――そうして、ニノンは今ここに居る。
ダラマトナを単身訪れ、こんな訳の分からない施設に突入し。
騎士と殺し合いまでしてる。
なんでこんな事になってんだろなあ、と思いながら。
ニノンはふらふらと廊下を歩いていた。
やっぱ師匠の言葉守っときゃ良かったかな。
仄明るい施設の光の下で、ニノンはそう後悔していた。
心配のあまり勢いで飛び出してきたが。
確かに自分一人では手に余る。
魔法使いが単独で動く事の危険性を、ニノンは今日初めて理解した。
一瞬で肉薄され詠唱を封じられれば、魔法使いはこんなにも脆いのだと。
ニノンは右手の感触を確かめる。
この白い籠手が無ければ自分は死んでいたと、今更ながらぞっとする。
「エクスカペルを借りてきて正解でしたね……」
エクスカペル。
それがこの籠手の名だった。
偶然
来て早々こっちが出払う事になっちゃって、ほんと悪いことしたな。
ちょっと困ったように、それでも自分の頼みを聞いてくれた友人の顔をニノンは思い出す。
おそらくまだ暫く
帰ったらしこたまお礼しなくちゃね、と彼女は心の中で友人に感謝を述べた。
ちらりと後ろに倒れた騎士を見やる。
王国騎士の強さは話には聞いていた。
激しい訓練を潜り抜けた、魔王軍と戦う精鋭だと。
その言葉が嘘ではないとニノンは身を以て実感した。
鍛え抜かれた肉体に、重ねられた
その効力はあまりにも絶大だった。
最初から突撃による奇襲を選ばれていたら、おそらくあっけなく死んでいただろうと思う。
肉体的な戦闘技術を一切持たないニノンが彼らのようなプロを相手にするのはどう考えても不可能だった。
相手が焦って遠距離攻撃を選んでくれたから、なんとか勝負になったのだ。
初手でこちらの領分を選んだから、素人みたいな自分でも対抗できた。
ニノンの偽らざる本音だった。
「出来れば情報的なアドバンテージを取りたいんですけど」
監視の魔導式を
だがそれを行う時間が足りない。
もう自分が侵入し、一名を返り討ちにした事はあちらに知れているだろうとニノンは踏んでいた。
となればもう間もなく更なる人員が追加でやってくるはず。
とてもじゃないが、時間のかかる解析作業を行っている暇はない。
魔法使いは一人で動くなという師匠の忠告が、今更ながらニノンの胸に重くのしかかってきていた。
手元の
なるべく接近戦に強い奴。
それを取り出しやすいような位置に並べ替えた。
そしてついでに一本抜き出す。
「
ニノンが使ったのは、探知魔法の一種だった。
人には聞こえない音を周囲に放ち、その跳ね返りで敵の位置を探る魔法。
これにより、おおよそ半径20m以内の何某かの動きを探る事が可能だった。
先程は、機先を制せば成功するという慢心が有った。
自分の予測こそが全てだと思いこんでいた。
だが違う。
戦いとはどこまでも備え、慎重に動く事。
そう、ニノンは学習した。
それはまさしく戦場の心得そのものであると彼女は知らなかった。
「クッソ」
魔法は今まさにやってくる騎士の姿をニノンの脳内に送ってきていた。
数は2。すぐにここに辿り着く。
「あっちに逃げるしかないか」
騎士たちがやってくるのと別方向に抜ける通路が一本有る事も魔法で捉えていた。
今はそちらに向かうしかない。
後ろに下がれば袋小路。
どう考えても追い詰められたらジリ貧だ。
そう考えている間に、騎士たちの姿が向こうの曲がり角から現れた。
咄嗟に右腕を掲げてエクスカペルを起動する。
ヒュッ、という軽い音と共に。
その手甲、腕の部分の装甲から小さな円盤が発射された。
薄く小さく、それでいて高速で飛ぶそれは、視認する事も困難な凶悪な弾丸であった。
そしてそれは一つではない。十、二十と複数がばらばらと騎士に向かって飛んでいく。
「くッ!」
前に居た騎士が、声を上げて咄嗟に後ろに飛んだのが見えた。
その顔が必死さに
騎士が怯んだ隙に、ニノンは逃げる。
とにかく、今は進んで距離を取る。
彼女は全力で空いている通路へ向けて駆け出した。
飛び退いた騎士は、その勢いのままに尻もちをついて後ろに転んだ。
壮年にもなろうその顔には汗が滲み、彼が必死であった事を伺わせた。
「何やってるんですか」
もう一人の若い騎士が、呆れたように言う。
「あんな豆鉄砲、
「馬鹿な事を言うな!」
壮年の騎士は、怒声とも言える声を張り上げる。
「あれは【エクスカペル】だぞ! 知らんのか!」
「すみません、知りません」
「そうか、お前は若いからな」
埃を払い立ち上がりながら、壮年の騎士は語りだす。
「あれは光神教の神殿騎士が使う粛清兵器だ。なんでも勇者様が使った【ジュウ】という武器を参考に作り上げたらしい」
「勇者様の武器を元に」
若者の目が、俄に輝く。
勇者の話で心をときめかせない男は、この世界には存在しない。
「それはさぞかし強力なんでしょうね」
「強力なんてもんじゃない」
壮年の男の顔には、苦々しいものが浮かんでいた。
「対人においては、間違いなく世界最強の武器だろうよ。あれを持った相手とまともに向き合うな。死ぬぞ」
男は吐き捨てるように言った。
「なんであんなもん持ってんだ、
廊下を走るニノンの脳裏に、更なる敵の到来が伝えられる。
方々の道から騎士たちが、こちらを囲むようにやってきている。
「ちッ!」
舌打ちをしながら、ニノンは複数の
「
彼女の
何故そんな魔法を今?と。
大きさは直径1メートル弱、人程度の重さのものならそこに置いて持ち運べる。
魔法としては初歩中の初歩の一つだった。
どう考えても、戦闘に用いる魔法ではなかった。
走るニノンの眼の前の角から、騎士が一人飛び出してきた。
それは丁度、彼女が
ほぼ真横から出てきた騎士は、本来なら容易に斬りかかる事ができただろう。
しかし――
「ぐガっ!?」
騎士の体は、何かにぶつかったかのように、空中で歪み止まった。
そこには、
本来平行に並べて発現するはずのそれを、ニノンは垂直方向、縦に三枚並べた。
荷車の代わりにしかならないはずの取るに足らない魔法。
その魔法をニノンが使えば、それは分厚い透明な装甲に様変わりする。
――横に並べれば、上から叩かれれば壊れる。
ニノンはそう冷静に考えた。
それは魔法使いなら誰もが知る事実だった。
――だけど縦に並べたら、どうよ!
