進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
846年10月3日
「あぁ……あ……っ……あぁあ……っ」
帝都ミットラスの高級邸宅の一室。 分厚い遮光カーテンが引かれた薄暗い寝室に、俺の情けなく、そして悲痛な嗚咽が響き渡っていた。
手の中で握りしめている小さな手が、信じられないほど熱い。
俺の視線の先、ふかふかの特注ベッドのシーツに沈み込むようにして横たわっているのは、鈍色の金髪を乱し、苦しげな呼吸を繰り返している一人の少女だった。
「ユミルが……ユミルが……っ」
俺はベッドの脇に膝をつき、ポロポロと大粒の涙をこぼしながら、ただひたすらに彼女の熱を持った手を自身の額に押し当てていた。
前世の記憶を含めても、ここまで取り乱したのは初めてかもしれない。
それもそのはずだ。彼女はただの少女ではない。 二千年の歴史を司る『始祖ユミル』ご本人であり、『道』のシステムによって、絶対に病気や怪我をしない、加齢すらしない完全な『不老不死』の肉体として現世に受肉したはずの存在なのだ。
それなのに、だ。 数日前、ユミルは突如として「……なんか、お姉様、さむい……」と呟いて俺の胸元に倒れ込み、そのまま高熱を出して寝込んでしまったのである。
システムに致命的なバグが生じたのか? 不老不死のプログラムに欠陥があって、彼女の魂が限界を迎えているのか?
或いは自分が不用意に弄り回したハッキングのせいで、彼女の存在そのものが消滅してしまうのではないかという恐ろしい想像が、俺の脳内をドロドロの絶望で塗り潰していく。
「お姉様……心配しすぎ、ちょっと風邪ひいただけじゃん……」
俺がガタガタと震えながら半泣きになっていると、ベッドに横たわるユミルが、額にじっとりと汗を滲ませながら、火照った顔で少し苦しそうな、それでいて呆れたような笑みを浮かべて口を開いた。
「そ、その『ちょっと風邪ひいただけ』なのが異常なの! 何で!? 不老不死なのにこんなのおかしいよ! ……やだぁ……ユミルが死んじゃう……うぅっ……うぅぅ……」
俺はもはや自分が三神教の女神であるという体裁も忘れ、完全に「妹の重病にパニックを起こすポンコツ姉」と化して、彼女のベッドのシーツに顔を埋めて泣き喚いた。
彼女が自分でシステムを組んだくせに、その原因が全く分からないことが何よりも恐ろしかったのだ。
「えへへぇ……泣いてるお姉様も、可愛いなぁ……げほっ、げほっ……あはは……」
「笑い事じゃないよぉ……っ!」
高熱に浮かされながらも、俺の涙顔を見て嬉しそうに目を細めるユミル。
そのどこまでもマイペースで無邪気な様子が、余計に俺の胸を締め付けた。
「アトラス、エルヴィン達が来たわ。ユミルは私が面倒見てあげるから、あなたは顔を洗って応接室に向かいなさい」
その時、背後からスッと冷たくも落ち着いた声が降ってきた。
振り返ると、水を入れた洗面器と冷たいタオルを持ったリーシェが、呆れ半分、慈愛半分の表情で立っていた。
彼女はベッドの反対側に腰を下ろすと、まるで鈍臭い子供をあやす様に、手早く冷たいタオルを絞り、ユミルの火照った額に優しく乗せた。 見事な手際である。
「でも……っ」
「大丈夫よ。熱は高いけれど、一時的な肉体のエラーみたいなものでしょ。……私がしっかり見ててあげるから、あなたは総司令たちの相手をしてきなさい」
リーシェにそう諭され、俺はようやく少しだけ冷静さを取り戻した。
確かに、人類最強にして俺の愛する彼女が看病についていてくれるのなら、これほど心強いことはない。
俺たちが今住んでいるのは、あのシガンシナ区ののどかで暖かな一軒家ではない。
調査兵団の再編や新政府の本格稼働に伴い、俺たちは帝都ミットラスの一等地の、さらに中央。
政府の中枢敷地と真隣りに位置する、広大で立派な邸宅へと移り住んでいたのだ。
