狭い渓谷の間を、数多の銀色の輝きが進んでいく。
それらは一様に輝く装甲を纏った動物たちであった。
彼らはまるで獣らしからぬ整然さで、規律正しく進んでいく。
獣達の無機質に赤く光る目は、夜の帷が降りようとしている中怪しい輝きを放ち、より威容を確かなものとしていた。
鳴き声一つ立てず、銀の獣は進んでいく。
目の前の砦へと。
その姿を、砦の城壁の上に立つ兵士や騎士たちも確認していた。
彼らは敵から目を反らさぬように前を見ながら、弓に矢を番える。
一歩一歩進む影に集中しながら、弦をぐっと引く。
――まだだ。まだ、待て。
ぎりぎりと引き絞られた弦が、皮の指当て越しに食い込むのを兵士たちは感じていた。
鈍い痛みがもう離してしまいたいと訴えるが、誰一人としてその衝動に従う者は居なかった。
兵達は待つ。
ひたすら待つ。
世界が止まったかのような静寂が、暫し場を満たした後――
「射て!」
距離を測っていた騎士が、号令を下す。
「
反射的に
弓より放たれた矢が、勢い良く飛んでいく。
数十本にもなるそれは、まるで雨が如く目の前の銀の集団に向かっていく。
放物線を描いて跳ぶ矢の勢いは衰えぬまま、敵目掛けて殺到していった。
魔導式により空気抵抗が限りなく少なくなったそれは、十分な威力を保ったまま。
人が放ち得る限界を遥かに越えた距離でなお、必殺の威力を誇っていた。
最前列を歩く
何本かは虚しくその外皮に弾かれるが、やがて一本の矢が獣に突き刺さった。
数cmの装甲を誇り刃を弾くその装甲も、勢いの有る矢を完全に防ぐ事ができなかった。
矢の刺さった
痛みも恐れも知らぬ魔族であろうと、生命体として活動できない深手を負えば動けなくなる。
彼らも自然の摂理に打ち勝つ事はできないのだ。
そのような強力な矢撃が次々と、まさに雨霰というように魔族達に殺到していた。
銀色を全て
「射て、どんどん射て!」
砦の城壁では、騎士が気炎を上げて兵達を鼓舞していた。
「近づかれる前になるべく数を減らすんだ! 矢を打ち尽くす勢いでいけ!」
その声に呼応するように、兵たちは傍らにある矢をどんどんと放っていく。
「くそっ、手が痛え!」
「止めるな、痛いだけじゃなくて死ぬぞ!」
何射も続け様に行った兵のその指には血が滲み始めていた。
だがそれでも彼らが射撃を止める事は無い。
誰もが理解していた。
ここで死力を尽くさねば、数刻後に骸となっているのは自分たちだと。
城壁の上に居る誰も彼もが必死の形相で抗っていた。
襲い来る死を退ける為に。
矢の雨が降ろうと、魔族の軍勢達が勢いを止める事は無い。
黙々とただ砦へ向かって進んでいく。
だがその集団の様子に若干変化が訪れた。
先行する集団と、停滞する集団に魔族たちは別れた。
小さい影の集まりが先行し、砦へとそのまま進んでいった。
しかし後方に居た、大きな影が根を張るようにその場に留まった。
その大きな影は、長い鼻を持つ凶獣だった。
体の表面はやはり銀色の装甲に覆われ、大きさと相まって多大なる威圧感を放っている。
体の高さは人の倍は優に超え、その幅も人の何人分に相当する。
頭から伸びる長い鼻はまるで鱗のように金属が張り付いており、一層目を惹いていた。
それは、金属を纏った象であった。
それがこの魔族の名だった。
鼻の先には普通の象のように二つの穴が存在してはいなかった。
大きな一つの穴となって、闇に覆われた虚ろなトンネルとして存在していた。
その穴目掛け、小さい何かが殺到してくる。
それは鼠だった。
やはり銀の装甲を纏った鼠達。
それが、
十体程の鼠を収納した
そしてその鼻を砦を指差すかのように、ゆっくりと持ち上げた。
鼻からはバチン!という何かが閉まるような音が聞こえる。
監視をしていた騎士には、その様がはっきり見えた。
「砲撃が来るぞーッ!」
騎士が張り裂けんばかりに叫ぶ。
「総員、衝撃に備えろ! 絶対に顔を出すなよ!」
城壁に居た全員が、はっとしたような顔をした。
そして弾かれたように弓を捨て、その場に伏せる。
城壁が揺れたのと皆が伏せるのは、ほぼ同時だった。
轟音と、振動。
世界そのものが揺れたかのような錯覚を、兵たちは感じていた。
「ひいいい!」
痩せぎすの男が、思わず悲鳴を漏らす。
情けない声だった。
しかしそれを笑うものなど誰も居ない。
その轟音は留まる事を知らず、振動は絶えない。
この状況下で悲鳴一つを嘲笑うことなど、誰にもできなかった。
砦の向こうでは、四体の
その鼻から放たれていたのは、先程格納した鼠であった。
鋼鉄の鼠が丸まり生きた砲弾となって砦に殺到していた。
鼠は緩い放物線を描き、砦の壁に次々と、絶え間なく着弾する。
そして鼠が壁に接触した瞬間、この小さな生物弾頭は激しく爆発する。
この攻撃が
鼻から連続で放たれる10連続の砲撃。
そして一体が放ってる間、他の
四体の巨象による途切れぬ爆撃の連打は、無慈悲に砦を襲っていた。
魔化された石材で組み上げられた砦の城壁は、一度二度の砲撃には容易く耐える耐久力を誇っていた。
しかしそれが何十ともなれば、耐える事は不可能。
その壁面が徐々に削れ、ひび割れていく。
