崩界のオブリテレーター   作:エチゼン鏡介

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第78話 例え、瞳に映らなくとも

 研究所の扉を開けた未来の目に入ってきたのは、薄暗い部屋だった。

 さして広い部屋ではない。

 その面積は学校の教室程度の広さであろうか。

 個人が使うには広すぎるが、用途から考えるとむしろ狭いとすら言えた。

 

 廊下を照らしていた仄明るい弱い光よりもさらに弱く。

 微かに、闇の住人に配慮されているかのようなそれは、まるで地底人が住む部屋のようだった。

 

 しかしその壁面には無数の幾何学的なラインが走り、光が明滅している。

 魔導式の励起する光が、明かり代わりとなって部屋を照らしていたのだ。

 

 そんな部屋の中央には、手術台らしきものが置かれている。

 未来に背を向けて何某かをしている男は、未来が入ってきた事にもまるで気づいていないかのように、その前で己の作業に没頭している。

 

「何をしとる。はよ扉を閉めろ」

 

 ただそう一言、彼はそう未来に告げた。

 

 未来は静かに扉を閉める。

 ゆっくりと、音も無く。

 

 男はその一声を発したのみで、作業の手を止める事は無かった。

 こちらに振り返る事も無い。

 そもそも興味すら持っていないのだろう。

 故に未来が招かれざる侵入者であるとも気づいていない。

 

 棚には様々な器具が鎮座している。

 その全てが物騒であり、肉を切り開く為のそれであると一目で理解できた。

 丁寧に洗われているように見えるが、所々にこびりついた血の跡がその凄惨さを際立たせていた。

 

 そしてその部屋の奥。

 壁面には、未来が目を見開いた光景が存在していた。

 

 壁一面に並べられた、液体の入ったシリンダー。

 まさに特撮で出てくるような、悪の博士が怪人を入れておくかのような、地球ではまずお目にかかれないそれが壁一面に、二十本以上並べられていた。

 

 そしてその中に見えるのは、いずれも子供たち。

 

 可愛らしい獣耳を頭に備えた、獣人の少年少女達が捕らわれている。

 

 彼らは手足をもがれ、胴体すら削られ、顔と胸だけの姿になっていた。

 快活だっただろう彼らの表情は、虚ろで茫洋として生気を感じられない。

 生きているのかすら定かでないような状況だった。

 

 彼らは人としての尊厳を全て奪われ、そこに居た。

 

 そして未来の目は入った瞬間からそれを捉えていた。

 

 利発な眼差し。聡明な顔つき。そして年相応の幼い笑い声。

 彼の事を未来は良く知っていた。

 

「ザバ」

 

 将来を嘱望されていたであろう才気溢れる幼い少年は、今や単なる()()としてそこに格納されていた。

 あの澄んだ瞳はもうそこには存在しない。

 視点も定まらず虚空を見つめる悲しい姿がそこには有った。

 

 ザバだけではない。

 全ての子供たちが、未来を奪われていた。

 輝かしいはずのそれが、もう彼ら彼女らには存在していない。

 

 音も無く、未来は部屋の中央へと進んでいく。

 進むにつれ、その手術台の光景が彼女の目に入ってきた。

 

 薄汚い白衣らしきものを纏ったその男は、まるで料理をしているかのようだった。

 活造りをするように、各部位を切り分けている。

 黙々とそれに没頭する姿はまさしく職人とすら言える真摯なものであった。

 

 その対象が獣人の少女でなければ。

 

「カロ」

 

 髪にはまだあのリボンが結わえられ、揺れていた。

 彼女の目は涙を流し、その体は時折びくんと震えている。

 

 男は未来に背を向けている。

 だから、気づかなかった。

 

 背後の女の気配が一変した事も、その在り方が変じた事も。

 

 未来の五体に、力が漲る。

 それは筋肉の収縮による力みではない。

 指先の一つ一つ、その末端まで遍く大地よりの反作用が行き渡り、それを十全に活かせる経路が完全に確立された、その証であった。

 彼女の体は今や地の力を吸い上げ伝え、それを世に表す執行者へと変じていた。

 

 その表情は能面が如く無表情。

 しかし両の目だけは、恐ろしいまでに輝いていた。

 瞳の奥より放たれる光は激しく、鋭い。

 

 そこに、少女であった天音寺未来の姿はもう無い。

 

 人類という種族が生み出したある種の極致、人類史に残る最も殺人の才能に恵まれた化物の姿が、そこには有った。

 

