進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった……   作:感謝君

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第百九十話

 

 

薄暗い旧校舎の備品室。 古びたランプの炎が頼りなく揺らめく中、机の上に突っ伏して両手で頭を抱え込んでいたニック教授は、やがて、深く、ひどく長い息を吐き出しながらゆっくりと顔を上げた。

 

 

 

その顔からは、先程までの常軌を逸した真実を叩きつけられたことによるパニックや、極度の絶望といった感情の波は、綺麗に引き潮のように消え去っていた。

 

 

 

代わりに彼の顔に浮かんでいたのは、すべての未練や迷いを断ち切り、世界のあまりにも巨大な不条理をあるがままに受け入れたような───まるで憑き物が落ちたような、悟りの境地に至った老僧の静謐な表情であった。

 

 

 

「……なるほど」

 

 

ニックは、自身の額に刻まれた深いシワを指でなぞりながら、ぽつりぽつりと、自身に課せられた運命の重さを反芻するように言葉を紡いだ。

 

 

 

「壁の真実を知り、かつての旧体制の暗部を知る生き残り。

……その上で、長年ウォール教の司祭として民衆の心を束ね、狂信的な信仰へと先導してきた『指導者』としてのノウハウを持つ者。

……ふっ……これ程都合の良い人材はそうそう見つからないであろうな」

 

 

 

彼は自嘲気味に口角を歪め、真っ直ぐに私の青い瞳を見据えた。

 

 

流石は、腐敗した王都の裏側で生き抜いてきた男だ。自身の置かれている状況と、その『利用価値』を完璧に客観視できている。

 

 

そして彼は、薄々察しているのだろう。

 

 

私からこれ程の国家最高機密……世界の理を書き換える計画を開示された今、彼自身に『断る』という選択肢など最初から存在していないということを。

 

 

 

「勿論、我々帝国政府は、貴殿の身の安全や、新教団の活動に関する資金的・政治的バックアップを一切惜しまない」

 

 

私は机の上で組んでいた両手を解き、極めて事務的に、しかし絶対的な重みを持たせて約束を口にした。

 

 

 

これは彼への甘言であると同時に、事実上の『強要』だ。 断れば、壁の秘密を知る危険分子として、そして特異点たちに不敬を働いた者として、彼と彼の愛娘のささやかな平穏は明日にも消え去る。

 

 

 

彼が娘を守るためには、私の提示した『三神教の大司教』という悪魔の契約にサインし、我々の国家運営の巨大な歯車として機能し続けるしかないのだ。

 

 

 

「……エルヴィン殿。貴方は噂通り……いや、それ以上の、恐ろしい傑物のようだ」

 

 

 

ニックは、どこか清々しい諦観を含んだ声で笑った。 そして、彼はテーブルに置いた両手にグッと力を込め、背筋を真っ直ぐに伸ばした。

 

 

 

「……計画については承知した。 この理不尽な世界で、私とあの娘が光の当たる場所で生きていくためだ。

……『三神教の大司教』という巨大な役目、この老骨に鞭打って、出来る限り協力させてもらおう」

 

 

 

その顔つきは、先程までの怯えた歴史講師のそれとは打って変わって、数多の信者を導いてきた宗教的カリスマとしての、力強く、そして揺るぎない覚悟に満ちたものとなっていた。

 

 

「……ご協力、心より感謝する。必ずや、この壮大な計画を成功させると約束しよう」

 

 

私は静かに立ち上がり、右の拳を左胸に強く当てる『心臓を捧げる』礼を、彼に向けて深く行った。 そして、そのまま右手を真っ直ぐに差し出す。

 

 

 

彼も立ち上がり、私の右手をごつごつとしたシワだらけの手でしっかりと握り返した。

 

 

 

旧王政の暗部を支えた元司祭と、新エルディア帝国を牽引する軍のトップ。

 

 

決して交わるはずのなかった二人の男の間に、壁内人類の未来を懸けた、熱く、そして重い握手が交わされた。

 

 

ギィィ……と、古い扉が軋む音を立ててニック教授が退室していく。

 

 

外で待機していた対人立体機動部隊の足音が遠ざかり、旧校舎の備品室には、再び完全な静寂と私一人が取り残された。

 

 

私は椅子に深く腰を下ろし、冷めきった空気を肺の底まで吸い込んだ。

 

 

(……これで、民衆の精神的支柱となる『偶像』の構築は目処が立った)

 

 

 

だが、息をつく暇などない。 私一人だけとなった薄暗い一室にて、私の脳内はすでに、次の一手、二の矢、三の矢を猛烈な速度で演算し始めていた。

 

 

 

五十万。 壁の硬質化が解かれ、中に眠る幾千万の超大型巨人から人間に戻るであろう、百年前の同胞たち。

 

 

 

彼らを労働力として壁内社会に統合させるためには、乗り越えなければならない物理的なタスクが山のように存在する。

 

 

(……行政区画ごとの膨大な受け入れ態勢の構築、身分証の発行。 彼らを即戦力として組み込むための、新たな雇用先の斡旋。 それに伴う、新政府が管理する食糧備蓄の段階的な解放と、ウォール・マリア内、延いては新たに構築される『ウォール・アトラス』内の広大な未開拓地における『農地開拓特別法』の制定。 さらに、民衆のパニックを防ぐための、帝都の新聞社と連携した強固な情報統制とプロパガンダの流布)

