進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった……   作:感謝君

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第百八十八話

 

 

846年1月15日

 

窓の外を吹き抜ける冷たく乾いた冬の風が、王都の整然と並んだ街路樹を揺らしている。

 

 

厚い雲に遮られた弱い陽光が、磨き上げられた窓ガラス越しに講義室の床へと落ち、舞い上がるチョークの粉を白く浮き上がらせていた。

 

 

「約七十年前、まだ立体機動装置というものが存在しなかった時代。巨人という存在はある種、抗うことのできない天災であり、同時に……畏怖と崇拝の対象でもあった──────」

 

 

私の低く落ち着いた声が、静まり返った広大な講義室に響き渡る。 教壇から見下ろす先には、新エルディア帝国の未来を担うであろう、何十人もの優秀な若者たちが、一言一句聞き漏らすまいと真剣な眼差しで私を見つめ、必死にペンを走らせていた。

 

 

 

新政府の遣いの者たちと思われる、あの嵐のような、そして神に等しき力を持つ謎の三人組が、荒れ果てた教会に踏み入ってきたあの日から、数ヶ月。

 

 

 

現在、私はここ帝都ミットラスでも有数の名門校において、歴史の非常勤講師として日々生徒たちに教鞭を振るっていた。

 

 

かつてウォール教の司祭として、民衆に偽りの平和を説き、真実を遠ざけてきたこの私が。

 

 

皮肉なものだが、歴史の真実の一端を知る旧体制の生き残りとして、私の持つ知識は新政府にとって都合の良い教育の基盤として重宝されたのだろう。

 

 

だが、私が教壇で語っている歴史は、あくまで『彼ら』が許可した範囲内の、綺麗に整えられた表層の歴史に過ぎない。

 

 

(……本当の歴史は、こんなに生易しいものではないのだよ、若者たち)

 

 

私は黒板に背を向けながら、内心で密かに自嘲した。 目の前で純粋な知的好奇心を輝かせている彼ら──いや、この壁内に住む人々の大半は、未だに知らされていないのだ。

 

 

これまで人類を守ってきたと信じ込んでいるこの三重の壁の中に、数え切れないほどの超大型巨人が眠っているという絶望的な真実を。

 

 

長年我々を食い殺してきた無垢の巨人たちが、元々は自分たちと同じ血の通った人間であったという、吐き気を催すような事実を。

 

 

そして何より……この鳥籠の向こう、海と呼ばれる果てしない塩水の水平線の奥には、我々の壁内文明を遥かに凌駕する技術と兵力を持った、超大国が存在しているという事実を。

 

 

私がこうして歴史講師として安定した職と収入を得るための絶対の雇用条件。

 

 

それは、『時が来るまで』、あるいは『上が許可するまで』、それらの世界の真実を一切口外しないという強固な箝口令であった。

 

 

 

私は、愛娘となったユミルに温かいスープと安全な寝床を与え続けるためならば、この程度の沈黙など安いものだと割り切っている。

 

 

 

あの日、彼女の小さな手を握り、真っ当な大人として生きると誓ったのだ。 偽りの歴史を語る罪悪感など、彼女の穏やかな寝顔の前では些末な問題でしかなかった。

 

 

「──────それでは、本日はここまで。今日行った範囲の復習を忘れないように」

 

 

時間丁度に区切りをつけ、私は教本をパタンと閉じた。

 

「起立、礼」という号令と共に、生徒たちの一糸乱れぬ挨拶が講義室に響く。

 

 

私は小さく頷きを返し、教壇の上に重ねられていた重い教本を数冊小脇に抱え上げ、出口の扉へとゆっくりと歩みを進めた。

 

 

(……さて、行くか)

 

 

私は、この講義の後に控えている『ある密会』に向けて、胸の奥で静かに決心を固めていた。

 

 

相手は、現在の新エルディア帝国を実質的に動かしている最高意思決定者の一人。 下手な立ち回りをすれば、私とユミルのささやかな平穏など一瞬で吹き飛ぶような、危険な男だ。

 

 

「ニック教授」

 

思考の海に沈みかけていた私の背中を、一人の生徒の声が呼び止めた。

 

 

「どうした」

 

