進撃の巨人の世界に15m級の無垢(?)の巨人として転生してしまった…… 作:感謝君
あれから、長く、ひどく苦しい夜が明けた。
薄暗い別室のベッドで、俺は一人、冷たいシーツに包まりながら何度寝返りを打ったか分からない。
『繋がりを断ち切る』という、ユミルにとって最も残酷な提案をしてしまった自己嫌悪。
限界を迎えているであろう彼女の身体が、いつ破裂してしまうかもしれないという得体の知れない恐怖。
様々な絶望的な感情が脳内で渦を巻き、俺は一晩中、誰にも聞こえないように声を殺して枕を濡らしていた。
愛するユミルを失うかもしれないという恐怖の前では、理性も威厳もただの脆い砂の城でしかなかった。
だが、窓の隙間から帝都ミットラスの冷たく澄んだ朝の空気が入り込み、白み始めた空を見つめているうちに、少しだけ頭がクリアになってきた。
(……泣いている場合じゃない。落ち込んでいても、状況は何も変わらないんだ)
そうだ。俺が泣いて絶望している間にも、ユミルは熱と戦い、リーシェは不眠不休で看病を続けてくれているはずだ。
何か、俺の独自の『道』のシステムから、彼女の『道』の圧力を逃がす別の裏技があるかもしれない。
俺は赤く腫れた目元を冷たい水で洗い流し、両手でパンッと自身の頬を叩いて気合を入れると、二人が待つ寝室へと向けて重い足取りを進めた。
邸宅の広く静かな廊下を歩き、重厚な木製の扉の前に立つ。
微かに中から聞こえる物音に耳を澄ませながら、俺は深呼吸をして、コンコンっ、と軽くノックをした。
「……入っていい?」
扉越しに、努めて普段通りの、心配をかけないような穏やかな声をかける。 すると、数秒の間の後。
「いいよー」
扉の向こうから、少しだけくぐもった、けれど昨日よりは随分と張りのあるユミルの声が返ってきた。
俺はホッと小さく安堵の息を吐き出し、ガチャリと冷たいドアノブに手をかけて、静かに部屋の中へと足を踏み入れた。
分厚い遮光カーテンが少しだけ開けられ、冬の柔らかな朝の光が差し込む寝室。
俺の視界にまず飛び込んできたのは、特注の広いベッドの上で上体を起こし、こちらに向けてふにゃりと柔らかい笑顔を向けるユミルの姿だった。
(……よかった。昨日より、少し顔色が良いみたいだ)
頬の不自然な赤みも引いており、呼吸も落ち着いている。
そして、そのベッドのすぐ傍ら。
用意された木製の椅子に深く腰掛けたまま、自身の腕に寄りかかるようにして微睡んでいる、リーシェの姿が確認できた。
普段、絶対に誰の前でも隙を見せないあの『人類最強の鬼神』が、美しい金髪を少し乱し、疲労の色を濃く滲ませて目を擦っている。
一晩中、一睡もすることなく、熱にうなされるユミルの看病を付きっきりでしてくれていたのだろう。
その不器用で、深い愛情に、俺の胸の奥がキュッと締め付けられた。
「おはよう。お姉様」
ユミルが、鈴を転がすような甘い声で挨拶をしてきた。
昨日より状態が良さそうな彼女は、ベッドの端から身を乗り出し、傍らで眠そうにしているリーシェの肩を、小さな手で軽く揺すった。
「リーシェ、朝だよ。お姉様が来たよ」
「……うぅん……アトラス……? もうちょっとだけ、ねかせて……」
リーシェは、俺が入ってきたことにも気づかず、寝ぼけ眼のまま、微かに甘えたような声で掠れた寝言を零した。
(……可愛い。疲れてるのに申し訳ないけど、こういう隙だらけのリーシェもたまらないな)
俺が内心でそんなバカ親のような感想を抱きながら、優しく微笑みかけていた、その時だった。
ユミルが、寝ぼけているリーシェの耳元へと顔を近付けた。
そして、口元を片手で隠し、何やら小悪魔的な、ひどく悪戯な笑みを浮かべながら、コソコソと小さな声で囁き始めたのだ。
人間なら絶対に聞き取れないような、衣擦れの音よりも小さな囁き声。
だが、現在の俺の肉体のベースは、五感が極限まで鋭敏に最適化された巨人のそれである。
俺の無駄に超人的な聴力は、彼女の紡いだその言葉の『一部分』を、極めてクリアに、一言一句違わず正確に拾い上げてしまった。
『……昨日のこと、お姉様に話ちゃおうかな〜?』
「──────!?」
その囁きが耳に届いた瞬間。 椅子の上のリーシェの身体が、まるで強烈な電撃を浴びたかのようにビクンッ!と大きく跳ねた。
「ダメっ!!!」
バンッ!と立ち上がり、さっきまでの愛らしい寝ぼけ顔が嘘のように、これから死地である戦場にでも赴くかのような、血走った恐ろしい形相で目をかっぴらいたのだ。
その異常なまでの動揺と、悲痛な叫び。 俺の脳内の平穏な思考回路が、ピタリと停止した。
「……昨日のこと?」
気付けば、俺の口から思わずそのワードが転がり出ていた。
声のトーンが、自分でも分かるほど一段階低く、ひどく冷たいものになっている。
俺のその反応に対し、ベッドの上のユミルは『待っていました』とばかりに、パァっと顔を明るく花咲かせ、ニヤニヤと意地悪な笑みを深めた。
「うんうん! 昨日、お姉様が部屋に帰った後にね。熱で苦しんでる私に、リーシェがすっごく情熱的な言葉を投げかけてくれた上に───」