 

 

 

一つ一つの課題が、通常であれば国家が数年、数十年単位で取り組むべき巨大な国家プロジェクトだ。

 

 

それを、我々はほんの数ヶ月の間に完遂しなければならない。 さらには、それらを安全に行うための『壁の解除スケジューリング』だ。

 

 

 

始祖ユミルに一斉にすべての壁を解除させれば、インフラが完全に崩壊し、物理的に人が溢れて餓死者が続出する。

 

 

 

混乱を回避するため、まずはウォール・シーナの安全な区画から順番に、数十キロ単位で期間を調整し、段階的に硬質化を解き、人間化させていく綿密なスケジュール調整が必須となる。

 

 

考えるだけで、再び胃の腑がキリキリと痛み出しそうになるほどの重圧。

 

 

 

だが、暗がりに浮かぶ私の瞳は、決して絶望に濁ることはなく、むしろ狂気的なまでの野心と熱を帯びて爛々と輝いていた。

 

 

(……そうだ。我々は、この手で歴史を創り上げているのだ)

 

 

演算を続ける私の脳裏に、ふと、昨夜の御前会議の終盤で、ハンジが奇声を上げながら不意に零した『ある雑談』が蘇ってきた。

 

 

『そういえばさ! アルミンが帰省する前に、帝都の画材屋で超高級な絵の具や筆を狂ったように買い漁っててね。 つい気になって聞いてみたら、彼のシガンシナ区のお友達が、あのベニア姉妹を題材に肖像画を描きまくってるんだってさ。 それも、名前を聞いたらあのグリシャの息子だって言うんだから、お腹抱えて笑っちゃったよ!』

 

 

 

『エレン・イェーガー』。 グリシャ・イェーガー氏の実の息子にして、近年、帝都の富裕層や芸術家たちの間で、「魂を揺さぶる至高の美を描く」と専らの話題として挙がっている、若き天才画家。

 

 

 

聞き覚えのある苗字だとは思ってはいたが……なるほど、そういうことだったか。

 

 

シガンシナ区の家でアトラス殿たちが懇意にしていた少年が、その天才画家の正体だったというわけだ。

 

 

(……使えるな)

 

 

 

私の口角が、暗闇の中で無意識に深く吊り上がった。

 

 

 

新しく設立する『三神教』。 アトラス殿、リーシェ、そして始祖ユミルという三柱の女神を民衆に崇拝させるためには、言葉による教義だけでは弱い。

 

 

 

圧倒的な『視覚的情報』──すなわち、彼女たちの神秘的で、凡そ人間離れした美しさと尊さを民衆の脳裏に直接刻み込む、絶対的な『偶像』が必要不可欠となる。

 

 

 

ならば。 彼、エレン・イェーガーの神がかっていると噂の筆致で描かれた、あの三姉妹を題材とした絵画の数々を……文字通り、教団の『宗教画』として公式に採用し、帝都中の大聖堂に掲げればどうなる?

 

 

 

おそらく、彼女たちの美の暴力に当てられた民衆は、いとも容易く、そして狂信的に新たな教義へと跪くことだろう。

 

 

 

具体的な『神の姿』が可視化されるだけでも、民衆の扇動とパニックの抑制に、計り知れないほど大きな効果を齎す。

 

 

 

(……にしても。あまりにも、状況が出来過ぎているな)

 

 

私は、組んだ両手の指先に微かな寒気を覚えた。 壁の真実を知る元司祭の確保。

 

 

天才的な頭脳を持つアルミン少年を擁する新技術開発部門。

 

 

そして、民衆の心を掌握する『宗教画』を描き出す天才画家の少年エレン・イェーガー。

 

 

 

パズルのピースが、まるで初めからそうなるように運命づけられていたかのように、恐ろしいほどの精度で私の盤上にピタリと嵌まっていく。

 

 

 

本格的に、何か目に見えない巨大な力が、我々にとって都合の良い形へと世界を編み上げているのではないか。そんな錯覚すら覚えてしまう。

 

 

 

いや、錯覚ではないのだろう。 それもこれも全て、あのアトラスという『特異点』たる理外の存在がこの世界に顕現したことによる、途方もない因果のねじれ……『バグ』のせいだと考えるしかない。

 

 

 

だが、幸いな事に。 今の所、彼女の引き起こすその理不尽なまでの因果のうねりは、すべて壁内人類の益になる方向へと働いている。

 

 

 

ならば、私が為すべきことは一つだ。 自身の胃壁の痛みなどという些末な問題は切り捨て、この絶対的な幸運の波を、ただひたすらに、最大限に利用し尽くすこと。

 

 

 

(……この好機、決して逃しはしない)

 

 

 

私はランプの火を静かに吹き消し、暗闇の中で立ち上がった。

 

 

 

新エルディア帝国の更なる発展と、人類の完全なる解放の糧とするために。私は冷徹な決意を胸に秘め、静寂に包まれた旧校舎を後にするのだった。

 

 

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