ダラマトナ、その郊外にある、一軒のとある家。
石造りのそれは特に変哲もない一般的な家屋のように見えた。
しかしその一階、キッチンの床下。
そこには密かに隠された地下室が存在していた。
石造りのその部屋の壁際、その棚には金庫が置かれ、何重もの
その執拗さから家主が隠したいものをこの中に入れていると、大抵の人間は考えるだろうと思われた。
その部屋の床が、淡い輝きを放つ。
それと同時に、部屋の明かりが自動的に点灯した。
そして部屋の床面、中央に四角い仕切りのようなものが現れた。
重い石の床板が持ち上げられ、ゆっくりとずらされる。
そしてそこから顔を出す少女が一人。
「ふう。ようやく出られたね」
天音寺未来。
その人だった。
未来は両手を床に付けると、一気に体を持ち上げた。
そして勢いのまま少し飛び上がると、音もなく床に着地する。
「ほら、上がってきて」
未来は床の穴に手を伸ばすと、もう一人の少女の手をがっしりと掴む。
そして慎重に彼女を引き上げる。
「じぬ゛がどおもっだあああああ!」
少女――ニノンは引き上げられると、そのまま床に突っ伏した。
「なんで梯子なんですかあああああああ!? 階段にしとけよおおおおお!?」
秘密研究所の
そこで目にしたのは、地上へと繋がる超大な梯子であった。
二人はその梯子を延々と昇り、ようやく地上に出てきたのだ。
「しかし……ふん、成る程」
未来はその部屋を見回し、少し歩き回る。
「ここ自体も地下の隠し部屋になっているみたいだね。そして置かれた金庫」
こんこん、と金庫を叩いて面白そうに未来は笑う。
「もし仮に誰かが隠し地下室を見つけたとしても、この金庫を隠匿する為だろうと判断するだろうね。まさかさらに下へと続く入口が有るなんて考えもつかない」
「でしょうねー」
ニノンも金庫をぺたぺたと触り、魔導式を解析してみた。
「うわっ、これ五重にロックしてやがる。そりゃまあこんだけ厳重にしてたらこれが本命と思いますね」
自分たちが今出てきた四角い出口を見ながら、ニノンは頷く。
「
「あれだけ怪しい研究所だ。隠蔽方法も凝ってるね」
「まったくです」
お互いに顔を見合わせる。
どうせ労力を使うなら、もっとマシな事に使え。
二人の顔は、無言でそう言っていた。
「とりあえず外に出よう」
地下室の入口を調べながら、未来が言う。
「トトに無断で出てきてるしな……不味いな、無断外泊は流石に怒られるか」
「あんたちびっ子に頭あがんないんですか……」
ニノンは小さな獣人の少女の事を思い出す。
です!と元気良く喋る姿が脳内で再生された。
頭の中では何故か未来と一緒に自分も怒られている姿が見えた。
「まあ元気ですもんねあの子。押されるかー」
しゃあねえよな、と呟きながら、ニノンは床板を戻す。
いや、戻そうとして床が持ち上がらなかった。
美少女には余りに重すぎる床板だった。
その様子を見て苦笑した未来が、床板を嵌めた。
「深窓の令嬢にはちょっと重かったかな、これは」
石造りだしね、と言う未来に、ニノンはうんうんと頷いた。
「あたしゃペンより重いもんは持てねえですよ。もう
立ち回る為に着込んできた
ちなみに右手に嵌めていたエクスカペルも、今は背中に括り付けてある。
補助無しであんな重いもの持てる訳ねーだろ!がニノンの心の叫びであった。
「あーさっさとパンとスープを腹に流し込みってえなー私もなー。腹減ってんだよ!」
どんなに悲しくても、腹は減る。
人の摂理を、ニノンは今味わっていた。
「で、宿まで送ればいいかな」
そう聞く未来に、ニノンは暫し考え込んだ。
「流石にこのカチコミがバレてるとは思えないですけど」
うーんと、腕組をして彼女は唸る。
「慎重に動いた方が良いんですかねえ、これ」
もしかしたらあのソンブルイユとかいうのが既に外へ侵入を連絡しているかもしれない。
その場合、既に宿に手が回っている事も考えられる。
