夜のサン=ヴォワイエ。
その最上階の執務室。
そこでは再びアウレリアとカスタルノーが向かい合っていた。
「報告によれば、どうやら
カスタルノーの声は固く、厳しい。
糾弾とも言える声色で、アウレリアに問いただす。
「貴方の進言に従い甘い顔を見せたらこれだ。犬も結局厳しく躾けねば無闇矢鱈に噛みつくだけの畜生なのですよ」
アウレリアは言葉も無い。
彼女としては召喚者達には、少しでも良い環境を提供したかった。
だがこうなればもう庇う事もできない。
「こうなればかねてからの予定通り、私の
アウレリアは諦観を含んだ面持ちで渋々とカスタルノー卿の言を承諾する。
「さて、明日からは忙しくなりますな」
カスタルノーは満足げに頷く。
彼女としては最初から
謂わば配慮を捨て本筋に戻せたようなもの。
その喜びはひとしおであった。
「部下にもきちんと伝えねば。明日から普通に躾けてよいと」
これでようやく、本懐を遂げる事が出来る。
カスタルノーは上機嫌で足を組み直した。
明日からの
自分が考えた通りにあの猿を使えるかと思うと心が踊るのを止める事はできなかった。
対照的に、アウレリアの表情は暗い。
明日から召喚者達がどのような扱いを受けるか、良く知っていたからだ。
カスタルノーが目指す場所。
それはアウレリアも聞いていた。
だがそれを為す為、彼らに苦難を強いる事を、カスタルノーはまったく意に介していない。
それはあまりにも酷いのではないかと思う。
彼らとて望んでここに来たわけではないというのに。
――罪深いですね、私も。
その事を理解しながら、彼女を止めない自分も同罪だと。
アウレリアは自嘲していた。
その日の朝、食堂は異様なざわめきに包まれていた。
――ついに、「教育」を受けるものが出た。
その噂が彼らの中を駆け巡っていたからだ。
教育。
その実態は知られていない。
だが騎士達の雰囲気から、相当に
それを受ける者が遂に現れた。
補助組の二人。
内藤 晴祐と松本 慎一。
昨日の訓練の途中から、この補助組の二人が居なくなっていた事を、補助組と戦闘組の何人かは気づいていた。
一体どうしたんだろう?
そう首を傾げていた所に、騎士達がやって来て告げたのだ。
――両名は禁を犯した為、教育を行う。
そう、感情を交えない声で通達した。
もしかしてあいつらが?
そんな驚きが、彼らの間に広がった。
しかし彼らが帰って来ない以外、何も判ってはいない。
なので今日まで二人がどうなったか誰も知らないのだ。
「一体どんな事やらせれんだろうな」
「相当にキツそうだけど」
ひそひそと、そんな憶測が食堂内では交わされていた。
ぎい、と食堂の扉が開く。
しずしずと入ってきたのは、巫女のアウレリアであった。
彼女は二名の騎士を連れ立って、その中央まで歩んで行く。
そして一同の方に向き直ると、胸に手を当て、それを天に翳す動作――光神教の祈りの形を取った。
そして、静かに言葉を発し始める。
「皆様、おはようございます。本日は残念なお知らせを伝えねばなりません」
ひそひそとした声は、完全に無くなっていた。
彼女が放つ言葉を一言一句聞き逃すまいと、皆が集中している。
テーブルに座る戦闘組。
壁際により掛かる補助組。
そして給餌をする為厨房からの出口に控えている保護組。
全員が、真剣に耳を傾けていた。
「幾人かの方は既にご存知かもしれませんが、残念な事に昨日
その言葉に、少しだけ場がざわりと蠢く。
「やっぱりあの二人かぁ」
だよね、と納得したように麻美は呟いた。
「まあ私らがあんな目に遭った直後に連れてかれたら、そうだよね」
「そんなに私達の事嫌いだったのかな……」
南那も暗い表情が拭えなかった。
彼女はこの瞬間まで、もしかしたら、という希望を捨てていなかった。
誰も
だがその願望は淡く消え去り、無常な現実に塗りつぶされた。
保護組は殺されかけたのだ。
補助組の二人に。
「かねてより申していた通り、二人には教育を受けていただきました。私共も心苦しかったのですが、世界を救う勇者同士。諍いで争い合う事などあってはいけない事です」
本当に沈痛な面持ちで、アウレリアはそう告げる。
「私達も断腸の思いで彼らに教育を施す事となりました。このような事が二度と無きよう、皆様におかれましては賢明な行動をしていただきますよう、再びお願い申し上げます」
アウレリアの言葉が終わると同時に、再び食堂の扉が開かれた。
騎士達に連れられ、二人の少年が入ってくる。
だがその様子に、食堂の空気が凍りつく。
彼らは一見、普段通りのように見えた。
だが、感情が抜け落ちたかのようなその表情。
そして何処を見ているのか分からないような曖昧な瞳。
それが、少年少女達の恐怖心を一気に煽り立てた。
誰も言葉一つ発する事ができない。
きっとキツく絞られるだろうとは思っていた。
だがまさか。
まさかたった一夜で精神を破壊される程の
アウレリアの隣に来た二人――内藤 晴祐と松本 慎一は、ゆっくりと皆の方を向く。
まるで空洞のような瞳が、ぼうっと食堂の奥を見つめている。
「すみませんでした」
まったく抑揚の無い、感情が籠もらぬ声色で、晴祐が言う。
「これからは模範的な勇者として、がんばります」
慎一の言葉は、丸暗記した音をそのまま発しているかのような、そんな不気味さが有った。
それを聞いている者たちは、何も言えない。
誰も返事などできない。
そもそも、目の前の
ただ言われるがままに音を出す事を、会話と呼べるだろうか?
そういう疑問が、彼らの頭の中を駆け巡った。
「さらに残念なお話をもう一つしなければなりません」
目を伏せながら、アウレリアが言う。
「本日より、皆様の訓練が一段、厳しくなる事となりました。強大な魔王、そして大魔将と戦う為、このままでは間に合わないと上が判断した結果です」
その言葉には、戦闘組も補助組も流石に反応せざるを得なかった。
「厳しくなるって」
「今でも十分厳しいのに、それ以上?」
「体が持たねえよ……」
現代日本に生きる学生としては、既にギリギリの訓練量だった。
それが、さらに厳しくなる?
なんの冗談だと言いたくなるような話だった。
――私達には関係ない話だけど。
南那はそう、心の中で一人ごちる。
戦闘訓練の無い保護組には、なんの影響も無かった。
その事がありがたく、また憂鬱だった。
――どう考えても、さらに逆恨みされる原因になるでしょこれ。
多分あの二人が何かしらの恨みを抱いたように。
それと同じような感情がまたこちらに向けられかねないと、南那は思った。
「訓練後の
そう言ってアウレリアは退出していった。
巫女が去った後。
食堂に残ったのは、ざわめきだけだった。
「なんだろうね」
麻美が苦笑しながら、南那に話しかける。
「なんかさ、怪しい雰囲気になってきたよね」
「うん……」
致命的な何かが、変わってしまった。
南那には何故かそんな予感がした。
漠然とした不安が、南那の胸の中に沸き起こる。
これまでも不穏だった異世界での生活が、さらに雲行き怪しくなるような、そんな予感。
それがどうしても拭えなかった。
「大丈夫、だよね」
南那は静かにカートを押し始める。
いつものように仕事をしていれば不安も紛れる。
そう思いながら、彼女はテーブルへと向かっていった。