周囲の建物には政府関係者や軍のトップ層しか住んでおらず、邸宅の周囲にはリヴァイ兵長が率いる対人立体機動部隊や憲兵団の精鋭が、常に最高レベルの警備を敷いている。
エルヴィンからは「身の回りの世話をする側仕えを数名雇おうか」と打診されたが、俺たち三人揃って断固として却下した。
いくら家事が楽になるとはいえ、プライベートな空間───特に、俺が二人から過剰なスキンシップを迫られる爛れた日常に、赤の他人の目(使用人)が常に存在するのは、俺の精神衛生と羞恥心が絶対に耐えられなかったからだ。
そのため、このだだっ広い邸宅は少しばかり寂しく、窮屈に感じることもある。
だが、それももうすぐ終わる予定だ。 近々、あのシガンシナ区で第二の家族となったイェーガー一家───グリシャさんやカルラさん、エレン、ミカサ。
そしてアルミンとそのお祖父さんが、丸ごとこの帝都の俺たちの住む邸宅の近所へと引っ越してくる手筈になっているからだ。
アルミンは、その飛び抜けた頭脳によって新技術開発部門の根幹を担う不可欠な存在となっており。
そしてエレン少年はといえば、相変わらず俺たち三柱の『究極の百合空間』を後世に残すための天才絵師として、帝都の思想を完全に掌握(洗脳)しつつある。
彼らの持つ圧倒的な「戦略的価値(技術力とプロパガンダ能力)」の高さから、新政府によって特別にこのような特別措置が取られたのだった。
閑話休題。
俺はリーシェの言う通り、渋々ながらユミルの熱い手をそっとシーツの上に下ろした。 そして、ベッドの反対側に座るリーシェの方へと向き直る。
「うん……分かった。ごめんね、リーシェ。ユミルのこと、お願いね」
俺は意気消沈したまま立ち上がり、慈愛の籠ったアイスブルーの瞳で俺を見つめるリーシェへと近づいた。
そして、無意識のうちに───本能的な労いの感情からか、ごく自然な動作で、彼女の白く美しい頬にそっと右手を添えた。
「え?」
リーシェが不思議そうに目を瞬かせた、その直後。 俺は少しだけ身を屈め、彼女の柔らかな唇に、俺の唇をちゅっ、と優しく、だが確かな熱を持って重ねたのだ。
「──────はぇ……!?」
唇が離れた瞬間。 人類最強の鬼神たるリーシェの口から、今まで聞いたこともないような、信じられないほど間の抜けた、アホみたいな高い声が漏れた。
彼女は目を見開いたまま完全にフリーズし、先程までのクールな姉貴分のような余裕は木端微塵に消え去り、耳の先から首の根元まで、一瞬にして林檎のように真っ赤に染め上げている。
「あぁ! リーシェずるい!! お姉様、私にも! げほっ、私にもお見舞いのキスを……っ!!」
俺がそのまま背を向けて部屋を出ようとすると、背後のベッドからユミルの抗議する声と咳き込む音が、重厚な扉越しにまで響いてきた。
俺はドアを閉めながら、無自覚な自分の行動が引き起こした特大のやらかしに内心で冷や汗を流しつつ、小走りで洗面所へと向かった。
大理石で設えられた豪華な洗面台の前に立ち、俺は蛇口を捻って冷たい水を両手にすくい、パシャッと顔を洗った。
冷たい水が、火照った顔と、パニックでぐちゃぐちゃになっていた頭を少しだけ冷静にしてくれる。
顔を上げ、鏡に映る自身の姿を見る。 涙で赤く腫れた目元と、少しだけ乱れた漆黒の髪。
神が黄金比で設計した超絶美少女ボディとはいえ、今の俺の顔は、とてもじゃないが新エルディア帝国の最高意思決定者たちに見せられるような状態ではなかった。
俺は洗面台の横に置かれた、高級な小瓶やパウダーの入ったケースに手を伸ばした。
そして、手慣れた所作で化粧水を肌に馴染ませ、目元の赤みを隠すように薄くパウダーをはたき、ほんのりと色付きのリップを唇に引いていく。
(……前世では、メイクなんか全く無縁の人生だったのになぁ……)
ふと、鏡の中の美しい少女の顔に紅を差している自分の姿を客観視して、俺は遠い目になった。
今や、自分の顔に最適な化粧の濃さから、季節に合わせた色合いの選び方まで、完全にマスターしてしまっている。
