード)

 

人間無力化(イナート・パーソン)

 

 隊長の耳が言葉を捉えた刹那――

 

 がくりと。

 

 まるで彫像にでもなったように、四肢が固まる。

 いや、四肢だけではない。

 体自体がまるで巨大な何かに包まれて、固定されたかのように動きを止めた。

 何一つ動かない。手も、足も、口も、目も、全て。

 

「この魔法は私のオリジナルでしてぇ」

 

 それでも甘ったるい声は、隊長の下へと届いていた。

 自慢げに、嬉しげに、彼女は語っていた。

 

人間捕縛(ホールド・パーソン)睡眠(スリープ)の合せ技なんですよね。傷つけずに無力化するのに最適でして」

 

 同時に、彼の脳が途端に重くなる。

 意識が霞み、動かない体がぐらりと揺れるような感覚を覚えた。

 ああ、と隊長は思う。

 これは睡魔だ。

 徹夜した後しこたま感じる、おなじみのあの感覚だと。

 

「まあ暫くゆっくり休んでてくださいね……」

 

 女の声を子守唄にしながら、彼は眠りに落ちていく。

 ごん、という自分の体が床に打ち付けられる音を聞きながら。

 意識は闇の中、胡乱げな夢の世界へと旅立って行った。

 

 

 

「ふう」

 

 額から流れる汗を拭いながら、ニノンはほっと一息つく。

 

 彼女の眼の前では、男が一人倒れ伏していた。

 扉の近くに、さらに二人。

 計三人が、彼女の魔法により無力化されていた。

 

 

 眼の前の男が倒れている距離はおおよそ一足の範囲内か。

 もし一秒でも遅れていれば、自分は斬られていたかもしれない。

 ニノンの背筋に寒いものが走る。

 

「流石王国騎士、良く訓練されてます」

 

 倒れ伏した相手の鎧を見て、彼女は自分の相手が何者か知った。

 想像通り王国絡み。

 嫌んなるなあ、と心の中で悪態をつく。

 

 しかし入りばなにぶっぱなしてやれば確実に決まるだろ、と思ってはいたが。

 まさかこんなギリギリになるとは、とニノンは内心驚いていた。

 心臓は死ぬほどばくばくしていた。

 あれ? 実は今めっちゃ危なくなかった?

 

 奇襲されてんのに即座に反撃してくんのは流石だよなあ、と改めて王国騎士を相手にする恐ろしさを実感する。

 騎士は魔族戦線で最前線を担当する、謂わば戦闘のプロ。

 インドア派である自分のような魔法使いが正面切って戦うには、やっぱり不利だ。

 

 ていうか一瞬で持ち直して攻撃してくんじゃねえよ!?

 お前らどんだけバトル脳よ!?

 

 自分だったら扉入っていきなりぶっぱされたら絶対動けねえわ、と半ば呆れながらニノンは思う。

 やっぱり自分とは人種が違う。こわ。

 

「今は準備時間が取れたから、理想的にいきましたけど」

 

 時間は魔法使いの友だ。

 時間が有れば有るだけ強力な魔法を唱え、行使する事が出来る。

 今回はそれが潤沢に存在した。

 それがここのみの幸運だと、ニノンははっきりと理解していた。

 

「次からはガチンコかあ……うえー」

 

 もし再び騎士たちと見えたなら、こうは行かないだろう。

 偶発的な遭遇と、正面からの戦闘。

 どう見ても苦戦は免れない。

 

「まあ不法侵入者はこっちだし、しゃーないわな」

 

 三人を無力化した事は、きっともう知れているだろう。

 となれば一切の容赦無用でこちらを消しに来る、とニノンは踏んでいた。

 どう見ても怪しいこの施設、まともなものではない。

 

 あれだ、目撃者は消せって奴だ。

 力付くで突破して生きて帰るか、それとも物言わぬ屍になって出ていくか。

 二つに一つだろうと彼女は思った。

 死にたくねえ、とも切実に思った。

 

 彼女は自分の夢を思い描く。

 超絶イケメンの金持ちと結婚して毎日ちやほやされながら魔法の研究を思う存分やりまくって、遊んで暮らしたいという崇高な夢だ。

 全人類女子の憧れる姿だ。

 それを果たすまで絶対死にたくなかった。

 

 だがそれも、弟子の行方を掴んでからの話。

 

 ぐっ、と杖を握り直す。

 果たしてこの先に、ロロの手がかりは有るのだろうか。

 

「んじゃま」

 

 気を取り直し、彼女は改めて決意を固める。

 もう後戻りはできない。

 

 進んで進んで突き抜けて、その先に行くしか無いのだ。

 その先に何が有るか分からずとも、自分の求めるものが有ると半ば盲信しながら、進むしかない。

 彼女はそれを自覚していた。

 

 袖口の巻物(スクロール)を確認する。

 それはすぐに取り出せるよう、袖の内側に貼り付けてあるものだ。

 これからは悠長に魔法を唱えている暇など与えて貰えないだろう。

 即時発動可能な巻物(スクロール)が生命線となる。

 

 あとは、これ。

 

 右手に嵌った白い籠手を、ニノンは眺める。

 自分が持ってきた武器はこれだけだ。

 刃物だとか使えたもんじゃない。

 自慢じゃないが美少女ニノンちゃんはそんな器用ではないのだ。

 迂闊に振り回したら怪我するのは自分の方なんだよ!

 美少女は身の程も弁えている。

 

「……行きますか」

 

 魔法使いの少女は進む。

 ホールの扉を開け、未知なるその先へ。

 

 ダラマトナの、闇の中へ。

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