「あーあーあーっ!! アトラス! これは罠よ! 聞き間違いよ! 聞き流しなさい、聞いちゃダメ!!」
ごく自然に、嬉々として語り始めたユミルの言葉を遮るように、リーシェが顔を真っ赤にして両手を激しく振り回し、異常なまでの焦りを見せて叫び声を上げた。
普段、どれだけの絶望的な状況でも表情一つ変えない彼女が、ここまで必死に何かを隠蔽しようとしている。
それはつまり、俺に聞かれたら社会的に、あるいは二人の関係性において『致命的な何か』があったという確たる証拠だ。
「……リーシェ、静かにして」
俺は、一歩も動かず、ただ冷徹な『真顔』で彼女を制した。
「っ……」
俺のその声音に、リーシェはヒッと息を呑み、反論を飲み込んでビクビクと肩を震わせた。
「ユミル、続けていいよ」
俺は、何やら先行きの怪しい、ドロドロとした展開を予感させる語りに向けて、静かに続きを促した。
「はーい。それでね」
ユミルは、完全に主導権を握ったとばかりに、リーシェに向けて勝ち誇ったような視線を送りながら、艶かしい声で紡ぎ出す。
「熱で火照って苦しんでる私の身体を、リーシェがぎゅーっと力強く抱き締めてくれて……耳元で、甘ーい愛を囁いてくれたんだー」
「いや、愛は囁いてないから!!!」
リーシェが、顔から火が出るほど赤面しながら、すかさず悲鳴のようなツッコミを入れる。
少し話を盛ってからかっているのだろうが、その必死な否定が、逆に生々しい真実味を帯びてしまっている。
「……抱き締めたのは、ほんとなんだね」
スッ、と。 俺の、夜空のようなアイスブルーの瞳から、一切の光が完全に消え失せた。
「えっと……それは……違うの、アトラス! あくまで、不安がってる彼女を励ます為というか……その、不器用な慰めの一環であって……!」
リーシェは、俺の絶対零度の視線を浴びて、歯切れが悪そうに目を逸らしながら、両手を胸の前でモジモジとさせて必死に言い訳を並べ立てる。
人類最強の鬼神が、完全に浮気がバレた夫のような情けない姿を晒している。
だが、二人の間に流れるその気まずい空気を、完全に木っ端微塵に引き裂くように、ユミルはトドメの一撃を放った。
「それでね、月明かりに照らされながら、お互い至近距離で顔を見合せてる間に……なんだか、すごーく良い雰囲気になって────────────」
「ちょっ、ユミル!? それ以上は言わないで!!!」
リーシェがパニックを起こし、ユミルの口を物理的に手で塞ごうとベッドへと飛び掛かった。
しかし、相手は二千年の歴史を持つ神様である。
彼女の悪戯は、リーシェの超反応よりもほんの一瞬だけ、早く完結した。
「──────キスしちゃった」
「…………ッ!!?」
ユミルは、目をぎゅっと閉じながら、自身の両頬に手のひらを当てて、熱に浮かされた乙女のように上体を左右にフリフリと揺らしてみせた。
ベッドに飛び掛かりかけていたリーシェは、その決定的な一言が放たれた瞬間、空中で完全にフリーズした。
そして、まるでこの世のすべての業を背負い、世界の終わりを悟ったかのように、絶望に打ちひしがれて床へと崩れ落ちたのだ。
(…………は?)
俺は、軽く脳髄を直接巨大なハンマーで殴り叩かれた様な、強烈な目眩と痛みを感じていた。
(…………………………)
俺の脳内で、とてつもない速度で怒りと嫉妬、そして『理不尽さ』が渦巻いていく。
俺は昨日、彼女の手を握りながら、繋がりを断ち切るという絶望的な選択を迫り、彼女を苦しめてしまった罪悪感で、一晩中暗い部屋で泣いていたのだ。
俺が、一人で枕を濡らし、どうすれば彼女たちを守れるのかと血を吐くような思いで悩み苦しんでいた、その真裏で。
この二人は、月明かりに照らされながら、いい雰囲気になって、イチャイチャと百合の口付けを交わしていたというのか。
俺は、床で真っ白に燃え尽きているリーシェと、ベッドの上で「えへへ」と照れ笑いを浮かべているユミルに対して、絶対零度の眼差しを向けた。
「……へぇー」
俺の口からは、自分でも驚くほど、自然と地を這うようなドスの効いた声が出ていた。
「わ、私が一人、枕を濡らして、暗い部屋で絶望して過ごしていた傍らで。 ……二人は、随分と楽しくイチャイチャしてたんだー。なるほどねー」
「あ、アトラス……違うの、これは誤解よ……! ほんの一瞬の事故みたいなもので……っ!」
リーシェが床に這いつくばりながら、俺のワンピースの裾にすがりついて泣きそうな顔で見上げてくる。
だが、今の俺の怒りの炎は、そんな言い訳で消えるような生易しいものではなかった。
俺は更に、冷たく鋭い言葉を畳み掛ける。
「別に、二人が愛の言葉を囁き合おうが、熱烈にハグしようが、それこそキスだってしても良いと思ってるよ? ……でも! 時と場合っていうのを──────」
俺はその後も数十分間にわたり、自身が蚊帳の外にされた理不尽な悔しさでひたすらに説教紛いな言葉を、帝都の静かな朝の寝室に響き渡らせ続けるのだった。