進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
秋の冷たく乾いた風が、ヒビの入ったステンドグラスの窓の隙間から荒れ果てた教会の礼拝堂へと吹き込み、床に薄っすらと積もった埃を静かに舞い上がらせた。
ひとしきり、互いの生存と絆を確かめ合うように力強く抱きしめ合っていたニック司祭と、顎の巨人の継承者であるユミル。
不器用な父性と、それに素直に応えた少女という、この血塗られた世界には不釣り合いなほど美しく尊い光景。
だが、極限の感情の昂りがようやく落ち着き、ふと我に返ったのだろう。
二人は、自分たちが人目──それも、今日会ったばかりの俺たち三人組の目の前で、なりふり構わず抱き合って涙を流していたという事実に、今更ながら気付いたようだった。
「……っ」 「あ、コホン……っ」
二人は慌てたように身体を離すと、己自身が晒した失態を誤魔化すように、ひどく気まずそうに、そして照れ臭そうに視線を泳がせながらこちらへ目を向けてきた。
ユミル(顎)に至っては、そのそばかすのある頬を微かに赤く染め、居心地悪そうに短い黒髪をガシガシと掻き毟っている。
俺はその様子を、どこか微笑ましい気持ちで眺めていた。
ふと横に視線をやると、俺の隣では、相変わらず人類最強の鬼神たるリーシェが、始祖の方のユミルの柔らかい両頬を両手で挟み込み、「むにむに」と容赦なくこねくり回していた。
「ねー、りーへ、やーめーへー(ねー、リーシェ、やーめーてー)」
抗議の声を上げるユミルだが、その顔には怒りはなく、むしろ目の前で繰り広げられた親子の温かい光景を見て、どこか嬉しそうな、微笑ましそうな笑みを浮かべていた。
そして、彼女の頬を弄り倒しているリーシェ自身も、完全に毒気を抜かれたような生暖かい視線をニックたちに向けている。
(……このカオスな空間、そろそろお開きにしてあげたいところだけど)
感動の余韻に浸る二人をこれ以上見世物にするのは酷だろう。
このままスマートに退散してあげたいのは山々なのだが、俺にはまだ、ここで果たすべき重要な『任務』が残されていた。
王都を出立する前、エルヴィン団長から直々に託された、一通の文書をニック司祭に渡さなければならないのだ。
その文書の内容は、ざっくり言うとこうだ。
『新政府からの、生活に必要な当面の資金援助』
『教会解体に伴う、彼らに対する特例的な税制面の免除』
『必要であれば、安定して暮らしていける真っ当な職を斡旋する』
そして何より、『今後の生活に対して、軍や政府から不当に干渉することは一切無い』という確約。
巨人の力を失い、教団の権威も資金も底を突き、完全に路頭に迷いかけていたこの二人にとって、まさに喉から手が出るほど欲しいであろう、破格の好条件が記された救済措置の束である。
俺は純白のサマーワンピースの隠しポケットから、調査兵団の紋章が封蝋されたその封筒を静かに取り出した。
「ニック氏、こちらをお渡しします。エルヴィン団長からです。」
俺は、極力相手に威圧感を与えないよう、鈴を転がすような透き通った美少女ボイスを意識しながら、そっとその手紙を手渡した。
ニック司祭は、訝しげに眉をひそめながらその封筒を受け取り、封を切って中の書類に目を通し始めた。
その視線が文字を追うごとに、彼の顔に刻まれた深いシワが驚愕に引き攣り、瞳孔が限界まで見開かれていく。
「これは……これ程までの好条件、本当に良いのか?」
文書を持つ手をカタカタと震わせながら、ニック司祭はただただ困惑しきった様子で、信じられないものを見るような目で俺を見上げて確認をしてきた。
無理もない。
彼からすれば、自身はつい先月から白い目を向けられていた組織であり、表立って敵対はしていなかったが、新政府からすれば事実上の仮想敵対勢力のはずなのだ。
それが、革命に成功して実権を握った途端、自分たちに対してこれほどの厚遇を用意してきたのだから、裏があるのではないかと疑うのが大人の正常な防衛本能だろう。
「はい、お二人を見て渡しても大丈夫だと私が判断しました」
俺は、神が黄金比で設計した『比類なき超絶美少女フェイス』に、一切の嘘偽りがない、慈愛に満ちた極上の女神スマイルを浮かべて答えた。
そう、これは最初から『無条件』で渡すためのものではなかった。
エルヴィン団長も俺も、この二人の実際の関係性や状況を、この目で直接判断して、渡すべきかどうかを見極める必要があったのだ。
もし、ニック司祭が教団の狂信的な教義に未だ取り憑かれており、顎ユミルを都合の良い『奇跡の象徴』や『奴隷』のように扱って隠し持っていたとすれば。
俺はその時点で即座に硬質化能力を発動し、武力をもって教会を制圧して、彼女を強引に救出し、シガンシナ区へと引き連れて帰るつもりだった。
だが、そんな物騒な懸念や裏事情は、今の二人を見れば一目瞭然で不要だと分かる。
あの、マーレの地獄で大人たちに裏切られ、誰のことも信用しようとしなかったはずの、疑り深いユミルが。
今も尚、ニック司祭のすぐ傍にピッタリと立ち、何なら少しだけ彼の肩に寄りかかって、その存在に明確な『安心感』を抱いているのだから。
「ニック、やったな、これでタダ飯食らいできるぞ」
書類の内容を横から覗き込んでいたユミルが、ニヤリと悪戯な、少しだけ小憎たらしい顔でニックを見上げてそう言い放った。
彼女なりの、照れ隠しを含んだ強がりな喜びの表現なのだろう。
だが、それを聞いたニック司祭は、書類をギュッと握り締め、ひどく真面目な顔で彼女を窘めた。
「馬鹿者、これは言わば一時金だ、それに民が納めた血税をいたずらに使うものでは無い、働いて生活が安定すればいずれ頂いた分は返金する」
一切の妥協を許さない、しかしどこか不器用な優しさを孕んだ、真っ当な聖職者としての、そして「父親」としての厳格な言葉だった。
(別に返さなくても大丈夫なんだけどなぁ…)
俺は内心で苦笑した。
新政府は、あのエルヴィン団長の辣腕と、腐敗貴族たちから没収した莫大な隠し資産によって、現在かつてないほど潤っている。
たかが二人分の生活費など、彼らがこれまで背負わされてきた過酷な運命への慰謝料と考えれば、端金にも等しいのだ。
でもまぁ、彼のその気高きプライドと誠実さが、この不器用な少女の心を救ったのだろう。
「相変わらずクソ真面目なおっさんだな…」
ユミルは、やれやれといった顔で大袈裟に肩をすくめて見せた。
だが、その直後。 彼女は視線を床へと落とし、靴のつま先で教会の冷たい石畳をコツコツと叩きながら。
「でも…そのお陰で私は今がある訳だしな……」
普段の彼女からは想像もつかないほど素直で、消え入りそうな声で、少しだけ頬を朱に染めながら小さく呟いたのだ。
(……ん?)
