今や動かぬガラクタと化した
うつ伏せになるように崩れ落ちた首のない巨人。
鋼鉄を纏ったそれは、未だ鉄の外皮が熱を放ち、近づくだけでその熱気を感じる事ができた。
「あっちぃですね」
うぇ、と呻きながらニノンは少し後ろに下がった。
「もう暫くすれば上がれる程度の温度にはなりそうだが」
未来は掌を軽く翳しながら、そう答える。
自分の履く靴であればそろそろ問題無いだろう、というのが彼女の考えだった。
「
横で必死に手団扇をしているニノンへ未来が問いかける。
「問題無いですよ」
「流石魔法使い」
「そうですよ、流石なんです」
ドヤるニノンを置いて、未来はとんとん、と空中に駆け上がる。
この世界で、未来に空中という概念は既に存在しない。
望むのであればあらゆる場所に立つ事ができる。
「それ、なんなんですか」
空中に立つ未来の姿を見て、ニノンが問う。
ニノンの常識に無い異能。
明らかに魔法ではない。
そして魔族が使う
未知の第三体系の異能。
それは、まるで――
「実は異世界から強制的に喚ばれてきた勇者だって言ったら信じるか?」
「ハハハ御冗談を」
んなわけねーよ、と反射的にニノンは笑い飛ばすが。
数秒笑った後、真顔に立ち返った。
「…………マジで?」
「少なくとも、私の主観的には真実だよ」
「マジか」
「マジなんだよ」
ニノンはしばらく固まった後、しゃがみ込んで、頭を抱える。
帽子を深く被って、地面に向かって叫ぶ。
「あー! あーあーあー! なんかすげえ色々納得できちゃったよおおおおお!?」
魔力を持たない特異体質。
見た事の無い異能。
そしてどう考えても常軌を逸した戦闘能力。
全部が全部、「異世界の勇者だから」で説明できてしまう。
あまりにも合理的な
少なくともどこかの
異世界から紛れ込んだ異物と考えたほうが、よっぽど自然。
荒唐無稽な未来の言葉は、むしろするりとニノンの中に入ってきた。
「正直言ってる自分でもこんなの簡単に信じて貰えるとは思えないんだが」
そう言う未来は、すこし困った顔を浮かべていた。
「むしろ簡単に納得されてこちらが驚いているよ」
「いやいやいや」
ぶんぶんと、ニノンは首を振る。
「あんたみたいなとんでもない人、別世界から来ましたって言われた方が全然納得できますから」
「そうかなあ」
ニノンのあまりの言いように、未来は小首を傾げる。
「そうですよ」
あんたねえ、と。
ニノンは少し呆れたようにジト目で言う。
「ほいほい魔族とかこんなデカブツ簡単にぶった切る女、この世界にはそうそう居ねえよ」
「別に剣術を習った事は無いんだが」
「それで習った事ねえの!?」
何もかも常識が通用しない。
やっぱりこいつ異世界人だわ、とニノンはさらに納得を深めた。
「でもなんでその勇者様がこんなとこに居るんです?」
もし再び勇者が喚ばれたのなら、
しかもこんなべらぼうに強い、まさに伝説の勇者そのものみたいな者が来たら、絶対そうするはずとニノンは確信していた。
待望の救世主を放逐するなど、考えられない事だった。
「まあ、色々有ったのさ」
その未来が語る一言に、ニノンは拒絶の色を見た。
語るに辛い過去がそこには含まれているように思えた。
「とりあえず私はフリーだよ。
とんっ、と、未来が巨人の背に下りた。
「今はただの、トトの後輩さ」
そして手に持った剣を軽く掲げ、問う。
「それじゃ、
「いいですとも」
ニノンは袖口より
「いくぞ」
未来が軽く手を振るように、剣を薙ぐ。
それと同時に――
「
ニノンの
不可視の腕がシリンダーを掴み、ゆっくりと地面に下ろしていく。
三本の巨大なシリンダーは丁寧に地面に横たえられた。
ニノンは堪らず、シリンダーの下へと走り出す。
「ロロ!」
液体の満たされたシリンダーの中を、彼女は覗き込んだ。
そこに揺蕩うのは、確かに一番弟子のロロであった。
無表情に、虚ろな目をしていても。
ニノンにとっては、あの可愛らしい笑顔がそこには見えていた。
「待っていてくださいね、今助けてあげますからね!」
ニノンはシリンダーに触れて、そこに記されている魔導式の解析を試みた。
魔力的に最も鋭敏な掌から魔導式を読む事は、熟練の
これもまた、彼女らの優位な点の一つだった。
額に汗を滲ませ、ニノンは解析に集中する。
精緻で完成された魔導式。
魔力を吸い上げる事に特化したそれは、ニノンの目から見ても美しいものだった。
それが人の命を喰らう醜悪な目的に使われていなければ、賞賛したいとすら思うものだった。
「キモは外殻よりも中身か……」
早くなんとかしないと。
ロロをここから出してあげないと。
ニノンは焦燥に囚われていた。
「ニノン」
唐突に、名を呼ばれた。
隣りにいる未来の誰何。
なんでもないようなそれは、ニノンにはまるで鉄を含んだような固さと強さを感じさせた。
「助ける当ては有るのか?」
「え」
いやここからまず出して、と言おうとして、彼女は固まる。
「君の探し人を治療できる当ては有るのかと聞いている」
その言葉に、ニノンは口を開こうとして――
そして、何も発せられなかった。
「おそらくこのシリンダーから外に出せば、そう長い間は生きられないだろう。速やかに治療し、蘇生措置を行わなければならない」
その言葉は諭すようでもあり、突きつけるようでもあった。
「できるのか」
「だ、大丈夫ですよ、ほら!」
ニノンが張り上げた声には、震えが有った。
「ここには大きな祈祷所も有ります!