私は立ち止まり、内心の緊張を悟られないよう、努めて冷静に振り返った。

 

 

そこに立っていたのは、最前列でいつも熱心に講義を聞いていた青年だった。

 

 

仕立ての良い制服を着崩すこともなく、姿勢は良いが、その瞳の奥には、若者特有の危うい好奇心の炎がメラメラと宿っているのが見て取れた。

 

 

「ライナスと申します。幼い頃から歴史が大好きで……いつも父の書斎に忍び込んでは、日が暮れるまで古い文献を読み耽っていました」

 

 

そう言って、ライナスと名乗る青年は頭を掻きながら、照れくさそうに笑った。

 

 

 

彼の父親がどのような人物かは知らないが、旧王政下で禁書とされていたような古い書物を隠し持っていたのなら、相当な知識層か、あるいは探求心の強い変わり者だったのだろう。

 

 

「あっ、すみません。いきなり身の上話を……」

 

「構わない。して、要件は」

 

私は空いた片手を軽く前に出し、手短に本題に入るよう促した。

 

この後に控える密会の重圧のせいか、少しだけ冷たい響きになってしまったかもしれない。

 

 

だが、ライナスはそれに怯むことなく、一歩前へ踏み出してきた。

 

 

「はい。……今までずっと疑問に思っていたんです。壁内人類の百年以前の歴史について、不思議なくらいに書物が存在していないことを。 恐らく、旧王政側が何らかの思想統制を敷き、意図的に歴史を消し去ったのだと考え、今までその疑問については誰にも言わず、ひた隠しにしてきたのですが」

 

 

彼はそこで一度言葉を切り、何かを決心したように、強く拳を握りしめて私を見つめた。

 

 

その真っ直ぐな視線に、私はかつての王政の暗部を知る者として、微かな眩しさと痛みを覚えた。

 

 

「無血革命により、あの腐敗した王政府が倒れた今! 我々は、百年前の真の歴史について、ようやく知る事ができるのではないでしょうか!?」

 

 

講義室全体に響き渡る、彼の怒声にも似た情熱的な大声。 残っていた数人の生徒たちが、驚いてこちらに視線を向ける。

 

 

(……純粋で、危うい若者だ)

 

 

私は内心で小さく息を吐いた。 真実を知ることは、必ずしも幸福とは結びつかない。

 

 

彼が追い求めている百年前の真実の先には、希望などではなく、世界中から悪魔と忌み嫌われているエルディア人の残酷な歴史と、圧倒的な理不尽が待ち受けているのだから。

 

 

だが、私が今それを彼に突きつける権利はない。

 

 

「……コホン。少し落ち着きなさい」

 

 

私は軽く咳払いをし、冷静な声で目の前の青年を諫めた。 ハッとしたライナスは、周囲から向けられている好奇の視線を自覚したのか、顔全体を耳の先まで赤く羞恥に染め上げ、バツが悪そうに俯いた。

 

 

 

私は、扉の冷たい金属の取っ手に手を掛けた。 そして、自身のその皺の刻まれた手元を見つめたまま、静かに口にする。

 

 

「……今はまだ、その時ではない」

 

「え?」

 

 

顔を上げたライナスの間の抜けた声が背中に届いたが、私は振り返ることなく、そのまま彼を置いて廊下へと足を踏み出した。

 

 

(……少し、含みを持たせた発言はまずかっただろうか)

 

 

冷たい廊下を歩きながら、私は自身の不用意な言葉を反芻した。

新政府から禁じられているとはいえ、彼の真っ直ぐな瞳を前にして、完全に嘘をついて突き放すことができなかったのだ。

 

 

だが、遅かれ早かれ、この壁内人類は真実を知ることになる。 あの規格外の力を持った少女たちが、このまま壁の中の平穏に甘んじて大人しくしているとは思えない。

 

 

ならば、彼のような熱意ある若者に、少しぐらい未来への期待を持たせるのも、悪くはないだろう。

 

 

 

私は小脇に抱えた教本を少しだけ持ち直し、本棟から離れた、旧校舎へと続く渡り廊下へ足を進めた。

 

 

歴史ある名門校とはいえ、使われなくなった旧校舎の管理は行き届いていない。

 