 

 

 男は、ここで「ドク」と呼ばれていた。

 月並みだが、ドクターの略であるその愛称を彼は気に入っていた。

 

 名前を呼ばれる事は好きではない。

 家名で人を判断されるのにはもううんざりしていたのだ。

 自分を評価するのであれば、家でなく成果にして欲しい。

 だから彼はこの愛称を気に入っていた。

 

 彼の理論は魔導工学界では異端とされ、受け入れられなかった。

 生物より強制的に魔力を供出する、生体魔力庫。

 その抽出理論を彼は確立した。

 

 意気揚々とそれを学会で発表し、彼は己の栄華が訪れる事を確信していた。

 

 だが、彼に返ってきたのは罵声と激しい糾弾だった。

 

「あまりにも効率が悪い」「維持が面倒で長期使用に耐えない」「均等な品質が保証できない」。

 

 どれも、難癖に近いと彼には思えた。

 あのエイジャックスの定理すら超える、次世代の魔力庫なんだぞ?

 これが普及すれば世界が変わる。

 どうして理解して貰えないんだ!

 彼の嘆きは尽きなかった。

 

 そんな時、彼に声をかけてきた者が居た。

 

 コランタン・ド・ソンブルイユ。

 その人であった。

 

 ソンブルイユは微笑みながら、こう語りかけてきた。

 

「思う存分その理論を研究してみたいと思わないかね」

 

 甘く、優しく。

 悪魔の囁きのように、失意の内に有るその心を侵すように、ソンブルイユは言葉を囁く。

 

「私には君の力が必要だ。それを完成させ、世間を見返そうではないか」

 

 差し出されたソンブルイユの手を、彼は反射的に握りしめていた。

 

 これが破滅への道だろうと構わない。

 私はこの理論をより研ぎ澄まし完成させ、世界を変えるのだ。

 そしてあの連中を嘲笑ってやる。

 私が正しかったのだと!

 

 こうして彼は「ドク」となった。

 

 連れてこられた研究所での生活は楽しかった。

 陽の光も浴びられず、窓一つ無い閉所での生活も、彼にとっては天国だった。

 なにせここでは好きなだけ、好きなように研究出来る。

 あれだけ入手に苦労していた素材も勝手に取ってきてくれる。

 それが衛星国人(セクタ)であっても、まるで動物のように提供してくれる。

 ここは、なんと素晴らしい場所か!

 

 ドクにとって、今が我が世の春であった。

 

 今日も彼は()()の加工に余念が無かった。

 最近さらに効率化を突き詰めた真式の魔力庫の構想が浮かび上がったのだ。

 

 だというのに一ヶ月の素材入荷の禁止。

 あまりの仕打ちに気が狂いそうになる所だった、という所で降ってきた良質の素材。

 これに食いつかない訳が無かった。

 

「ふふ」

 

 ドクは上機嫌で、素材を加工する。

 次の燃料庫はどれだけの魔力量を供出できるだろうか。

 

 あの偉大なる刃(グラン・トランシャン)も素晴らしい。

 あれこそまさに自分の理論を証明するに相応しい魔導機だ。

 あれ程のものを動かせるのは私の生み出したこの理論無くしては有り得ない。

 私は歴史に名を残し、世界を救った英雄の一人として永遠に記録されるのだ。

 

 ドクの脳内は、自らを嗤った者を見下ろす様を映し出していた。

 勇壮なる王都ヴェリスで、万人の観衆に受け入れられる自分の姿が、そこには有った。

 

 この素材は小さくて加工しやすいな。ありがたい事だ。

 

 次もこれくらいの歳頃にして欲しいものだ、と思いながら、骨を割断するカッターを手にしようとして――

 

 

 

 不意に、肩が重くなった。

 

 

 

 まるで、いきなり鉛がそこにへばりついたように、ぐん、と右肩が下に押し下げられる。

 カッターを手に取ろうとしていた手はその余波で空中を彷徨い、咄嗟に近くの台へと着地する。

 

 ドクが一体何が、と思うのと、それが人の手である事を認知したのはほぼ同時であった。

 

「人をコンパクトにするのが好きなのか?」

 

 それは優しげな女の声であった。

 場にそぐわぬ、異性の声。

 そこでようやく、ドクはここにやってきたのが見知らぬ誰かである事を理解した。

 

「だ」

 

 一言発する間も無く。

 女はさらに言葉を続けた。

 