最悪、宿に入った瞬間騎士団に囲まれてアウト、という可能性まで有る。
ニノンには相手がどこまでこちらの情報を掴んでいたのか、まったく分からない。
ならば一応最悪を想定しておくべきだと考えていた。
「えへへ、未来様。少々そちらにお邪魔させていただけないでゲスかねえ」
「ゲスってなんだよゲスって」
ちょっと呆れながらも、その方が良いねと未来も肯定する。
「こういう時はどれだけ備えても備え足りないなんて事は無いよ。身を潜めるという選択肢は十分に有りだ」
未来としても迂闊に動く事は勧められないと言うつもりだった。
だがニノンの方からそう提案が有った以上、是非は無い。
「なら一緒にトトの家に行こうか」
未来はそう決めた。
未来はゆっくりと家のドアを開け、外を窺う。
「妙だな」
街から漂うただならぬ気配に、未来は眉を顰めた。
「妙って?」
唐突に身を固まらせた未来に、ニノンはなんで?と首を傾げる。
「街の雰囲気がざわついている。これは……なんだ?」
「街の雰囲気って、ここ人のあんま居ない郊外ですけど?」
「この程度の距離なら、ある程度は分かる」
「もう驚くのも疲れてきたよあたしゃ」
しれっと言う未来に、ニノンはもう突っ込むのを止めた。
「とりあえず気をつけて行こう」
辺りに人が居ない事を確認してから、未来はニノンを外に出す。
人気のない路地裏を進み、ある程度表の通りに出てみると、ニノンにもはっきりと異常が感じ取れた。
「なんかざわついてますね」
朝にしては人通りが多い。
彼らは何か落ち着かないように動き、また顔見知りと話し合っているようだった。
「すみませーん、なんか有ったんですか?」
ニノンは手近に居たおばさんに声をかけてみる。
こういう時に物怖じしないのが、ニノンの強さだった。
「いやね、どうも」
おばさんの表情も声色も、固いものが含まれていた。
「
「出陣って……交代じゃなくて?」
ここは前線からやや離れた、謂わば戦線を支えるべき補給地。
前線で減った兵が送られる事が有っても、戦うことは想定していない。
ニノンが知る限り、そのはずだった。
「何が有ったんです?」
「良くわかんないんだよ」
声を潜めて、おばさんはニノンに耳打ちする。
「最近魔族がずっと街中に出てきてただろ? ついに祈祷所もやられたって話でさ」
彼女は不安そうに言葉を続ける。
「そういうのでさ、魔族の大攻勢が始まったんじゃないかって噂でもちきりだよ」
「それは……怖いですね」
街中の施設までやられたとなれば、魔族も本気なのかもしれない。
ここ最近一連の動きも、攻める前の下準備だった可能性が出てくる。
特に光の民の急所とも言える祈祷所や神殿をピンポイントで狙ってくるのは、実にらしいとニノンには思えた。
回復所が潰されれば、継戦能力は著しく減退する。
痛い所を狙ってきたな、とニノンは臍を噛んだ。
「お嬢さんも早く家に帰んな」
おばさんはそう言うと、ニノンの背をどんと叩いた。
「噂が本当なら参事会辺りからお触れが回るだろうさ。それまであんまウロチョロするんじゃないよ!」
「はーい」
てこてこと、ニノンは未来の所へ戻ってきた。
「横で聞いてたかもしれないですけど、駐屯軍が出撃する事態らしいです」
「魔族とやらが攻めてきてるって事か」
ふむ、と考え込む未来に、ニノンはああそうか、と思い至る。
「そういや異世界の勇者サマでしたっけ。だから魔族の事も知らなかったんですね」
「正直勇者とは思ってないが、一応立場的にはそうなる」
勇者なんて呼ばれたくないんだがね、と未来は零す。
「とりあえず人類――私達、光の民の不倶戴天の敵と思ってくれていいですよ。なにせ神話の時代からずっとやりあってるんで」
「その程度は一応説明されてはいるんだが、逆に言うとそれくらいしか知らない」
「なんで勇者に知識を与えねえんだよ、馬鹿か
ニノンは頭を抱えた。
普通敵の事くらい教えるだろ?
