進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
壁外での狂気の実践訓練開始から、早くも三時間が経過しようとしていた。
あれから本隊は、陣形の中央に位置したまま殆ど動くことなく、四方八方からとめどなくやってくる巨人に対処し続ける兵たちを静かに見守っていた。
巨大な荷馬車の周囲は、さながら野戦病院兼補給基地の様相を呈している。
戦闘を終え、後退してきた兵士たちが次々と本隊へ駆け寄り、血に塗れた刃を捨てて真新しいブレードへと交換し、空になったガスシリンダーを補充する。
整備班は故障した立体機動装置の修理や取り替えに追われ、医療班は巨人に掴まれかけた際の打撲や、着地での捻挫など、負傷した者の治療に集中していた。
そしてその裏方の輪の中には、アトラス殿の姿もあった。
支給された女性用の兵団服を埃で汚しながら、彼女は傷ついた新兵に水を配り、重いガスシリンダーの木箱を常人離れした───────
いや、巨人としての真の力を思えば当然の膂力で軽々と運び、野戦病院の包帯巻きまで手伝って奔走している。
歩く世界滅亡兵器であり、人類の命運を握る最高最重要の特異点が、額に汗して新兵の世話を焼いているのだ。
そのあまりにも健気で慈愛に満ちた姿に、新兵たちは痛みを忘れて顔を赤らめ、ただでさえ高い彼女への士気と信仰心が限界突破しそうになっている。
指揮官としては頭が痛い半面、兵士の精神衛生上これ以上ない清涼剤として機能しているのは事実だった。
時間が経つ毎に、前線で巨人と刃を交える兵たちの動きは、目に見えて洗練されていった。
最初は恐怖で力み、無駄にガスを吹かして刃をこぼしていた新兵たちも、三時間という極限の反復練習の中で確実に「巨人の殺し方」を身体に叩き込んでいる。
消耗品であるブレードの交換回数は右肩下がりに減少し、ガスの燃費は劇的に向上。
そして何より、一体の巨人を討伐するのにかかる時間が、最初の半分以下にまで短縮されていたのだ。
また、戦場の至る所を風のように駆け抜ける独立遊撃兵、リヴァイの存在も大きい。
彼の遊撃は、新兵が致命的なミスを犯し巨人の手に捕まりそうになるその一歩手前で、必ず巨人の指ごと手首を削ぎ落としてみせる。
負傷者は出るものの、致命傷に至る者は皆無であり、死者が出たという報告は訓練開始から三時間が経過した今も、依然としてゼロのままであった。
現在は各班、三交代制で巨人の討伐に当たっている。
戦線から下がり、本隊周辺で休憩に入った班は、ただ息を整えるだけではない。
戦闘中の注意点や、各兵士一人一人の立体機動の癖、刃を入れる角度の甘さなどを、熟練の上官たちが即座にフィードバックし、改善点を指摘しているのだ。
次の戦闘をより効率良く、そして何より安全に進める為の、血の通った作戦会議。
新兵たちも、つい先程まで死の恐怖を共有していた上官の言葉だからこそ、素直に受け入れ、自身の直すべき点を明確に意識して次に繋げようと必死に耳を傾けている。
それに伴い、彼ら自身の『巨人に対する意識』も劇的に変化していた。
出撃前、彼らの心を満たしていたのは、ただの得体の知れない絶望だった。
自分の力が、訓練で培った技術が、本当に本物の巨人に通用するのか?
恐怖で足が竦み、他のメンバーの足を引っ張らないで戦えるか?
果たして自分は、生きて帰れるのか?