「そうだな、省スペースは大事だね。いい心がけだ」

 

 女の手から発せられる圧力はいよいよ増し、ドクの肉体をみしみしという音と共に歪ませる。

 細腕のはずの彼女の手は、まるで万力のようにその体を締め付けていた。

 

「君も実践し給え。何事も経験は重要だ」

 

 ドクは咄嗟に逃げようとした。

 身を翻し、女から逃れようとその体を捻る。

 

 そのはずだったのに、体は思うように動かない。

 

 まるでくるりと、頭を中心に回されるように。

 ドクの体はその場で一回転した。

 

 自身の右肩甲骨が破壊され、右腕は既に完全に機能を為さない惨状になっていた事にも、彼自身は気づいていない。

 

 女の顔が目に入る。

 優しげな、慈愛を感じる笑顔だった。

 だがその目だけは笑っていない。

 眼光が物理的な圧力を伴う程に鋭く、恐ろしく、ただドクを静かに見据えていた。

 

 正面を向き、女と目があう。

 

 目が、乾く。

 

 まるで針に刺されたかのような鋭い感覚が、ドクを襲う。

 視線は人を犯せるのだと、その時ドクは思い知った。

 

 女はドクの左腕を取った。

 恭しく、まるで貴人に接するように。

 優しく、静かに、その手を添えて。

 

 左手首、左肘の関節が瞬時に砕ける。

 

「アッ……アアアアアアア!」

 

 彼の遅れていた知覚が、漸くその腕の痛みを認識した。

 右の肩と、左の関節が恐ろしい程に痛む。

 

 べぎり、という鈍い音と共に。

 ドクの両膝が破壊される。

 内側から外へ広げられるようにしてへし曲がったその両膝は、まるで蛙のもののようであった。

 

 どさり、と床に落ちたドクの四肢は、ぐにゃりとあらぬ方向に曲がり果て、最早人間のそれとは呼べないような惨状を呈していた。

 

「やめろ……なんでこんな」

 

 ドクの双眸からは、自然と涙が溢れていた。

 

「頼む助けてくれ……痛い、痛いんだ」

 

 そんな懇願を、女は聞いていたのだろうか。

 彼女はにこりと不安を取り除くように、ドクに微笑む。

 

「お前も相手に了解も取らず、随分と()()()したようじゃないか」

 

 女が踏みつけるようにして、ドクの左肩も砕く。

 

「するのは良いがやられるのは嫌っていうんじゃ、道理が通らないだろう?」

 

 そこまで言って、女は小首を傾げ。

 

「ちょっとここが邪魔か」

 

 ドクの腰に蹴りを入れると、その寛骨をへし砕く。

 

 あまりの激痛に、最早ドクは声を上げる事すら出来なかった。

 

 ただひゅうひゅうと、掠れた音が喉から漏れ出るだけであった。

 

「うん、たたみ易くなった。やはり大きい部分は細かくするに限る」

 

 まるで掃除をしているかのような女の言葉が、やけに恐ろしかった。

 

 べきり、べきりという音がドクの耳に届く。

 もはや苦痛は限界を越え、それすら感じなくなっていた。

 

 ――どうして、こんな事になっているんだ。

 

 ドクはただ己の不幸を嘆いた。

 自分はただ研究をしていたのに、何故こんな酷い事に。

 

 神は私をお見捨てになったのか?

 

 遥か天に御わすだろう偉大な至天神に、ドクは救いを求める。

 

 だが神の声はどれだけ祈っても返ってくる事は無かった。

 

 

 

 しばしの()()()を終え、未来は立ち上がる。

 

「どうしてなかなかすっきりと纏まるじゃないか」

 

 彼女の足元には、かつてドクと呼ばれた男の残骸が有った。

 

 手足を内側に折り曲げられ、その胴体も丸められ。

 

 まるで奇妙なオブジェのように変容した男だったものがそこには存在していた。

 

 そのオブジェを、未来は暫し眺める。

 

「嬉しいだろう? 自らの理想を体現できたんだ」

 

 未来はそのオブジェに軽く蹴りを入れる。

 オブジェはぐらりと崩れ、床へと転がった。

 

 苦痛、後悔、恐怖、絶望。

 オブジェの顔には、そんな表情が浮かんでいた。

 

 未来はそれに最早興味も抱かず背を向けた。

 処理をした汚物に思考を割く程、彼女は余裕を持っていなかった。

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