何と戦ってるかわかんなかったらどうしようもねえよ?
あとこんな化物みたいな超絶戦力を何故放逐したのかも分からない。
普通に魔将くらいボコれるだろこの人。
頭おかしいくらい強いし。
一体
ニノンにはさっぱり分からなかった。
「まあ、魔族の事は後でじっくり教えてあげますよ」
絶対に教えておいた方が良いだろう、とニノンは思った。
何れ戦う日が来るかもしれないのだからと。
「まずはトトさんの家に向かいましょう。一旦落ち着いてから、次の事を考えましょう」
「そうだな」
二人は足早にトトの家へ向かう。
その途中でも街中がざわつく様子を目にする事ができた。
駐屯軍が動く。
その事実は、街中の人間を浮足立たせていた。
暫くして、目的地につく。
「ただいまー……」
未来は小声で静かに、家の玄関を開けた。
目の前にはトトが居た。
一階の土間のど真ん中で、椅子に座って腕を組んで待っていた。
「何処行ってたですか?」
少女とは思えぬ、どすの効いた声。
「夜遊びしに行くとは、偉くなったもんですね後輩」
「ゴメンナサイ」
天音寺未来、全力の平謝り。
最早それ以外、できる事が無かった。
「……本当に心配したですよ、トトは」
ふっと雰囲気を緩め、トトは安心したように言った。
「ミクまでどっか行っちゃうかと思いましたよ」
「すまない、少々野暮用が有ったんだ」
この小さな先輩を心配させてしまった事を、未来も後悔していた。
もっと早く帰って来るつもりだったと言っても言い訳にしかならない。
家族を失ったばかりの少女を不安にさせてしまったなと、改めて反省をした。
「で」
トトは未来の背後を見やる。
「それはなんですかそれは」
「それ扱いは酷くないですか!?」
未来の後ろに隠れるようにしていたニノンが、口を尖らせて抗議していた。
「どもー……お邪魔します」
「元の場所に帰してきなさいです」
「捨て猫じゃねえよ私は!?」
なんか懐かしいなこのやり取り、と未来は二人を眺めていた。
あの馬車での一時を彼女は思い出していた。
「やっぱり仲が良いな、君たちは」
そう言って未来が笑顔を浮かべ――
『ダラマトナ参事会よりお知らせします』
唐突に、それは鳴り響いた。
拡声魔法を使用した、大音声。
街中に響き渡るそれが、ここにも聞こえてきた。
『本日未明、第113前線区が崩壊しました。魔族はソラムを抜け、このダラマトナに向けて進軍中です』
その言葉に、トトもニノンも顔を強張らせた。
参事会のその言葉の意味が、二人には良く理解できているようだった。
「不味いです」
トトの顔面は完全に血の気が引いていた。
「ソラムが抜かれたら、すぐダラマトナです。ここまで来るです」
『住人の皆様におかれましては、パニックを起こさず、落ち着いて行動する事を心がけてください。繰り返しお伝えします。本日未明、第113――』
繰り返される参事会からのそれを、ニノンは忌々しげに聞いていた。
「なんでこう、次から次へと厄介事が来るんですかねえ! 呪われてんのかわたしゃ」
「駐屯軍の出陣話は、デマじゃなかったって事か」
本来予備であるここの戦力を総動員しなければいけない程、状況は切迫している。
未来にはそう思えてならなかった。
魔族の唐突な進軍。
その波が今このダラマトナの街を飲み込もうとしていた。