進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
蒸気が立ち込める中、目と目が合った。
そして、その化け物は、巨人の顔に張り付いたような不気味な笑みではなく、まるで旧知の友に向けるような穏やかな微笑を浮かべた。
『こんにちは』
ズシン、と。
空気を物理的に震わせるほどの重低音が、私の鼓膜と心臓を直接打ち据えた。
それは唸り声でも、捕食者の咆哮でもなく、紛れもなく明確な意思を持った「人間の言葉」だった。
全身の毛穴が粟立ち、心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。
逃げなければ。
刃を抜かなければ。
ベテランとしての生存本能が警鐘を鳴らし続けているのに、私の身体は指先一つ動かすことができなかった。
蛇に睨まれた蛙などという生易しいものではない。
根源的な、圧倒的な存在の前に立たされた生物としての完全な硬直状態だった。
だが、恐怖で思考が焼き切れそうになる中で、私の目はその異常な存在の「容姿」を冷静に分析し始めていた。
これまでに何十体、何百体と見てきた無垢の巨人たち。彼らは皆、どこか醜悪で、腹が異常に膨らんでいたり、手足が極端に細かったりと、生物としてのバランスが決定的に崩れていた。
しかし、目の前に立つこの15メートル級は、全く違う。
スラリとした長身でありながら、無駄な脂肪が一切なく、鋼のように引き締まった筋肉が全身を美しく覆っている。その四肢のバランスは、神が計算し尽くして創り上げた彫刻のように完璧に整っていた。
そして何より、その顔立ち。
耳まで裂けたおぞましい口でも、焦点の合わない濁った瞳でもない。彫りが深く、それでいてどこか中性的で、巨人という種族でありながら「端正」と表現するほかない、恐ろしいほどの美しさを備えていた。
その整いすぎた巨人が、ゆっくりとこちらへ動きを見せた。
(───喰われるッ!)
私が死を覚悟し、せめて痛みを感じる前に意識を手放したいと願った瞬間、その巨人は太い枝の前に静かに両膝を突き、私との距離感を保つように姿勢を低くしたのだ。
『驚かせてすまない。怯える必要はない。私は、先程までそこにいた他の無垢の巨人たちのように、君たち人間を捕食したり、理由もなく殺したりはしない』
信じられない。
目の前の怪物は、私を気遣っている。
極力威圧感を与えないよう、静かな声色を作ってさえいる。
脳内が完全にバグを起こしていた。
知性のある巨人。
言葉を話す巨人。
人間を喰わない巨人。
そんな存在が、この残酷な世界にいるはずがない。だが、現実は私の目の前で、その端正な顔を真剣に歪めている。
『一つ、聞きたいことがある。今は、何年だろうか』
その問いかけに、私の凍りついていた思考が強制的に再起動させられた。
答えなければ。ここで機嫌を損ねれば、次の瞬間には指先で潰される。
「……あっ……あ、あ……」
極度の緊張で喉が干上がり、ヒュッと情けない音が鳴る。それでも、私は必死に声を絞り出した。
「わ、分かった……今は……842年の……10月、だ」
私がそう答えると、巨人はなぜか酷く安堵したような、あるいは喜んでいるような気配を漂わせた。
『答えてくれてありがとう。助かった』
そして、信じられない提案をしてきたのだ。
『代わりといっては何だが、今、君が困っていることがあれば何でも言ってほしい。私にできることであれば、何でも叶えよう』
───助かるかもしれない。
ガスも尽き、仲間とはぐれ、巨人の群れが跋扈するこの森で、私は間違いなく今日死ぬ運命だった。
だが、この圧倒的な力を持つ未知の存在に縋れば。
「でっ……であれば! 少しの間でいい、私を巨人から匿ってもらえないだろうか……!」
私はプライドも何もかも投げ捨て、立体機動装置を鳴らして深く頭を下げた。
相手が人類の敵である巨人だとしても、今はすがるしかなかった。
「あっ……いや、その、貴方も巨人だが、他の巨人とは明らかに違う……ので。お願いします! どうか! 助けてください!!」
『分かった。とりあえず、安全な水場まで案内しよう』
巨人はそう言うと、巨大な右手を私のいる枝へと差し出し、手の平を上へ向けた。
『乗りたまえ』
大人が数人は寝そべることができるほどの、巨大な掌。
一歩踏み出せば、そのまま握り潰されて口の中へ放り込まれるかもしれない。
だが、もう選択肢はなかった。
私はギュッと唇を噛み締め、震える足でその掌の上へと乗り移った。
ふわり、と身体が宙に浮く感覚。
巨人が立ち上がり、私を胸の高さで慎重に保ちながら歩き出したのだ。
その足取りは、私を落とさないようにひどく丁寧だった。
『君の名前を聞いても良いだろうか』
歩きながら、巨人が頭上から静かに問いかけてくる。
「……リーシェ……リーシェ・ベニアです」
私が答えると、巨人は『リーシェか。良い響きだ』と、まるで人間のように素直な称賛を口にした。
少しだけ、ほんの少しだけ緊張が解けた私は、おずおずと聞き返した。
「あの……貴方の、お名前も……伺ってもよろしいでしょうか……」
すると、巨人は少しの間思案するように沈黙し、やがて信じられない言葉を口にした。
『リーシェ。君に、名付けてもらいたい』
「……え?」
私は間の抜けた声を漏らしてしまった。
私が、この規格外の化け物の名付け親になる? 一体何を言っているんだ、この巨人は。
だが、その端正な瞳は真剣そのものだった。
断れるはずがない。
私は必死に頭を回転させた。
先ほどの、数十体の巨人をただの腕力だけで肉片に変えてしまった、あの恐るべき物理的な力。
そして、この森の地面すら容易く砕き割るであろう強靭な肉体。
「……では、"アトラス" というのはどうでしょう」
私は、震えを抑えながら提案した。
「先程の戦いで見せた貴方の強靭な肉体と力が……まるで、大地を支える強固な岩盤を想起させたので……」
『アトラス。……良いな。ではこれからは「アトラス」として、その名に恥じぬよう振舞おう』
巨人は───アトラスは、心底満足そうに深く頷いた。
私は安堵のあまり、胸に手を当てて大きく息を吐き出した。「……気に入って頂けたようで、何よりです」
『そう無理に固い口調で話さなくて良い。君は言わば、私の名付け親のようなものであるからな』
アトラスはどこか機嫌良さそうにそう言ったが、私の心境は複雑極まりなかった。
「……は……はは、善処します……」
私は顔を引き攣らせて乾いた笑いを返すことしかできなかった。
人類の天敵であるはずの巨人の掌の上に座り、あろうことかその名付け親になってしまった。
壁外調査の絶望的な状況下で起きたこの異常な出来事に、私の常識は完全に崩壊しつつあった。