薄い板も縦にぶったたいて壊すのは難しい。
子供でも知る当然の理屈。
しかしそれは今や強固な盾を成立させる論理として展開されていた。
騎士がぶつかる様を見て、
「
ニノンは追加で
刹那、騎士は強烈に
「がッ……ががッ」
それは、面に対して衝撃を与えた時の話。
軸方向からの圧力に対しては――十分に、強い。
見えない万力に締め付けられるように、騎士は細い三本の板が形作る溝へと押し込まれる。
頑強なはずの
現代魔導工学の粋を凝らして作られた
しかしどんなに堅い装甲であろうと、圧力を減じる事はできない。
堅固な装甲に有る柔らかな肉体は、やがてぐちゅりという不快な音を立て潰れた。
真白の廊下、その床には絞ったように、一滴一滴と血が滴る。
ぽたぽたと、音を立てて床を濡らす様は、キャンバスにワインを零すかのような光景だった。
ぱりん、という軽い音と共に
それと同時に、圧搾された肉体が解放された。
騎士はどさりという音と共に廊下に倒れ伏す。
自らの血に浸った様は、神に捧げられた供物のようにも見えた。
ニノンはその様を一瞥すらしない。
未だ逃走中であり、彼女にとって名も無き敵その1を気にしている余裕など無かった。
「じゃんじゃん来ますねえこれ!」
一人倒した所で焼け石に水。
際限のないおかわりが勝手にやってくるように、次々と騎士がこちらへ向かっているのが感じられた。
「とにかく進むしか!」
ニノンは反射的に、敵に居ない方向に進んでいく。
先へ先へと。
――なんかどんどん下に潜ってる気がする。
自分が選んでいる道が、施設の階下方向であるとニノンは気付いた。
まるで自分を下に追い込むように、追い立てるように。
「どう考えても、罠だよね」
猟犬が獲物を追い込むように、自分は誘導されているとニノンは気づいていた。
だがそれでも、罠に飛び込むしかない。
戻れば数人の騎士を同時に相手にする事となる。
そうなれば死。
進んだ先も、おそらくろくな状況は待ち受けていないだろう。
おそらく、死。
どちらに転んでも死であるのなら、より先に進んで死にたいとニノンは思った。
「まあ死ぬ気なんざ無いですけどね」
自らを鼓舞するように、不敵にニノンは笑う。
自分の体が震えているという事実から目を逸らして、笑った。
ぎゅっと
――そうだ、私はまだロロの事を何も分かっちゃいない。
絶対にあの子を見つけるんだと、改めて決意し。
彼女は眼の前に現れた扉を開け放ち、先へ進んだ。
扉の先は、目も眩むような強烈な光に包まれていた。
「――ッ!」
ニノンは反射的に目を瞑る。
数秒だろうか、目が慣れてきておそるおそる瞼を開くと――
そこは、開けた巨大な空間だった。
「ここは……?」
天井は高く、壁面はまるで砦の壁のようにそそり立つ印象をニノンに与えていた。
その広さも尋常ではなく、
地下にこのような広大な空間が潜んでいるとは、ニノンですら想像もしていなかった。
かつ、かつ、と。
ブーツが床とぶつかり合う甲高い音がその場所に響く。
ニノンが音の発生源を探すと、壁面の高い場所に、まるでバルコニーのようにせり出した部分が存在する事に気付いた。
それは壁をぐるりと囲むように存在し、四方に遍く設置されていた。
そこを歩くのは一人の男だった。
見るからに神経質そうな、痩せぎすの男。
格調高い騎士服、そして上等な剣。
歩く所作は美しく、高度な教育を受けている者である事が伺えた。
「ようこそ、我が研究所へ」
彼は鷹揚に両手を広げると、ニノンへ向かって語りかけてきた。
「私はコランタン・ド・ソンブルイユ。この場を預かる者だ」
ソンブルイユは冷たい視線でニノンを射抜きながら、問いかける。
「それで――何用かな、
「ソンブルイユ……」
ニノンはそれが、五大領の一つ、ヴィセ家に繋がる貴族の名だと思い出した。
「中央貴族がこんな辺境の、地下深くで」
そんな人間がこんな場所に居る。
怪しさしか感じなかった。
「一体何をしているんですか」
「聖剣を、作っているのだよ」
「……は?」
ソンブルイユの放った答えは、ニノンの想像もしないものであった。
だがそんなニノンの様子はお構い無しに、ソンブルイユは続ける。
意気揚々と、誇るように彼は言った。
「ここには有るのだ。勇者が握るべき、次代の聖剣がね」
ソンブルイユの瞳には、多大な自負と――そして少しの狂気の光が宿っているように見えた。