そうした暗く冷たい不安は、仲間との綿密な連携と、上官の的確な指示による「討伐の成功体験」を積み重ねることで、熱を帯びた『確かな自信』へと変貌していた。
巨人は殺せる。自分たちの刃は届く。その心理的変化が、より彼らの動きを鋭く、力強くする。
教導、実践、成功、そして自信。
我々が喉から手が出るほど欲していた『好循環』が、今、この血塗られた平原の上で確実に形成されつつあった。
しかし、やはり現実はそう簡単に我々の思い通りにはいかない。
好循環が生み出したかつてない討伐ペースが、皮肉にも我々自身の首を絞める要因となっていたのだ。
周囲に横たわる、大量の巨人の死骸。それらが一斉に蒸発し、放つ高熱の蒸気。
通常であれば風に流されて消えゆくはずの蒸気だが、討伐数が局地的に多すぎたため、分厚い霧となって部隊の周囲を完全に囲むように滞留し始めたのだ。
視界が白く塞がれ、数メートル先の巨人の接近すら感知が遅れる。
いくら連携が洗練されてきたとはいえ、視界不良の中での立体機動は自殺行為に等しい。
「……本隊を中心に、全体移動を開始する!」
私は即座に判断を下し、声を張り上げた。
「各班、後退を開始せよ! 霧の薄い方向へ陣形ごとスライドする!」
号令と共に、待機していた馬車が動き出し、前線の兵士たちがワイヤーを巻き取って馬へと飛び乗る。
私は部隊全体を、まだ蒸気が立ち込めていない南東の開けた平原に向かって後退させるよう指示を出した。
「リヴァイ! 部隊の先頭を任せる! 霧の先にいる三体の巨人を即座に排除し、進路を切り拓け!」
「……チッ、人使いの荒い野郎だ」
近くの荷馬車で刃を拭っていた小柄な刃が、舌打ちと共に馬を蹴り、弾丸のように前方へと飛び出していった。
彼一人いれば、正面の三体など数秒で肉塊に変わるだろう。
問題は、我々の後退を察知し、立ち込める蒸気の壁を突き破って後方から追いかけて来る『十数体の巨人の群れ』だ。
10メートルから15メートル級が混在する、本来であれば一個中隊がかりで対処すべき規模の群れ。新兵を当てれば必ず犠牲が出る。
私は手綱を引きながら、後方の荷馬車の屋根に静かに腰を下ろしている金髪の少女へと視線を向けた。
アトラス殿の働きを、特等席から蕩けるような笑顔で見守っていた彼女。
「……リーシェ特別班長。出番だ、頼んだぞ」
私の言葉に、リーシェは「ふぁいふぁい」と欠伸交じりに立ち上がった。
彼女の腰には、通常の兵団支給品とは明らかに構造の違う、無骨で巨大な圧縮シリンダーと、黒光りする特注のブレードが装備されている。
すべてアトラス殿の手によって、巨人の硬質化能力と超高圧蒸気を応用して造り上げられた、物理法則を無視した悪魔の兵装だ。
ちなみに、『特別班長』という彼女の肩書きについて触れておこう。
これは本作戦から、彼女ただ一人の為に導入された特例中の特例たる階級である。
理由は単純明快。彼女は『アトラス・ベニアただ一人を表向きの直属の部下』とする、調査兵団において極めて特殊な立ち位置にある為だ。
三百人を率いる分隊長や通常の班長たちと彼女を同列に扱うことは、指揮系統の混乱を招く。
何より、彼女の突出した一個旅団級の戦力は、通常の兵士の枠組みに到底収まりきらない。
他の班長との明確な差別化を図り、同時に彼女のプライド(アトラスの唯一の直属の上官であるという自負)を満たして機嫌を取るための、私なりの苦肉の政治的配慮の産物であった。
リーシェは腰の特注シリンダーのバルブに手をかけ、ゆっくりとブレードを引き抜いた。
その瞬間、後退する部隊の最後尾にいた新兵たちが、一斉に息を呑み、馬の首を巡らせて彼女の背中を見つめた。
心なしか、いや、確実に。新兵たちの眼差しには、恐怖ではなく、圧倒的な暴力に対する『期待』と『憧憬』が満ちていた。
雪の森での生還伝説。死者ゼロの大遠征。
噂に聞き、想像するしかなかった「壁内人類の頂点」の真の力を、今まさにその目で見ることができるのだ。
私は、新兵たちの高まる熱気に油を注ぐべく、腹の底から声を張り上げた。
「新兵諸君! その目にしかと焼き付けておけ!! 人類最強と呼ばれる『鬼神』、リーシェ特別班長による無双劇を!!!」
私の号令が響いた直後。
───ドゴォォォォォォォォンッ!!!
