進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
845年9月1日
いよいよ、因果が交差する運命の月である九月に突入した。
その事実がもたらす見えない重圧のせいか、今日のシガンシナ区全域は、どこか重苦しく、ピリピリとした異様な雰囲気に包まれている。
もちろん、街で暮らす住民たちは、数日後に迫る「壁の破壊」という未曾有の危機について何も知らない。
ただ、明らかに駐屯兵団の警備人員が倍増しており、さらには王都近郊にいるはずの調査兵団の精鋭たちが市街の至る所に配置されていることから、言葉にできない物々しい空気だけを敏感に感じ取っているのだ。
そして、街角に立つ兵士たち一人一人もまた、何故これほどまでに厳重な警戒態勢が敷かれているのか、その本当の理由を知らされていない。
「大規模な合同防衛演習」という建前の下、彼らはただ上官の命令に従って配置についているだけだ。
すべては、来る運命の日に備えて、俺たち真実を知る者たち(エルヴィン団長を含む)が水面下で進めてきた、言わば『暗躍』の結果であった。
そんな緊張感の漂う外の世界とは対照的に。
シガンシナ区の中央に位置する、俺とリーシェの住まいの中は、今日も信じられないほど穏やかで暖かな空気に満たされていた。
「アトラスさん、いよいよ……ですね」
リビングの窓際。丸テーブルの席に腰を下ろしたグリシャさんが、少しの不安と緊張を滲ませた声で呟いた。
この三ヶ月間、彼らイェーガー一家とアルミンは、毎日のように我が家を訪問し、共に食卓を囲み、語り合ってきた。
今や、血の繋がりを超えた『一つの家族』と呼んでも差し支えないほどの深い交流を築いている。
その証拠に、出会った当初は俺を神かのように敬って「アトラス様」と呼んでいたグリシャさんも、今では親しみを込めて「アトラスさん」と呼んでくれるようになっていた。
彼のエメラルドグリーンの瞳には、来るべき惨劇への恐怖以上に、目の前に座る俺という『絶対者』の力に対する、確かな期待と信頼の眼差しが向けられていた。
「そうですね……この光景を守るためにも、必ず成功させましょうね」
俺は、窓の外の庭へと視線を向けながら、極上の女神スマイルで力強く頷いた。
視線の先では、カルラさんとミカサが並んで微笑み、それをモデルにしてエレンがカンバスに猛烈な勢いで筆を走らせている。
そしてその隣で、アルミンが「ここの光の表現は、もう少し柔らかい方がいいんじゃないかな?」と的確なアドバイスを送るという、絵に描いたような平和な日常が広がっていた。
すると、俺の隣に座って紅茶を飲んでいたリーシェが、ふとカップをソーサーに置き、静かな声で口を開いた。
「私も、この光景が血や灰に染まるのは看過できないわ。
……私にとっても、あなた達の家族は『第二の家族』のようなものなのだからね」
「……っ」
俺は、思わず息を呑んでリーシェの横顔を見つめた。
あのアトラス至上主義で、俺以外の人間(たとえ兵団の仲間であっても)を文字通り無価値としてしか認識していなかった狂犬が。
この三ヶ月間の交流を経て、完全に彼らに対して心を開き、あろうことか「家族」とまで呼んでのけたのだ。
(……良かった。本当に、良かった……俺以外にも、リーシェに『大切な存在』ができて……っ!)