 

一歩踏み出す度に、古い床板が僅かに窪み、静寂の空間にギシギシと耳障りな音を軋みあげる。 埃の匂いと、どこかカビ臭い冷気が、私の足元から這い上がってきた。

 

 

この旧校舎の奥の使われていない備品室が、今日の密会場所に指定された場所だった。

 

 

(……私のような末端の非常勤講師に、直接会って話がしたいとは。一体何を企んでいる)

 

 

王都の地下で暗躍し、無血革命を成し遂げた組織。 そのトップである男が、私に何の用があるのか。

 

 

あの始祖ユミルとアトラスという少女たちの『力』について、私から何かを聞き出そうというのか。

 

 

あるいは、何らかの形で私を再び表舞台に担ぎ上げようとでもいうのだろうか。

 

 

やがて、薄暗い廊下の突き当たりが見えてきた。

 

一際淀んだ雰囲気を感じさせるその一角にて、この学び舎には到底似つかわしくない、唯ならぬ殺気と気配を纏う数人の男たちが立っているのが視界に入った。

 

 

 

全員が黒いコートに身を包み、鋭い眼光で周囲を警戒している。 腰の膨らみからして、おそらく銃器かそれに類する武器を隠し持っているのだろう。 対人制圧に特化した精鋭部隊の一部か。

 

 

私の足音に気付くと、その場のリーダーらしき長身の男が私を一瞥し、感情の読めない低い声で口を開いた。

 

 

「お待ちしておりました。ニック教授」

 

 

男は短く一礼した後、私の目の前にある、旧校舎には不自然なほど蝶番に油が差され、手入れがなされた木製の扉へと手を向けた。

 

 

「どうぞお入りください。我々は外で待機となっておりますので」

 

 

私は無言で頷き、教本を抱えたまま扉の前に立った。 緊張で、心臓が普段よりも少しだけ早く脈打っているのが分かる。

 

 

私は小さく息を吸い込み、扉を三回、一定のリズムで軽く叩いた。

 

 

コン、コン、コン。

 

 

数秒の空白の後。 扉の向こうから、一切の感情の揺らぎを感じさせない、冷たく機械的な声が響いた。

 

 

「どうぞ」

 

 

私は、氷のように冷たい金属のノブをしっかりと握り込み、ゆっくりと扉を開いた。

 

 

薄暗い備品室の中。 窓は分厚いカーテンで閉ざされ、机の上に置かれた一つのランプの灯りだけが、室内の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせている。

 

 

 

そのランプの光の向こう側、簡素な木の椅子から、長身の金髪の男が静かに立ち上がった。

 

 

「初めまして、ニック教授殿。忙しいなか、このような対面での話し合いに応じて頂き、心より感謝する」

 

 

そう言って、私に向けて右手を真っ直ぐに差し出してきた。

 

 

青く澄み切った、底知れぬ深淵を感じさせる瞳。

 

 

この男が、あの規格外の神のごとき少女たちを手懐け、あるいは上手く利用して、壁内の歴史を根底から引っくり返した首謀者。

 

 

 

彼から漂う空気は、旧王政の貴族たちのような腐敗した脂の匂いではなく、純粋な目的のためならば己の命すら躊躇いなく切り捨てる、冷徹な刃の匂いがした。

 

 

私は、自身の震えを悟られないよう、腹の底に力を入れた。大人としての老獪なプライドと、一人の父親としての覚悟。

 

 

隙を見せないよう、表向きはあくまで余裕のある微笑みを顔に貼り付けながら、私は彼が差し出した大きな手を、力強く握り返した。

 

 

「いえいえ。先の一件では、私と娘のために多大なご援助いただき、大変お世話になりました。……こちらこそお会いできて光栄です。"エルヴィン・スミス"殿」

 

 

 

 

 

 

 

 

薄暗い旧校舎の一室。 壁内人類の行く末を盤上で操る冷徹な指揮官と、かつて神に仕え、今は一人の少女のために真っ当に生きると誓った元司祭。

 

 

 

決して交わるはずのなかった二人の男の、互いの腹の底を探り合う息詰まる密談が、今、静かに幕を開けたのであった。

 

 

 

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