大砲の直撃すら比較にならない、耳膜を破らんばかりの爆音。
アトラス殿によって極限まで圧縮された巨人の超高圧蒸気が、リーシェの腰のシリンダーから一気に解放された音だ。
荷馬車の屋根が衝撃でひしゃげ、凄まじい爆風が周囲の蒸気の霧を吹き飛ばす。
その中心から、リーシェ・ベニアの華奢な肉体が、文字通り『弾丸』となって空へと射出された。
「……な、なんだあの速度は……!?」
新兵の一人が悲鳴のように叫ぶ。
ワイヤーなど一切使っていない。ただのガス圧──いや、蒸気圧の推力のみで、彼女は平原の上空数十メートルへと一瞬で到達していた。
眼下に迫るのは、大口を開けて群れ成す十数体の巨人たち。
リーシェは空中で身を翻し、一切の感情を排した、かつての『氷の刃』の顔で巨人の群れを見下ろした。
そして、重力に従って落下するのではなく、空中で再びシリンダーのバルブを解放した。
───バァンッ!!
空中に不可視の壁でも存在するかのように、彼女は虚空を蹴り、直角に軌道を変えて先頭の15メートル級の顔面へと突っ込んだ。
特注の絶対に刃こぼれしない黒鋼のブレードが、閃光となって煌めく。
ズッ……!
巨人の両目が一瞬で抉られ、そのままの勢いでリーシェは巨人の頭頂部を駆け抜け、首の後ろ、うなじの肉を深々と、そして正確無比に抉り取った。
鮮血が噴き出す間もない。一体目が崩れ落ちるよりも早く、彼女は巨人の肩を蹴り台にして、次なる標的へと超音速で跳躍する。
「アハハハハハッ!! 遅い、遅い遅い遅いッ!!」
狂気的な高笑いが空から降り注ぐ。
それはもはや、戦闘などという生易しいものではなかった。ただの『蹂躙』だ。
右から左へ。上から下へ。
物理法則を完全に無視した空中での方向転換。巨人の振り上げる腕を、指先を、そしてうなじを、彼女の刃はバターを切り裂くように何の抵抗もなく切断していく。
──────ドドォン! ズガァァン!!
巨大な肉塊が次々と地面に倒れ伏し、地響きを立てて絶命していく。
十数体いた巨人の群れが、わずか数十秒の間に、半分、三分の一と激減していく。
刃が交差するたびに巨人の四肢が宙を舞い、血の雨が降り注ぐ中を、リーシェは一滴の返り血すら浴びることなく、美しく、残酷な舞踏を踊り続けていた。
「……信じられねぇ……あれが、人間なのか……?」
「す、すげぇ……!!」
「あんなの……あんなの見ちまったら、巨人がちっとも怖く見えねぇよ……!」
後退を続けながらその無双劇を目の当たりにしていた新兵たちは、馬上で完全に言葉を失っていた。
彼らの瞳に宿っているのは、恐怖ではない。
圧倒的な、次元の違う強さへの純粋な『畏敬』だ。
自分たちと同じ人間の形をした少女が、人類を何百年も脅かしてきた巨人を、まるで虫けらのように踏み潰している。
その事実が、彼らの心底にこびりついていた「巨人は越えられない壁である」という絶対的な絶望を、根底から粉々に砕き去ったのだ。
「すげぇ……俺も、俺もあんな風に動けるようになりてぇ……!」
「ああ、やってやる! いつか絶対、背中を任せられるくらいに……!」
驚愕の先にある、強烈な憧れと闘志。
あんな風になりたい。あの圧倒的な強さに、少しでも近づきたい。
新兵たちの瞳に、今まで見たことのないような、ギラギラとした獰猛な光が宿り始めるのを、私はこの目で確かに見た。
(……これだ。これこそが、私が求めていた『究極の起爆剤』だ)
リーシェ・ベニア。彼女の力は、巨人を駆逐するためだけにあるのではない。
彼女という存在そのものが、人類の限界を押し上げ、新兵たちの魂に火をつけるための『希望の象徴』なのだ。
最後の一体がリーシェの刃に首を刎ねられ、崩れ落ちる巨人の轟音が平原に響き渡る。
私は、完全に霧の晴れた進路を力強く指差し、闘志に燃える百三十名の兵士たちに向けて、全霊の声を張り上げた。
「見たか、これが我々調査兵団の力だ!! 進め!! 巨人を一匹残らず駆逐し、我々の糧とせよ!!」
「「「「「おおおおおおおおおおおおおおッ!!!!」」」」」
兵士たちの士気は、最高潮に達していた。
人類の反撃は、もはや絵空事ではない。この血と蒸気に塗れた狂気の実践訓練の果てに、我々は必ず、巨人を越える真の強さを手に入れる。
私は、先頭を駆けるリヴァイと、空から舞い降りるリーシェの姿を視界に収めながら、確かな勝利の予感に打ち震えていた。