俺の胸の奥から、熱いものが込み上げてきた。
彼女が俺という「たった一つ」の存在だけに異常な執着を向けている姿は、嬉しくもあり、同時に恐ろしく、不安でもあったのだ。
いざ俺が失われた時、あるいは何かの間違いで離れ離れになった時、彼女が絶望のあまり世界を滅ぼしかねないことは想像に難くない。
世界は、もっと色んな面白いもの、美しいもの、愛すべき人たちに溢れている。彼女にはもっと広い世界を見て、色んなことを感じて、好きになって欲しかった。
「リーシェ……私、その言葉すごく嬉しい」
俺はたまらず身を乗り出し、リーシェの暖かく白い柔らかな手を、自身の華奢な両手でぎゅっと包み込んだ。
そして、感極まって少し潤んだ瞳で、ありったけの慈愛を込めた笑顔を彼女に向けた。
「リーシェが大切にしたい、何かを守りたいと思う気持ちは、凄く尊いものなんだよ? リーシェには、この世界に溢れるもっと面白いものに触れて、感じて、好きになって欲しい。
……その時に見せるリーシェの可愛い笑顔を、私はこれからもずっと、隣で見ていたいな……」
やばい。感動してマジで泣きそう。
あのリーシェが、他者を思いやれるまでにここまで立派に育って……うぅ……っ。
完全に『バカ親根性』を発動させながら、俺は心の内を真正面から、愛しい半身へとぶつけた。
「……ア、アトラス……」
俺に手を握りしめられ、涙目でそんな真っ直ぐな愛情を向けられたリーシェは、みるみるうちに耳の先まで茹でダコのように赤く染まった。
「ええ、そうね……あなたがそこまで言うなら、少し……他のものに目を向けて見ても、良いのかもね……」
照れ臭そうに視線を逸らしながら、嬉しそうに微笑むリーシェ。
……そう。そうだよ、リーシェ。その調子で人間らしさを取り戻してくれ。
(……でも、俺以外の女(男)への『浮気』は絶対に許さないからな?)
感動の涙を引っ込め、内心で唐突に重すぎる『メンヘラ彼女』の素質を発動させながら、俺はリーシェの手をそっと離した。
リーシェは照れ隠しのように立ち上がると、コホンと一つ咳払いをしてから、庭でカンバスに向かっているエレンたちの方へと歩みを進めた。
「エレン。お絵描きは順調?」
彼女が背後から声をかけた瞬間。
「はいっ! 最近すごく調子がよく……て…………え?」
勢いよく返事をしかけたエレンの言葉が、尻すぼみに消えていった。
エレンは筆を止めたまま、目を見開いてリーシェを見上げ、完全にフリーズしている。
隣に立つアルミンも、信じられないものを見るような顔で口をパクパクとさせていた。
固まったエレンの代わりに、アルミンが恐る恐る、代弁するかのように口を開いた。
「り、リーシェさん……今……エレンの、名前で……」
そう。あの日からずっと、リーシェは彼らのことを「坊や」とか「そこの金髪」といった特徴やあだ名でしか呼んでいなかった。
それが今日、今、初めて。
彼女はしっかりと、愛情を込めて「エレン」という個人の名前を呼んだのだ。
「何? アルミン。
……名前で呼んでは、悪い?」
リーシェが小首を傾げて尋ねる。そこにもまた、しっかりと『アルミン』という名前が刻まれていた。
「い、いえいえそんな! とんでもないです! すごく嬉しいです!!」
アルミンが慌てて首を横に振り、エレンもハッとして「は、はい! 光栄です!」と直立不動で叫んだ。
「そう……ふふっ、二人とも大げさね」
リーシェはクスリと笑い、エレンの描くカンバスを優しく覗き込んだ。
(……あ〜、尊い。尊すぎる)
リビングからその光景を眺めながら、俺は深く深く息を吐き出した。
あの鬼神と、未来の悪魔(キャンセラー済み)と、その幼馴染たちの、何の変哲もない温かなやり取り。
こういうので良いんだよ、こういうので。
庭の奥から、カルラさんが「リーシェちゃん、こっちでお茶にしましょう!」と微笑ましそうな表情で手招きをしている。
リーシェは小さく手を振り返し、柔らかな足取りで彼らの輪の中へと入っていった。
平和だ。
この残酷な世界において、奇跡のように紡ぎ出された、温かくて眩しい日常。
俺は、隣に座るグリシャさんの方へと静かに顔を向けた。
俺の瞳からバカ親のような緩みは消え、世界を俯瞰する『特異点』としての強い意志が宿っていた。
「……グリシャさん。必ず、守りましょうね」
「ええ。必ず」
グリシャさんもまた、力強く頷いた。
外の物々しい空気が嘘のように、シガンシナ区の小さな庭には、温かな秋の陽射しと笑い声が溢れていた。
運命の日は、もう目と鼻の先まで迫っている。
やっと原作スタートですね。
始まる前から粉砕されている気はしますが