俺は、そのあまりにも可愛らしいツンデレの極致のような態度を見て、微笑ましい気持ちになりかけた───が。
ふと、俺の脳内に、ある『致命的な矛盾』と、強烈な違和感が雷のように走った。
……いや、まさかな…… 流石に、年齢差があり過ぎる。いくらなんでも、そんな訳がない。
今のニック司祭は、あの落ち着いた風貌からして、精々四十手前か、いって四十代前半ぐらいだろう。
対して、顎ユミルの見た目は、十代前半か半ば辺りといったところだ。
だが…
(いや、待てよ……あの子、マーレを追放されてから『六十年程』無垢の巨人として壁の外を彷徨っていた訳だから……実年齢で言えば、余裕でユミルの方が年上(おばあちゃん世代)なのか??????)
ダメだ。
考えれば考えるほど、頭の処理が追いつかなくなってくる。
見た目は『父と娘』なのに、実年齢は『息子と母』? いや、でも中身の精神年齢は巨人化していた期間は停止しているはずだから、やっぱり少女なのか?
この進撃の巨人の世界観特有の、複雑怪奇な年齢バグ問題。
(……これ以上深く追求するのはやめよう。俺の脳がショートする)
俺は、湧き上がりかけたカオスな思考を心の奥底へと強引に封印し、ふぅ、と小さく息を吐き出した。
兎に角、少しの違和感は残るものの、これで俺たちに課せられた帝都での役目はすべて、無事に終了したのだ。
「それでは私達は失礼します」
俺は立ち上がり、教会の出口である重厚な門の前に立つと、振り返って比類なき美少女フェイスで二人に完璧な微笑みを送りながら、淑女のように深く、丁寧な礼をした。
これにて、一件落着。 あとはシガンシナ区の我が家に帰って、のんびりと───
「ユミルちゃんお幸せにー!」
俺が締めくくろうとした完璧な空気を、隣にいた本物の『始祖のユミル』が、無邪気にブンブンと大きく手を振りながら、見事にぶち壊した。
それも、どう考えても男女の逢瀬を冷やかすような、ひどく誤解されそうな言い回しで。
「……は?」 ニック司祭は、その言葉の意味が全く理解できないといった様子で、不思議そうな顔をしつつも、人の良い笑みを浮かべて軽く会釈を返している。
だが、その隣に立つ顎ユミルの方は違った。
彼女は、自身の名前を呼ばれたことと、その言葉の裏にある(勝手に深読みした)ニュアンスに気付き、顔を耳の先まで茹でダコのように真っ赤にして、あたふたと何か言いたげに口をパクパクさせていた。
(おいユミル!最後に変な爆弾落とすなよ……!) 俺が内心で盛大にツッコミを入れていると。
「困った事があればエルヴィンに頼むと良いわ、渋るようなら私の名前を使ってちょうだい」
今度は逆隣で、リーシェが腕を組みながら、涼しい顔で、そしてとんでもない事を口走ったのだ。
(リーシェ!? お前、あの激務で現在進行形で胃に穴が開きかけてる団長の胃痛を、これ以上加速させる気か!?)
『人類最強の鬼神』の名を使って脅せば、エルヴィン団長が断れるはずがない。
あの金髪の苦労人が、執務室でまた胃薬をボリボリと噛み砕きながら天を仰ぐ姿が、俺の脳裏にありありと浮かんだ。
……何だか、いつも結局、最後は締まらないよな。
俺は、愛すべき(そして暴走しがちな)二人の伴侶と妹分を両脇に従えながら、小さく、しかしどこか幸せな諦めを含んだ溜息を吐き出した。
秋の穏やかな夕暮れが、帝都の街並みをセピア色に染め始めている。
俺は、このどこまでもカオスで、けれど確実に皆が笑って生きられるようになった平和な世界を歩けることに、密かな喜びを噛み締めながら。
足取り軽く、ウォール教の本部を後にするのだった。