そんな城壁の中では、揺れる中必死に数人の騎士とそれに付き従う兵士たちが
備え付けの大砲。
その発射準備を彼らは行っていた。
「早く装填しろ、このままじゃ壁が壊される!」
「急いでやってます!」
激しい轟音と揺れの中、兵士たちが必死に弾込めを行う。
重い砲弾は揺れの所為で保持するのが難しく、何度もたたらを踏みながら数人がかりで大砲へ弾を装填していった。
「できました!」
発射準備が整った大砲が、急いで壁面に開いた砲門に運ばれる。
「よし、
砲門から大砲が
事情を知らぬものからすれば、この程度の射角で撃った弾はすぐに落ちて巨象まで届かぬと思えたが――
「
「
大砲の真横に居た騎士二人が、魔導式を起動する。
発射直前であった大砲の重量が即座に倍加し、床を僅かに軋ませる。
増加した重量は、より強く大砲を床に縫い付け、その反動を押さえつけた。
刹那、ドォン、という音と共に砲弾が発射される。
やはり重量が倍加した砲弾が、轟音と共に敵へ向かって放たれた。
常ならば重力に引かれ即座に下降線を描くはずの砲弾は、
丸い鉄塊が、巨象を貫いた。
ズゥゥゥン、という大地も響かせるような重低音が戦場に響き渡る。
しかしその代価に
さしものこの巨大な魔族もその衝撃には耐えられなかったのか、大きくよろめく姿が砦の壁上からも見えた。
「やった!」
その一撃に、外を覗き込んでいた兵たちは喜びの声をあげるが――
「倒せねえのかよ!?」
嘆く兵の声に、騎士は冷淡な声で答えた。
「この程度で倒せたら誰も苦労はしない。見ろ」
顔がひしゃげた
ただ一つの役目を果たす機械のように、忠実に命令を遂行しようとしていた。
「あれが魔族だ。俺達の敵だ。核を砕くまで動き続け、人間を狩る悪魔だよ」
そう言う間も複数の砲門から大砲が放たれ、
多大な時間を使い、数発の大砲が放たれ。
それが集中して当たり、ようやくその動きを牽制する事ができていた。
対して
ダメージを負った個体も変わりなく動き続けていた。
両者の手数の差は、絶望的なまでに大きかった。
ドォン、ドォンと放たれた大砲の数は10を越えただろうか。
ズン、と大きなものが倒れる音がする。
一体に集中して放たれた大砲が、ようやく
だが、その光景を喜ぶ者は城壁の上に誰一人居なかった。
彼らには見えていた。
戦場の奥からやってくる、追加の
そして足元では、数多の小さな魔族達が城壁に取り付こうとしている所だった。
あまりにも、絶望的な光景だった。
「くそっ、まだか!」
伏せながら、号令をかけていた騎士が忌々しげにつぶやく。
「早く迎撃に出ないと砦が持たんぞ!」
その声が聞こえたように、砦の正門が開いた。
ぎいい、と開けられた大扉の隙間から、兵達が飛び出してくる。
「うおおおおお!」
「いけえええええ!」
気合と共に、
わらわらと数十人が、漏れ出る水のように門外へと出撃していった。
対する魔族の先鋒は、
小型ではあるが凶猛なそれが、数十体と群れを為して襲ってくる。
双方の集団が、勢いのままにぶつかる。
体長1メートル程の
兵は手に持った槍を振り回し、その柄で
両者の集団は和えられたソースのように混ざりあい、一つの集団を形成した。
互いが互いを食い合おうとする調合の儀式。
それは血と臓物が混ざりあった、血腥い調理光景だった。
「死ねっ、死ねっ!」
我夢者羅に槍を振り回す男が居た。
目についた
この荒波の中を必死に泳ぐように、彼は槍をぶん回し続けた。
出鱈目にぶんぶんと振り回された槍の柄が、
「やれる、俺だってやれるぞ!」
思った以上の手応えに、男は笑みを浮かべる。
己の体力が急速に削られていく事すら興奮で理解せず、全力で槍を振り続けた。
まだ戦は始まったばかりだとも気づかずに。
「いやだ、死にたくねえ!」
石に足を取られた彼は咄嗟に手をついてしまい、姿勢を崩した所で敵にそのまま押し倒された。
ぐぐっと
「たすけて、たすけてぇー! だれかぁー!」
男は必死に叫ぶ。
だがその叫びは誰にも届かない。
ヘマをやらかした奴を助けられる程、この戦場で余裕を持っている者は誰も居なかった。
皆が目の前の敵を対処するので精一杯。
今を生き延びる事だけに必死だった。
「恨むなよ」
そんな男を、横目で眺める者が居た。
次々と飛び跳ねてくる
彼はそうやって身を守るのが精一杯だった。
すぐ目の前で食われる仲間の姿を見て、次にああなっているのは自分かもしれないと思う。
「死んで堪るか」
ぐっと槍を握りしめる。
「絶対に生きて帰るんだ」
彼は故郷で待つ妻と子の事を思った。
せめてもう少し楽にしてやりたい。
そう思って志願兵として前線にやってきた。
この戦争を乗り切ったら、報奨金はたんまり貰えるのだろうか。
その金で、子供を学校にでもやろうか。
そんな事を彼は考えながら、槍を振るう。
後方から
ごしゃり、という音と共に男が一人、呆けた顔のまま大地に転がった。
虚ろな瞳はもう何も映してはいない。
だが彼の視線はまるで遠くの景色を見つめるように、遥か遠くを眺めているようでもあった。
戦う者、死ぬ者。
両者が入り乱れ、緒戦は混戦の様相を呈していた。