環境への適応能力というか、生存本能というやつは本当に恐ろしい。
人間、やれば美少女に受肉しても何にでも順応できるものらしい。
流石に涙で腫れたまぶたを完璧に隠しきることはできなかったが、それでも人様───それも帝国のトップ層の前に出られるくらいには、マシな顔立ちに仕上がった。
着替えを済ませ、艶やかな黒髪を櫛で整え終えた頃には、気付けば俺が部屋を出てから結構な時間が経ってしまっていた。
(女性が外出や来客の準備に時間がかかる理由、今なら痛いほどよく分かるよ……)
俺は前世の自分に懺悔しつつ、早歩きで廊下を進んだ。
応接室の前に到着すると、そこにはエルヴィン総司令直属の部下であろう、兵団服を着た精鋭の兵士が直立不動で立っていた。
俺が「お待たせしました」と軽く会釈をすると、兵士はビシッと敬礼を返し、重厚な両開きの扉を恭しく開けてくれた。
「エルヴィン団長……いえ、総司令殿。大変お待たせ致しました」
俺は、努めて落ち着いた、透き通るような女神ボイスで挨拶をしながら応接室へと足を踏み入れた。
部屋の大きなソファには、見慣れた三人の姿があった。
「問題ない。こちらこそ、突然の訪問になってしまい申し訳ない」
上座のソファから立ち上がり、深く頭を下げたのは、かつての調査兵団団長であり、現在は事実上全軍を統括するエルヴィン・スミス総司令だった。
彼は胃のあたりを軽く押さえながら、その青い瞳に確かな疲労と、隠しきれない焦燥の色を滲ませている。
「始祖ユミル殿が体調を崩されたという報告を受け……その真偽を確かめたく、急ぎ参った次第だ」
エルヴィンがそう言うのも無理はない。 「不老不死で無限のエネルギーを持つ神様」が、ただの「風邪」で寝込んでいるのだ。
彼からすれば、新エルディア帝国の根幹を支える絶対的な抑止力に、未知の深刻なバグが発生したのではないかと、生きた心地がしなかったに違いない。
俺がこれからその事について説明をし始めようとした、その時だった。
「ユミルちゃんの様子はどんな感じ!? 不老不死の肉体にも効きそうな、私の自家製特効薬をいーっぱい持ってきたから、詳しく症状を聞かせてよ!!」
エルヴィンの隣に座っていたハンジ・ゾエが、目を血走らせ、口元からヨダレを垂らしながら勢いよく立ち上がった。
彼女の手には、どす黒い紫色をした、絶対に口に入れてはいけないヤバすぎる色の大瓶が握られている。
「ハンジ……得体の知れねぇ怪しい薬を持ち運ぶなと、あれ程言っただろうが」
すかさず、ハンジのさらに横のソファで腕を組んでいたリヴァイ兵長が、三白眼を鋭く細め、絶対零度の声で窘めた。
「失礼な! 三日三晩、徹夜して丹精込めて作った薬なんだよ!? まだ実証実験はしてないけど、巨人の細胞を活性化させる成分を抽出したんだから、必ず効くはずなんだから!」
「お前のその『実証実験はまだ』って言葉が一番信用できねぇんだよ。もう喋るなハンジ。これ以上は恥の上塗りだ。その汚物(薬)を今すぐ窓から投げ捨てろ」
「なんだって!? これは科学の結晶だよ!! リヴァイの分からず屋!!」
応接室の真ん中で、いつものようにギャーギャーと幼稚な言い争いを始めるハンジとリヴァイ。
そして、その隣で「また始まったか……」と頭を抱え、胃薬の小瓶を取り出そうとしているエルヴィン総司令。
(……ははっ。相変わらずだな、この人たちは)
さっきまでの、ユミルが消えてしまうのではないかという俺のパニックと絶望感が、この三人の全く変わらない、どこまでも平和で気の抜けたやり取りを見ているうちに、スゥッと嘘のように溶けていくのを感じた。
不老不死の神様が風邪を引こうが、俺が美少女になっていようが。 彼らがいれば、きっとこの世界は今日もなんとか回っていくのだろう。
俺は、思わず吹き出しそうになるのを必死に我慢して、上品に口元を手で覆いながら。
彼らとのカオスで愛おしい話し合いに加わるべく、ゆっくりと、ふかふかのソファへと腰を下ろすのだった。