「
未来はそう続ける。淡々と。
「彼らが自分の恥部を易々と見過ごし治療すると思うか?」
「それは」
ニノンは再び言葉に詰まる。
そう、この所業に光神教も片棒を担いでいる。
のこのこ出ていけばどうなるか、想像するまでも無い。
ニノンはぎゅっと、唇を噛んだ。
「教えて欲しい。魔法ではどうにもならないのか?」
「魔法はそこまで万能じゃないです」
顔を伏せながら、ニノンは答えた。
魔法使いの大きな帽子に隠され、その表情は伺い知れない。
しかし震える声が、彼女の感情を表していた。
「生命に関わる要素は、魔法で扱うのが特に難しいんです。現象を作り出し、操る事はできても、命を変じる事には不向きなのが魔法なんです。やれてせいぜい治癒効果の促進や病気の回復補助くらいです」
「そうか」
二人の間に沈黙が落ちる。
どちらからも言葉は無かった。
「ニノン」
「わかってますよう!」
未来の言葉を遮るように。
ニノンは叫ぶ。
涙を流し、叫んだ。
「もうロロが助からないって事くらい、分かってたんです! こんな体にさせられちゃったら、もうどうしようもないじゃないですか!」
ぽろぽろと、美しい青い瞳から涙が溢れた。
次から次へと溢れるように、頬を伝っていく。
「でも、ようやく会えたんですよ? 一ヶ月間探して、それで見つけて。だっていうのに」
ぺたんと、力なくニノンは座り込んだ。
精根尽き果て、立つ力を失ったように。
「最後は殺すしかないなんて、酷すぎるじゃないですか……」
ニノンは両手で顔を覆い泣いた。
ただの少女に戻って、泣いた。
未来は僅かに顔を天に向け、目を伏せた。
僅かながらに目を閉じ、すっと短く息を吸って。
「私にもこの子達を助ける事はできない」
慚愧を感じさせる声で、そう言った。
「だが、静かに眠らせる事はできる。苦痛一つ無く、それができる」
未来の言葉に、ニノンはふるふると首を振る。
「いやだ、いやだよお」
ニノンはちょっと前までの生活を思い出す。
自分とロロの、二人きりの幸せな毎日。
何が無くても楽しかった。
二人で居ればなんでも楽しくなった。
そんな日々を、ただ取り戻したいだけだった。
「帰りたい。研究室に帰って、ただ静かにロロと暮らしたい。それ以上何も望まない」
その慟哭を、望みを、未来は静かに聞いていた。
ただ無言で、聞いていた。
涙を流すニノンに、未来は静かに寄り添った。
どれ程の時間が過ぎただろう。
涙を流しきったニノンが、顔を上げた。
「……すみません、醜態を晒しました」
困ったような顔で笑うニノンに、未来は首を振る。
「人の為に涙を流すのは、悪い事じゃないさ」
ニノンはよろよろと立ち上がると、真っ直ぐ未来を見た。
最早迷いの無い目だった。
「お願いします」
「承った」
言葉を重ねる事は不要だった。
たった一言で、全ては伝わる。
未来はシリンダーの脇まで歩くと、ゆっくりと構えを取った。
突きに特化した形へと、己の体を変えていく。
おそらく、この世界に来てより初めての、全力の一撃。
眠らせるための弔いの刃は、音も光も、何もかもを置き去りにして放たれた。
ニノンには、何時未来が突きを見舞ったのかすら、視認できなかった。
ただ、全てが終わった残心の形を、彼女は見ただけだった。
シリンダーには、突いた痕すら見えない。
目を凝らせば、表面から僅かに水が染み出してきてるのが確認できるのみ。
だがその筒の中に浮かぶ全員の顔が、何かから解放されたように見えた。
「終わったよ」
当の未来は、静かにそう告げた。
「苦痛一つ感じなかった事だけは、約束する」
そして――
ぴしりと。
シリンダーが軋む音がした。
それはまるで自分が
それは綺麗にぱかりと開き、中身がまろび出た。
「ロロ……」
解放された弟子の姿を、ニノンは見た。
無意識に、足が動く。
「ロローッ!」
堪らず、駆け出した。
転びそうになるのも構わず、ニノンは走った。
そして小さくなったその体を抱き上げる。
もう半分より少なくなって、軽くなってしまったロロを、ぎゅっと強く抱きしめた。
「ごめんねぇ」
ニノンは再び泣いた。
ロロに謝るように。
「遅くなってごめんね。駄目な先生で、ごめんね」
もう温もりが無くなった冷たい体を、ニノンは抱きしめ続けた。
凍えてしまった体を温めるように、抱き続けた。
だがどれだけ抱きしめようと、もう小さな少女の体に熱が宿る事は永遠に無い。
ニノンの幸せは、今ここに終わった。
そんなニノンの姿を、未来は静かに見つめていた。
その目には一見慈愛が宿っているように見える。
だが正面から見据えれば、見える。
瞳の奥に輝く狂気と、意思が。
「どうやら」
そしてその瞳の深奥に宿るのは、最も恐ろしいもの。
「私は喧嘩を売られているらしい。盛大に」
それは、殺意だった。
ただの純然たる殺意が、そこには燃え盛っていた。
「なら教えてやろう。盛大に」
彼女はゆっくりと手を握る。
何かを確かめるよう。
何かを、握りつぶすかのように。
「逃さんぞ。一人残らず」
また少し、怪物が育った事を、世界の誰も知らなかった。
この世界がそれを知るのはまだまだ先の事であった。